NEXTBACKDOOR|皇子は愛を秘匿できない〜抱き溺れる愚者〜

第3章 恋に秘された輪奈

4.ロードの導き  act. 1

 永遠の子供たちの案内に任せ、森のなかでも、木々がなくすっぽりと空まで抜けた場所にやってきた。そこで、待ちかねていたように突如として姿を見せたのは、十四番のランスと十六番のタワーだった。
 ふたり――といっていいのかどうか、彼ら――もしくは“彼女ら”か、精霊のふたりの共通点は髪が長く中性的で、静かな気配を纏っていることだ。
 ただ自己紹介のまえに、こんにちは、と声をかけた凪乃羽にしっかりと目を留めた彼らは、とたんにめったに見ないものに巡りあったかのような顔になった。すっと背が伸びあがるしぐさは、怖じ気づいて躰を引いたようにも見えた。
 ひょっとしたら凪乃羽の態度を失敬だと感じているのかもしれないと思ったすえ、無礼でしたらすみません、と謝りかけた凪乃羽を彼らは素早く手を上げて制すると、互いに気取る必要はないでしょう、と先刻の戸惑いはどこへやら友好的に微笑みかけた。
 そうして名乗り合ったあと何か云いたそうにした彼らは、子供たちの、早く! という催促によって開きかけた口を封じられ、そして、六人は珈琲の種をあるだけ撒いた。種蒔きをした場所をかがみこんで囲むなか、ランスとタワーは立ちあがって両手を広げた。
 タワーは気を操る禍の力を利用して、暑さを好む珈琲のために熱をもたらし、命を司るランスは芽吹く手助けをする。
 子供たちに二回めに会ったとき、珈琲の木を育てたいけれど適したところはないかと相談してみたら、精霊の力を借りようと提案してくれた。その提案に甘えたのは、急速に育てるためではなく枯れないようにするためだ。種はこれだけしかない。
 シュプリムグッドにやってきて以来、ヴァンフリーを当てにしてばかりで凪乃羽は何もできていない。ましてや、くしゃみ一つで病気だと心配させる。ヴァンフリーにとって凪乃羽は荷物としか云い様がなく、おかえしに何ができるだろうと思ってきた。ヴァンフリーは大の珈琲好きだ。自家栽培をして、この世界にない、珈琲が飲めるようになったら喜んでくれるだろう。
 あの日、滝つぼを通過したのは一瞬のことだったのか、バッグは濡れても中身への影響は少なく、密閉袋に入った珈琲の種はなんの被害もなかった。
 いくら母親だからといって知未がこんなふうに娘の役に立つことを見越して珈琲の種を渡したとは思わないけれど、無意識のうちに勘が働いていた結果で、きっとそれが親子なのだろう。
「凪乃羽、悲しいの?」
 スターが凪乃羽を覗きこんだ。
「え?」
 不意打ちの問いかけに面食らっていると、スターは凪乃羽の目もとに手を伸ばしてくる。小さな指先が近づいて、思わず目をつむると目頭から雫がこぼれ落ちる。それが涙だと気づくのに時間はかからず、凪乃羽は目を開いてごまかすように笑った。
「大丈夫。お母さんと会えなくなって……どうしてるか、生きてるかもわからなくてさみしくなったみたい。もう子供じゃないのに、ちょっと恥ずかしい」
 すると、ランスとタワーが広げていた手をおろし、凪乃羽に目を向けた。
「“お母さん”とはだれです?」
 首を傾けて黒と銀という色の斑(まだら)な髪を揺らしながら、タワーはほぼ無表情で訊ねた。その向かい側に立つランスが息をひそめた様子で凪乃羽を見守っている。
 そんな彼らを見て、触れてはいけない話だったのかもしれないと気づいた。ヴァンフリーから愚かなふりをしろと忠告されていたのに、油断して忘れていた。
 ごまかすにはなんと答えようと考えるさなか、ふと凪乃羽はタワーの問い方がいびつではないかと感じた。
 母は母であり、例えば知未だと特定して答えたところで、会ったことのないタワーにとってはわからないまま終わることだ。逆に、タワーは“だれ”かをすでに特定していて、それを凪乃羽の答えによって確信を得ようとしているのではないか。けれど、そんなはずはない。
