|
NEXT|
BACK|
DOOR|皇子は愛を秘匿できない〜抱き溺れる愚者〜
Intro 廻り廻る運命の輪
2.不死身
フィリルは慌てふためいて起ちあがる。
「ローエン皇帝陛下、失礼いたしました」
その姿をろくに確認することなく、声だけで確信してフィリルは深々と頭を下げた。
「フィリル、顔を上げよ。何を憂えていたのだ? いつも無邪気なおまえにしては気難しい顔をしておったが」
フィリルはゆっくり上体を起こしていった。
すると、露骨に驚くわけにもいかず、けれど完全に抑制するには間に合わず、フィリルはわずかに目を丸くした。
普段から仰々しいほどの宝石で装飾された金の鎧(よろい)と、金の刺繍(ししゅう)を施した足首までの白いチュニックに深紅のマントを纏って現れるのに、今日のローエンは青鈍(あおにび)色のチュニック姿で、袖口と足もと、そして腰帯に多少の金の刺繍があるくらいで、樹海に紛れるほど落ち着いた恰好をしていた。
「どうしたのだ」
その問いかけに、不自然に沈黙していたことを気づかされる。ハッとしてフィリルは首を横に振った。
「いいえ、ぼんやりしていて申し訳ありません。そちらにおかけになってください」
手で円卓の向かい側を指し示すも、ローエンは動く気配を見せずにフィリルをじっと見下ろして、かすかに首をひねった。
「私の質問に答えがないな」
なんのことかと考えめぐったのは一瞬、フィリルは口を開いた。
「タロ様がお選びになったカードが反応してしまって、びっくりしていました」
ローエンは眉をひそめる。円卓を見やり、フィリルが落としたカードを手に取った。カードを見、フィリルを見やったローエンはわずかに目を見開いた。
「おまえのカードだな。ロードとおまえに答えは出ないと聞いていたが」
「はい。逆さまでしたので、よけいに驚いているところでした」
「天啓か?」
「わかりません。何を占っていたというわけでもありませんし、お告げを授かるわけでもないんです」
フィリルからカードへと、そしてまたフィリルへと目を戻したローエンはくちびるを歪めた。
「なるほどな。無聊(ぶりょう)を託(かこ)つ私へのいざないかもしれぬ」
独り言のようにかすかにくちびるをうごめかせ、吐かれた言葉は、呪詛のように聞こえた。
「皇帝陛下? 書簡ではヴァンフリー皇子のことでお悩みとか……?」
じっとフィリルを見る目はこれまでにない眼光を放ち、それは不穏さを予感させ、そんな場の気配を紛らすように問うた。
「ああ、そのとおりだ」
「皇子はまた、陛下が“愚行”とおっしゃるようなことをなさったんですか。このまえは、下界におりて至らぬお遊びを繰り返されていたのでしたね。そのまえは、黙って出かけて何日も帰ってみえなかったり、皇帝陛下への反抗期もございました」
ローエンは、短くはあったが高らかに笑う。
「そう並べ立てられると、実にくだらない悩みに聞こえるな」
「滅相もございません。ご両親にとってお子さまの悩みはいくつになっても絶えないと伺います。わたしには子供がいないので実感はできませんが、そう学んできました。不躾(ぶしつけ)に打ち明ければ、ヴァンフリー皇子の“愚行”にはわくわくさせられます。まったく独りでは退屈ですもの。天啓をお伝えするかわりに、わたしは楽しみを授かっているんですね」
「退屈か」
「贅沢な悩みでしょうか?」
ローエンはくちびるを歪め、問うように器用にも片方の眉を跳ねあげる。だれをも従わせようとする横柄さが覗く。
「“死”を望むのか?」
まるで“死”を牛耳っているような云い様だ。もっとも当然で、ローエンは不死身の躰を与(あずか)り、そして不死身の躰を与えることのできる唯一の“人”だ。フィリルもローエンがそうしたうちの一人であり、タロはこの頃になって、そんな力をローエンに授けたことを嘆いている。
「いいえ。上人にそんなことを望む方がいるとしたら不敬すぎます」
うむ、とローエンは然るべき言葉を聞き遂げたようにうなずいた。
「楽しみを提供するばかりではなく、私もおまえに楽しませてもらおう」
「それでは悩みをお伺いしますね」
「実は息子のことではなく、エムのことだ」
「エム皇妃ですか?」
思いがけずフィリルは目を丸くした。
「不貞を働いているようだ」
「不貞、ですか……。承知致しました」
ためらったのもつかの間、フィリルは努めてなんでもないことのように引き受けた。
ローエンの奔放ぶりは樹海にいてもどこからか耳に届くが、妻、エムの浮名は聞いたことがない。いずれにしろ、占いによってその真実は読めるだろう。狼狽しつつも、フィリルはなんとか冷静に振る舞い、おかけになってください、と再びローエンに声をかけて円卓に向かった。
並べていたカードを集めていく。すると。
「これも必要だろう」
ローエンの声が背後から聞こえて、手が伸びてくると、フィリルのカードが太い指先で抓(つま)まれていた。
「ありがとうございます……」
