NEXTBACKDOOR|皇子は愛を秘匿できない〜抱き溺れる愚者〜

第4章 二十三番めの呪縛

6.運命が廻る時  act. 1

 瞬時にしてウラヌス邸に戻ったヴァンフリーは、一つため息をこぼすと招かれざる客を出迎えに玄関から出ていく。ローエンはすぐそこまで来ていた。森の門において声で察していたとおり、従者はマジェスとデヴィンであり、なるほど、とヴァンフリーは内心でつぶやいた。
「ようこそ」
 階段をおりてヴァンフリーは両膝を折り、そして片方の膝を地に着けて頭を垂れた。
「立て」
「仰せのままに」
 と、ヴァンフリーは顔を上げることから始め、ゆったりと起ちあがった。
「父上が見えるのははじめてですね。お訪ねにならずともこちらのほうから出向くところを……」
 言葉尻を濁しつつヴァンフリーが首をかしげると、ローエンは薄く笑みを浮かべる。
「それどころではないようだ」
「どういうことでしょう」
「下界の女と遊戯に耽っているらしいが。気楽なものだ」
 デヴィンをちらりと見やると、ヴァンフリーが口を歪めたのを見てわずかに気まずい気配を漂わせた。
 城下町に降りたとき、ならず者との小競り合いがデヴィンの眼に留まったのだろう。あるいは、ただふたりがデヴィンの眼を引いて映ったのなら堕落の烙印を押されたも同じだが。そうあっても弁解する気はさらさらなく、むしろ清々する。少なくとも、凪乃羽に限ってヴァンフリーが堕落して見えようと、それは望むところだ。
「まさか、真剣になれ、とおっしゃってるんですか」
 ヴァンフリーが焦点をずらし、惚けて応じたところでローエンから失笑が漏れだすこともない。
 ふと、笑ったことがあるのだろうかという疑問を持ち――いや、ヴァンフリーが生まれて以後これまでそんな疑問を持たなかったほど、ローエンの無機質な姿勢は当然としてまかり通ってきた。
「ヴァンフリー皇子」
 ふざけたことはだれの目にも明らかで、デヴィンが眉をひそめて咎める。
 ヴァンフリーは肩をそびやかして往なした。
「では、気楽ではいられないような、いったい何をしろと? 二十三番めはご存知のとおり見いだせませんでした。ハングの行方は私なりに追っていますが、森を抜けた様子はありません。デスティが城下町に現れたところを見ると、ふたりは行動を共にしているかと」
 十三番めの死神の名を出すと、無機質な面持ちに険しさがよぎった。
「デスティが!」
 マジェスが叫び、デヴィンはたじろぐ。動揺はこのふたりに限っては露骨に現れた。
 ハングが覇者としてシュプリムグッドの統治に向かっていた頃、ローエンが指揮官であれば、デスティは痛みも死をも怖れない無双の戦士だった。だれよりも早く敵陣に忍びこみ偵察を担う、あるいは暗殺者として余りある貢献をした。そうして、ハングが囚われたのち唯一ローエンの支配下に入ることを拒み、城から消えた。
 ローエンがデスティを追うこともせず、永遠を奪うこともしなかったのはなぜか。おそらく自尊心がそうさせたのだろう。痛めつけることは即ち、デスティに怖れを抱いたことを露骨に示すだけだ。加えて、放っておいたすえ万が一にデスティがローエンを襲うようなことがあっても永遠は奪えない。つまり、デスティは無視しておくことが最善策なのだ。
 デスティが城を去ったあとに誕生したヴァンフリーは、デスティとは面識がない。だが、あれがそうだったのだと、かつて思い当たる節はあった。
 人間のふりをして傭兵と渡り合っていた頃、傷を負わせる以上にためらいなくヴァンフリーの急所を――人間でいえば心臓を狙い撃ちした奴がいた。
『私と渡り合うなど千年早い』
 シュプリムグッドの人間の寿命は長くとも百年だ。永遠に無理だという比喩的な言葉の綾があるが、彼が云った『千年』はそうした意にすぎない。そのときはそう思ったが、時を置かずして再会した際、急所を突いたはずのヴァンフリーを目の前にしても彼は驚かなかった。自分が殺した相手を記憶していないほど人に手を掛け慣れているのかと考え、二度めに殺(や)られたあと付け回してみた。すると、剣をかまえることはあれど、むやみに人の命に終止符を打つような場面には遭遇しなかった。
 彼は上人かとも問わず、回復しては現れるヴァンフリーが自分に敵うようになるまで剣術の相手を担った。ようやく彼の剣をその手から振り落とせるときが来て、それからぱたりと姿を見せなくなった。
 そうしていま、遙かな時を経ても変わらない彼を城下町で見いだし、ヴァンフリーは答えを得た。傭兵でいるときはヴァンフリーと同様に黒く染めていただろう髪は、黒と見まがう闇の色――深い藍色だった。
 時系列を明確にするのなら、デスティを見かけたのはハングが脱走したあとだ。
「ハングの“忠実な下部(しもべ)”であったことを考えれば、解放されたことを知ってデスティがついてもおかしくはありませんよ」
 強調して云った皮肉は通じたようで、最後まで忠実になれなかったローエンはいびつに口を曲げた。
「おまえはだれに忠実なんだ?」
「そんな存在が父上のほかにいると?」
 質問を質問で返すという手段は相手を不快にさせる。ヴァンフリーはあえてそうした。
 ローエンは不穏な様でおもむろに首をひねった。
「女を差しだせ」
「女、ですか?」
 ヴァンフリーは身構え、なお且つそんな素振りを覗かせることなくローエンと相対して首をひねった。
