NEXTBACKDOOR|タブーの螺旋〜Dirty love〜

第5章 いちばん近くていちばん遠い“愛してる”

#7

    *

 恵に力づけられた日から、環和は響生と連絡を取ろうと衝動に駆られてはすぐに取りやめるということを繰り返している。
 美帆子の似ていないという言葉は環和にとって自信をなくした呪いの言葉であり――それは、両親の離婚と同じ時期のことだからよけいに自信をなくしたかもしれなくて、それが誤解だとわかったからといってすぐに自分を肯定して自信に溢れるわけでもなかった。
 判断ミス。響生は恋をそんなふうに片づけた。女性と付き合っても三カ月しか続かない、もしくは続けないことは知っていて、環和だけが特別だという強みは何も自分から見いだせない。
 もう振られているのだから何も怖いことなどないはずなのに、まだ突き放されるのが怖いと思うのは、やはりまだ響生を好きでたまらないからだ。好きではなくなっても嫌われたくはない。

 うじうじした気持ちばかりでさきに進めない。かろうじてめそめそと泣かずにすんでいるのは、自信のなさからくる自分へのあきらめと、おなかに赤ちゃんがいるからだ。
 もうすぐ妊娠三カ月になる。覚悟をして強くならないと。
 自分に云い聞かせて、環和はノートパソコンを開いた。パソコンに向かうのは大学生のとき以来で久しぶりだ。昨日、記憶を頼りに買ってきた本と画面を見比べると、必要な物が考えていたよりも高価だとわかって環和はため息をついた。
 多少の蓄えはあるし、美帆子を当てにすれば金銭的なことなど簡単にすむ問題だけれど、頼りたくないし頼るべきではない。それに、いまからやろうと思っていることは、役に立つことは一生なくて無駄に終わるかもしれない。

 そんなマイナス志向に陥りそうになったとき、階下に足音が聞こえた。美帆子が帰ってきたらしい。耳をすましていると話し声がしだして、おそらく美野に、ちゃんと環和が家にいるか出かけなかったかを確かめているに違いない。案の定――
「環和、いる?」
 と、自分の目で確かめずにはいられないのか、美帆子はだてに舞台女優をやっているわけではないといわんばかりの通りのいい声で問いかけた。
 環和は気持ちを切り替えるべく大きなため息を漏らしながら躰から力を抜き、そしてパソコンを閉じて立ちあがった。
 部屋のドアを開けると階段をのぼってくる音がして、呼びつけるのではなく、めずらしく美帆子のほうからやってきた。偵察といったところだろうか。

 環和は部屋に引っこんで、すぐあとから入ってきた美帆子を見守った。
「どうしたの? 京香さんたちとの顔合わせで何かあった?」
 美帆子は部屋を見回すこともなく、ふわふわのラグの上に置いた小振りのテーブルを指差した。
「座ってちょうだい」
 環和からの他愛ない、あくまで日常の挨拶的な問いかけには応じないまま、美帆子は何かしら問いただそうという意思が見えるような云い方で命じた。
 環和が座るのを待って美帆子は正面に座った。

「これを見て」
 美帆子の表情ばかりを気にしてその手に持っている物に気づかなかった。
 そうして、人物を入れ替えるだけで同じことがあったとデジャ・ヴを感じたとおり、テーブルに置かれたのは、あの環和が写った写真だった。
「……これ……」
「響生に撮らせたの?」
 その問いかけも、まったく同じではないけれど二度めだ。
「そうだけど、だれかに見せるために撮ってくれたんじゃない」
「でも、現にこうやって見せてるじゃない。今度は娘を使って脅迫する気じゃないの?」
「響生はそんなことしない!」
「あなたは知らないのよ……」
「違う、知ってる。弱みに付け込んで仕事をもらってたって響生から聞いたから。でも、いまはそうする必要ない」
「わかってないのよ。貧乏だった子はね、一度大金を手にすると人一倍お金に執着するの。あなたは困ったことがない。だからどうだっていいと思ってる。違う?」
 美帆子と云い合って環和が敵うことはない。畳みかけるような美帆子の云い分に、環和はぐうの音も出なかった。

