|
NEXT|
BACK|
DOOR|タブーの螺旋〜Dirty love〜
第3章 恋は刹那の嵐のようで
#1
五月の半ばになってすっかりファッションビル内は夏模様になった。今日は平日で、混雑していないのにもかかわらず、ミニョンに限っては入店制限がかかっている。
それもこれも――
「ねぇ、環和ちゃん、これどう?」
奥沢京香はまるで友だちみたいに気さくに訊ねてきた。
京香の来店のせいで、大騒ぎにならないよう一般客は自由に出入りができなくなっている。そんな営業妨害の意識はまったくなく、彼女はマイペースだ。もっとも、彼女がミニョン愛用者だと知れ渡るほどに、ミニョンにとっては有益になり、よって今日の営業妨害が相殺(そうさい)される以上に彼女の日頃の功績は大きい。
今日みたいに仕事で使う衣装はそれぞれ関わった会社がお金を落としていくけれど、プライベートの買い物は提供している。つまり、現物支給で若手の有名女優に宣伝をしてもらっているようなもので、ミニョンとしては宣伝の経費は只(ただ)同然、平日の一、二時間の来客を制限しようが痛くも痒くもないというわけだ。
「遠慮しなくていいから率直に云って」
お願い、と、京香は縋るような目で環和を見つめる。
すっかり慕われてしまったという感覚は思いすごしだろうか。同僚たちから羨ましがられても環和は愛想笑いでしか応じられない。面倒だし、全然、と答えれば店長からの苦言は免れない。
ただし、少なくとも環和はいま勤務中で、無下にもできなければ適当に受け答えをするわけにもいかず、京香を眺めた。
京香が胸に充てがった、オフショルダーにもできる2WAYのショート丈のブラウスはきれいなワイン色で、ボトムはほんの少しフレアになった白地のショートパンツだ。ハイライズのウエスト部分は、黒に白のラインというセーラーカラーふうのデザインが施されていて大人可愛い。京香なら文句なしで着こなすだろう。
「お似合いです。プラットフォームのハイヒールだったら、最大限に脚を長く見せられますね」
「あ、それ、いいよね……」
「京香ちゃん、それはプライベートで。今回はだめよ。適材適所、撮影現場がどこなのかを忘れないで」
けちを付けてきたのは青田恵だ。また京香を使った企画をやるらしい。
彼女たちは、嫌でも初対面のときを思いだす組み合わせだ。若気の至りで――とはいえ、たった二カ月半前のことだが――つい口にしてしまったことは本当に大人げなかったと恥ずかしい。そう思っていないふりはしている。
ただし、響生に会えたことを思えば、厚顔無恥なふりをする必要もなくて、ただ自分を褒めたいくらい後悔はしていない。
「今度、撮影はどこなんですか?」
環和は儀礼的に、なお且つそう訊かなければならない気配を感じて訊ねてみた。
すると、恵が、あら、という表情を浮かべた。
「聞いてない?」
純粋に驚いたのではなく、そう云いたくて堪らなかったという雰囲気だ。
ということは、響生がまた撮影に関係しているということで、そんなことも知らないのかと云いたいのだ。
環和の存在を大したことないと結論づけたような微笑が向けられた。
「なんのことですか」
「今回の企画も安西さんと組むのよ。この頃、呼びだしが来ないから、てっきりまだ続いているんだと思ってたんだけど?」
その云いぶりからすると、本当に恵は切れ間に絶対的に存在する響生のセフレなのだ。
いま響生を独占しているのは環和なのに、少しも優位に感じない。
「続いてます。でも仕事は仕事です。響生が何から何までわたしに話すとは思ってません。守秘義務でしょ?」
恵はひょいと右側の眉を跳ねあげた。
「常識はあるんだ。非常識の塊(かたまり)かと思ってたのに」
フォロー、もしくは褒めておきながら、あとから嫌味を付け加えるような手段は嫌いな相手にすることだ。すべてにおいてあの日の行動は褒められたものではないが、黙って引っこむほど環和の成分はおとなしさで構成されていない。
「だから、いま響生からいろいろと教わってるんです」
環和は『いろいろと』を強調しつつ、表面上は謙虚に出た。
恵は目を見開いたあと鼻先で笑った。それが、皮肉だったり小馬鹿にしていたりという負の笑い方であればもっと露骨に反撃したかもしれないが、ごく自然に可笑しそうにして見えてその気が削がれた。
「ちょっと待って。環和ちゃん、もしかして安西さんと付き合ってるの?」
京香は自分より背の低い環和を覗きこむようにしながら割りこんだ。
「……そういうことだと思います」
なんとなく曖昧に答えてしまった環和だったが、まじまじと京香に見つめられると、ちゃんとそうだと云いきっておけばよかったと後悔した。
「そうなんだぁ」
意識せずしてつぶやいた京香はきっと響生への関心が再燃したのだろう。宙を見るともなく見ながら目を泳がせ、それから環和に戻ってくると、京香は新たな楽しみを発見したような様で環和に笑いかけた。
「環和ちゃんもお休みを取って撮影現場に来たら? 勇くんが……あ、琴吹勇くんは知ってるよね。一緒に仕事するんだけど。勇くん、ラフティングするって云ってたし、楽しそうじゃない? 秩父の長瀞(ながとろ)だからすぐ来れるでしょ」
恵がシッと口もとに人差し指を立てて、京香に喋らないよう警告をしたがあとの祭りだ。
いいじゃない、というあっけらかんとした京香の応えを遠くに聞きながら、環和は心ここにあらずで京香を眺めた。
京香の口からごく自然に勇の名が出てきて、やはりふたりは仲がよさそうだと思いつつも、京香が響生に接近しそうな予感もする。内心でついたため息が、心底に憂うつの吹き溜まりを残した。