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DOOR|タブーの螺旋〜Dirty love〜
終章 ツインソウル〜愛の存在証明〜
#3
恵たちがクライアントを見送っている間に、響生は片づけを終えて喫煙スペースに行った。一本吸い終える頃にスライド式の扉が開き、恵が顔を覗かせる。
「ふたりとも準備万端て感じだけど」
「わかった」
響生は煙草をスタンド灰皿に捨て、黒と白のバイカラーになったレザートートを肩にかけて部屋を出た。
「立ち会ったらダメかしら?」
並んで歩きながら恵がちらりと響生を見やった。
「人前でしたらまずい話だって前振りしたからな。けど、聞き耳立てたり、だれも邪魔しないようにドアの外で見張りは必要かもしれない」
恵を一瞥すると吹きだすように笑った。
「オッケー」
響生はおもしろがった返事を聞きながら、恵とは逆に憂えたため息を静かに漏らした。
控え室に行くと、京香と勇がテーブルに着いて響生を待っていた。
「お疲れさま」
声をかけると、京香と勇からそれぞれに労いの返事が来る。響生は勇の向かい側の椅子にトートバッグを置き、京香の正面に座った。
「じゃあ、外でだれも来ないように見張っておくわ」
恵は軽快に云い、外に出ていった。
直後、最後通告だといったようにドアが静かに音を立てて閉まる。
「悪いな、時間取って。すぐすませる」
勇に声をかけると肩をすくめて、かまいません、と応じた。
勇は根っからの悪人ではない。いや、京香に捕まらなければ好青年であったかもしれない。例えば勇が、そんなふうに京香などに惑わされず普通の男だったら、環和にふさわしかったかもしれない。そう思う一方で、そうでなかったことに安堵している自分もいる。そんな女々しさが苛立たしい。
「単刀直入に云わせてもらう」
響生は内心の葛藤を押し殺しながら切りだした。ゆっくりと勇から京香へと視線を転じる。
「京香さん、おれはもう自由にさせてもらう」
「え? どういうこと?」
意に反したことを通告され、京香は眉をひそめた。睨むようにも見える。
「きみに付き合うことはもうないと云ってる。おれを拘束することはできない」
「……それでいいの?」
「終わりだ」
怪訝そうにしていた京香はふっと可笑しそうにしてくちびるに弧を描く。
「たとえ、響生が環和ちゃんのことがどうでもよくなっても、あの写真を公開したら響生にも影響あるんじゃない? 真野美帆子は響生と環和ちゃんが付き合ってることを知ってるけど、環和ちゃんのお父さんは日東テレビの水谷専務よ。業界に影響力を持ってるし、怒りまくったらどうなるのかな」
「おれが仕事を失う、と?」
響生が問うと、京香は首をすくめた。無言の肯定だろう。響生は煽り立てるように首をひねった。
「あいにくとそうはならない。脅しはおれだけじゃなく、美帆子さんにも、水谷専務にもそうしてるだろう。けど、だれへの脅迫であろうと、あの写真はもう効力をなさない。むしろ、公開したらきみらが窮地に立つことになる」
京香は簡単に引き下がることなく、対処を練っているのか、はったりだと疑っているのか、黙して響生をじっと見つめる。傍らで勇が深々と嘆息した。
「京香、悪足掻きするよりも安西さんの話を全部聞いたほうがいい」
そう云って勇は響生に向き直ると、お願いします、と促した。
響生はくちびるを歪めて応じ、トートバッグから角形の封筒を取りだした。中からハードカバーの本を出して彼らの目の前に差し向ける。
「新しい写真集を出すことになった」
すべてを見せる気にはなれない。響生は付箋をしていた一面を開けた。横顔の写真だが、それは被写体になった人物を知っていればすぐさま環和だと見分けがつく。
勇が顔を上げ、目を丸くして響生を見つめた。
「もしかして……環和ちゃんの写真集ですか」
それは云わずもがなで、響生は応えず、京香へと目を転じた。
「写真集はすでに仕上がっている。発売を待つだけだ。きみが盗み撮りした写真をもし世に出せば、おれは著作権侵害で訴える。失脚するのはおれじゃない、きみだ」
しばらく京香は口を噤んで微動だにしなかった。反撃する材料はないはずで――
「母と娘の写真集なんて響生はすごい野心家」
やがて京香は、負け惜しみか皮肉か、くすりと笑いながら漏らした。
「環和の名を出すつもりはない。名前が出たとしても、美帆子さんには承諾してもらっていて問題にはならない。売れなくてもかまわない。これは環和との約束を果たすためにつくった、写真集というよりはアルバムだ」
むしろ売れなくていい。必要に迫られて公にしただけで、本来ならだれにも見せたくない。その気持ちが父親としてかと訊かれたら、そんな気持ちはわからないとはね除ける。
「京香……もういいだろう」
勇がため息混じりでなだめ、京香は余裕があると見せかけたいのか響生にっこりと笑いかけた。
「いいわよ、自由にしてあげる。写真も捨てちゃう。これでいいでしょ? べつに響生に執着しているわけでもないから。環和ちゃんが水谷専務の娘だってわかったときに、わたしと違ってがんばらなくてもなんでも持ってる子がいるんだってわかって、一つくらい奪いたいって思っただけ」
響生は歯を喰い縛らなければならなかった。衝動を堪えるように拳を握る。京香に対してだけではない、美帆子にも、そして自分にも憤りが絶えない。全部が自分のせいだと云い聞かせて、やり場のない苛立ちを心底でどうにか喰い止めた。
「隣の芝生は青いって言葉を知らないのか。なんでも持ってる奴なんていない。一つ云っておく。長瀞の撮影のとき、わざと環和が川に落ちるようにやっただろう。少なくともおれはそう見てる」
「違う! あんなに危ない目に遭うなんて思ってなかった。響生が飛びこまなくても勇くんがちゃんといたんだから……」
即座に反論した発言が認めたことになると気づいたのか、京香は尻切れになって口を噤んだ。勇がかばうように身を乗りだす。
「あんなふうになると考えていなかったことは事実です。助ける自信はあったし、ただ環和ちゃんと近づけるきっかけがほしかったんですよ。危ない目に遭えば助けた相手と運命共同体みたいな気持ちになるのはよくあることじゃないですか。京香は安西さんが好きで、僕は環和ちゃんが好きで、利害が一致した。けど、起きたことは本当に申し訳なかったと思ってます」
皮肉にも、ふたりの幼稚な策略で響生と環和が運命共同体となった。そうして、まさに響生と環和は運命に絡めとられていた。
笑い事とは程遠くても笑うしかない。そんな心境のもと、響生は声に出して笑った。短くはあったが、京香たちは戸惑って顔を見合わせる。
「そのわりに助かったあとすぐ写真を盗み撮りするってなんだろうな。環和は泳げないんだ。聞かなかったか? それだけで水に流されればリスクが大きくなる」
「はい、反省してます」
勇は即座に云ったのを尻目に響生はじろりと京香に目を向けた。
京香は銃口に遭ったように身をすくめた。
「わたしも反省してます」
「反省じゃ足りない。仕事は仕事だ。けど、二度とおれと環和のプライベートに関わらないでくれ」
「わかりました。京香、行こう」
勇に促され、京香はすっくと立ちあがる。すみませんでした、と再度謝罪した勇に合わせて一礼をした京香は先立って部屋を出ていった。