「おまえを堕落させている女だ。いなくなれば、私の役に立つ気も起きるだろう」
「はっ、『いなくなれば』とはどういうことです?」
 女がいなくなって役に立つことがあるのなら、やはり凪乃羽を二十三番めと結びつけているわけではない。その安堵がヴァンフリーの失笑を誘い、ローエンの不快を買った。
「ただでさえ短い命を奪ってもしかたがない。おまえが私の役に立つ間、預かろうと云っている。さすれば精も出るだろう」
 預かるとは聞こえのいい言葉だが、実際は人質に違いない。
「ですから、ハングを探しだすほかに何をしろと云うんです?」
「地球に行け。水が満ちて再生が始まった」
「行くのはかまいませんが、女は差しだすまでもない。そもそもここにはもういませんから」
「いない?」
「はい。もう一度訊きますが、女に真剣になれとおっしゃるんですか? 私の飽きが早いことはご存知では?」
 ローエンが睨めつけるように目を細める。ヴァンフリーの言葉を信用していないことが目に見えてわかる。それとも、ヴァンフリー自体を信用していないのか。
 もっとも、信用に応えていないことはヴァンフリー自身がやっていることであり、弁明の余地も、ローエンを難詰することもできない。
「フィリルには長らく付き纏っていたようだが」
 出し抜けにフィリルの名が発せられ、ヴァンフリーは目を細めた。ローエンを見据えれば疑(うたぐ)り深い双眸に見返される。その脇を陣取るマジェスとデヴィンを見やれば、驚きと、そしてやはり疑いをもった眼差しが迎えた。
 なるほど。
 確かにフィリルに会うために森のなかに通うことは多かった。ただし、それは城にいることにうんざりしていたせいでありつつ、最大の理由はフィリルの様子を知りたいというエムの希望に沿ったものだった。
 それが察せないほどローエンは鈍感ではないはずだ。箝口令が敷かれたようにあることをだれも口にはしないが――もしくは、知っているのはごく限られた上人のみか。フィリル自身でさえ、おそらくはその事実を知らない。
 マジェスとデヴィンの様子を目の当たりにするかぎり、このふたりも知らないのだろう。それをどうローエンは利用するのか。
 つまり、フィリルを傷つけ、延いてはロード・タロの怒りを買う原因をつくったという、ヴァンフリーにその濡れ衣を着せる気だろう。
 ヴァンフリーはもったいぶって口を開く。
「フィリルと会っていたことを付き纏うというのなら、私にとってはラヴィもエロファンもそうです」
「そうなのか?」
 信ずるに値しないとばかりの声音で、答えを求めるふうでもなく云い、ローエンはちらりとマジェスを見やった。マジェスは暗黙の命令にうなずき、ヴァンフリーを見やるとかすかに申し訳なさそうな気配を漂わせて口を開いた。
「ヴァンフリー皇子、失礼しますよ」
 そう云って数歩前へと踏みこむと、マジェスはウラヌス邸に向かって手を振りかざした。すーっと空を撫でるように手が移ろい、するとその向こうにあったウラヌス邸は一瞬にして無になった。
 人間はマジェスが操れる範囲ではない。ロード・タロの産物だ。そこに人間が炙(あぶ)りだされなければ、即ちヴァンフリーの言葉に嘘はないという証しにはなる。ただし、それがもとに戻ろうが、自分が築いたものに手を掛けられるなど以(もっ)ての外だ。
「ご覧のとおりです。だれもいませんが」
 ヴァンフリーは不愉快さをあらわにして云い、マジェスは俄に焦ったようでさっきとは逆方向に手を移すと邸宅をもとに戻した。
「使用人はどこに行った」
 こんなことになるかと念のために隠れさせたセギーたちは、絡繰りを施した部屋から地中へと潜った。断崖の下へと続く階段と貨車がそこにはある。アルカヌム城と違い、この地はロード・タロの領域だ。いくらマジェスでもヴァンフリーが建造した異物は操れようと地中までは手を出せない。
「彼らは食しないと生きていけないんです。買いだしに城下町におりていたり、森のなかで猟をしているでしょう」
 ローエンはふっと吐息をこぼしてあしらう。
「ヴァンフリー、フィリルはだれが傷つけた」
「見てもいないことを知るはずがありません」
「本当か?」
「証明は不可能です。答えようもありません」
「それなら、身の潔白を証すべく、地球に行っていますぐ私の役に立て」
「仰せのままに」
 ヴァンフリーは招かれざる客を追い払うべく頭を垂れて従順に答えた。
「知らせを待つぞ」
 ローエンは云い残してマントをひるがえすと引き返していった。
 ロード・タロが怒りを向けているのはローエンだ。即ち、最も疑わしいのはローエンであるにもかかわらず、上人の長としての責任を問われているとだれしもに思わせた。そんなふうに矛先をすり替え、いま原因をヴァンフリーに押しつけることで、より強固に体面を保とうとしている。
 ひとまず、地球に行っても意味がないことはわかりきっている。いずれにしろ、地球への入り口はレーツェルの泉であり、疑われずに行ける。
 ヴァンフリーが一歩踏みだせば目の前に泉が現れた。
 そうして感じたのは――
「凪乃羽」
 呼びかけて耳を澄ます。存在したのは、何もないと感じたとおり、水のせせらぎすらも掻き消すような沈黙だけだった。

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