NEXTBACKDOOR|タブーの螺旋〜Dirty love〜

第5章 いちばん近くていちばん遠い“愛してる”

#14

 専務室を出ると、頬は痛みが薄れていくかわりに火照りだす。腫れているような感覚もあるが、秀朗の秘書からも案内の女性からも何も云われず見送られた。エレベーターに乗って独りになると、響生は息をついた。もちろん達成感から出たものではなく、安堵でもない。ただ、虚しさだけが増していく。
 環和。
 自分のつぶやきが耳に届く。三日前、腕に抱いても抱きしめることはかなわなかった。それが最後になるのか。
 突然、すべてが消え、砂漠に成り果てた世界に独り立ち尽くす、そんな感覚に陥った。あれだけ無残な事態を引き起こした水を欲するほど、からからに渇いていく。

 最初から父親と娘として会っていたらどうだったか、もう考えることなど無理だ。せっかく手に入れた、何ものにも代えのきかない、たとえるなら半身を手放すしかない。
 出会わないほうがよかったのか。環和との間にあったことを完全に否定しようとしても、それもいまさら考えがつかない。

 べつにだれかを探していたわけではない。むしろ、どうせ天涯孤独の身だ、生涯をそうやって終わってもなんら悔いることなどない気がしていた。失うものは何もなかったのだ。
 それなのに探し当てた気になって、あまつさえ、その気持ちに束縛された。放してたまるか。川で流されながら、そう思ったことは助かってもなお消えることはなく、子供ができたと聞いてからますます強くなっていた。
 それが一瞬にして奪われたのだ。どうやって空いた場所を埋めていいのか、響生は途方にくれた。

「安西さん」
 一階におりて、エントランスに向かっていると響生は背後から呼びとめられた。
 指名されているかと感じるほど、しばらく一緒に仕事をすることの多かった京香だと判断したとおり、振り向くとそこにはまるでセットであるかのように勇とマネージャーたちがいた。いや、フェイク恋人として売り出しをしている以上、まるでという観念が不要なのだ。
 それに、京香と勇からは仕事である以上に主従関係に似た仲間意識を感じる。果たして、写真の脅迫に勇が関わっているかどうか――いや、関わっているに違いない。

 環和に写真のことを教えられてから記憶をたどってみた。そもそも、環和専用のカメラにおさめた写真が盗み撮りされる機会は一度しかなかった。長瀞の撮影で川に流されたときだ。
 シャワーを浴びて着替えをすませ、撮影に戻るまでの間、友樹に訊けば次の撮影の準備でカメラに意識を払う余裕はなかったという。その間に弄られた可能性が最も高い。
 まったく響生の手落ちだ。他人が同行するとわかっていながら他人に見られてはならないカメラを持ちだすなどどうかしていた。ただ、環和をいざ撮り始めてみると、すべてをおさめたくてたまらなくなった。すべてなど所詮かなうはずもないのに、だ。

「こんにちは。仕事? ――というよりも、ここにいるということはもちろん仕事だろうな」
 マネージャーを置いて歩み寄ってきたふたりをかわるがわる見ながら、響生は社交辞令ともいうべき言葉をかけた。
「そうなんです。ドラマの打ち合わせで、いま終わったところなんです。安西さんは?」
 勇が逆に訊ねてきた。予想していた質問ではあるが、響生はどう答えようかと迷う。
「ここの専務と面会があって、すませてきたところだ」
 当たり障りなく実際のことを云ってみると、京香のまじまじといった視線を感じた。

「そういえば、環和ちゃんが水谷専務の娘さんだってこと、安西さんは知ってました? というか、真野美帆子さんの娘で、安西さんは真野美帆子さんの写真を撮ってるってすごい繋がりですよね。ミニョンで撮影あったとき、安西さんと環和ちゃんは知らない人同士みたいだったし、付き合ってからもそんなこと聞いたことなかったし、もしかして安西さんと環和ちゃんて人に云えないような因縁めいた感じ?」
 京香は屈託なく、急所をついてきた。

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