 環和は睨み合いに疲れ、テーブルに目を落とした。秀朗は写真をどう処理しただろう。写真を眺めていた環和はふと疑問に思って、適当に一枚を手に取った。しげしげと眺めて、もう二枚もそうしてみると、秀朗が見せたときと同じ印象を受けた。
「ママ、この写真、響生がくれたものじゃないよね? 響生が撮ってくれたのはこんなふうにぼんやりしてないし、ヘンな光が映りこんだりしてない」
 写真をテーブルに置きながら環和が目を上げると、美帆子は目を伏せて写真を一瞥したあと環和と目を合わせた。そうしながら美帆子はほかのことに気を取られているかのように焦点が合っていない。
「そうでしょうね。安西響生はプロだもの」
「パパのところにも同じ写真が来てた」
 形(かた)がつくことを嫌がって、なるべく無表情でいようとする美帆子はこれまでになく眉間にしわを寄せた。

「どういうこと? 水谷といつ会ったの? それとも、わたしに隠れてこそこそ会ってたの?」
 美帆子はよほど気に喰わないのだろう、矢継ぎ早に問いつめる。
「こそこそ会ってなんかない。日東テレビで響生と待ち合わせたときに偶然会って、そしたら、ママが大阪に行ってるとき呼びだされたの。そのときに見せられた。娘の行動に気をつけたほうがいいって云って渡されたって。だれからもらったのかは教えてくれなかったけど……」
 云いながら、環和の脳裡に再び疑問が湧く。
 いまの環和を秀朗の娘だとわかる人はそういない。そんなことに気づいた。環和と秀朗を知っていて、実の親子ではないとはいえ親子だと思っている人。そんな人は――
「環和、あなた、奥沢京香は響生を好きなんだって云ってたわよね?」
 美帆子の言葉は、環和が思いついた人を確定した。

「この写真、京香さんからもらったの?」
「響生と京香が結託してるってことないの?」
 環和の疑問に美帆子は疑問で応酬した。
 パズルのピースは残り一個しかないのに、その一個が残った枠にうまくおさまらない。環和はそんな感覚に陥った。
「……そんなはずない。だって、この写真は本物じゃなくて……たぶん写真を写真で撮った感じ……それかスマホとかの画面を撮ったり……」
「だから、あなたが写真を持ってないんだったら響生しか出所はないじゃない? 京香に見せたんじゃないの?」
「わたしが許可しなくちゃ見せない。響生はそう云ってた。だれか盗み撮りして……」
「だれかって京香しかいないじゃない」
 美帆子はうんざりしたようにため息をついた。
 環和にもそれくらいの見当はもうついている。けれど。
「京香さんはどうしてママやパパに写真を見せるの?」
「環和、贅沢はさせてきても世間知らずに育ててきたつもりはないけど」
 美帆子は呆れたふうで、云い聞かせるようだ。
 育ててもいないくせに。そう思ったけれど、口答えしたところで勝てるわけもない。それよりもいまの問題は京香だ。

「世間は知ってる」
「だったら、この写真をあの子が利用しようとしてるってこともわかるわね」
「……脅してるってこと? なんのために?」
「仕事を取るためでしょ」
「だって、京香さんは人気あるし、スタッフの受けもいいって聞いてる」
「ずっとそれが続く保証はないわ。あの子は保険をつくってるのよ」
 確かに京香は野心家で仕事中毒だと自分で口にした。持っている武器は使うべきだというようなことも云っていた。
「京香さんは響生から写真を見せてもらったって云ったの? だからママはふたりが結託してるって云ったの?」
「あの子は、偶然見て、これはまずいんじゃないかって思ったって云ったわ」
「だったら響生はやっぱり関係ないじゃない」
「写真はほかにもあるの?」
「あるけど裸の写真じゃない。もういいでしょ。出ていって」

 強引に打ちきろうとしても美帆子は腰を据えた様子で環和から目を離すことがない。あまつさえ――
「産婦人科はいつ行くの?」
 唐突に話の矛先を変えた。
「来週だけど、行くのは健診のためだから」
 強く云い張ると、美帆子は吐息を漏らして立ちあがった。
「京香は、あなたが結婚するつもりだったことを知らないみたいね。妊娠してるってわかったら何を勘繰るかしら。ばれないように、彼女との付き合いはやめなさい。わたしが云うまでもなく、仲がいいってわけでもなさそうだけど」
 美帆子は忠告してから部屋を出ていった。

 残った写真を見ながら何かしなくちゃという焦りを感じているなか、気づいたらスマホに登録したばかりの電話番号を呼びだしていた。
 時間も気にしないままかけた電話はすぐに通じた。
『はい?』
「青田さん、環和です。いま大丈夫ですか」

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