NEXTBACKDOOR|皇子は愛を秘匿できない〜抱き溺れる愚者〜

第1章 恋は悪夢の始まり

4.融合する熱  act. 3

「あ、くぅ――っ」
 上げかけた悲鳴は痛みのあまり詰まってしまう。それが最奥に達したとき、凪乃羽は痛みを紛らすように古尾にしがみついた。
 快楽のもと発生していた収縮の繰り返しは続いていて、痛みがあるにもかかわらず、凪乃羽の体内は古尾を絡めとるようにうごめいている。
 くっ……。
 呻き声と同時に、くちびるの間際で凪乃羽と古尾の吐息が混じり合い、湿り気を帯びた熱がこもる。呻いたのは、息を詰めていることに耐えられず喘ぐように呼吸を再開した凪乃羽ではなく、古尾のほうだ。
 凪乃羽は、顔をしかめるほど強くつむっていた目をそっと開けた。すると、同じようにわずかに顔をしかめた古尾の顔が見えた。
「痛むか」
「最高点は、すぎた感じ。動くのは怖いかも……。これで全部?」
 ためらいがちに訊ねると、古尾はふっと力尽きたような笑みをこぼす。
「物足りないのか」
「そうじゃ、なくて! もうこれ以上、痛くなることはないのか、って訊きたかっただけ」
「そう思うが……」
 云いながら、古尾がわずかに躰を引いた。
 ん、くっ。
 凪乃羽は躰をこわばらせながら呻いた。鈍痛と違和感ときつさがありながらも、ちょっとした刺激でさっきの快楽の余韻が甦って、どくんと脈打つような収縮が起きてしまう。
 く……。
 凪乃羽のあとを追うように古尾が呻いた。
「せんせ……も……つらい?」
「共有している。さすがにきついが、おまえと比べれば微々たるものだ。おまえの中には蜜が溢れている。おれがなじめばすぐによくなる。お互いに、だ」
 古尾はくちびるに笑みを浮かべると、わずかに顔を傾けた。そのしぐさが何を意味しているのか。
 凪乃羽が閉じていたくちびるをかすかに開くと――
「いい子だ」
 と、古尾は子供をなだめるように云い、それから凪乃羽のくちびるにくちびるを重ねた。同時に、引いていた腰を押しつけた。
 呻いた声は古尾が呑みこみ、そして少しだけ顔を上げた。
「痛むか」
 囁く声はまた同じことを問う。
「ううん。ちょっとかまえてしまうだけ。痛いってことはない。なんともないってこともないけど……」
「その“なんともないってこともない”ことを別のものに変えられる可能性はある」
 自信たっぷりな様子で、なお且つ魅惑する声で囁かれた。
 力を抜いてろ、と云って、古尾はまた口づける。そうしながら、二度めに凪乃羽を快楽の最高地点まで運んだときのように、今度は最奥で小さな律動を始めた。
 キスは激しくもなく、やさしすぎることもなく、口の中をまさぐっては離れるぎりぎりのところまでくちびるを浮かし、また舌を潜らせてくるという繰り返しだった。それがあまりにも気持ちよくて、体内の違和感は忘れ去られていた。そこに意識が行ったときは――
 んふっ。
 体内の密着点を中心にして、いきなりぶるぶるとふるえが走るような陶酔感に侵された。いや、その感覚があまりに強烈だから、意識がそこに引き戻されたのだ。
 経験したことのない――それはあたりまえだけれど、躰から力が奪われ、ただ地の奥底に吸いこまれていくような快感に襲われた。凪乃羽は口をふさがれたまま、激しく喘ぐ。
 快楽に翻弄されているのは凪乃羽だけではない。凪乃羽の最奥は古尾の形を鮮明に感じて、ともすれば纏わりついているのかもしれない。その証拠に、凪乃羽の口内に呻き声が放たれた。
「こうも具合がいいのはおまえだからか」
