NEXTBACKDOOR|皇子は愛を秘匿できない〜抱き溺れる愚者〜

第3章 恋に秘された輪奈

2.永遠の子供たち  act. 1

 森に入ると木漏れ日のもと、ヴァンフリーはどんどん奥へと入っていく。
 日陰が多くなり、気温が下がるかと思いきや、どこまで進んでも安定して心地が良い。さわさわと風に葉が揺れる音は癒やしだ。おまけに木漏れ日が揺れて幻想的であり、神聖さを醸しだす。
「疲れていないか」
 ヴァンフリーは顔を傾けて凪乃羽を窺う。
「平気。はじめての場所だから、きついよりも楽しいほうが勝ってる。森のなかなんて、学校で行ったキャンプを除けば、めったに行くことなかったし……あの撮影の仕事で行った渓谷も久しぶりだった……」
 何気なく云っているうちに声は細く消え、散歩を楽しんでいた気持ちが急速にしぼんでいった。
 ヴァンフリーまでもが、凪乃羽の曇った顔を見てしかめ面になる。
「ここがおまえの住む世界だ。おまえたちの世界で云う、抗えない“運命”だろう」
「運命っていう言葉はあるけど、それを受け入れられるかどうかは別のことだから。ヴァン……ほんとに地球にはだれも生きてる人はいないの?」
「何度訊かれようが答えは同じだ」
 素っ気なくさえ聞こえるほどあっさりと肯定され、歩いていた足が止まりかける。そのとき。
「皇子!」
 と、幼い声が木々の間を縫って響いてきて、そして木や落ち葉を踏むような足音がいくつか混じって近づいてくる。
 こんなところに子供?
 そんな疑問が浮かんだ次には、森のなかにも住人がいるのかもしれないと思い至った。そうあっても少しもおかしくない。
 ヴァンフリーに倣って足を止めると、待つまでもなくその姿が現れた。
 男の子が二人と女の子が一人――と凪乃羽が判断したのは、緩い服にふくらはぎ丈のズボンを穿いた子が二人、膝丈のチュニックワンピースを着た子が一人という組み合わせだからだ。顔つきは子供にありがちで中性的であり、凪乃羽の感覚だと五歳前後だけれど、気配はもう少し大人びて見える。
「スター、ムーン、サン」
 まるで教師が出席を取るように、ヴァンフリーが呼びかける。そのたびに、最初は橙色の髪がくるくるした女の子、次に金髪のマッシュルーム頭の男の子、最後に赤くて短い髪をつんつんと立てた男の子が、ハイ! と手を上げる。
 そうして凪乃羽は気づいた。三人の子供たちがカードに存在する名前であること、つまり子供たちは上人だ。それだけではない。上人はそれぞれに髪の色を持っていて、もしかしたら下界に住むという人々はセギーと同じでみんな髪が黒く、識別のための色を持たないのだ。だから凪乃羽も、上人ではなくともこの世界の住人だと偽っても疑われなかった。
 一方で矛盾することにも気づいた。
「何か変わったことはないか」
「ないよ」
 ヴァンフリーの質問に、三人は声をそろえて答えた。首を振るしぐさも寸分の狂いもなく一致していて、思わず凪乃羽は笑った。顔は似ていないし、男の子同士も背丈も体格も違うし、三つ子というわけではないだろうに、気の遠くなるほど長く一緒にいると、自ずと阿吽の呼吸となるのか、可愛い、と飛びだしそうになった言葉は上人に対して失礼かもしれず、すんでのところで呑みこんだ。
「ヴァンフリー、この人だれ……」
 サンが質問をしかけて言葉を止め、すると、首が落ちそうなくらいサンは首をかしげた。やはり同じように首をかしげた女の子が何かに感づいた様子で目を丸くし、顔を起こすなり口を開いた。
「あ! この人、――」
「スター、皇帝が聞き耳を立てていたらどうする?」
