NEXTBACKDOOR|淫堕するフィクサー

第2章 median strip〜分離〜

3.

 夏期休講が終わって清道大のキャンパスは一気に活気が戻った。およそ一カ月後に迫った万殊祭の準備が大詰めを迎えているせいかもしれない。
 万殊祭はもうEAがとやかく注文をつけることはなく、実行委員会に一任する段階まできた。EAの活動としては、万殊祭と並行してやってきた、十一月末の学内リレーマラソン大会の準備を主体に進めている。これはEA独自で企画して大学側の承認を得た行事であり、二度めとなる今年は一般人の参加も募るという大々的な催しになる。
 祐仁は半年後には卒業してしまうが、その置き土産ともいえる企画だ。そのせいか、祐仁が力を入れているのは確かで、颯天も新たにやることが増えた。もっといえば、颯天が忙しくなったのは慣れないからではなく、祐仁の鞄持ちのごとくともに行動しているからだ。
 それでも颯天がタッチしているのはEAに限ったことで、祐仁はさらにEタンクの任務もこなしてしまうというタフぶりに感心している。
 祐仁が所属するアンダーエリアは、裏社会に通じるための風俗営業に携わる部門だと教えられた。そのなかで、祐仁がさらに違法の性風俗業に関わっているのは漠然と察している。おそらく颯天が訊ねれば祐仁も話してくれるのだろうが、春馬が教えたことで充分だった。心底を吐露すれば、聞きたくないのだ。
 祐仁にすべてを奪われ、ゆだねたときから自分だけを見ていてほしいという浅はかな欲求が生まれている。
 あの日は、気絶するように眠ったあと颯天が目覚めればまた祐仁が侵すという、快楽漬けの一夜だった。もう無理だ、あるいは充分だと思っても、祐仁に侵そうという意を持って触れられると颯天の快楽はすぐに開いた。それ以上に、もっとという飢餓感が湧いてどうしようもなくなる。祐仁に侵されるまで飢餓がおさまることがない。
 颯天と同じように、祐仁にもそうあってほしい。いや、そうだからこそ、祐仁は何度爆ぜようが萎えることなく、颯天を侵せたのだ、きっと。
 ――と、颯天はそう思っていなければ、ほかの男を、たとえEタンクの仕事としての調教であっても、おれ以外の男を抱かないでくれと云いそうになる。
 だから、EAでは――おそらくEタンクでも祐仁の気の配り方は徹底していて、やはり颯天は憧憬を抱きながらも、片方ではほかのことなんてどうでもいいはずだと思う独占欲があって、心境は複雑だった。
 颯天は推薦で清道大に合格したが、そこには祐仁の一存があったらしい。祐仁が直々に颯天をEAにスカウトしたことと辻褄が合う。けれど、根本的な理由を“ぴんと来た”と云っただけで、祐仁がなぜ颯天を気に入ったのかはまったくわからない。
 そんな自信に欠けた疑問があるから、祐仁の独占欲剥きだしの言葉を聞きながらも颯天は不安になるのかもしれない。あまつさえ、ふたりの関係がEタンクにばれてはならない秘め事であることは即ち、未来が不透明だということだ。
 祐仁……。
 内心で名をつぶやいたとたん、会いたくて、くちびるを重ねたくてたまらなくなる。今日のように、祐仁と会えない日は特に躰までもがさみしがって疼く。そうしてそれを意識したとたん、躰の中心に血流が集中していくような感覚に陥った。
 どうなってるんだ、おれの躰は。
 祐仁恋しさに反応してしまう自分に呆れながら、自身を諌めていると着信音が鳴った。
 サークル会館を出てキャンパス内を南第四駐車場へと向かいながら、さきを歩いていた春馬がちらっと振り返る。颯天が電話の相手を祐仁からだと察したように、春馬も察しているのかもしれない。
「はい、颯天です」
「大丈夫か」
 頼りない子供を心配するかのようで、祐仁の第一声に颯天は苦笑した。
「急用ができたんですか」
「喉が渇く」
