NEXTBACKDOOR|タブーの螺旋〜Dirty love〜

終章 ツインソウル〜愛の存在証明〜

#4

 ドアが開いたあと、お疲れさまでした、と声をかけ合いながら京香たちと入れ替わって恵が入ってきた。
「彼女、ご機嫌斜めって感じだったけど」
 恵はさっきまで勇が座っていた椅子に腰をおろした。
「聞いてたんだろう」
「だれかさんの必要以上に大きな声は聞こえたわ」
 響生が故意にそうしたとわかっていながら恵はほのめかした云い方をしてからかう。
「なら、事情はわかっただろう」
 響生は可笑しくもないのに薄く笑った。

「写真の盗み撮りって何?」
「長瀞に環和を撮ってたカメラを持っていってただろう。川に流されたあとおれが着替えていた間に、モニターに呼びだした写真を撮られてた」
「それで環和ちゃんのご両親を脅してるってわけ? 京香の付き纏いを放っておいたのも脅迫のせいだったの?」
「ああ」
「呆れた。京香も大したものね」
「恵、おまえ、京香がそういう人間だって知ってたんだろう。環和がそう云ってた」
 恵は目をくるりとさせ、肩をすくめた。
「まあね。スタッフ受けに関しては努力が徹底してたし、女優であることに貪欲だとは思っていたけど、そういうことまでやるとは思ってなかった」
「云ってくれてたら、環和が溺れることはなかったかもしれない」
「わたしに責任転嫁する気?」
 恵は心外だと首をひねって抗議してくる。
「そうしたいくらい、どうにもならないことを後悔してる」

 環和が溺れなかったら、気持ちが引き返せないほど近づくことはなかったかもしれない。だが、あのとき、岩場に立つ環和を心配したからだけではなく、環和が勇といるのを見てそれ以上にふたりを近づけたくないと、そんな衝動に押されて響生は環和のもとに向かっていた。環和が川に落ちなくても落ちても、結果は同じだったのだ。そうなるまでの時間が短いか長いかの違いだけで。

「……弱音? はじめてね」
 恵は目を見開いて驚きをあらわにする。それから気遣わしげに響生を見つめる。
「それだけ環和ちゃんに夢中ってことでしょ? なぜ別れるの? 飽きたとか嫌いだとかいう云い訳してもわたしには通じないから。京香のせいだって云うんならいま片付いたわけでしょ。晴れて自由の身、飛んでいかないの?」
 響生は吐息に紛らせて笑みを浮かべた。そうやってかわそうとしても――
「それとも、まだ真野美帆子の問題が残ってる?」
 いつもなら深入りしてこない恵がめずらしく喰いさがる。
「あるだろうな」
「十年前、もしかして真野美帆子と肉体関係もあったの?」
 恵は響生がいちばん触れてほしくない質問をずけずけと向けた。
「ない」
 十年前と限られた質問の答えは間違いではない。

「それなら何が問題なの? この写真集、真野美帆子も了解してるんでしょ?」
 恵は『ツインソウル』というタイトルを指差した。
「彼女が了解した理由は、盗み撮りされた写真をスキャンダルにしないためだ。反対の理由は、おれの女遊びがひどかったせいだ。女を利用してたこともあったし」
「でも響生、それって環和ちゃんの気持ちをないがしろにしてない?」
 響生の言葉にはまったく納得できないと云わんばかりに、恵は責めてくる。響生はついに温和さを脱ぎ捨て、苛立たしげにため息をついた。
「おまえにでも云えないことがある。それだけだ」
 煙草を取りだそうとシャツの胸ポケットに指先を入れたものの、禁煙だったと気づいて舌打ちをした。
 そして、そんな不機嫌な響生に遠慮する恵ではなく、身を乗りだして響生に迫った。

「いくら親友でもすべてを打ち明けてるわけじゃないことはわかってる。ただね、この写真集を見て気づいたことがあるの。ね、響生、忘れてない? わたしが真野美帆子の写真集に惚れこんで響生に近づいたってこと。この最後の写真とタイトルを見れば、ある程度の想像はできる。それが正解かどうかなんてどうでもいい。わたしが云いたいのは、わたしが独身でいる理由まで忘れてないかってこと。何が大切か、見極めなくちゃ不幸になるだけよ。何よりも環和ちゃんがね」

 わかってる。叫びそうになった言葉を呑みこんだ。
 いずれにしろ、任せてほしいと云ったものの写真集のことは環和にも連絡しなければならない。
 そんな口実をわざわざ自分のために用意して、響生は車に乗るなり、スマホの画面に電話番号を呼びだした。耳に当てて聞こえたのは、電源が入っていないというメッセージだった。響生は眉をひそめる。
 まだ日中だ。また就職して仕事中であれば、それもあり得る。
 そうして再度、夜になって電話を入れてみたが、やはり応答は変わらなかった。残業か夜遅くまでやる仕事か。いざ連絡を取ろうとすると自制が利かず、気が急(せ)いて待つことがかなわなかった。
 響生は苛々と煙草を咥え、火をともす。
 筋を通すならまずはここからだ。建前(たてまえ)を持ちだして響生は違う番号に電話をかけた。ひと息吸っただけの煙草を摘まんで紫煙を散らしたとたん、思いのほか電話はすぐ取られた。

「安西です。こんばんは」
「久しぶりね」
 心なしか、それは探るように聞こえた。
「美帆子さん、いま家ですか」
「そうよ」
「送った写真集は見ていただけましたか」
「ええ、見たわ。未練たっぷりね」
「簡単にあきらめられるものではありません。そう云ったはずです。京香の件は方(かた)がつきました。環和と写真集のことで話がしたいんです。電話をかわっていただけますか」
 頼んでみると、いいともだめだとも返事がない。
 この沈黙はなんだ?
 そう思った一瞬後、今日、恵が云ったことが頭をよぎり、響生は冷静さを失う。

「環和に何かあったんですか!?」
 叫んだ声が虚しく部屋に響くほど、返事を待たされる。
「美帆子さん!」
 たまらず責めるように名を呼ぶと、返事のかわりにまず深い吐息が応えた。
「本当にあなたも知らないのね」
「なんのことです?」
「環和、家を出たのよ」
「……え……?」
 あまりに突飛な報告に響生の思考が追いつかない。
「あなたに最後に会いにいった日、あの二日後だったわ。病院に行くと云ってそのまま環和は帰ってきてない。だれかにお世話になってるって云ってるけど」
「……だれです?」
「わからないわ。水谷のところじゃないわよ。それはちゃんと訊いて確かめたから。定期的に『大丈夫』っていうひと言のメッセージは入るけど、わたしが仕事のときを狙ってるのよ。普段は電源を切っていて、わたしから連絡できないわ」
 美帆子はめずらしく疲れきったような気配だ。そのことが響生の理性を呼び覚ます。

「僕が探します。いいですか?」
 すぐには答えが返らない。それは、響生が暗に含んだ意味を読みとって理解しているからか。やがて。
「環和はわたしの娘よ。産んで終わったわけでもないし、絶縁するなんて考えたこともない」
 云いきった言葉に怖れのようなものが滲んでいるのは演技なのか、本心なのか。ただ、美帆子はだめとは云わなかった。即ち、それが響生の質問に対する答えだ。
「わかりました。また連絡します」
 電話を切ったあと、煙草が尽きてしまうまで、響生はしばらく放心したように動けなかった。

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