NEXTBACKDOOR|タブーの螺旋〜Dirty love〜

第3章 恋は刹那の嵐のようで

#14

 呆気ない。感動の再会など思い描いたことはないけれど、時間が薬というように月日がたって、美帆子との問題がなかったことにできて、そうしたら秀朗も娘との関係くらいは修復したいと思ってくれるかもしれないと考えていた。
 まだそのときではないのか、永久にそのときは来ないのか、秀朗は振り向くことなく車に乗って遠ざかっていった。

「環和ちゃん?」
 ため息は中途半端にさえぎられた。否応なしに聞き慣れてしまった鈴音のような声にハッとしながら環和はその主のほうを向いた。秀朗との偶然は、結果がどうあろうと二度めのこの偶然のように避けたい気持ちにはならなかった。
 エントランスの前には京香とそのマネージャーがいて、環和と目が合うなり、京香はほんの短い距離を弾むように駆けてきた。
「京香さん、こんにちは」
 目の前に来た京香はお手上げだといったふうに可愛いしぐさで宙を見て、環和に目を戻す。
「環和ちゃん、いいかげん“京香ちゃん”くらい近づいてもいいと思わない?」
「普段がタメ口だったら、お店に見えたときに接客が白々しくなってしまいそうだから、このままでいいんです」
 環和はおかしな理屈を無理やり通した。
 恵が警告したが、京香はいつもにこにこして不機嫌なときがなく、そういう人は自分を隠していると考えるほうが自然で、つまり、よけいに信用できない。

 京香は、それでもいいけど、と肩をすくめると、内緒話でもするのか環和に顔を寄せてきた。
「環和ちゃん、さっき『パパ』って聞こえたけど、いま話してた人は日東テレビのもとドラマプロデューサーの水谷さんでしょ。環和ちゃんも水谷ってことは、やっぱり水谷さんの娘なの?」
 頭が悪くても会話を聞いていたとしたらたどり着く結論だ。
「……わたしは大学から独立してますけど、いちおうそういうことになります」
 否定するべきか、迷ったけれど、聞かれていたのなら隠し立てするのは逆に何かがあると思われそうだと判断して、環和は同居していないことを強調しながら無難に答えた。

 京香は少し目を見開いて可笑しそうにする。
「いちおう、ってヘンな云い方ね」
「あんまり会わなくなったから」
「そっかぁ……でも、意外に近いところにいたのね、環和ちゃんて。水谷さんて日東テレビじゃかなり力を持ってるって話だし、わたしの仕事も事務所に営業してもらうより環和ちゃんを頼ったほうが早いのかも」
 京香はどこまで本気なのか――いや、ふざけているのだろう。環和は肩をすくめた。
「京香さんはわたしなんか当てにしなくても、仕事は引く手数多って聞きました。ドラマもそうだけどCMとか……雑誌もこのまえ長瀞に行ったし、これ以上に忙しくなりたいんですか」
 環和の正直な感想に、京香はおどけた顔をしながら首をかしげた。

「環和ちゃんて、生活に困ったことないでしょ」
「……そうですね」
 生活に困るという状況を考えたことはなく、環和は当惑しつつ、それが困っていないということなのだと思いながらうなずいた。
 京香もうなずいて、にっこりと笑った。
「そんな感じする。うちは全然裕福じゃなかったから、働いてお金をもらうってことが幸せだったりするの。芸能界って特に仕事があるうちが花って云うでしょ。持ってる武器を使わないなんてナンセンス。その点、わたしと安西さんは似てるし、話が合いそうだけど」
 云い方が思わせぶりで、このときばかりはさすがに京香の笑顔も挑発的に見えた。

「そうなんですか」
「そう。仕事中毒、野心家ってところは一緒よ。だから、安西さんはわたしじゃなくて環和ちゃんなんだろうけど」
「……どういう意味ですか」
「安西さんは環和ちゃんのお父さんのこと知ってるの?」
 京香は環和の質問には応えず、逆に質問を向けた。
「いえ」
 京香はじっと環和を見つめ――
「ホントに知らないのかな」
 信じていないような様で、独り言のようにつぶやいた。
「え?」
 環和に疑問を押しつけた傍らで、京香のくちびるは三日月みたいにきれいな弧を描いた。

「環和ちゃん、安西さんとはうまくいってるんでしょ」
「たぶん。今日、響生はここで仕事やってて待ち合わせしてます」
「仕事してるのは知ってる。すれ違ったから」
 京香はくすっと笑う。よく見ると、くちびるの笑みと相容れず、瞳は何も見逃すまいといった――もっと具体的に表すなら蛇が獲物に狙いを定めたような気配だった。
「知ってても知らなくても、安西さんはうまく乗ってる感じ。環和ちゃんも安泰ね」
 状況が把握できないまま、秀朗と同じように、じゃあ、と京香は一方的に立ち話を切りあげると、マネージャーを伴ってちょうどやってきた車に乗って去っていった。

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