NEXTBACKDOOR|皇子は愛を秘匿できない〜抱き溺れる愚者〜

第3章 恋に秘された輪奈

3.上人の子〜欲しいもの〜  act. 1

 ヴァンフリーは毎日といっていいくらい、日中は出かけている。
 何をしているのか聞いたところで、凪乃羽には無関係なことだろうからよけいな口出しにしかならない。説明するのは面倒だと思われるかもしれず、訊ねていいものかどうか迷っていたけれど、今日、ヴァンフリーが出かける直前になって凪乃羽は思いきって訊ねてみた。
「ヴァン、毎日、何してるの?」
 裸で寝台をおりたヴァンフリーは、腰に布を巻きつけたあと、白い布を頭から被っている。肩でボタン一つ留めるだけの白いチュニックは、脹ら脛(はぎ)が隠れるくらい長い。その上から銀の糸で編んだ帯を腰もとで締めていたさなか、ヴァンフリーはその手を止め、寝台に腰かけた凪乃羽を見下ろした。
「人探しだ。正確に云えば“上人”探しだな」
 ためらっていたのがばかばかしいほど、ヴァンフリーはあっさりと答えをくれた。
「上人ってどの人?」
「ハングだ。カードでいえば、十二番の吊された男だ」
 ヴァンフリーは凪乃羽が問うだろうことを察し、先回りして教えた。そうしながら帯を締めた次には、剣のおさまった鞘付きのベルトを身に着けている。
 凪乃羽はその間に、寝台に無造作に放ってあった袖なしのコートを手に取った。コートはあずき色で、金と銀の糸が綯い交ぜにになった刺繍で縁取られている。手触りもいい。
 鞘がちょうどよく腰におさまった頃合いを見計らって、凪乃羽はヴァンフリーにコートを差しだした。
「アルカナ・ラヴィが云ってた永遠の囚人のこと?」
 シュプリムグッドに来た日に、ラヴィは“永遠の囚人”が脱獄したと云っていた。永遠というからには、脱獄も前代未聞のはずだ。これも秩序の精霊ワールがいなくなったせいだろうか。
「そうだ」
 ヴァンフリーはうなずいて、受けとったコートを羽織ると凪乃羽の隣に腰を下ろした。前のめりになって、足もとに置いた革のブーツを取りあげる。伸ばしたまま履けば膝の下くらいまであるブーツは、チュニックに隠れるか否かの高さに折り曲げられる。
 その様子を見ながら、はじめて抱かれた日に服を脱ぐのが面倒だとヴァンフリーが云っていたことを思いだした。
 スーツシャツに比べれば、いまの服装はボタンひとつですむし、気温が万年安定しているせいか、下着は最低限のものだけで、足を上げて穿かなくても腰に巻けばすむ。裸族やそれに近い部族を除けば、地球の服装よりも簡単だ。
 凪乃羽にしろ、男物よりも丈の長い布を腰に巻いて、あとはくるぶしまであるシュミーズドレスを被るだけという手軽さだ。ブラジャーなどというものはない。ドレスの袖は肘上まであり、裾が絞られてふわりとしている。いま着ているのは胸もとがスクエア型で広く開き、華奢に見えつつもすっと背が高くなったような効果があるから特に気に入っている。生地のやわらかさと身に纏う心地のよさは文句のつけようがない。