カードを受けとり振り仰いで笑顔を向けた刹那、ローエンの顔が急に目の前に迫ってきた。フィリルはこれ以上にないほど大きく目を開く。
気づいたときは呼吸を奪われていた。くちびるがくちびるでふさがれ、フィリルは至近距離で卑しく身を堕としたような眼差(まなざ)しと対面する。あまりに驚愕して、自分の身に何が起きているか、真の意味では理解できなかった。
すぐさま抵抗すれば、逃げる隙があったかもしれないのに、これからなされるであろうことを理解したときには円卓に上体を倒されていた。
「皇帝陛下!」
口づけだけでもフィリルの意に反する。それ以上に、エムとも懇意にしている身として、口づけなどあってはならない。
そんなフィリルの畏(おそ)れとは裏腹に、ローエンは疾しさなど少しも持たず、むしろ悦に入ったような面持ちだった。
「退屈しているのだろう? 刺激が必要なのは私も同じだ。ロード・タロが引いたカードが暗示している。私がここに来ると書簡を送ったときから、運命の輪は私の手の中に落ちる定めだったのだ」
「違います。このようなことは皇帝陛下のなさることではありません!」
フィリルはもがいて起きあがろうとするも、ローエンにつかまれた手首がひとまとめにされて、片手で頭上に縫われた。
もう片方の手のひらがフィリルの胸もとにのる。ローエンの手から伝わる体温は熱いとさえ思うのに、フィリルはぶるっと身をふるわせた。
いま起きていることは現実だとわかっていても到底信じられなかった。
胸もとを覆う衣が簡単に引きおろされる。ぷるっと飛びだした丸いふくらみに目を落とし、ローエンは眩しいかのように目を細めた。
「美しい氷肌(ひょうき)だ。思っていたとおり」
思っていた?
その言葉を穿(うが)てば、ローエンはそんな目で以前からフィリルを見ていたことになる。
フィリルに伸しかかるようだったローエンが急に消えたかと思うと、片方の乳房が麓から絞りだすようにつかまれ、片方は先端が熱くぬめった感触に襲われる。
「あああ!」
ぞくりと寒気が全身に走った。身をよじっても手を括(くく)られたままで、脚はぶらりと宙に浮き、自由になることはかなわず逃れられない。
「おやめくださいっ」
叫んでも生い茂る木々が壁になってだれに届くわけでもなく、ましてやローエンはまったくおかまいなしで、夢中でフィリルの胸もとを貪っている。皇帝としての品格も何もない。ただの欲望に塗れた男だ。皮肉にも、それは皇帝のカードを示す。
胸もとから手が離れても、もう片方は飢えているかのように吸いつかれ、歯噛みされ、時に痛みを伴う。呻(うめ)いている間に、ふと腰もとがすかすかとして心もとなくなった。直後、太ももをつかまれてぐいと脚が割り裂かれる。
「あっ」
驚いたせいで無防備になった一瞬を突いて、ローエンの手が躰の中心に侵入した。
「あうっ」
びくんと躰が跳ねたのは、おぞましさ以前の生理現象だ。
「濡れてはおらぬな。さすがに清純なのは見かけだけではないようだ。ますます穢したくなる」
そうして、括られた手首が解放されたことに気づくまえに、ローエンが躰の中心に顔を埋める。
敏感な秘芽を舌で舐めあげられ、フィリルの腰がびくんと飛び跳ねる。
「いやっ。おやめくださいっ」
甲高い叫び声にも頓着せず、抱えこまれた脚でローエンの背中を蹴ってもなんの効果もない。夢中で舐めまわしていたローエンだったが。
「タロ様っ」
拒絶の言葉の合間にフィリルがそう叫んだとたん、ローエンは唐突に顔を上げた。
「ロード・タロに助けを求めても無駄だ。実態はなく、存在を感じとる者でさえ、われわれ上人を含めてごくわずかだ。ロード・タロは人を動かすことはできぬ」
その声音にはタロを敬う気持ちが欠けている。力を与えすぎた、と、最近はそれがタロのローエンへの小言だった。フィリルはそれを単純におもしろがっていた。
タロの憂いを安易にあしらってきたことへの代償だろうか。ローエンの中にタロへの反逆心があることを、フィリルはいまはじめて知った。ローエンはフィリルを通してタロを見ているのか、睨(ね)めつるようだ。
「フィリル、おまえを穢せばどういう退屈しのぎが待っているのだろうな」
ローエンはひどくくちびるを歪めたかと思うと、フィリルの中心に身を近づけた。青鈍色のチュニックを捲りあげ、フィリルが呆然としている間に、硬いものが中心にあてがわれた。
次の瞬間、入り口を濡らした汚らしい唾液も役に立つことはなく、切り裂かれるような痛みがフィリルを襲う。
目を見開き、その視界に入った木々までもがフィリルに襲いかかるようで、ショックに耐えきれなかった。
「フィリル!」
遠のいた意識を呼び覚ましたのは、驚怖の声と――
「フィリル!」
二度め、怒りに満ちあふれ、空(くう)をつんざくような声だった。
*
パッと目を見開いた“フィリル”と同時に、目が覚めて飛び起きた。
部屋を見渡せばまるで景色が違い、夢だったとわかっても、フィリルの名を叫ぶ声は妙に生々しく耳もとに残っている。
そして、あの人はだれかに似ていた。