 ヴァンフリーは森に棲む上人に悪意を持った者はいないと云っていたけれど、別の世界から来たことを打ち明けていいとは云っていない。凪乃羽は確認しておけばよかったと後悔した。
「お母さんはわたしを産んでくれた人。ここに来て離れ離れになったから、元気かどうかもわからなくて」
 もしかしたら精霊は上人といえども最初から精霊で、例えば、木の幹を切ったら赤ん坊が出てきたとか、滝つぼに落ちてきた果実を割ったら赤ん坊が出てきたとか、物語の中のような誕生だったかもしれない。それだったら“お母さん”という存在とは無縁でもおかしくない。
 凪乃羽はそう考えて云ってみると、タワーはわずかに顔を引く。聞きたかった答えとは程遠いといった、困惑した気配だ。
「凪乃羽、念のために云いますが、人間の営みはひととおり存じてます。凪乃羽のお母上がご存命なのか、どこにいらっしゃるのか、それを知りたかったのですが」
「あ……あの……」
 答えを探して躊躇している間、タワーもランスも、加えて子供たちも凪乃羽を必要以上に見つめている気がした。その視線は熱、あるいは切望がこもっているようにも感じる。
 なんだろう。
 さっきまで純粋に楽しかったのに、急に不安になって心細い。そのせいか、胸のあたりに不快感を覚えて、軽い吐き気まで生じた。
「わたしは国の外れから来たんです。ヴァンフリーと会うまで、わたしが住んでいるところが国の外れってこともわかってなくて……母もそこにいました」
「いまはわからないと?」
「でも、母はきっと生きてます」
 断言したのは、凪乃羽の切実な願望の表れだった。
 そして、希望にすぎない言葉であり、縁もゆかりもないはずが、凪乃羽の気持ちが伝染したのか、タワーとランスもまた希望を持ったような面持ちでうなずいた。
「永遠とは切ない」
 凪乃羽のせいだろうか、その声も切なくランスがぽつりとつぶやく。
「え?」
「我々にも凪乃羽の気持ちがわかっていると思います。希望というものは遥か遠く、我々が忘れていた感情です。フィリルの悲劇は消えてなくならない。ワールは二度と戻らない。そう承知していながら再生を希(こいねが)ってしまう」
「希望は時に絶望にすり替わる。いま、我々はその間を行ったり来たりしているんです」
 タワーがランスのあとを継いだ。
 だからその気分によって、タワーは嵐を巻き起こすなどして下界を荒らしてしまうのか。
 ウラヌス邸からすぐそこにある突端に出れば――そこは断崖絶壁になっているけれど、雲を下に見ながら、さらにその下で稲魂(いなたま)が走ったり竜巻が発生したりするのを目にした。
 ヴァンフリーはそれを見ると、機嫌が悪そうだ、とつぶやく。機嫌の悪い主はタワーのことに違いない。
 エロファンが永遠に絶交だったり恨まれたりするなどうんざりだというようなことを云っていたけれど、上人は諍(いさか)い事だけでなく悲しみも、終焉を迎えることなく持ち越さなければならない。生きていることに後ろめたさを感じながら。それらの痛みがずっとさきで癒えることはあっても、後悔はなくならない。
「だから、こうなった以上、おれたちはこの時を守るしかない。ウラヌスの森にはだれの侵入も許さない。それだけだ」
 どちらが大人かと疑うほど、サンはタワーとランスの辛気(しんき)くささを跳ねのけた。
「ですが……」
「なんだよ?」
 ためらったランスを、サンは不機嫌そうに見やりながら続きを催促した。
 ランスはタワーと視線を交わし、するとタワーのほうが口を開いた。
「ヴァンフリーは彼(か)の人の息子ですよ」
 云いながらタワーはちらりと凪乃羽を見やり、「大丈夫でしょうか」とまたサンに向かった。今度は子供たちが顔を見合わせ、それからムーンが考えこみつつ口を開く。