 ヴァンフリーは、叫ぶように云いかけていたスターをさえぎり、諭すように問うた。
 スターは両手を重ねて口をふさぎ、その上から、ムーンとサンの手も重ねられる。すると、スターは不機嫌そうに、逆に自分の手を口から放ち、伴ってふたりの手を振り払った。
「苦しいじゃない!? わたしを窒息させる気?」
「死ぬわけじゃないだろ」
「サン、ひどい! 闇に連れていかれちゃえばいいのにっ」
「おれは光だ。おれがいなくなれば闇もなくなるけどな」
「サン、死ななくても苦しいんだってことはわかってるだろ」
「うるさい。闇がなくなったら、ムーン、おまえもスターも輝けなくなるんだ。わかってるだろ」
「そうなったら、サン、おまえは独りぼっちだな」
 それでいいのか? 子供たちの間に割って入ったヴァンフリーは声には出さなかったが、そう云いたそうに太い首がかしいだ。
「そうなればいいってスターが云ったんだろ。おれは独りぼっちになりたいわけじゃない!」
「だそうだ、スター、ムーン。サンも仲直りできるだろう?」
 ヴァンフリーの言葉を受けて三人は顔を見合わせる。
 先刻の口をふさぐしぐさは凪乃羽からすれば滑稽で笑えたのに、それがけんかに発展するとは思わず、大丈夫だろうかと案じていると、子供たちは意外にもあっさりと笑い合った。
「わかった」
 三人は同時に応じて、この人の名前は? と凪乃羽を見てあらためてヴァンフリーに問いかけた。
「凪乃羽だ。森のなかに来たときは歓迎してくれるだろう?」
「もちろん!」
 その答えを聞いてヴァンフリーは凪乃羽を見やった。
「だれがだれだか、わかるな?」
「うん。アルカナ・スター、アルカナ……」
「凪乃羽、アルカナは面倒くさいよ!」
 ムーンは三人を代表して云ったのだろう、首を横に振るのは三人ともがそうしている。
「はい。スター、ムーン、サン、よろしくね」
「もちろん!」
 ヴァンフリーに応えたときと同じように子供たちは受け合った。
「ありがとう」
 凪乃羽はヴァンフリーを見上げて首をかしげた。
「なんだ?」
「ヴァンはさっき上人のなかでは自分がいちばん若いって云わなかった? この子たちのほうがずっと幼いのに」
「生まれた順番は皇子のほうが遅いけど、僕たちは“永遠の子供”なんだ」
 ヴァンフリーが凪乃羽の疑問をおもしろがっているうちに、サンが答えた。
「永遠の子供?」
「うん。ずっとずっと昔は、皇帝も親切でやさしかったんだ」
 果たして永遠の子供を説く過程で皇帝の話が必要になるのか、サンが放った言葉を穿てば、いまの皇帝は親切でもないし、やさしくもないということになる。
「いまは違うの?」
 念のために凪乃羽が訊ねてみると、三人はしゅんと表情を陰らせて一様に首を横に振った。
「皇帝はもうずっと森に来てないんだ」
「ずっとまえはよく来てくれたの。ちっちゃな水晶の玉をくれたり」
「滝の綱渡りができるようにしてくれたり……でも、もう皇帝の顔を忘れちゃいそうだ」
「違う。僕たちが忘れられたんだ。飢え死にしなくてもいいようになるって、皇帝は永遠の命をくれた。それだけじゃない。僕たちを蔑む者も罵る者も、見て見ぬふりをする者もいなくなった。反対に、子供の僕たちを見たらかしずいて、ご機嫌取りばかりだ。なんの不安もなくなった。だから皇帝に不満は云えない。でも……」
「フィリルがいなくなったの!」
 締め括るようなスターの訴えに、ヴァンフリーは手を軽く上げたかと思うと小さく払うようなしぐさをして、シッと声にならない声で制した。
「ヴァンフリーはさみしくないのか? ずっとフィリルに――」
「サン、黙れ」
 横柄に云いかけたサンをヴァンフリーが鋭くさえぎった。
