NEXTBACKDOOR|淫堕するフィクサー

第4章 rebel lane〜逆走〜

1.

 颯天を外に連れだしたのは、過去の個人的なことを踏まえた話をするためだったのか。話の区切りがついたところで食事は中途半端に切りあげさせられ、颯天はそう思ったが違っていた。
 ビルを出る寸前、颯天は眼鏡を渡されて掛けるように命じられた。なんの変哲もない伊達眼鏡(だてめがね)だ。祐仁はなぜかジャケットを脱いで、ビルを出たところで立ち止まり、颯天と向き合った。
「立ち話をしているふりをしろ」
「……どうしたんですか」
 そんな会話も実際には立ち話になって、ふりをするまでもない。
 祐仁は腕にかけたジャケットのポケットからスマホを取りだすと、いくつか操作して「持ってろ」と颯天に差しだした。
「向かい側に中華料理店がある。おれの斜め後ろだ」
 ふりをしろと云ったからには、露骨な行動は控えたほうがいいに違いない。颯天は用心深く祐仁の右肩越しに目をやり、道路を挟んだ反対側の通りを見た。ビルの側面に取りつけられた看板は、店を探す手間をあっさりと省く。店名の横に『中華料理』と表記があった。
「はい、あります。店の名前、“好吃(ハオチー)”ですね?」
「そこだ。スマホをおれに見せるふりをして出入り口を撮影しろ。動画だ」
 颯天は録画ボタンを押す。そして、不自然にならないよう祐仁に見せる恰好を取りながら、角度を調整した。
「はい、大丈夫です」
「おまえの知った顔が出てくる。連れと一緒に動画におさめろ」
 二人連れの男がスマホを見ながら何やら思案している。傍からはそう見えるだろうか。自然に見せることは意外に難しかった。
 好吃はそれなりに出入りはあるが、まだ知った顔は見当たらない。祐仁から画面はちゃんと見えているのか、歩道を行き交う人に撮影の邪魔をされながら、颯天は見逃さないよう神経を遣う。
「祐仁、おれが知った顔って凛堂会の人ですか」
「なんでそう思う」
「さっき凛堂会のことを話してたからです。それに、おれと祐仁の共通項といったら凛堂会とEタンクとEAくらいだ。けど、Eタンクにはそう知った顔はないし、EAのメンバーには五年も会ってない。学生のままじゃないだろうし、見分ける自信はありません」
 祐仁がスマホから顔を上げ、颯天は釣られるように目を向けた。上目遣いで颯天を見た祐仁はふっと薄く笑う。意識しているのか否か、誘惑的なしぐさで、やられたい、と場所をわきまえない欲求を覚えた。おそらく、見抜かれている。祐仁は警告するように首をひねった。
「真っ当な考え方だな。五年の間に怠けて脳みそを腐らせたわけでもなさそうだ。確かに社会人にもなれば雰囲気は変わる。けど、忘れられない顔があるだろう」
 祐仁は見過ごすなと命じるかわりにスマホに目を落とした。颯天は慌ててスマホの画面に目を戻すと、わずかにずれていた焦点をまた調整した。すると。
 店から出てきたのは、確かに知った顔で、それ以上に忘れられない――工藤春馬だった。
 ハッと息を呑むと――
「いたか」
 と、異変を察した祐仁が確認を求めてつぶやいた。
 画面から目が離せず、うなずいていると、春馬が辺りを見回すような素振りを見せた。
「気づかれませんか!?」
 囁くような声でありながら切羽詰まって祐仁に問う。
「そのままだ。いま体勢を変えることのほうが目立つ」
 祐仁の助言に颯天は再びうなずき、画面を見守った。時間差で出てきた男が一人、春馬と何やら言葉を交わしている。案じる必要はなかったようで、颯天たちに目を留めることもなく、彼らは連れ立って颯天たちがいるほうとは逆の方向へと歩き去った。
「もういい」
 祐仁は颯天の手からスマホを取りあげると、録画モードを終わらせて自分のポケットにしまう。ジャケットを羽織りながら、行くぞ、と颯天を急(せ)かした。春馬たちを追うのではなく、反対方向に歩きだす。
「どういうことですか」
「ヘッドとの会話を聞いていたのなら、おれがやってることの見当はつくだろう」
 祐仁に云われて、颯天はヘッド室での時間を思い返してみた。そう多くない会話のなかで消去法を使えば自ずと答えは出てくる。
「もしかして……裏切り者って工藤さんのことですか」
「もしかしたら春馬は協力者にすぎないかもしれないが……あるいは手下か」
 もしもの話ではなく、祐仁ははっきり春馬を操る人物をもつかんでいるのではないかと思わせるような口ぶりだった。
「それは……おれたちが嵌められたことも関係してくるんですか」
 颯天は外した眼鏡を祐仁に返し、祐仁は受けとりながら颯天を一瞥した。
「どうだろうな。大学時代、春馬をEAにスカウトしたのは、成績とそれなりに素性を調べたすえの、おれの意向だった。決定的だったのは課題への答案だ」
「課題って『組織のなかの個人』ていうテーマの? キーワードは……利己と奉仕と共同体でしたっけ」
