NEXTBACKDOOR|皇子は愛を秘匿できない〜抱き溺れる愚者〜

終章 赤裸の戀

2.恋は運命ではなくままならないもの  act. 2

 タロは薄らと笑みを浮かべた。おどけたようにも、ただ尊大にも見える。
「何が不服だ? 私も完全とはいかないが」
「失礼ですが、不服ばかりです。フィリルの悲劇は私にとっても報復する理由に足ります。ですがロード・タロ、貴方はなんら過誤のない凪乃羽をいちばんの犠牲者にしている」
「ヴァン」
 思いがけず自分の名が出て、凪乃羽はとっさにヴァンフリーの腕に手をかけた。その手を自由なほうの手でつかむと、ヴァンフリーは手のひらを合わせて指を絡めた。一度、強く握りしめられ、そのしぐさは無言で大丈夫だと伝えてくる。
「犠牲、か」
「ええ、そうです。母親を亡くした傷み、地球を破壊したという罪悪感、ローエンに追わせたすえ差しだされた怖れ、何よりも、誕生の由縁を知らせるなど凪乃羽を苦しめるだけだ。それを、貴方は敢えて為(な)した」
「フィリルを救うためだ」
「ローエンに報復するためでは?」
 ヴァンフリーは畳み掛けるように問いを投げた。そうして、答えを聞くまえにさらに問いを重ねる。
「フィリルを救うためなら、凪乃羽が被る犠牲はやむを得ないとおっしゃるつもりですか」
「ローエンの手の届かないところへ――地球へ送ったのは時間稼ぎだ。フィリルの傷が傷という形だけで終わらないよう子を宿し、子を育て、そこに生じる愛によって癒やそうとした。同時に、怒りに駆られていたことも事実だ。フィリルが味わった、恐怖と痛みを課す」
 ヴァンフリーはうっ憤を晴らすように短く息をつき、首を横に振った。
「怒りに駆られていたなら、二十三番めなど思わせぶりな謀(はかりごと)ではなく、真っ向からローエンに挑めばよかったことです。ワールを乗っ取れるのなら、ローエンの魂を葬り去ればすんだ」
「それだけで気がすむと、本当にそう云えるか。ヴァンフリー、例えば、凪乃羽がフィリルと同じ目に遭わされたときに?」
 凪乃羽の手をくるむヴァンフリーの手に力がこもり、きつく握りしめられる。タロの問いかけはヴァンフリーの急所を突いたのかもしれない。そのときは――と答えを切りだすまでには時間を要した。
「――何よりも凪乃羽の傍にいますよ。愛が傷を癒やすのなら、寄り添っているだけで充分だという、それほどのフィリルに対する思いはあったでしょう。貴方はフィリルの傍にいればよかった。報復はそれからでいい、じっくりと。貴方の報復は、時間稼ぎとおっしゃったとおり、結局はここまでの時間がかかってしまったんですから」
 ロードであるタロに楯突くのはヴァンフリーしかいないのかもしれない。そんな張りつめた気配で沈黙がはびこる。
 そうして、くすりと、その小さな笑みが沈黙を破った。
「ヴァンフリー皇子の云うとおりね。タロ様は間違いを認めるべきだわ」
 傷ついていたとは思えないほど、フィリルは無邪気な口調でタロをからかい、それから凪乃羽へと目を向けた。
 歩み寄ってくるその気配は、容姿も声も違って、そして見た目も母親というのには若すぎるのに、いつも軽やかだった母――知未の歩調と似ている。凪乃羽の目の前で止まると、フィリルは手を上げかけ、いったん躊躇したように宙に浮く。
「……お母さん……?」
 凪乃羽の呼びかけもまたためらいがちだった。
 その凪乃羽のためらいは問題にならないとばかりに、フィリルのくちびるがうれしそうに綻ぶ。躊躇していた手が凪乃羽の頬をくるんだ。