 サンは、だから大人は嫌いなんだ、と不満そうにしながら凪乃羽を見上げた。すると、何やら思い立った様子で、それからおもむろにヴァンフリーに目を戻すしぐさはもったいぶって見えた。
「ヴァンフリー、危ない橋を渡ってるんじゃないのか。だれのためだ?」
 子供らしからぬ挑発ぶりだ。ヴァンフリーはそれを生意気と受けとめているのか、ゆったりと笑う。
「だれのためか。それはそのときのそれぞれの主観による」
 サンは顔をしかめて、だから大人は嫌いだ、と先刻と同じことを云い――
「それがヴァンフリーの思うとおりに伝わればいいけどな」
 できるのか、といわんばかりにサンはやはり挑戦的に顎をつんと上げた。
「何があるんだ?」
「べつに。面倒に巻きこまれるのは御免だ。だから永遠に子供でいることを選んだんだからな」
「僕たちは見守るだけだ」
「違うわ。楽しむのよ」
 先刻のけんかは戯れにすぎなかったのだろう、ムーンに続いてスターが、サンに同調して結託している。これが大人の発言なら無責任だけれど、子供だけに無邪気に映る。その実、邪気がないとはいえない。子供の無邪気さと残酷さは相対している。
「一つ警告しておく。巻きこまれたくなければ、見守って楽しめばいい。それ以上によけいなことはするな」
「わあ、皇子ってば皇帝にそっくりで怖ぁぁい」
 スターが手を頬に当てて怯えたふりをすると、サンとムーンが凪乃羽の両脇に来て、それぞれに手を取った。
「凪乃羽、逃げよう!」
 と、いきなり手を引っ張られ、それは思いのほか力強くて凪乃羽は足を踏みだしたものの、もつれそうになった。
 小走りになりながら体勢を立て直してどうにか余裕ができると、凪乃羽は後ろを振り向いた。ヴァンフリーこそが余裕を持ち、距離が開こうが悠然と歩いてくる。どこにいても、思う場所に移動ができるせいだろうか。
 そんなヴァンフリーを置きざりにして、スターが凪乃羽たちに追いついた。
「わたしね、滝の橋渡りができるようになったの! 凪乃羽に見せてあげる!」
 凪乃羽ははしゃいだ声に追い立てられる。久しく走っていないせいで――それどころかシュプリムグッドですごすようになって躰を動かすことがあまりなく、必死に駆けているわけでもないのに子供たちが立ち止まったときは、景色が目に留まらないほど喘いでいた。
 案の定、ヴァンフリーは凪乃羽の息が整わないうちに現れた。
「体力不足だな。凪乃羽を閉じこめたおれが反省するべきところか」
 からかうのでもなく、凪乃羽のせいにもせず、ヴァンフリーは至って反省している様子だ。――と見直したのはつかの間。
「それとも、閨事(ねやごと)をもっと激しく――というのも一手だ」
「ヴァン! 子供の前で云うなんて……!」
 抗議しかけた凪乃羽の言葉はその子供たちの悲鳴によってさえぎられた。
「ふざけるのはいまはやめて、サン! 凪乃羽に見てもらうんだから」
 何事かと慌てて声のしたほうを見れば、そこには半円の滝があった。その端と端を一本の木で架け渡していて、スターがその上でバランスを取っていた。スターの前を行くサンが邪魔をしたらしく、その躰はゆらゆらとして危なっかしい。
「スター、気をつけて!」
「大丈夫だよ、高い滝じゃないし、僕たちは不死身だから! スターは怖がってない」
 滝の淵に立ったムーンが振り返って叫んだ。そのとおり、スターは文句を云っているだけで、怖がっている様子ではない。
 よかった、とひとまず安心すると、凪乃羽はあらためて周囲を見まわした。

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