「よく憶えてるな」
「めずらしいからです。合格したあとに入学の意思があるなら提出しろって、ほかの大学では聞いたことありません」
「合格が決まったあとだったら本音が書けるだろう」
 祐仁は何かをほのめかすように云い、颯天はどういうことか、しばし考えこんだ。
 機械的に足を運んでいた颯天はふと足を止めた。それに気づき、数歩さきに進んだ祐仁はおもむろに立ち止まって振り向く。
「祐仁、もしかして清道大学はEタンクの新人の発掘場ですか」
 祐仁はおどけたように眉を跳ねあげ、鼻先で笑った。ばかにしたのではなく、おもしろがっていて――
「颯天、その反応のよさはおれが見込んだだけのことはあるな」
 と、自画自賛ともいえる言葉を吐いた。再び、行くぞ、と顎をしゃくって颯天に歩くよう促す。
 颯天は小走りになって祐仁の隣に追いつき――
「どういうことです? 清道理事長はEタンクの協力者ですか」
 必然的に思いついたことを急くように訊ねていた。
「それ以上だ」
「それ以上って?」
「清道理事長はEタンクの会長(チェアマン)だ」
「え……?」
 祐仁の答えに颯天は混乱した。
 Eタンクにとって目障りな凛堂会の永礼と、Eタンクのトップである清道が連(つる)んでいるのはどういうことだ?
 祐仁はそれを知っているのか否か。わからない以上、じかに訊ねるのもはばかられる。
「ブレーンだったときは会長だとは知らされてなかったくらいだ、よほどの重大事が発生しないかぎり、清道理事長が動くことはない。実質的には緋咲ヘッドの意向でEタンクは動いている」
 そんな言葉が続けば、よほどの重大事が発生したとしか考えられない。清道は颯天に働きかけ、それはつまり清道自らが“動いている”のだ。
 それなら祐仁を監視することにどんな意味があるのだろう。
 颯天の不安をよそに、祐仁はさっきの話を続けた。
「春馬をEAに引っ張ったのはおれだが、Eタンクにスカウトしたのはおれじゃなくアンダーサービスの管理者(エリート)だ。その時点で、おれは試されていたか、もしくは嵌められていたかもしれない」
「どういうことですか」
「最終的に何が目的かはわからない。けど、おれを蹴落とそうという意思が働いていたってことだ」
「……いまは?」
「どうだろうな」
 颯天はやはり不安に駆られる。永礼と清道は、祐仁を再び蹴落とそうとしているのか。
 そんな加勢などしたくない。ただ、その感情のままに動いてまた祐仁の足を引っ張ることだけは避けたい。
「祐仁、工藤さんと凛堂会と関口組と、どんな関係があるんです? さっき工藤さんが一緒にいた人はだれですか」
「春馬が一緒にいたのは関口組の組員だ。凛堂会はその性質どおり、法を犯すことをなんとも思わない。ただ一つ、永礼組長が嫌っているものがある。薬物だ」
「薬物? ……麻薬とか、そういう意味ですか?」
 云いながら颯天は思い返した。そういえばこの五年、薬物を見たこともなければ話も聞かず、もちろん颯天が使われたこともない。
「ああ。頭をやられるからな。永礼組長は使えないとみれば容赦なく凛堂会から破門する。だからこそ、Eタンクに立ち向かうほどの組織力を持っている。もちろんEタンクのほうが上だ。けど、完全じゃない。春馬がそれを証明している。綻(ほころ)びだ」
「工藤さんは関口組と何をやってるんです?」
「凛堂会にも綻びを作ろうとしている。薬物を使ってだれが掟破りか凛堂会を惑わせ、内部に不信をもたらすとか、おそらくそんなところだ。組員にばらまいて警察に介入させれば、凛堂会を壊滅状態にすることも不可能じゃない」
「けど、それってEタンクの……緋咲ヘッドが願っていることで、卑怯でも工藤さんがやってることは歓迎されるんじゃあ……」
 云いかけたところで、颯天ははたと思い当たった。
「もしかして……祐仁、工藤さんのバックって緋咲ヘッドですか?」
 祐仁はちらりと颯天を見やったが、答えはいつまで待っても返ってこない。
 颯天は何がなんだかわからなくなっていく。ひょっとしたら、祐仁にとって周りは敵ばかりだ。あまつさえ、ますます颯天の立ち位置は不安定になった。
「颯天、おまえの仕事だ。関口組長に取り入って何をやるつもりか喋らせろ」
 まずは腹ごしらえだ、とそのときとまったく変わらない調子で祐仁は仕事を命じた。
 取り入る、ということがどういう意味か、それは明らかだ。
 けれど、なんのために?
「凛堂会を……永礼組長を嵌めるんじゃないんですか?」
 そうするためには傍観していればいい話だ。
「おれはそんなことはひと言も云っていない」
「けど……」
「おまえがどれだけ永礼組長に忠実なのか知りたかっただけだ。おれのために、永礼組長のために、おまえは躰を張れるだろう」
 祐仁は極めて理性的だった。

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