NEXTBACKDOOR|皇子は愛を秘匿できない〜抱き溺れる愚者〜

第3章 恋に秘された輪奈

3.上人の子〜欲しいもの〜  act. 2

 子供たちは無言で――それは目で会話をしているように見えた。ヴァンフリーが消えてしまうという現象をたったいまこの目で実体験したばかりであり、子供たちは“見える”のではなく実際に超能力――まさに神通力をもってして、無言で会話をしているとしても不思議ではない。
 見守っていると、子供たちはまもなく息ぴったりで凪乃羽に目を向けた。
「善良な人は、神から力を授かってる。それが開花するときがきっと来るってことだよ」
 ムーンは仕切り屋らしく、何事もなかったように、もしくは何事もなかったことにしたのか、もっともらしく云った。
「善良な人って曖昧な気がするけど、『神』ってタロ……様のこと?」
 凪乃羽は呼び捨てにしようとして敬意のなさに気づき、敬称をつけた。
「そうだよ」
「でも、いまはいらっしゃらないんでしょう?」
「いるよ」
「……え? ……あ、ヴァンは消えたって云ってた。アルカナ・ワールのことは抹殺されたって云ってたけど。だから、ロード・タロはどこかにいるってこと? もしかして居場所を知ってるの?」
 ヴァンフリーがまえに教えてくれたことを思いだしつつ、湧いてきた疑問を続けて投げかけると、子供たちは困ったふうでもなく、返事よりもさきに首を横に振った。
「ロード・タロがどこかにいるのは確かだけど、居場所は知らないよ」
「じゃあ、ロード・タロが出ていらっしゃるまで、わたしは善良な人間であっても目覚めないってこと?」
 真剣に訊ねたわけではなかったけれど、子供たちはそう受けとったようで、困ったように首をかしげた。
「僕たちに云えるのは、ロード・タロが呪いを残して消えたってことだ」
「呪い?」
「そう! ハーミットが云ってたの」
「ハーミット? アルカナ・ハーミット? 何番の人?」
「九番だよ。ハーミットは預言者なんだ。いつもどこかに隠れてて、探しても見つからないけど、森のなかでばったり会うってこともあるかもしれない」
 九番は確か隠者だと記憶している。そのとおり、人を避けて暮らしているのだろう。
「ねぇ……」
「凪乃羽、お話は飽きちゃったわ。早くタワーのところに行かなくっちゃ! 皇子には内緒にしたいんでしょ?」
 呪いとは何か、教えてもらおうと思ったのに、スターははぐらかしたのか、本当に無邪気に云ったのか、凪乃羽はさえぎられた。ただし、スターの云うことももっともで、あとで聞きだせばいい。
「そうね。連れていって」
 行こう、と口々に云い、子供たちは先立って歩きだした。
「凪乃羽、病気してたって本当か?」
 サンは疑ってでもいるのか、後ろ向きに歩きながら凪乃羽に問いかけた。
「本当。でも、正確にいえば、ヴァンに病気にされてただけ。あ、誤解しないで。ヴァンはサンたちにわたしを会わせないようにしたわけじゃないから。滝つぼに落ちて風邪を引きかけたの。それを大げさに心配してた」
 三人はそろって顔をしかめた。
「風邪なんて、泥を食べておなかを壊すよりずっとマシな病気だ」
「鞭で打たれるよりずっとマシだ」
「売られるってわかってて、ロープで繋がれてるよりずっとマシ」
 サン、ムーン、スターと順にその口から出てきたことは、どれも凪乃羽が経験したことのない悲惨さだ。
「もしかして、そういうときがあったの?」
 例えがあまりに具体的で、凪乃羽が確かめてみると子供たちは一様にうなずいた。
「上人なのに苛められたの?」
「違う。僕たちが上人じゃなかった頃の話だよ」
 それは意外な言葉だった。凪乃羽は目を丸くして口を開く。
「上人は上人として生まれたんじゃないの?」
「ううん。はじめは僕たちも普通に下界に住む人間だった。ロー……皇帝が僕たちを上人にしてくれたんだ」
「皇帝は、昔はやさしかった。だから、ロード・タロは自分の力を皇帝に分け与えたんだ。きっと」
「力って、どんな力?」
「永遠の命と、それを人に授ける力だ。反対に奪うこともできるって聞いてるけど」
「実際に奪われた上人はいないの。だから、本当かどうかはわからないわ」
 サンのあとを継いだスターは肩をすくめた。
 最初に子供たちに会った日、サンは皇帝から永遠の命をもらったと云っていけれど、それは比喩でもなんでもなく、そのままのことだったのだ。皇帝は子供たちの遊び相手にもなっていた。凪乃羽は夢の中のローエン皇帝を思い起こしたけれど、あの仕打ちと子供たちの話は同じ人の話とはどうにも思えない。
「フィリルはどこに住んでいたの?」
 凪乃羽としては充分に繋がりはあったのだけれど、子供たちにとっては、質問は唐突に聞こえたのかもしれない。三人はぴたりと足を止めた。
 子供たちは不思議そうにも驚いているようにも見える面持ちで、凪乃羽を見上げた。
「フィリルを知ってるの?」
 サンの質問は用心深くも聞こえた。凪乃羽の答えによって何かが変わってくるのかもしれない。
「ううん。会ったことはなくて、ただ、このまえアルカナ・フィリルがいなくなったってヴァンに云ってたでしょ。だから訊いてみただけ」
 夢で見たと云ってもいいのかもしれないけれど、どんな夢かと訊ねられれば答えにくい。
「フィリルの心が消えたのはずいぶんまえ。でも、躰もいつの間にかなくなってたの!」
「……躰?」
「そう。フィリルはこの森の奥に住んでいたんだ。ずっとまえに泉の底で眠りについた。ロー……」
