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DOOR|タブーの螺旋〜Dirty love〜
第5章 いちばん近くていちばん遠い“愛してる”
#11
「本当の父親……って……?」
環和が知るかぎり、離婚後、美帆子に恋人と云えるような男の気配を感じたことはない。父親がだれだかわからないほど男にだらしなかったのかもしれない。そんなことも考えたけれど、いままた一緒に住んでみてわかったのは、秀朗に対してそうであったように、美帆子は恋愛を楽しむこともなければ、男性として男性に興味がないということだ。かといって女性に興味があるわけではない。美帆子は自分にしか執着しないのだ。
本当の父親がだれか、環和も訊こうとしたことはある。訊けるのは美帆子だけで、けれど答えが返ってくるとも思えなかった。それを、なぜ響生はまるで自分が答えられるかのように訊ねるのだろう。
「おれには嘘を吐いていたことがある。……というよりは、あえて云わなかったことがある」
響生は美帆子に覚悟を強いたけれど、電話するまえ沈黙していた間に響生自身も自分に覚悟を強いていたのかもしれない。いま、ためらいは見せても隙はなくなった。
「……云わなかったこと?」
「ああ。……おれは十年前に美帆子さんに会ったと云った。それは間違いじゃない。けど、“はじめて”会ったのはもっとまえだ」
「いつ……?」
父親がだれかという本筋からずれた話になって、環和は戸惑って本能のまま訊ねた。
「施設にいたって話しただろう。そのときだ。美帆子さんは定期的におれがいた施設に来てた」
「児童養護施設に援助してることは知ってるけど……」
響生は重々しくうなずいた。
「それだ。十四歳のときに美帆子さんはおれに投資したいと云った」
「投資って……カメラマンになるための?」
「結果的にはその道の礎(いしずえ)にはなったけど……違う。最初は美帆子さんがどういうつもりかまったくわからないまま、おれは水谷家に出入りしてた」
「もしかして、響生はパパのこともよく知ってるの?」と訊ねながら、環和は秀朗が云っていたことを思いだす。
「パパは響生が俳優になるって思ってたって……」
響生はだれに対してか蔑(さげす)むような、薄らとした笑みを漏らした。
「美帆子さんの意図で、そういう建て前があったことは確かだ。おれは家族に飢えてたんだろう。施設にいるときはだれもが平等で、だれの特別にもなれなかった。けど、美帆子さんがおれを特別にした。水谷家に招かれるたびにそういう気持ちが大きくなって、水谷専務のことは父親のように思っていた」
「……ママのことはお母さんみたいに思ってた?」
ためらいがちに訊ねてみると、響生はすぐうなずくことも答えることもない。母親としてではない何かが響生と美帆子の間にあったのだ。
そもそも、淡々とした美帆子が逆上してしまうのは、それだけの大事がふたりの間にあった証明で、つまり互いが互いを忘れられない存在なのだと示している。環和が消し去ることはかなわない。
響生とは離れてしまっても響生に対する自分の気持ちが途絶えるなんて考えられない。それなら、美帆子といるかぎり、もやもやした焦燥感がついてまわる。環和は途方にくれた。
「美帆子さんは母親という存在からはかけ離れて見えた。それでも、だんだんとそんなふうに感じていたかもしれない。けど、変わったんだ」
そこで響生はいったん言葉を切った。それまで環和を捕らえていた目が離れていく。躊躇(ちゅうちょ)しているのかと思ったが、まもなくして戻ってきた視線はしっかりと環和を見据える。きっと、いま目の前で透けて見える覚悟を掻き集めていたのだ。
「強引に誘惑されたと云ったら卑怯かもしれない。憧れみたいなものは感じていたから」
響生が何を云わんとしているのか、はっきり口にしなくても想像はつく。環和は目を見開いた。
「それは……十年前の話じゃなくて、響生が十四歳のときの話なの?」
信じられない気持ちで訊ねると、響生は否定はせず、かわりに吐息を漏らした。
「そうだ。抗えなくてもしかたなかったって云い訳の理由になるか?」
「……わからない……」
かぼそく、かすれた声で答えると、響生は薄く笑った。
「正直だな」
力なく笑みに任せて云ったのち、響生はひとつ深く息をつき、そうして「環和」とごく真剣な面持ちと深刻な声を向けた。手が伸びてきたかと思うと、環和の顔がくるまれた。響生の視線が纏わりつく。
「よく見れば……似てるな」
「ママには似てない。ママは……」
「そうじゃない」
響生は首を横に振った。
「だったらだれに……」
云いながら環和はそれが父親のことだと察した。
「親子として見ることはなかったから気づかなかった。おまえは似てる。十四歳だった頃……あの写真に写ったおれに」
「……え……?」
「環和、おまえの父親は……おれだ」