 それは颯天の淫蜜を欲しているという、祐仁と颯天の間にだけ通じる隠語だ。顔が赤くなっているんじゃないかと焦るほど、颯天の全身が火照った。特に疼いていた中心が著(いちじる)しく反応している。抑制のきくスリムなデニムパンツでよかったと安堵しながら、颯天はため息をついて焦りをごまかした。
「……必要、であれば、あとで行きます」
 痞えながら応えると、祐仁は可笑しそうに含んだ笑い方をする。
「そうしてくれ。時生はいるな?」
「はい」
「じゃ、こっちが終わったらまた電話する」
 たったそれだけのために、メッセージを送るのではなく電話をしてきたのか。とはいえ、声が聞けると、それだけで颯天の気分が上がってくる。
 ましてや、いまの会話からすると、今日は会えなかったはずが時間が取れたのだ。ついさっきの不安までどこかに消えた。ひょっとしたら、祐仁も颯天と同様、さみしいからこそ電話をしてきたのかもしれない。でなければ、時間が空いたからといってわざわざ颯天を誘うはずがない。
「時生、交流センターに行って、最終の申込書をもらってきてくれ」
 道がふた手に分かれるところで春馬がふと足を止め、颯天の隣を歩く時生を振り向いて命じた。
「え……」
「おれと颯天はさきにコースを確認しにいく。スタート地点で待ち合わせだ。来たら電話してくれ」
 出し抜けの命令にためらった時生へ、春馬は嫌とは云いだしにくい言葉を続けた。
「……はい」
 時生はちらりと颯天に顔を向け、事務局のほうに向かった。
 いまの時生の反応を見ると、祐仁からの電話に鑑(かんが)みて、時生は祐仁からなんらかを依頼されていたのではないかと思った。例えば、春馬の行動に注意しろとかなんとか。
 颯天のことが原因となって祐仁と春馬が争った日から、特に問題なくすごせているが、それは祐仁が常に颯天を傍に置いて、春馬から遠ざけているからだ。わかってはいたが、時生が去ってしまうと俄に祐仁から隔離されたように感じた。
 春馬は颯天を一瞥したあと、行こう、と南第四駐車場の方向に身をひるがえして歩きだした。
 何か云ってくるかとかまえていた颯天は肩透かしを食らって、一歩を踏みだすまでに四拍ほど出遅れる。早足で春馬に追いついた。
 春馬は祐仁から釘を刺されたあと、颯天に絡んでくることはなくなった。むしろEAの活動中は至って穏やかに接される。だからかまえる必要はないのかもしれないが、祐仁からの電話といい、さっきの時生の様子といい、まったく安心してはいられないのだと知らされる。颯天が能天気すぎるのだろう。
 いずれにしても、春馬は祐仁を慕っているからこそ颯天を敵視するわけで、祐仁を独占したいという根底にある気持ちは颯天とかわらない。はっきり違うのは立場だ。
「マラソン大会ってけっこう人気ありますよね。一般からの申し込みが予想以上だったので驚きました」
「ブレーンUが見誤ることはめったにない」
 春馬は斜め前からちらりと颯天を振り返り、詰まらないことを云うといった呆れた様で薄く笑った。祐仁にいかに心酔しているかがわかる言葉だった。
 無論、颯天も意見は変わらず、マラソンのことは話す取っかかりにすぎない。そのうえで春馬が祐仁をブレーンUと呼んだことは、颯天にとっては渡りに船を得たようなもので飛びついた。
「工藤さんは祐……朔間さんが裏でやってることを、組織のメンバーとして補佐してるんですよね」
「おまえはブレーンUの愛人だ。どっちの立場が幸せか。気になるのはそこか?」
 祐仁が補佐にするくらいだ、春馬は鈍感ではない。颯天のわだかまりを率直に突いてきた。
「工藤さんはどうやってパートナーに……ホワイトエイドになれたのかと思ってます」
 秘め事も、春馬に限っては少なくとも察していることであり、隠す必要もない。颯天は遠回しに認め、本音を漏らした。