 ヴァンフリーはもう一方の靴を履いていて、それを見ているうちに凪乃羽はつい手を出した。艶々の髪は銀色だからという見かけ以上に、するすると指どおりがよくて、そして体温が感じられて温かい。
 躰を起こしながらヴァンフリーは凪乃羽のほうを見やり、髪に触れる手をつかんだ。
「おまえはよくこうするが……この髪が気に入ったと見ていいんだな?」
 問う様子は、何かを気にしていて、それがようやく解決したといわんばかりだ。
「気に入っちゃだめ?」
 わざと逆の意で問い返してみると、ヴァンフリーはふっと笑みを漏らす。
「そんなはずないだろう。シュプリムグッドに、そして本来のおれに馴染んだという証しだ」
 同意を求めるように太い首がかしいだ。そのしぐさを見れば、凪乃羽の気持ちをずっと気にして、あるいは不安にしていたとも解釈できる。何がやってこようと自信満々で解決しそうに見えるのに、意外であり、凪乃羽の解釈が正しければ、不安になるくらい気にしてくれているのはうれしい。
「いまのヴァンが本物?」
「地球にいたおれも本物だ。習慣と見せかけが違っていただけで変わりない。もちろん、気持ちの変化はあったが」
「気持ちの変化?」
 ヴァンフリーはすぐには答えず、そうして凪乃羽はじっと見つめてくる双眸に焦点を合わせたまま首をかしげた。
「欲しいものができた」
「欲しいもの?」
「おれとおまえの、愛の証しだ。といっても、ずっとさきでいいことだが」
 凪乃羽は目を丸くした。凪乃羽のほうからヴァンフリーを好きだと口にすることはあっても、ヴァンフリーから愛の言葉を囁かれたことはない。言葉にしないのはそれがヴァンフリーだと思っていたし、言葉にならなくてもヴァンフリーのしぐさから感じられた。
「愛の証しって……?」
「人間じみているが、守るものが増えてもいいだろう?」
 凪乃羽はヴァンフリーから守られている。ふたりの間で『増えてもいい』という愛の証しはひとつしか思い浮かばない。
「……子供、ってこと?」
「どうだ?」
 即座に同意ができなかったのは驚いたせいで、それでいながらしっかり考える間もないうちに凪乃羽はうなずいていた。
 ヴァンフリーは可笑しそうに――この場合、“うれしそうに”かもしれないがくちびるを歪めると、わずかに身をかがめて凪乃羽に顔を近づける。くちびるの端に口づけ、吸いつくようにしながら、それに逆行して離れた。
「楽しみだ」
 離れてもほんの傍にとどまったくちびるがひと言囁いて、それからヴァンフリーは立ち上がった。
「森の入り口まで送る。永遠の子供たちが迎えにきているはずだ」
「ほんと? 伝えてくれたの?」
「おれが凪乃羽を独りで森に行かせると思うか?」
 ヴァンフリーは呆れたように首を横に振った。