「アルカヌムの城主がかわるとするなら、それは目覚めた結果だ。ということは、永遠を奪うものはだれもいない。だから、むしろヴァンフリーがけじめをつけたほうがいい」
「……なるほど」
 ムーンの言葉を噛みしめ、タワーとランスは心底から納得した気配で深くうなずいた。
「ねぇ、タワーもランスも、終わったの? 珈琲は育つ?」
 スターがいかにも退屈した声で割りこんだ。
「大丈夫です。タワーと時々様子を見にきますから凪乃羽も安心してください」
「ありがとうございます……あ、あと、ヴァンには珈琲のことは内緒でお願いします」
「それはまたなぜ?」
 タワーは不思議そうに首をかしげた。
「ヴァンには命を……面倒でしかないのにわたしによくしてくれるし、守ってくれるし、だから何か贈り物ができたらって思って。ヴァンはこの珈琲からつくった飲み物が好きなの」
「……なるほど。では、そのように」
 命を救われたと云いかけたところで経緯を訊ねられたら困ると気づいたすえ、凪乃羽がためらったのち云い換えたように、タワーの返事もためらいがちだ。いまここにそろう上人から悪意のような負の感情は少しも感じないけれど、みんながみんな、どこか慎重にした気配が窺える。
「じゃあ行こ!」
「スター、どこに?」
 急にスターから手をつかまれて引っ張られ、凪乃羽はつまずきそうになりながら慌てて訊ねた。
「凪乃羽は忘れっぽい! アルカヌム城を見たいんでしょ」
 スターに云われて凪乃羽は自分が云ったことを思いだした。
「ほんと、忘れっぽい。じゃあ、連れていって」
「大丈夫ですか」
「皇子には内緒よ」
 凪乃羽がさっき云った言葉を持ちだして、スターは茶目っ気たっぷりで顎をつんと上げた。一方で慮(おもんぱか)った面持ちのランスもタワーもどうやら心配性のようだ。禍を引き起こすタワーが心配性というのも、ちぐはぐに感じて凪乃羽は笑うと、それを見て安心したのか、では行きましょう、とランスが率先した。
 森のなかを進んでいくうちに、飛沫(しぶき)の音が大きくなっていく。スターたちが云っていた大きな滝は、凪乃羽が想像していたものとは異なっていた。木々のなかから抜けだすと凪乃羽は目を丸くする。
 飛沫の音に掻き消されていたのだろう、湖かと見まがうほど広大な幅の川が横たわっていた。その流れに沿って歩きながら、前方に広がる下界を眺めた。この川の延長だろうか、下界は大河によって二分(にぶん)されている。
 水源はどこだろうと凪乃羽は背後を振り向いてみた。すると、あまりの川の巨大さに気を取られて視界に入らなかったのか、そう遠くない場所はもう木々に覆われて上流は見えなくなっていた。否、むしろそこが川の源にしか見えない。なぜなら、木々の向こうは岩の壁が遥か高くそびえていた。
「川の水はどこから来てるの?」
「この森に上人が住むのはなんのためでしょう」
 びっくり眼の凪乃羽にランスがからかうように訊ね、続けた。「珈琲の豆を育てるのと同じです。この国は我々によって水の恵みを受けている。ワールがいなくなったいま、多少の混乱はしますが」
 混乱というのが水量のことで、大げさにいえば氾濫だったり枯渇しそうになったりするのだろうか。凪乃羽はそんなことを考えながら、時折きらきらと光が降るなか歩いていると――
「ほら!」
 と、スターが水音に負けないよう声を張りあげて宙を指差した。
 これよりさきに進めば落下の危険があるという目印に、太く背の高い木が一本あり、それがちょうど死角になっていたようで、凪乃羽の概念とはかけ離れた景色が見えた。
「あれがアルカヌム城なの?」
 きらきらと降ってくるような光の源がわかった。アルカヌム城はクリスタルの城で、陽の光を受けて、方々に光を放っていた。

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