 春馬のように祐仁の傍にいても当然と思われるようになるためには、Eタンクのメンバーになるのがいちばんの近道に見えた。とはいえ、肝心のメンバーになるための道はどこにあるのか見当もつかない。
 祐仁に訊けばすむことだが、その祐仁に秘め事を黙っていると云ったのは即ち、祐仁が上に立つまで待つという約束であり、目の前のことしか考えていない颯天の浅はかさを露呈することになる。
 結局は春馬に吐露して、祐仁にも話が伝わるかもしれない。颯天は早くも後悔を覚えた。
 春馬は少し歩みを緩めると、一歩あとをついてくる颯天に並び、覗きこむように首をかしげた。
「ブレーンUの推薦があって審査が通れば組織に入れる」
「審査ってグランドエリア内の審査ですか。それとも組織のトップが?」
 春馬はわずかに目を見開いた。
「けっこう聞かされてるんだな」
「だれにも喋ってません」
 責められているように感じて云い訳をしたすえ、それだけでは嘘を吐いていることになると気づき、「……工藤さん以外は、ですけど」と付け加えた。
「あとは付き人みたいな人をちょっと見ただけで、話の通じる人を知らないので。時生に云うとしても、おれと同じ立場にならなければ信じてくれないと思います。……ていうか、話せませんよ。男同士なんて少数派で普通じゃないし、理解できる奴は少ないと思います」
 颯天にとっていまや祐仁に抱かれることはあたりまえになっているが――それ以上にそれを望んでいるが、三カ月前までは考えたこともなかった。
 春馬は鼻先で笑いながら、同意するようにうなずいた。
「まあな。ほかに何を知ってる? 例えば、ブレーンUの役割とか」
「アンダーサービスっていうグランドエリアでブルーエイドの人材に関したことをやってるって聞きました」
「ブレーンUがかつてブルーエイドだったことも、そのときだれの愛人だったかも?」
「……はい、知ってます」
 颯天がためらいがちに答えると、春馬は吐息まがいに笑った。笑うことではなく、それならどんな意がそこに潜んでいるのか、春馬はそれきり黙ってしまって探ることもできない。
 まもなく、リレーマラソンのスタート地点となる南第四駐車場に着いた。
 マラソンはここをスタートして、清道大の敷地内に設けられた“清学(せいがく)の森”という公園を抜け、キャンパス内の一部を走ってまたスタート地点に戻るというコースだ。この駐車場がいちばん広々としていて、スタート地点には打ってつけだ。今日は数台の車が止まっているだけで閑散としている。
 春馬は奥に進んで、そこが当日の本部になるのか、白いワンボックスカーが止められた場所に行った。
「颯天、一つ誤解してるかもしれないから云っておく」
 ついてきた颯天に向き直った春馬は、唐突に云いだした。
「誤解ですか?」
「ああ。おれは知ってのとおりホワイトエイドだ。ブレーンUから調教されたことはない。現場に立ち会ったことはあっても。愛人であったこともない。ブレーンUが調教でもなくおまえを傍に置くとしたら、規律違反でしかない」
「工藤さん、それはわかって……」
 わかってます、と云いかけたが、ワンボックスカーのスライドドアが開いて颯天は口を噤(つぐ)んだ。
「いや、わかってないな」
 その口調はそれまでの穏やかさと打って変わり嘲るようで、颯天は車から春馬に目を戻した。まともに合った春馬の目に宿っているのは、冷ややかな憎しみだろうか。
「颯天、ブレーンUも見誤ることがあるんだ。おまえを愛人にしたことも、おれをスカウトしたことも誤りだろうな」
 春馬が口を歪めて嗤う。
 逃げるべきだと気づいたときは遅かった。
 車から男が二人降りてきて、背後にまわった男の手が颯天の顔をタオルで覆った。
 息ができない。そう思った瞬間に浮いた感覚がして、直後、颯天の意識は絶えた。

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