 森の入り口には門を構えるように、ひと際、幹の太い二本の木がそびえ立つ。そこを目指しながら、凪乃羽は隣を歩くヴァンフリーを見上げた。
「付き添いなしで森に行かせてくれるって思わなかった」
「おれも思っていなかった」
 という応えが返ってくるとは思わず、凪乃羽は目を丸くして、一瞬後には吹きだした。
「それなのにどうして?」
「遊びにいく約束を果たせなかっただろう。しばらく凪乃羽を森に連れていけないと云ったら、子供たちからいつ会えるのかとしつこく付き纏われた。おまえが滝つぼに落ちて病気になったと云ったら、よけいにうるさくなったが」
「病気って、あれはくしゃみしてただけで風邪にもならなかった。ヴァンが病気にしただけ」
「上人は病気にならない」
 つまり、病人慣れをしていないゆえの軟禁だったと云いたいのだろう。
 滝つぼに落ちたあと、すぐウラヌス邸に帰ったのだが、せっかくの外出を途中で終わらせた結果、ヴァンフリーは翌日も凪乃羽を森に連れだした。そのときに、ぽつぽつとくしゃみをしていたら、ヴァンフリーが大事(おおごと)にしたのだ。
 熱が出るわけでもなく次の日のうちにおさまっていたのだけれど、寝台の上ですごしたことを必要なかったと凪乃羽が云えば、ヴァンフリーは寝台で休んでいたからこそひどくならなかったと云う始末だ。
 凪乃羽は結局、三日間はほぼ寝室に軟禁という状況だった。さらに次の三日間はせいぜい邸宅の周囲をうろつくくらいだった。
 ヴァンフリーが、薬の調達だといって出かけたとき以外、一緒にいてくれたから退屈と感じることはなかったけれど、凪乃羽は、病気にならないようにしないと、と肝に銘じた。不必要に心配させたくないし、軟禁はヴァンフリーがいれば退屈はしなくても窮屈ではある。
「でも、上人もケガはする」
「損傷を受けようが完全に治癒する」
 ヴァンフリーはよほど病気を神経質に捉えているらしく、凪乃羽が云ったとたんに畳みかけた。そこまで心配されるのは幸せなことだけれど、やはり過保護すぎる。
 聞こえない程度についたため息は、べつのため息に掻き消された。凪乃羽を除けば、ため息をつくのはヴァンフリーしかいない、上人が影として現れないかぎり。隣を振り仰ぐと、ちょうど見下ろしてきた目と合って、ヴァンフリーは肩をすくめた。
「とにかく、おまえが永遠の子供たちに気に入られたのは確かだ。森のなかにいるかぎり、子供たちが凪乃羽を守ってくれる」
 ヴァンフリーがそう云うくらいだ、永遠の子供たちは悪戯のための力を有効に使うこともできるのだ。
 まもなく二本の大木のもとまで来たとたん――
「凪乃羽!」
 と、それを察知したかのように子供たちが木陰から姿を現して駆けてきた。
「こんにちは……」
「わたしたちを憶えてる!?」
 凪乃羽の挨拶言葉をさえぎるようにスターが訴える。凪乃羽はくすっと笑った。
「憶えてる。スターに、サンにムーン。合ってる?」
 ひとりひとり目を合わせて名を呼ぶと、それぞれが満足げに、そうして尊大な様でうなずいた。
「凪乃羽を頼んだぞ」
「心配いらない」
 ヴァンフリーはサンとの端的なやりとりのあと、凪乃羽に向かった。
「わかってる。自分のことをいちばんに考えるから」
 凪乃羽が先回りをすると、ヴァンフリーはにやりとした笑みを浮かべる。
「そうだ。子供たちは子供に見えて子供ではない。助けられることはあっても助ける必要はない。それに、病みあがりだ。気をつけろ」
 ヴァンフリーは再び大げさに云い、行ってくる、と素早く身をかがめて凪乃羽のくちびるの端に口づけた。
「いってらっしゃい」
 ヴァンフリーは片方の大木に近づいて、幹の影に隠れるようにまわりこんだ。しばらくしても反対側から現れる様子もない。
「ヴァン」
 呼びかけても返事はなく、凪乃羽はその大木に近づいた。裏側にいるはずのヴァンフリーの姿はない。凪乃羽がいた場所から大木の影になる――死角となる方向を見やっても存在は感じられず、大木をぐるりとまわってみてもヴァンフリーを捉えることはできず、その間に、子供たちのくすくす笑いがだんだんと派手になっていった。
「凪乃羽、ヴァンフリーはもういないよ」
「凪乃羽ったら皇子の力を知らないの?」
 ムーンに続いてスターと、呆れた声が降りかかる。
「知ってるけど、消えるところを見たことないから」
「簡単だよ。行きたいところを思い描いて手をかざせば、その空間が開いて一歩進むだけさ」
「……簡単そうだけど、わたしにはできない」
「あたりまえじゃないか。僕たちにだってできないんだ、目覚めていない凪乃羽にできるわけがない」
 できないことを威張りくさって云いきったサンを可愛いと思ったのはつかの間、凪乃羽はその言葉に引っかかった。
「目覚めていない、って? どういうこと?」
 訊ねたとたん、そこは子供らしく三人は感情をあらわにした。しくじったとばかりで、びっくり眼を凪乃羽に向けたかと思うと三人は顔を見合わせた。

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