NEXTBACKDOOR|淫堕するフィクサー

第3章 Link up〜合流〜

3.

 祐仁の命を受けて、あらためてフルネームを名乗った有働高己(たかみ)はその日、まず住み処を案内した。
 それは、エリートタンク研究所からそう離れていない二十七階建てのタワーマンションのなかにあった。最上階は祐仁を中心にしてアンダーサービスが専有しているといい、最も広いペントハウスが祐仁の住み処であり、ほかにいくつ部屋があるのか、そのうちの一つ、祐仁の隣の部屋を充てがわれた。有働は祐仁の部屋を挟んで、反対隣に住んでいるという。祐仁が大学時代に住んでいた場所と似ているが、もっとグレードアップした住み処だ。
 部屋に入れば家具から着るものまですべてそろっていて、食事は毎食運ばれてくるらしい。
 独り暮らしで、一見すると自由だ。その実、専用のカードキーを持っていなければエレベーターに乗ることも最上階に降りることもできず、そしてカードキーは常備しているわけではなくその都度渡される。最上階の出入り口には二十四時間、門番がいて颯天こそ監視されているとしか思えなかった。
 売られた身であり、まったくの自由になれるとは思っていなかったが、颯天は永久に自由の身になることはないのだと再認識させられた。
 永礼と清道から命じられた『フィクサーの監視』は、結局は理由も目的も聞かされず、漠然としすぎて何をどう監視すればいいのか颯天にはまるでわからない。ましてや、どうやって報告しろと云うのだろう、連絡の手段がない。スマホは与えられたものの、発信も着信もすべて管理されているはずだ。
 足りないものがあれば申し出るよう云われたが、満たされれば満たされるほど箱の中に閉じこめられてしまうような気がする。自分らしく部屋を飾り立てないこと。それが唯一、颯天にできる自己主張だ。
 一日めは何もすることがなく、颯天はだれにも会うことなく家となった一室に閉じこもっていた。リビングにいると通路からの物音は聞こえず、隣の部屋の雑音も聞こえず、祐仁が帰ったのかどうかもわからなかった。
『翌朝、八時に出る。五分前に出ろ』
 と、夜にそんなメッセージがあって翌朝部屋を出ると、有働が出てきて、それから祐仁が現れてはじめて、少なくとも夜は家にいたのだとわかった。
 壁を隔てて祐仁はほんの傍にいるというのに話もできない。いざ対面しても祐仁は颯天を一瞥するだけで、取り付く島もない。颯天への命令は有働から下る状況下、電話をかけることすらできないほど、祐仁は遠く隔たった場所にいた。
「四階は、政治(ポリティカル)エリア、防衛(プロテクト)エリア、そして知ってのとおり、裏社会(アンダーサービス)エリアが入っている。同じフロアであっても、ブレーン以下、領域は不可侵だ。その必要が生じた場合、管理者(エリート)もしくは選民(フィクサー)の指示を仰がなければならない」
 有働は各フロアを案内したあと、最後に四階に戻ると念を押すように云った。
「三階と四階は男性ばかりですね」
 祐仁専用の部屋に接して、アンダーサービスエリアの所員たちのオフィスがある。クリアなガラス壁の向こうを廊下から眺めながら、颯天は疑問を口にした。
 ほかのエリアは通りすがりに覗いただけだが、アンダーサービスエリアを含めて目にしたかぎりどこにも女性はいなかった。二階までは表向きのとおりシンクタンクとして機能していて女性もいた。有働によれば、シンクタンクの所員すべてがエリートタンクの本質を知っているわけではないらしい。一般の機関に女性の働き手がいないというのは不自然であり、逆に秘密結社の構成員に女性がいないというのも不自然に感じた。
「間違いがあっては困るからだ」
「間違い?」
「構成員は生涯独身であり、子供を持つことも許されない。所詮、人間も動物で本能的に次世代に子を残そうとする。何を守るか、選択肢は一つしかいらないということだ。高井戸、おまえにもその覚悟をしてもらうしかない。もっとも……」
 有働は思わせぶりに途中で言葉を切った。
 颯天をじっと見つめる目は、なぜか颯天をずっと見知っているような気配がある。けれど、颯天は見覚えがない。
 有働は祐仁を少し武骨にした感じだ。いかにも強そうで、祐仁は気配で威圧するが有働は体格的に圧倒する。そんな有働と一度でも会っているのなら、時間がたって忘れはしても、会えばすぐに思いだすはずだ。
「……なんですか」
「おまえは男娼として快楽を嫌というほど知っている。それなら女なんて物足りないだろう」
 有働はくちびるを歪めた。蔑んでいるようにしか見えない。
「男とか女とか関係ない。有働さんにはわからないんだ。おれには――」
 ――男娼になるしか選択肢がなかった、と続けようとしたが。
「何がわからない?」
 と、別の声が割りこんで颯天をさえぎった。
「祐仁」
 その姿を認めるより早く、声のしたほうを振り向きながら呼びかけると、しかめた顔に合った。
「フィクサーU、このフロアまで案内は終わりました」
 口を挟んだ有働によって、颯天は祐仁をより冷ややかにさせた自分の失態を知る。
「フィクサーU、申し訳ありません」
