NEXTBACKDOOR|タブーの螺旋〜Dirty love〜

終章 ツインソウル〜愛の存在証明〜

#8

 美帆子はソファの背もたれから躰を起こし、腕を腿にのせながら前のめりになった。威嚇を込め、わずかに上目遣いになって響生を捕らえる。
「あなたは父親なのよ」
「だとしても、遺伝上の話です。知っているのは僕たちと水谷専務だけで、なんの痕跡も証拠もない。DNA鑑定をすれば別ですが」
「あんな写真集を出しておきながら? 似てるって思わない?」
「夫婦は似るって云いませんか。むしろ、結婚すればだれも疑わない」
 響生と美帆子の応酬は口を挟む暇がない。美帆子の追及は予測ができないはずで、そのなか滞ることのない響生の言葉から揺るぎのない意思を目の当たりにして、環和の中から緊張も不安もほぐれていく。

 美帆子は響生から環和へと目を移した。
「環和、あなたはその子の母親でもあるけど、姉でもあるのよ。わかってるの?」
 今度は怯むことなく、環和はこっくりとうなずいた。
「わかってる」
「それなら当然、あなたのようにその子も出生の経緯を知れば傷つくことはわかるわよね。生まれてくる子に一生、黙っていられる? 隠し通せるの?」
 美帆子は勝手なことを云う。自分が導いたことなのに、その後悔も罪悪感も見せない。環和は反撃したい気持ちを抑えきれなかった。

「傷つく? 傷だらけだよ。ママは干渉するくせに一線があって近づけない。でも、パパがいるから、もしママがいなくなってもパパを頼れるって思ってた。でも、もうパパにも頼れない。パパがわたしと会わないのはママに遠慮してるからだって思ったのに理由は全然違ってて……。響生が本当のパパだとしてもそんなふうには見られないし、でも、無視しようとしたって消しきれないでついてまわる。聞きたくなんてなかった。だから、云うわけないじゃない。産むのを迷ったことない。生まれてくる子はわたしと響生の赤ちゃんていう、それだけ。家族に飢えてるのは響生だけじゃない、わたしも同じ。わたしから響生を取りあげるなんてだれにもできない」

 美帆子とまともに向き合って思っていることを――云いたいことをぶつけたのははじめてかもしれなかった。
 それでも美帆子が感情を表すことはない。そうあるように、感情をコントロールして冷ややかさを演じきっているのか。
「ふたりじゃないだろう」
 ぴりぴりと張りつめるほどの気配はないが、言葉を探すような淀みはあって、響生はあえてからかうように環和を諭した。
 自然と環和のくちびるにも笑みが浮かぶ。
「うん。赤ちゃんも一緒」

 美帆子は前のめりになっていた上体を起こしてソファにもたれると、環和から響生へとゆっくり目を転じた。
「響生、あなたは守っていけるの?」
「ここにきて愚問ですよ。子供に話さなければならない日がくるとは思えない。美帆子さんだって、僕と環和がこうなるまで、環和に話すつもりはなかったはずだ。写真集で……『ツインソウル』で証明できていませんか。守るためならどんな手段でも使います。知ってのとおり、僕は清廉潔白な人間じゃない。補足するなら、僕が清廉潔白になれるのは環和に対してだけです」
 美帆子は真意を量るように響生を長く見つめ、そして環和に目を向けた。娘の顔に不屈な様を見いだしながら、訴えるような眼差しに合い、美帆子はやがてため息をついた。
 ため息にどんな意がこもっているのか、環和からはさっぱり読みとれないが、表情から近寄りがたい冷ややかさは消えた。達観したような、あるいは諦観したようでもあった。


 美帆子はテーブルからグラスを取りあげて、おそらく赤ワインだろう、おもむろに口をつけた。ひと口含んだあとはまるで時間を引き延ばすように味わい、そして喉に通した。美帆子はグラスを持ったまま話しだした。
「父親の存在なんてなくても、父親がだれであろうと、環和はわたしの子よ。それだけで充分じゃない?」
「ママ……」
 父親など関係ない、と環和と響生のことを認めたという遠回しな言葉なのか、環和は自分でもなんと云いかけたのかはっきりしない。
 美帆子は眼差しで黙ってと環和を制した。