 自分が主導権を握っているくせに、キスから逃れるようにしながら顔を上げた古尾はそんなことをつぶやく。
 どんなふうに解釈していいのだろう。そんな漠然とした疑問は、古尾がこれまでになく腰を引いたことによってどこかに飛んでいった。
 ああっ。
 抜けだす寸前まで引いて、そして古尾はゆっくり前後に腰を揺らしながら、じわじわと凪乃羽の奥に戻ってくる。律動のたびに、ぬちゃ、ぬちゃ、と粘着音がして陶酔感が強くなっていく。
 古尾に縋っていた手が滑り落ちる。その手に古尾の手が重なって指を絡めながら握りしめられた。
 力が奪われたぶんだけ感度は増して、凪乃羽の感覚は快楽で埋め尽くされていく。躰の機能さえ麻痺しているようで、自分の嬌声が遠くぼやけて聞こえた。
 そして、やがて古尾のモノが最奥にキスをした。刹那、そこから痙攣が発生して、また漏らしてしまいそうな生理現象を覚えた。凪乃羽は無意識にそれを紛らそうと躰をよじった。古尾に組み敷かれてあまり身動きがとれないなか、そのちょっとした動きが新たに刺激を起こす。びくんとお尻が跳ねて、さらに奥がつつかれた。
「や、ああっ……先生っ」
 古尾は躰を密着させたままうねるような動きに変え、内部の痙攣も、ぷるぷるとしたお尻のふるえも止まらなくなった。
「嫌、じゃないだろう。おまえは、自分で快楽を貪ってる。タチが悪いことに、おれまで、巻きこむ」
 古尾はからかいながらも唸(うな)るように云うのは、なんらかを堪えているせいだ。たぶん、巻きこむというのは古尾も快楽を得ているからで、さっきキスの催促が読みとれたときのように――そして、痛みもそうだったけれど、凪乃羽は古尾と共有できていることにひどく満たされた。
「せんせ……、ヴァン……んあっ……好き……あ、ふっ……」
 無自覚にそんな言葉が口をついて出た。
 笑い声が低くこもってくちびるに触れる。
「おれを当てにして、その気持ちを守っていけ。おれのためだ。延いてはおまえのためにもなる。憶えておけ」
 意味を理解できないまま、言葉どおりに受けとって緩慢にうなずくのもほぼ無意識のうちだった。
 古尾は大きく腰を引き、抜けだしていく寸前で深く貫いた。ぐちゅっとキス音が立ち、それを凪乃羽の悲鳴が掻き消す。
「ヴァン……ああっ、もう……」
「わかっている。一緒に逝くぞ」
 そう云って、古尾はゆっくりとしながら深い律動を始めた。快楽の果てを知った凪乃羽の躰は、簡単にそこにたどり着けるようになったのかもしれない。逃そうとしても快感からは逃れられず、勝手に貪ってしまう。
「ふ、ぁっ……だめ――っ」
 自分の躰に発したつもりが、制御はまったくきかない。それどころか、一気に果てに向かっていって止められなかった。
 ん、ぁああああ――っ。
 たどり着いた瞬間にびくんと腰が跳ねあがり、それまで詰めていた息を吐きだせば、それは嬌声にしかならなかった。ひどい収縮が体内で起こり、古尾を絡めとる。古尾は唸り、直後、凪乃羽の中に熱が迸(ほとばし)って、くすぐられるような心地に息苦しくなるほど喘いだ。
 びくっびくっと快楽の名残(なごり)はおさまらず、古尾の躰が伸しかかる重みよりも、腰が重たくてたまらない。
「ヴァン……」
 ぐったりと力尽きて囁くように名を呼ぶと、痛いほど握りしめられた手が開放される。古尾は腕を背中にくぐらせて凪乃羽を抱きしめた。
「休め」
 それは呪文だったのか、回復するまで古尾の言葉に甘えていようと目を閉じただけなのに凪乃羽はいつの間にか眠っていた。

