NEXTBACKDOOR|タブーの螺旋〜Dirty love〜

第5章 いちばん近くていちばん遠い“愛してる”

#6

 しばらく舞台の仕事が空くのか、それとも監視するために外出する時間を調整してるのか。実家に帰って以来、環和が出かけるときも帰ったときも美帆子は家にいる。学生のときでさえ、こんなことはなかった。
 朝は、美帆子が起きるよりも早く環和が出かけることもあって顔を合わせない場合もある。夜になれば、ワインを賞味しながら読書か台詞を憶えているのか、美帆子は本を開いているというのがこの頃の常だ。
 今日もそうで、環和がリビングに入るなり、ソファに座った美帆子は本を脇に置いて顔を上げた。

「おかえりなさい」
「……ただいま。それ、台本?」
 いつもは、むっつり屋よろしく“ただいま”と無愛想に返事をするだけだ。だから、環和から話しかけるとは露ほども思っていなかったのだろう、美帆子は簡単な質問の意味を理解できないような様子でかすかに首をかしげた。
 環和が指を差すと、美帆子は釣られたように本を見下ろした。
「ああ、これはそうよ、台本」
「ドラマ?」
「そう。ドラマは一年ぶりになるかしらね」
 美帆子は、どういった風の吹き回し? と不思議そうに首をひねった。
「奥沢京香さんと琴吹勇さんが、よろしくって伝えてほしいって」

 美帆子は驚いたようで、目を見開く。
「奥沢京香とはミニョンで会ったっていう話は聞いたけど、あなた、どちらとも仲がいいの?」
「向こうは――」
 ――そう思いたがってるみたいだけど、と続けようとした言葉は呑みこんだ。たぶん京香たちは、環和の友人だから何かあっても大目に見てほしいなどという美帆子のひいき目を当てにしたいのだろうから、正直に友だちではないと環和が云えば彼女たちの意図を台無しにする。「そうみたい」とちょっと肩をすくめて環和はごまかした。

「今日、会ってきたの?」
 美帆子は咎めるように眉をひそめ、環和は露骨にうんざりとため息をつく。
「学生じゃないんだし、いまさら家に縛りつけるのはやめて。京香さんたちとはお互い、仕事帰りに会っただけ。京香さんはミニョンのお得意さまで、わたしが担当してる。ミニョンをやめるって聞いたらしくて、わたしを待ってたみたい。ふたりは違うフロアで撮影があって、そのついでに」
「ふたりっていえば、最近はセットになってるわね。今度のドラマもふたりの恋が中心だし、カップルで売りだすなんて古い手口。それとも新鮮に映るのかしら? 昔はまだ俳優もアイドルも遠い世界の人って感じだったのに、いまはネットでコンタクト取れるし、身近に感じているぶん、カップル化するなんて反感を買いそうだけど」

「もっと平凡で、わたしみたいに地味だったら、一般の人も自分でもいけたんじゃないかってライバル視して炎上しそうだけど、京香さんだったら、勝てるなんて人はそういないし、だれも文句云えないよ」
「あなたが平凡で地味? 鏡を見なさいって云ったはずだけど? あなたの鏡は曇り止めが必要かしら」
「わたしの顔を貶したのはママでしょ」
「わたしが?」
 美帆子は不意打ちを喰らったように目を丸くした。
 離婚した直後に放った、あの言葉を憶えていないとしたら、ずいぶんと無責任だ。
「ママにもパパにも似てないって、ママはわたしに云ったんだよ」

 半ば睨みつけながら環和が素っ気なく云ってみると、美帆子は当時に思いを馳せたのか、目が宙をさまよっている。しばらくして、美帆子の視線は環和へと戻ってきた。
「わたしに似てるわけないわよ。おばあちゃんにこっそり見せてもらってたでしょ、わたしの中学の頃の地味な写真。幼い頃はわたしに似てたけど、あなたは中等部に入って変わったわ。水谷に似るかと思ったのに似なかった。でも、そのままで羨まれるはずよ」
 環和は唖然としながらびっくり眼で美帆子を見つめた。いまの云い分が本当なら、環和はまるで逆の解釈をしていたことになる。

 美帆子が娘におべっかを使う必要はなく、それなら自分で思うより、きれいだったり可愛かったりするのだろうか。一瞬、ポジティブに思い直しかけたが、それこそひいき目にすぎない。
 そうして環和はある問題をすっかり置き去りにしていたことに気づいた。
 秀朗に環和が似ているわけがない。秀朗は血の繋がった親子ではなかったと環和に教えた。また、離婚の理由はそれに違いなく、美帆子も当然、環和と秀朗に血の繋がりがないことは承知していたはずだ。あまつさえ、産んだのは美帆子なのだから、環和の父親を知らないと云い張るのなら、相当に男にだらしない生活を送っていたことになる。
 わたしのパパはだれ?
 無自覚に聞きそうになっていることに気づいて、環和は開きかけていたくちびるを急いで閉じた。

NEXTBACKDOOR