NEXTBACKDOOR|皇子は愛を秘匿できない〜抱き溺れる愚者〜

第4章 二十三番めの呪縛

1.城下町の噂話  act. 1

 ヴァンフリーが凪乃羽を連れ、遥か高い断崖からアルカヌム城を臨む城下町へと降りるのにそう時間はかからなかった。子供たちの“悪戯”のもと、道なき道に導かれて森を難なく抜けられた。
 ウラヌス邸は大きいだけではなく、欧州の古い街並みに残ったような重厚な趣を放つ。凪乃羽の想像にすぎないけれど、さながら中世といった様相だ。ゆえに町というものが、凪乃羽が生まれ育った環境とは違うとは承知している。まるで想像がつかず、好奇心を抱きつつも心底からわくわくしているかといえば、そうではない。
 森と城下町の境を仕切るように設けられた水路は大きく、そこに架かった橋を渡ってまもなく、ふたりは広場に差しかかった。
 車ではなく小さな馬車であったり手押し車であったり、それらが人を掻き分けるようにしながら石畳の上をゆっくりと走る景色は、人通りが多いなかでも凪乃羽からすると長閑(のどか)に感じられた。
 広場では市場が開かれ、いろんな露天が並ぶ。
「いい匂いがする」
 歩きながら鼻を利かせてつぶやくと、ヴァンフリーは凪乃羽を見下ろした。
「やっと笑ったな。おれといても不機嫌なくせに、食べるものでそうなるなど到底、納得はいかないが」
 凪乃羽は足を止めてヴァンフリーを覗きこむ。手を繋いでいるから必然的にヴァンフリーも立ち止まった。
「わたし……笑ってない?」
 不思議そうに首をかしげると、ヴァンフリーは先刻、口にしたとおり納得できないことを首をひねるというしぐさで、あらためて示した。
「昨日、森から帰って以来、何か考えこんでいる。違っているか?」
 ヴァンフリーは凪乃羽をよく見ている。
 昨日、ヴァンフリーが探しているハングと遭遇したことも、そうして何を云われたかも、凪乃羽はヴァンフリーに打ち明けられていない。
 ハングは黙っていろとも秘密だとも云わなかった。ヴァンフリーに相談してもいいはずが、ヴァンフリーに関したことだけに凪乃羽はためらったのだ。もしかしたら、そうなると見越して、口止めをする必要はないとハングが判断したのか。それとも、話すか話さないか、そこで凪乃羽の器が量られているのか。
「考えこんでいない、疲れてたんだと思う。昨日、出かけるまで、ヴァンにずっと部屋に閉じこめられたから」
「そんなに連れまわされたのか」
 ヴァンは顔をしかめた。
「だから、子供たちのせいじゃなくてヴァンのせいって云ってるの。自分の非を認めなくて、子供たちに責任転嫁しようとしてる? それが無意識だったら最悪です」
 わざと責めるように云ってみると、ヴァンフリーはわずかに目を見開き、それから苦笑した。
「そんなつもりはなかった」
「愚者が“フリ”だって云うなら、実際は賢いって云ってるのと同じなのに、正しく理解できないなんてあり得なくない?」
「やけに絡むな」
 ヴァンフリーはゆったりと首をひねった。
 確かに、いまの凪乃羽はしつこかった。ハングが植えつけた、疑惑とまではいかないものの疑いのせいであり、不安だからこその反応かもしれない。
「ここは山の頂と違って、にぎやか。シュプリムグッドは穏やかじゃないって云ってたけど、そんなふうには見えない。ヴァンがわたしをウラヌス邸に閉じこめようとして嘘を云ってるんじゃないかって、ちょっと怒ってるかも」
 それは口先だけで、凪乃羽が怒っていることはなく、“不機嫌”を追求される危うさから逃れるための口実にすぎない。ヴァンフリーが凪乃羽の言葉を真に受けて心外だといったふうに首を横に振ると、内心でほっとした。
「閉じこめたいのはやまやまだが、こうやって連れだしているだろう。この国が不穏なのは事実だ」
「アルカナ・ハングを探しているのもそのせい? 見つけないとどうなるの?」
「皇帝を倒すための唯一の手段をハングが探し当てて利用するまえに、確かめたいことがあるからだ」
「確かめたいことって?」
「呪いが真実か否か、だ」
「呪いって何? それをハングが知ってるの?」
「呪いを預言したハーミットは見つけようと思っても見つからない。ハーミットが出てくるのを待つよりはハングを探したほうが早い。ハングの脱走を手伝ったのがだれか、おれの想像に間違いがなければ、知っているはずだ。だが、その想像は迂闊に話せることじゃない。特に凪乃羽、おまえはボロを出しやすそうだからな」
「そんなことはない」
「だとしたら、自分をわかってない。いまのは褒め言葉だ」
「褒め言葉?」
「凪乃羽には人に対して悪意という裏がない」
「わたしの裏側なんて、ヴァンにはわからないと思うけど」
「やっぱり突っかかる。まずは美味しいものでも食べさせて機嫌をとったほうがよさそうだ」
 肝心の呪いについては、結局はごまかされた。つまり、呪いが鍵なのだ。
「美味しいもので機嫌が直るのはわたしだけじゃないから。ヴァンもコーヒーを飲むときは、すごく油断してる」
 ヴァンフリーは片方の眉を跳ねあげ、おどけて肩をすくめる。
「飲めなくなったのは本当に残念だな」