 おなかの奥に古尾が灯した熱は、一向に冷めることなく眠っている間も温かい。躰を覆う重たさも温度も心地よい。ただ、冷めるどころか、体内の熱の温度は高まり、そしてその場所から全身へと行き渡っている。
 んっ。
 かつてない異様な感覚に凪乃羽は喘ぎながら目覚めた。
 身じろぎをしたとたんに、躰の一部みたいになじんでいたものが凪乃羽から分離して存在を主張する。
 躰の下にあったものが引き抜かれ、躰の上からは重みがなくなって、凪乃羽は反射的に躰をよじった。痛みはなくても埋め尽くされているきつさを感じながら、くちゅっとした粘着音を聞きとった。
 ぅくっ。
「どうだ」
 呻いた声にかぶせるようにして古尾の声がする。
 二度、ゆっくりと瞬きをして目を開けると、すぐ真上に古尾の顔があった。
 ずっと――凪乃羽が眠ったのは一瞬なのか、それとももっと長い時間なのかはわからない。けれど、いまが物足りないくらいに、目覚めるまで重みは感じていたから、古尾はその間、凪乃羽を抱きしめていたのだろう。
「熱いの、躰中……」
 緩慢に吐いた凪乃羽の声にも熱がこもっている。
「どんな感じだ」
「血管の中を……熱湯が流れてる、みたい……融けちゃいそう……」
「それでいい。しばらくしたらなじむ」
「……なじむって……どうなるの? いつも……こう、なるの?」
「いつもじゃない。いまだけだ」
 本当に肉体が融けてしまうのではないかと怖れるほど、痛みすれすれの熱が指の先まで行き届く。それが脳内にも染み渡ってきた。
「頭が……」
「大丈夫だ。どうにもならない。おれが待ちわびていた“おまえ”なら。一体化しているいま、おまえが融けていくならおれもそうなる。だろう?」
 凪乃羽の見開いた目に怯(おび)えが走るのを見て、古尾の右手がかばうようにしながら凪乃羽のこめかみから頭を撫でていく。
 古尾の云うとおり、脳が融けだしてしまうくらいの熱なら、熱の発生源で繋がったままの古尾のモノはとっくに融けだしているはずだ。けれど、古尾の形は確かなものとして感じとれている。
 凪乃羽は脳にこれ以上の刺激を与えまいと用心深くうなずいた。
 それを見届けた古尾は顔を近づけ、わずかに斜めにした。凪乃羽に口づけたあと、くちびるを抉(こ)じ開けて舌を送りこむ。
 んっ。
 熱いのは舌の先までそうだ。じんじんと痺れた舌は神経が剥きだしになっていて、古尾の舌が絡みついてくると融合しているような錯覚に陥った。
 怖いというよりも、このまま融け合ってしまいたい、そんな恍惚(こうこつ)感に占められる。それは脳内が熱に侵され、思考力を失いつつあるせいかもしれない。自分の躰なのに躰という固体の感覚が失われた。あるのは、刺激から生まれる感覚だけだ。
 その刺激――キスから与えられる快味(かいみ)に酔い、凪乃羽はそれだけであっという間に昇りつめた。すべての感覚を快楽と混同しているのかもしれない。それほど不意打ちだった。同時に、脳内の隅々まで熱に融かされ、快楽と入り交じり、そして弾(はじ)けた。
 不安定な感覚を繋ぎとめているものは、くちびると体内のキスだ。短くくぐもった声を聴覚が拾い、直後、熱に塗れた体内にまた熱が合流する。
 すると、その古尾の放った熱が中和剤になったように、凪乃羽の躰から異様な熱が除去されていき、躰の感覚が戻ってきた。古尾の躰までが鮮明に感じとれ、快楽の余韻と熱が取れたことも相まってか、凪乃羽は腰もとを中心にしてぶるっと躰をふるわせた。
 古尾がゆっくりと顔を上げていく。
「どうだ?」
 また端的に同じ言葉で訊ねた。凪乃羽がそうであるように、古尾の呼吸も荒っぽい。
「大丈夫、になったみたい……」
 古尾は不自然なほど長く息をついた。
 安堵(あんど)のため息だとしたら、どんな心配が解決したのだろう。
「離れるぞ。おれのほうが融かされそうだ」
 揶揄することは忘れず、古尾は凪乃羽の頭をゆっくり撫でてなだめ、手を離して、それから中心を離していった。
 息をつめていた凪乃羽は、古尾が出ていった瞬間に腰をよじり、するととくんと体内から粘液がこぼれた。
 そうして凪乃羽ははたと気づいた。
「先生、避妊して……」
「心配することはない。結果がどう出ようと」
 凪乃羽が最後まで云いきるまえに古尾が答えた。
 どう受けとっていいのだろう。
「それは……妊娠してもかまわないってこと?」
「むしろ、そうあってほしいと云ったら?」
 勇気を掻き集めて訊ねたことにあっさりと返答が来て、その言葉に凪乃羽は目を見開いた。古尾が差しだしてきた手に無意識に自分の手をゆだねる。
 古尾は、喰い入るように自分を見上げてくる凪乃羽を見下ろして、可笑しそうに鼻先で笑いながら手を引っ張って起こした。
「からかわないでください」
「あいにくと、本心だ」
 素直に受けとっていいのなら、凪乃羽にとっては“あいにく”なんてことはない。
 古尾は本気か、それとも平気で甘い言葉を吐けるペテン師か、その二者択一だけで、凪乃羽はどちらか確信が持てずに曖昧に笑ってごまかした。信用していないわけではない、自分が不安なだけだ。
 古尾はそれを見越している。呆れたのか、それとも信用していないと腹を立てたのか、短く息をつく。そうして前にのめったかと思うと、素早く凪乃羽の口の端に口づけて離れた。
「迷うのはいいとしても、おれとおまえは、ただ未来に進むのみだ」

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