「わたしは高校時代、演劇部に所属してたの。ブロック大会では優秀賞まではもらえたんだけど、全国大会への推薦はもらえなかった。演技も大事だけど、脚本が秀逸でなければ難しかった。わたしは勘違いしてたんでしょうね。脚本や演出がよければ、自分の才能を最大限に発揮できるって思ったのよ。高卒で埼玉のお菓子の工場に就職したけど、それはいずれ東京に出るため。一年して工場はやめて東京に住み移った。いざそうしたら、どこに行っても普通にお洒落できれいな子ばっかりに見えた。埋もれてしまう。そんなふうに思った結果がいまの姿よ」

 美帆子自身が、会うたびに顔が違った、と祖母が云ったことを裏付けた。いったん話を切りあげてワインを口にして、美帆子はまた語りだす。
「そこそこの劇団に入れたんだけど、女優志望の子はごろごろいるって思い知って焦ったわ。でも、わたしはチャンスをつかんだ」
「チャンスって二十五年前に聞いたことですか」
 過去をたどったせいか眉をひそめて響生が訊ねると、そうよ、と美帆子はうなずいた。
「チャンスって何?」
 どちらにともなく訊ねた環和を見つめ、美帆子は吐息を漏らした。
「環和からしたら、まったくおもしろくない話しになるでしょうね。躰を利用したのよ。響生と同じね」
 美帆子はわざと響生のことを付け加えたのか、響生を見やった美帆子の目は挑発的にも見受けられる。
 響生は肩をそびやかした。
「云い訳するなら、昔のことです」

「わたしにとっても昔のことよ。名声のある演出家と出会った。わざと妊娠したのは響生よりもタチが悪いかしら。子供を産んで、証拠を残して役をもらおうとした。でも不思議ね。早産して赤ちゃんが危険に晒されてしまうと証拠なんてどうでもよくて、生きてなくちゃだめって祈ってた。響生には話したけど、結局はちょっとしたことから病気が重症化して助からなかった。その子にいつか会えるっていうよりは会わなくちゃっていう、強迫観念が消えてくれなかった」
「だから結婚したの? パパを……好きだったわけじゃなくて?」
 秀朗のことをまだパパと呼んでいいのか、環和は一瞬そんなことに戸惑いながら訊ねた。

「好きだったら、亡くなった子と生まれてくる子と、公平じゃなくなるわ。水谷はいい人よ。わたしのことを曝露も云い訳もしない。でも、いい人で終わり。そもそも自分が一番なのよ、わたしは。そして、子供はわたしの一部だから。環和、わたしのことをどう思ってもかまわないけど、あなたのことは大事にしてるわ。環和を痛めつけるということは、わたしをそうしてるのと一緒よ。もしそんなことになったら、どんな手段でも使うわ。響生、そういうことだから」
 響生の言葉を引用しながら、じっと響生を見つめる美帆子の眼差しは託すようでもあった。
 そうした美帆子を見つめながら、環和は孤独というさみしさを感じた。無論、美帆子は自らそうしているのであって、最も居心地がよいのかもしれない。

「それは……認めてもらえるということですか」
 ひねくれ者の美帆子がわずかに心の内を漏らす瞬間を見逃さないよう、響生は慎重に訊ね、つぶさに様子を見守った。すると、彼女は意思を固めたような気配で顎を少し上げた。
「手放さないための手段も選ばないわ。環和、出産するときくらいうちに帰ってきなさい。生まれたての赤ちゃんを世話するのに男の手なんて当てにならないんだから」
「……考えとく」
 環和が返事をするまでにいろんな思いが込みあげて痞えてしまい、あまつさえ、素直ではない言葉になってしまうのは母も娘も同じだ。
 響生は可笑しそうに笑って、そして力尽きたように吐息を漏らした。

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