NEXTBACKDOOR|タブーの螺旋〜Dirty love〜

第4章 ミスリード〜恋いする理由〜

#4

「……わたしが背中をケガしたのは十年前の二週間後なの。夏休みに入るまえ。同じ頃?」
 さっき十年くらい前とぼかしたのは意味があってのことか、響生は環和の言葉を受けて吐息を漏らした。観念したようにも、納得したようにも見える。
「昨日、あれからいろいろ考えていてそうだろうと思った。会ったのは環和がケガした同じ年の十月だ。真野美帆子が離婚したって公にされた頃だった。その次の年、出されたお母さんの写真集を見たことはない?」
「……見てないけど」
「そうだろうな。母親の写真集なんて子供からしたら、照れるとか恥ずかしいとか、もしくは見たくもないっていう反発もあるだろうし」

 さっきから響生が何を云わんとしているのか、まもなく察した環和は目を丸くする。
「もしかしてその写真集、響生が撮ったの?」
「そうだ。おれが提案したんだ」
 環和はさらに目を見開いた。
 離婚をして心機一転とばかりに、四十二歳だった美帆子が写真集を出すと云ったことは環和も憶えている。関心がなかったというより、母親の写真集など見ていられない。響生が云ったように、恥ずかしさだったり滑稽だったり、何よりも母親が女性として扱われている嫌らしさが受け入れられなかった。会えなくなった父、秀朗をすっかり排除して、だれか別の男を招き入れようとしている。そんなふうに感じていた。
 それは子供っぽい反抗期がもたらす感覚だったのか、写真集のことはすっかり忘れていたけれど、環和の根拠のない予感は当たっていたのかもしれない。響生がすでに“別の男”だった可能性は限りなく黒に近い。

「写真を……撮っただけ……?」
「環和の想像どおりだ」
 違うと云わないのが答えで、けれど、そうしてくれたことで思い描かずにすんだ。
「知らないほうがよかったって思うくらい嫌な気持ち」
 好きな人が安西響生で、環和が真野美帆子の娘であるかぎり避けられなかったこととはいえ、それは飾らない環和の本音だ。
「わかってる。おれにとっても最悪だ」
「過去のことをケンカの原因にしたくないし、響生とママが一緒にいるところも見たくない」
 これは本音というよりはわがままだ。響生は見間違いかと思うほどのかすかな笑みを浮かべた。いや、笑っているのとは違っていて、後悔とかやるせなさとか、本来なら笑えないことをあえて笑みに紛らせたのだろう。

「嫌なときはいまみたいに嫌だと云っていい」
「解決してくれるの?」
「そうしたい」
 真剣に、そして深刻そうに答える響生とは真逆に、環和は可笑しそうに笑った。
「ママの結婚は見せかけだった。女優としての勉強とか修業とかいう感じ? わたしのこともそう。ママになるためにわたしを産んだの。パパが片想いしてるだけの、はじめから壊れる結婚だったかもしれないって思ってる。わたしはいつか壊れる結婚は嫌。いつまでもいまの気持ちでいたい。響生にもそうあってほしい」

 現実はハッピーエンドの物語のようにはいかない。それを承知していながら云ったことは子供っぽく聞こえただろう。響生はなだめるように首を傾け、くちびるに形だけの微笑をのせた。
「だれもが結婚するときはそう思ってるだろう」
 安易に答えたくなかったのか、その返事は期待したものではなくて、環和はわずかにくちびるを尖らせる。
「そうしたいって云ってくれるかと思ったのに」
「問題はおれのことじゃない。環和のいまの気持ちをなくさないように、おれが努力していくしかない。見限られて当然なのはおれのほうだ」
 割りきれるというそんな自信はない。離れたくない、という一つの気持ちでうまくいく保証もない。けれど。

「違うよ。どっちが有利ってことはない。わたしが過去のことを置いても響生といたいって思ったんだし、選んだのはわたしだから、そのさきの結果はわたしの責任。違う?」
「そうだな。ケンカして環和から襲われるとしても、それはおれの責任だ」
 響生の口調はいままでと違い、どこかからかうようだ。
「……どういう意味?」
「どうとでも」
 余裕の返事だ。ようやく響生らしさが戻ったと思ったのもつかの間、いつもの皮肉っぽい笑みも消えた。

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