NEXTBACKDOOR|タブーの螺旋〜Dirty love〜

第3章 恋は刹那の嵐のようで

#15

 京香と話しているうちに、通り雨だったのだろう、いつの間にか雨は小降りになっていた。間近に足音が迫ったかと思うと、スーツを着た中年層の男性が怪訝そうに環和を見ながら避けていく。環和はエントランスからまっすぐ来たところにいて、自分が往来の邪魔になっていると気づいた。
 場所を移動しようとしたとき、自動ドアの向こうに人影を捉えた。環和の目が引かれるくらいだ。すぐのち、出てきたのは響生に違いなかった。認識したと同時に響生の目も環和を捉えていて、即ちどちらが早く相手を察知できたのか。

「きっと、わたしのほうが早かったと思う」
 足早に傍に来て正面に立った響生は、唐突さに、もしくは主旨のわからない環和の主張に眉をひそめた。
「確かにおまえのほうが早かったけど、メッセージは送ってたはずだ」
 響生は待たせたことを環和が責めていると思ったらしい。
「そうじゃなくて、自動ドアが開くまえから響生が来たってわかってたってこと」
「だからなんなんだ」
 響生はくだらないとばかりに首を振り、それから辺りを見回して空を見上げた。
「お相子ってこと」

 秀朗は環和が来るのを待っていたけれど、響生は逆に環和を認めると歩調を早めてやってきた。環和は待っていればいいし、置いていかれることもない。だから、せめて百分の一秒差でも環和が早く気づいたことにしないと落ち着かない。そう人に云えば――当人の響生に云っても意味のないこだわりに見えるだろうが、環和流、自己防衛のためのバランス理論なのだ。
 案の定、響生は空から環和へと目を戻すと、お手上げだといったふうに肩をそびやかした。
 響生をならって空を見上げてみると、すでに晴れ間が覗いている。環和は響生に目を戻して首をかしげた。
「すごく雨が降ったんだけど濡れてない。二階で待ち合わせしてたら濡れたかも、だけど、響生が下でって云ってくれてたから」
 響生が会話の合間に何を思ったか環和は云い当てることができたようで、響生は口を歪めた笑い方をした。

「環和さん、こんにちは」
 あとから来た友樹は荷物持ちよろしく、二つの大きなバッグを両肩から交差させていて、重たそうだ。環和がいることに驚いたふうでもない。待っていることを知っているうえで荷物持ちを買って出、響生にさきに行くよう云ってくれたのかもしれない。それなら、ちょっとお返しをしておくべきだろう。
「友樹くん、こんにちは。響生から無事に内定もらった?」

 大学四年になる友樹は、卒業後もそのままラハザに居つきたいと云う。ただ、環和がそうだったように押しかけている友樹としては、なかなか申し出をしづらいらしい。ラハザには常時雇っている従業員はいないから、友樹のためらいはわかるが。
 やっぱり恋煩いしているみたいだと思う。友樹は環和の言葉に慌てふためいて、亀みたいに頭を引っこめたい心境なのだろう、首をすくめた。

「環和さん、僕はそこまで……」
「友樹、就職しないつもりか?」
 響生は友樹をさえぎって問うた。
 友樹は時間が止まったように環和を見つめたままで、少し間を置いたあと息をついた。そうして、意を決したような様子で響生に目を向けた。
「できれば先生のところに置いてもらいたいと思っています。アシスタントとしてまだまだ未熟ですし、いままでどおりアルバイトで……」
「おまえは大手に就職して広告宣伝系の仕事を目指してるんだろうと思っていた」
 またもやさえぎり、響生の首がかしいだ。
「はい。先生に会うまえは、単に大手を目指すんだろうなって漠然と考えてました。ラハザに来て、先生を見ていて、いまみたいな仕事をしたいって思うようになったんです。大手じゃなくて、先生のもとで先生と仕事がしたいというのが僕の希望です」

 そこまで云ってしまうとまさに肩の荷が下りたかのように、友樹の肩から緊張が解けていく。
 環和が口を出したのはきっかけをつくった最初だけで、あとは黙ってふたりの会話を見守っていた。響生がどう応えるのか、きっと結果良好に違いない。根拠の定かでない環和の確信を裏付けるように、響生はまもなく笑み混じりの吐息を漏らした。
「友樹、最終面接は合格だ。月二十五、ラハザ初の正社員だ。ただし、いまより仕事を任せることになるし、かなり忙しくなるからな。ボーナスは出来高だ」

 友樹は響生を凝視し、言葉をなくしている。
「友樹くん、わたしのおかげだからね」
 環和は割って入った。
 友樹は我に返り、響生から視線を剥がすようにして環和に目を転じると、うれしそうにうなずいた。「さすが、環和さんです」と環和を持ちあげた友樹は響生に向き直って一礼をした。
「先生、ありがとうございます。アシスタント以上になれるようがんばりますのでよろしくお願いします」
「期待してる」
「はい。じゃあ、僕は車を持ってきますね」
 返事はいつものとおりだが、去っていく後ろ姿を見れば喜びひとしおといった気配は隠せていない。

「友樹くん、わたしと響生が見てなかったらきっとスキップしてる」
 環和が友樹の姿を追いながらつぶやくと響生が吹くように笑った。
「友樹が来て、仕事がラクになった部分はあるからな。あいつがいなくなったらどうするかって考えてるところだった」
 こんなふうにざっくばらんに私情を話してくれることはうれしい。それも“自分のおかげ”だ。環和はにっこりと笑う。
「じゃあ、響生にとってもわたしのおかげだよね。友樹くん、まるで初恋真っ最中の乙女みたいにしてるし、告白するのに長引いてしまいそうじゃない? 響生が友樹くんの後釜探しするっていう、結局無駄になる時間を省いてあげたんだから」
 その言葉に何を感じたのか、響生はまじまじと環和を見つめる。

「本気で友樹をライバルだと思ってるのか」
「思ってる。だから恩を売ったの」
 環和の返答に、響生は鼻先で笑った。呆れたというよりは勝手にやってくれという感じだ。
「何が食べたい?」
「響生」
 環和が即答すると、響生は目を見開き、大げさなほど深くため息をついた。
「どういう意味だ」
「そのまんま。食べたあと、うちに寄らない? 人に聞かれたくない話したいの」
 響生はじっと環和を見つめ、何を思ったのか、あるいは察したのか――
「わかった」
 とうなずいた。

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