 と、ため息交じりで云ったヴァンフリーは凪乃羽の手を引いて広場のなかへと歩きだした。
 ヴァンフリーが最初に寄ったのは籠屋で、持ち手のついた小ぶりの籠を一つ買い、それから香ばしい匂いをたどり、焼き菓子が並ぶ場所へと行った。
 簡易の天幕も半分は捲られて、所狭しと積みあげられた品に陽(ひ)が注ぎ、艶々として食をそそる。凪乃羽は目移りして選択を迷う。
「とりあえず選択肢をあげてみろ」
 人だかりのなか、凪乃羽の背中にぴたりと躰を添わせたヴァンフリーは頭上から声をかける。
 迷いすぎて、待ちくたびれているのだろうか。考えてみれば、ヴァンフリーはよく二者択一を迫る。シュプリムグッドに来てからは鳴りを潜めているものの、本来はせっかちな性格だ。
「えっと……」
 と、凪乃羽は五種類の焼き菓子を指差した。すると背後からヴァンフリーが籠を差しだす。
「いまのを全部だ」
 その言葉は凪乃羽に向けられたものではない。店主が、はいよ! と籠の中に次々と焼き菓子を入れていく。
「取っておけ」
 ヴァンフリーは金貨を一枚、渡すと、店主は信じられないものに遭遇したかのように自分の掌(てのひら)を見て瞠目(どうもく)した。
「旦那、こ、こんなによろしいんですか」
 店主は驚きすぎたのか、痞えながら、なお且つ、砕けた対応から一転、恐縮そうに態度を変えた。
「取っておけと云ってる」
 ヴァンフリーは面倒くさそうに繰り返した。
 髪を黒く染めたヴァンフリーを上人だとわかる人はいないけれど、尊大さは身に染みついて消しようがない。
 店主は感謝と媚びと入り混じった面持ちで破顔し――
「ありがとうございます。ちょっと待ってくださいよ……」
 と云いながら後ろを向いて、そこにあった布を捲っている。
 その下の籠の中から何やら取りだすと、店主は向き直ってヴァンフリーから手渡された籠の中に二つ、新たに焼き菓子を忍ばせた。
「お得意さんにお配りする特別なお菓子です。いま焼きあがったばっかりですよ。できたては絶品ですから、どうぞ召し上がってください」
 背後を振り仰ぐと、ヴァンフリーはかすかにうなずき、凪乃羽は店主に目を戻した。
「はい、いただきます。ありがとうございます」
「とんでもない」
 凪乃羽の礼に、すっかり気をよくした店主は若干ずれた返事をして、またお越しください、と威勢よく送りだした。
「ヴァン、あの金貨一枚で本当はどれくらい買えるの?」
 ヴァンフリーに促されるまま、来た道を引き返しながら凪乃羽は訊ねてみた。すっかり金銭を扱う場面から遠ざかり、金貨という交換媒体をよけいに新鮮だった。
「あの店の品を全部を買っても釣り銭がくる」
 凪乃羽は目を丸くした。金の価値は地球でも高い。ヴァンフリーが使った金貨は、金膜を施したものではなく本物の金なのだろうけれど。
「さっきの、幻ってことにならないですよね」
 気づいたら、ちょっと浮かんだ疑問を凪乃羽は口にしていた。
「なんのことだ」
「この国はなんでもありって感じだから、さっきの金貨も上人の能力で作りだしたもので、時間がたったら蒸発したりしない?」
「はっ。変わった発想をする。いや、疑り深いか?」
 ヴァンフリーはおもしろがって返した。
「じゃあ本物なんですね?」
「いくら愚者でも民を愚弄するつもりはない。真っ当に仕事の対価として手に入れた金貨ではないが」
「……盗んだの?」
「面倒なことはしない。マジェスの役割を憶えているか」
「四元素の支配者?」
「そうだ。つまり?」
「……金貨が作れるの?」
「非合法みたいに云うな?」
 ヴァンフリーは可笑しそうに凪乃羽を見やる。ちょうど水路まで来たところで、その水路を縁取る石に腰かけるよう、凪乃羽に促した。
 縁石は奥行きがあって、よほど愚かしいことをやらないかぎり水路に落ちる心配はない。周囲には、水路側に足を下ろして座ってくつろぐ人たちもいる。
「そもそも、知ってのとおり食する欲はなく、必要なものはマジェスが創造するから、上人が通貨を利用する必要はない。アルカヌム城もマジェスの建造物だ。地球の歴史にあったような、民を奴隷扱いして城を建てることはない」
 凪乃羽が座るのを見届け、ヴァンフリーは釈明をしながら隣に腰をおろした。
「ウラヌス邸も?」
「凪乃羽は鋭いところを突いてくるな」
 ヴァンフリーは感心した声音で云い、薄く笑う。
「……アルカナ・マジェスが建てたものじゃないの?」
「マジェスに頼めば、邸宅の構造は筒抜けになる。おれは自由人だ。そうやって影の侵入者を許すつもりはない。ウラヌスは民が建てた。セギーの先代もそのなかの一人だ。もちろん、正当な労働に正当な対価を支払った。そこを心配してるなら」
 凪乃羽の驚きがヴァンフリーにはどう映ったのか、云い訳のように付け加えた。
「そういうことじゃなくて、徹底して独りになりたかったんだなって思って感心してる」
「永遠だからこそ、そこは譲れない」
 肩をすくめたヴァンフリーは、笑う凪乃羽に籠を指差して示した。
「できたてを食べたらどうだ?」
「そう云ってもらえるのを待ってました」
 すかさず凪乃羽が応じると、ヴァンフリーは失笑した。

NEXTBACKDOOR