「あなたを育てた日々に比べれば、こちらに戻って離れていたのは少しのはずよね? 向こうにいる間、わたしとしての記憶はなかったけれど……お母さんと呼ばれるのが懐かしくて心底からうれしいの。それだけ、わたしはあなたを愛してるってこと。父親がだれだろうと、凪乃羽、あなたはわたしの娘よ。それだけでは足りない?」
 そんなふうに訊ねられて、足りないなど口にできないどころか思うこともできない。ずっと父親の存在は曖昧で、写真に写る人を見ても憶えられなかった。いまも思い出せない。知未が父親の話をしないこと、その影響もあるのかもしれないけれど、父親がいないことにさみしさを感じる間がないほど知未は環境に配慮して努力していたのだろう。
「足りないって云ったら贅沢。もうお母さんに会えないと思ってたから……いま会えてほっとしてる。うれしい」
 フィリルは怪訝そうに首をかしげた。
「うれしいけど、そればかりではなさそうね。わたしたちは生きてるけど、一つの世界の生命体が消えてしまったのだもの、当然だわ」
 さすがに母親だ。加えて、フィリル自身も同じように憂えているのかもしれない。少なくとも、そもそもの始まりは自分の悲劇にあって、自分のために犠牲が出ても平気という人ではない。
 フィリルはため息をついてタロへと向き直った。
「フィリル、あの星は私が生みだしたものだ。かといって、無下にしていいものでもない。同じようにはならないが、ジャッジによって生命体が誕生する環境は整った。そうして居残った魂が何かしらに宿ることを繰り返す。この世界と同じだ」
 フィリルからの無言の責めに合ったタロは嘆息しつつ諭した。
「タロ様、それでも凪乃羽は心を傷めています。償いはどうなさるの?」
「凪乃羽が子を孕んだ。それは至上の愛の贈り物だ。それではだめか」
「どういうことです?」
 ただ子を持つ幸福を指しているのではなく、何かを含んでいると察し、ヴァンフリーは急かすように訊ねた。
「凪乃羽は愛のもとにしか子を授かることはできない」
「……つまり――」
「ヴァンフリーの気持ちはだれにも隠せないってことね」
 一瞬、言葉に詰まったヴァンフリーをさえぎってフィリルが揶揄した。その面持ちに喜びと安堵が見えるのは、母親としての思いがそうさせるのだろうか。
「隠そうなどという気はない。そうだろう、エロファン、ラヴィ」
 揶揄に屈するヴァンフリーではなく、鼻先で笑ってあしらったあと、古来の友人に同意を求めた。
「それはもう過保護ですね。ちょっかいを出したくなるほどに」
 エロファンの答えそのものが『ちょっかい』なのに、ヴァンフリーは乗せられるまま鋭く睨めつけた。
「見てられないわ」
 ラヴィは肩をすくめて茶化す。
 意志とは異なるところで玉座を陣取ったローエンをよそに、三人の応酬はさらに安堵した気配を接見の間にもたらした。
「凪乃羽、ローエンの娘だからといって忌むものではない。ヴァンフリーが云ったとおり、おまえは何よりもフィリルの娘だ」
「当然です」
 タロの諭しに真っ先に応えたヴァンフリーは凪乃羽の手をまたきつく握る。
 生まれた経緯がはっきりしたときは負の衝撃でしかなかった。それももう薄れかけている。ローエンの娘であっても凪乃羽をかばってとっさに動いたヴァンフリーの行動が何よりも問題にならないと証明していて、くよくよするのは贅(ぜい)の限りだ。
「ヴァン、ちゃんとわかってるから……ありがとう」
「ああ。このまえみたいに誤解してけんかをふっかけるまえに、いまの気持ちを思いだしてくれ」
 そう云ってヴァンフリーは身をかがめ――
「まあ、仲直りの楽しみはあるが?」
 と、耳打ちをして、凪乃羽がそのときのことを思いだし、うろたえるのを楽しんだ。

NEXTBACKDOOR