「わかったならいい。有働、例の件、追加情報が入ってる。早急に確認してくれ」
「承知しました」
 有働の返事にうなずき返し、祐仁は颯天に目を向けた。
「ついてこい」
「はい」
 颯天が返事をしたときにはもう祐仁は背中を向けていた。
 エレベーターではなく階段に向かい、祐仁は上階へと上っていく。二歩くらいあとをついていく間、祐仁はどこに行くのかも教えず、そうなれば颯天からも口をききづらい。足音だけがやたらと鳴り響く。
 上階の踊り場に着くと、扉の横に『5』という大きな表示がある。祐仁は、その下の壁に取りつけられたリーダにカードをかざした。読み取り音が鳴って、それでも扉がすぐに反応することはなく、エラー音が続くわけでもない。スライドして扉が開くまでにタイムラグがあったことを考えると、顔認証だったり危険物探知機だったり、そんなシステムが動いているのではないかと思った。少なくとも、監視カメラはある。
 階段は通常、非常用として使われるはずが、これではいざというとき建物から逃げる妨げになるのではないかと、颯天は不要な心配をした。
 五階のフロアに踏み入ると、そこはオフィスというよりはブラウン系で統一された上質なホテルといった雰囲気だった。素材は床も壁も柱も大理石のようで、本来は温もりを感じるはずのブラウン系の空間に冷ややかさが混じる。
 外部からの見た目ではわからないが、建物の中央は四角い吹き抜けになっている。各フロアを覗けるが、内側が通路になっていてオフィスまで覗けるわけではない。加えて三階以上は等間隔の細いスリット窓が取り入れられ、吹き抜け部分に近寄ればその窓から一望できるが、遠目には壁が邪魔をしてしまう。つまり、三階以上の上層部からは下を見渡せても、下から上層部は見えないようになっているのだ。
 それは、上に行くにつれて地位的に高いことを示す。そう察すれば、セキュリティの厳重さといい、建物は要塞のようにも感じた。
 これからだれに会いにいくのだろう。おそらくは颯天がこのフロアを訪れる機会などないに等しく、それなら祐仁がただ五階のフロアを案内しているはずもない。つまり、要人に会わされるのだ。それとも、客人が待っていて、昨日、祐仁が云っていたように早くも颯天は駒として、あるいは男娼として使われるのか。いや、そうだとしてもこのフロアであるはずがない。それがEタンクの要人でないかぎり。
 やがて、男二人が立った場所までたどり着いた。祐仁は立ち止まり、丁重に一礼をした男たちの一人をじろりと見やる。どうぞ、とその男はドアに手をかざした。センサー式なのか、ぴっと小さな音が聞こえた直後にドアがスライドした。
「行くぞ」
 祐仁がちらりと振り向いて、音になったか否か、そんな声で颯天に命じた。
「はい」
 祐仁のオフィスも広いが、そこはもっと、無駄すぎるほどだだっ広かった。
 右奥に巨大なデスクがあり、寄り添うように置かれた二つのデスクは、それ自体もかなりスペースを取る大きさでありながら小さく見えてしまう。男二人ともが颯天の後ろから入ってきたのをみると、二つのデスクはそれぞれ彼らのものかもしれない。
 ただ、彼らがデスクに戻ることはなく、颯天たちの背後に立ったままだ。それは警戒してのことか。
 祐仁は躊躇せずまっすぐデスクへと向かい、その向こうに座った男の正面で立ち止まると、深く一礼をした。颯天もそれに倣(なら)う。
「失礼します。緋咲(ひざき)ヘッド、連れてきました」
 祐仁が横へとずれ、「高井戸颯天です」と続けて紹介をした。
 颯天は男とまともに対峙する。見た瞬間に思ったのは、だれかに似ている、だった。
 緋咲は、体格は座っているからなんとも云えないが、面持ちは精悍でありつつ端整でもあった。眼光は鋭く、迷いやためらいなど弱みは一切存在しないかのようだ。永礼もそうだが、永礼のような冷酷さは見えない。というよりも、あえて見せないようにしているといったほうが正しい、と颯天はそんな気配を感じとった。
 緋咲はゆっくりと立ちあがった。
 得てして、颯天が背が高いゆえに地位にこだわる者ほどその背が低ければ、立って颯天と向き合うのを避けたがる。デスクをゆっくりとまわってくる緋咲はけれど、その必要がないほど背が高い。目の前に来た緋咲と同じ高さで目が交差した。
「私はエリートタンクの表裏で代表に就く。緋咲真人(まこと)だ」
 どう自己紹介をすればいいのか、一つ言葉を間違えればその後、将来まで違ってきそうなプレッシャーを感じた。言葉だけではない、助けを請うように祐仁を見やることさえ間違いになるやもしれない。颯天は振り向きたい衝動を堪えつつ――
「高井戸颯天です」
 と名乗ることしかできなかった。
 緋咲がうなずいたところを見ると、名乗るだけで足りたようだった。颯天は安堵したあまりため息を漏らしそうになったが、それこそ何か隠し事があると疑われかねない。とっさのところでため息は呑みこんだ。
 じっと颯天を見つめる眼(まなこ)から目を逸らさないように努めていると、緋咲はおもむろに口を開いた。
「永礼のお気に入りだそうだな。うまく取り入ったらしいが情報はつかんだか」
 なんのことだ?