「サン、だめだ!」
 ムーンに素早くさえぎられたサンは子供らしくなく、ひどいしかめ面を見せた。それもつかの間、時間を置かずにサンはぴんと来た様子で、うっかりしただけさ、と惚けた素振りで肩をすくめた。
「うっかりじゃすまない。あの日、僕たちは皇帝に追い払われて、その結果、フィリルは空っぽになった。凪乃羽までそうするわけにはいかない」
 ムーンがサンを咎めるのを聞きながら、凪乃羽は『あの日』という言葉に気を取られた。それに続く『皇帝』と『フィリル』という鍵は、あの夢を思い起こさせる。
 ひょっとしたら、永遠の子供たちは、夢の場面を見ていなくても夢の続きを実際のこととして知っているのかもしれない。なぜそれを凪乃羽が夢見るのだろう。
「ねぇ、皇帝は親切でやさしかったって云ってたけど……いまはどんな人? どうして変わったの?」
 厳ついイメージとやさしいという言葉が噛み合わず、凪乃羽はローエンのことを訊ねてみた。ヴァンフリーに関係してくるのだから、なおさら確かめたい。
「いまはわからない。皇帝は心を見せようとはしないから」
「皇帝は怖れているんだ。だから自分の力を見せつけようとする」
「ヴァンフリーのせいだ、皇帝が変わったのは」
 三人はそれぞれに云い、最後のサンの言葉は凪乃羽を驚かせる。わずかに目を見開いて首をかしげた。
「ヴァンのせいって?」
「ヴァンフリーが生まれたから」
 ムーンは凪乃羽の思考力を試しているのか、そこで言葉を切ってただ見上げてくる。
 その名を呼ぶことさえ気をつけなければならない。そんなふうに、いまのローエン皇帝が横暴だというのは察している。夢のとおりであれば、ロード・タロを疎(うと)ましくも思っていた。簡単に答えを出すなら、権力に執着しているという理由が成り立つ。
「ヴァンに皇帝の座を奪われるのを怖れているということ? でも、永遠に生きられるのに世代交代をするの? それとも、ヴァンが皇帝になりたがっているということ?」
 凪乃羽の質問は期待に応えられたのか、ムーンは肩をそびやかした。さきに口を開いたのはスターだ。
「皇子は皇帝になるつもりはないと思うわ」
「皇帝が勝手に怖れている。ヴァンフリーは違うから」
「違う? 何が?」
「ヴァンフリーだけなんだよ、上人と上人の間で生まれた子供は。もともと上人も、普通に下層に住む人々だったから」
「皇帝が永遠の命を奪う力が使えるとしても、皇子をそうできるかはわからないのよ、きっと」
「皇帝がそう思うようになったのは、ヴァンフリーの力を知ったからだ。ヴァンフリーは躰ごと移動できるから、ハングのように閉じこめておくことができない」
 子供たちとの会話が進んでいくうちに、漠然とではあるけれど、おおよその関係が具体的に見えてきた。疑問はまだ尽きないし、会ったことのないアルカナたちのことは想像もつかないけれど。
「アルカナ・ハングはどうして閉じこめられたの?」
「皇帝を殺そうとしたから」
「え……でも、死なないんでしょう?」
「怪我はするよ。倒れて動けないうちに、ハングのように閉じこめられたら永遠に塀のなかだ」
「あんまり横暴すぎたら、アルカナ・ハングのほかにも皇帝を倒そうとする人がいそうだけど」
 凪乃羽の言葉に、ムーンは異を唱えるような様で首を横に振った。
「そうして永遠の命を奪われたら意味がないよ。遠隔でも奪うことは可能なのかどうか、皇帝は明かしていないから。ハングは捨て身で向かったんだ」
「アルカナ・ハングはなぜ永遠を奪われなかったの?」
「ほかの上人への見せしめだよ。逆らったら永遠に拘束するっていう警告。ヴァンフリーには通じないけどね」
「結局は脱獄しちゃって皇帝はがっかりだろうな。凪乃羽は心配しないで。もし皇帝が現れたとしても、今度は追い払われたりしないから」
 子供たちは子供に見えて、果てしない時間をすごしてきたぶんだけ子供ではない。胸を張って宣言する頼もしさに、凪乃羽は笑いを誘われる。
「わたしは永遠じゃないから奪われる心配はしなくていいし、皇帝を殺すなんてこともないし、恨まれるようなこともないから危険なことはないと思うけど」
 凪乃羽が肩をすくめると、同調してくるかと思ったのに子供たちはそうはせず、凪乃羽を注意深く見つめる。
「それでも凪乃羽は気をつけるべきだ。ヴァンフリーを苦しめたくないよね?」
「苦しめる?」
「そう。永遠を知っていると、フィリルみたいにいなくなったら、どうしていいかわからなくなる」
 確かに、永遠に続くものに喪失はなく、だからこそ別れを認めるのは難しいことなのかもしれない。
「わかった、気をつける」
 凪乃羽の言葉に子供たちは一様にこっくりとうなずいた。
「ね、アルカヌム城はどこにあるの?」
 再び、森の奥へと歩き始めると凪乃羽は訊ねてみた。
「この森を通り抜けて、ずっとさきだよ」
「見られる?」
「森を抜けるのは感心しないけど――」
「皇子に怒られるしね」
「あ、あそこ――おっきい滝のところから見るんだったらいいかもしれない。森を出る必要ないから」
 どう? と子供たちは顔を見合わせると互いにうなずき合った。
「じゃあ……それ……そこに入ってるの、なんだっけ」
 ムーンは凪乃羽の肩にかけたバッグを指差した。
「珈琲(コーヒー)豆」
「そうそれ! それを植えたら行こう」

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