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DOOR|タブーの螺旋〜Dirty love〜
第5章 いちばん近くていちばん遠い“愛してる”
#10
いつも一線を引くようなテリトリーを感じさせていたのに――恋人と云えるようになってテリトリー内に入っても、梃子(てこ)でも動かないような自負心が見えていたのに、いまの表情は響生を完全に無防備にしていた。
「響生、知ってたってなんのこと?」
響生の云い方は自分も知っているという前提だ。環和が問いかけると、響生はハッとした面持ちで環和の瞳に焦点を合わせた。
やはり隙だらけだ。どうしたらいいかわからない、そんな迷いが顔に表れていて、しばらく待ってみても何かしらの返事をくれることもない。
環和はゆっくりと起きあがった。少しの気だるさは残っていてもふらつく感覚はない。
「大丈夫か」
もしかしたら環和の具合が悪かったことも忘れていたかもしれない。響生はいま気づいたように声をかけた。
「うん」
響生を見つめたままうなずき、環和は首をかしげた。
すると、響生は煙草を吸いたくても吸えないときにやる、口を覆うというしぐさをする。即ち、欲求を抑制するしぐさで、いまもただタバコが吸いたくなったのか、それともほかにセーブしなくてはならないことがあるのか、どちらだろう。
「環和、いつ水谷専務が父親じゃないって知ったんだ? お母さんから聞かされたのか」
響生はそれが重大なことのように云う。もちろん、環和にとっては重大事だけれど、響生からすれば取るに足りないことだ。環和を好きでなくなったのなら。
「聞いたのはパパから直接。ママが大阪に行って響生と会えなかったときで、その写真を見せられて、ついでに云われた。責任のないことで面倒に巻きこまれたくないよね」
響生は痛みを強いられているかのように顔を歪めた。
「……そういうときに聞いてやれなくて悪かった」
表情を見てもその云い方からしても、響生は心底から後悔している。環和を突き放していながら、いまもまだそんなふうに思い遣ることが不思議でたまらない。惠が云ったように、別れることは響生の本意ではなく、もしかしたらやはり美帆子のせいかもしれないという希望が芽生える。
いざふたりで生きていこうとすれば、美帆子の反対など問題にならない。
「響生、わたしは――」
ママから勘当されても平気、と続けようとした言葉は口に出すことがかなわなかった。
「環和、おれたちは出会い方を間違ったんだ。どうやってもいまのおまえの気持ちは受けいれられない」
まるで環和の気持ちを見透かしたように、響生は環和を拒み、それどころかふたりの時間まで否定した。
「……どうして? まだ全然理解できてないんだよ? 響生が心変わりした理由って何? 響生はドライに見せてるけど本当はそんなことない。ずっとやさしかった。今日も。川に流されて助けてくれたことだって……」
「死にそうになってる奴を助けられるんだったら助けるのがあたりまえだ」
「ううん、自分の命まで危なくなるってときは、普通にできることじゃない。そんなことのできる響生が、わたしを好きじゃなくなったとしても赤ちゃんのことまで否定するわけない」
互いをさえぎるようにしながら環和が云いきると、響生はそっぽを向くように目を逸らし、微動だにしない。
沈黙に希望は見当たらず、やがて響生はカーゴパンツのポケットから取りだしたスマホを操作して耳に当てた。
「安西です。いま、環和がうちに来てます。すぐ迎えにきてもらえませんか」
急ぎなのかと思っていた電話の相手は、あろうことか美帆子だ。
信じられないという環和の驚きと批難と怪訝さの入り混じった視線を感じてか、響生は環和を見やって電話を続けた。
「写真のことを知らせに来たんですよ。こそこそ会っているわけではありません。そんなことよりも、環和は水谷さんから父親じゃないことを知らされてましたよ。……いいえ。けど、僕が云います。だから早く来てほしいと云ってるんです。美帆子さん、貴女も自分のやったことの代償は覚悟して受けとめるべきだ」
響生は環和を見つめたまま、言葉だけを美帆子に向けていた。無造作に電話を切り、スマホをテーブルに置く間も、響生は環和から目を離さなかった。
環和は話している内容も把握できなければ、『美帆子さん』という妙に云い慣れた声の響きに動揺して混乱を来(きた)す。
「環和」
「……何……?」
「本当の父親のことが知りたいか?」
響生がなぜそんなことを問うのだろう。環和はますます混乱した。