 永礼に気に入られているのは、永礼自身が口にするまでもなく颯天は自覚していたが、取り入るとか情報をつかむとか、おそらく緋咲がいちばん気にしているであろう、肝心の事項が読めない。
 なんのことですか、とも訊けない。颯天独りで緋咲に対応できたのもここまでだった。颯天は祐仁へと視線を流した。
 すると、形のいい祐仁のくちびるがわずかに歪んだ。笑ったのだろうか。
 緋咲が颯天の視線を追って祐仁を見やる。その目に捕らえられるまえに祐仁はくちびるを真一文字に戻しながら、緋咲へ目を向けた。
「緋咲ヘッド、申し訳ないのですが立ち入ったことはまだ話せる状況にありません」
「どういうことだ」
「裏切り者がいるかもしれない、ということです」
「裏切り者?」
「ええ」
「私にも云えないのか」
「私の勘違いということもあり得ますので。緋咲ヘッドに無益な労苦を負担させるわけにはいきません」
「だが、まったく知らされないことがあってはならない。組織にとって枢要であればなおさらだ。フィクサーが動いているからにはそういうことだろう」
「ですからこうやって話しています。私の取り越し苦労であればいいのですが。また報告させていただきます」
 祐仁は強引に話を切りあげようとしている。颯天が察するくらいだ、緋咲も当然わかっているだろう。張りつめた空気はいまにも暴発しそうだ。
 緋咲は絶対の権力者で、そうわかっていながら祐仁は臆することもなく、それどころか挑むようにも見える。緋咲の不興を買うのではないかと颯天のほうがびくびくした。
 緋咲は追及するかと思いきや、ふっと薄く笑って首を横に振った。
「いいだろう。フィクサーU、私が受けていたもう一つの報告とは異なって、忠実な部下を持っていたようだな」
 緋咲は云いながら颯天を横目でちらりと見やったあと祐仁へと目を戻し、「もういい、下がれ」と顎をしゃくった。
「失礼します」
 祐仁は即座に一礼をし、颯天もそれに倣うと、二人の男が門番のように頭を下げるなか部屋を出ていく祐仁に従った。
 廊下に出ると、颯天はほっと肩を落としてあからさまにため息をついた。
「ゆ……フィクサーU、……」
「ここでは話せない。わかっていると思ったが」
 祐仁は前を向いたまま素早くさえぎった。
「どこでなら話せるんですか」
 気づいたときは突っかかるように云い返していた。
 祐仁は歩きながら颯天を一瞥する。
「反抗期か。それとも、さっきまで良い子ぶってただけか」
「どっちでもありません。わからないままで、フィクサーUの足を引っ張りたくないからです」
 そう云ったところで祐仁は振り返りもせず、広い背中からは何も窺えない。来た道を引き返し、祐仁のオフィスに戻るまで沈黙したままたどり着いた。
 訊きたいことは山ほどあったが、なかに入れば有働がいてままならない。
「フィクサーU、動いているのはやはり関口(せきぐち)組のようです。中国との通信が異常に多くなっています」
 有働の報告を受けてうなずいた祐仁は颯天を見やった。
「颯天、関口組の名は知ってるか」
 颯天が自ずと聴き耳を立てたのを察していたようで、祐仁は訊ねるというよりは確かめるように問うた。
「はい」
 今度は颯天に向かってうなずくと、祐仁は有働に目を戻した。
「車を用意してくれ。颯天と出かける」
「承知しました」
 祐仁は話す機会を作ってくれたのか。話すことよりも祐仁とふたりきりになれることに浮きだってしまうのは不謹慎だろうがどうしようもない。
「颯天、おまえがまず憶えるべきことはそこにある。出かけるまで頭に叩きこめ」
「はい」
 颯天は即座に返事をすると、祐仁が指差して示したデスクに向かった。

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