NEXTBACKDOOR|淫堕するフィクサー

第2章 median strip〜分離〜

1.

 大学生になって以来はじめての試験を終え、八月からおよそ二カ月の夏季休講に入ろうが、週の半分はEAの活動で大学に出てくる日々が続いている。その当初は、面倒くさいと思うことが無きにしも非ず、八月も末になると慣れてしまった。
 いまは、万殊祭の実行委員会からあがってきた企画書を項目別に纏め、リストアップしていくのが颯天と時生の仕事だ。
「ボルダリングサークルは危機管理面が改善されてない」
 うんざりとため息をついた春馬は、企画書を斜め向かいに座った時生に差しだしながら「配置人数がまだ足りてないって実行委員会に伝えてきてくれ」と命じた。
「わかりました」
 時生は企画書を持ってすぐさま立ちあがり、颯天を一瞥したあと出ていった。
 資料室は颯天と春馬の二人きりだ。さっきの時生のしぐさが警告だというのは颯天も見当がついている。
 颯天は春馬に快く思われていない。原因が何か、この頃は薄々感づいている。祐仁のせいだ。
 祐仁と春馬の口論を盗み聞きしたのは、忘れもしない、一カ月前のことだった。祐仁から快楽を無理強いされたことは強烈で、生涯、忘れ得ないだろう。
 颯天を拘束して、子供に、あるいは囲った動物に餌(えさ)を与えるようにパエリアを食べさせたのは、庇護下(ひごか)にあるような依頼心を植えつけ、従順にさせるためだったのではないかと思う。
 祐仁は拘束したことを口実になるだろうと云った。確かに、逃げられずしかたなかったとなぐさめにはなった。結局は、あれから何度も祐仁のいいようにされ、いまでは縛られることもなく抵抗を口にしながらも颯天は快楽を貪って、姑息(こそく)な云い訳にしかなっていない。
 弟の広希にはもう一切、段田からの接触はない。一方で、颯天はどれくらい祐仁のものでいなければならないのか、まったくさきが見えない。
 ただ、薄らとわかったのは、颯天は春馬の後釜ではないかということだ。それなら、いつか颯天の後釜も現れる。
 そんなモヤモヤした気持ちが湧けば、自ずと春馬の心境もわかった気がしたのだ。
「颯天、おまえ、祐仁さんからどこまで聞いてる?」
 春馬は直球で問いかけてきた。
 あの日、春馬は祐仁を『ブレーン・ユー』と呼んでいたが、二度めを耳にしたことはない。その呼び方を含めて、春馬は颯天が『どこまで』かを祐仁から聞かされていると思いこんでいるのだろう。
「え、どこまでって何をですか」
 ごまかしたわけではなくそのまま口にしたのだが、春馬は嘘を探しているかのようにつぶさに颯天を見つめてくる。
 春馬は二重のくっきりした目に小振りの鼻と口をして、整ってはいるものの颯天よりも年下に見えるほど童顔だ。可愛がられるタイプだと思うが、いま颯天に対する様相は、生まれて間もないライオンの子が牙を剥いているようだ。子供とはいえ手を差しだして近寄るには無用心すぎる。
 颯天が春馬の返答を待っていると、ふっとほくそ笑むような嘲笑(ちょうしょう)が返ってきた。
「何も聞いてないのか」
「なんのことかさっぱりです」
 これが同級生なら颯天も突っかかったかもしれないが、いちおう春馬は一年先輩だ。ここは素直に応じた。
 なあんだと云わんばかりに、春馬はがっかりしたのではなく優越感に浸ったような様で、ふふんと鼻を鳴らした。
「祐仁さんが自分について話さないんなら、おまえはただの玩具(おもちゃ)だな。おれは祐仁さんがどういう人か知ってる。おまえは足下へも寄りつけない人だ。けど、役には立てる。よかったな」
 人の幸せを喜ぶのではなく、どう見ても春馬は人の不幸を喜んでいる感じだ。
「役に立てるって……どういうことですか」
「祐仁さん、うまいだろう。一度に何回、逝かせられる?」
 いざはっきりと春馬から祐仁との関係をほのめかされると、颯天はあらためてショックを受けた。
 想像はついていたのに、なぜこうも大打撃になる?
 そんな疑問がさらに颯天を打ちのめす。
 おれは……。
 そのさきは言葉にできず、颯天は自分の内心をも欺(あざむ)く。
 ざまあ見ろとばかりに悦に入った春馬は、沈黙した颯天を覗きこんだ。
「颯天、おまえが受けているのは調教だ。従順な男娼(だんしょう)になるためのな。おれが知っているだけで、颯天は十人めくらいか? けど、おれは違う。おれは祐仁さんのパートナーだ」
 してやったり、と春馬は締めくくった。
 その刹那。
「口を慎(つつし)め。おれはそう云ったはずだが」
 だれに向けた言葉か。颯天も春馬も答えは一致している。通常の心理状態であれば、颯天は独り哄笑(こうしょう)していたかもしれない。それほど春馬の顔は嘲笑から驚きへ、呆(ほう)けて蒼白に、そして泣きべそを掻くように七変化した。
 祐仁はいつからそこにいたのだろう。振り向くと、颯天たちには背を向ける恰好で腕を組み、入り口から近い『6』とある資料棚に寄りかかっていた。振り返って一瞥をした祐仁は、棚から背中を起こすと、颯天たちがいるテーブルへとやってくる。
「春馬、最後の警告だ。颯天のことは放っておけ。おまえが口出しをすることはあってはならない」
 春馬へと冷ややかに云い渡し、それから祐仁はため息をつき、「颯天、行くぞ」と颯天を見やった。
 庇護を受けた捨て犬のように、無防備に喜んでしまう。そんな気分にさせられて祐仁を恨(うら)むべきか自分を蔑(さげす)むべきか、結論を出す間もなく颯天は立ちあがっていた。
 資料室からミーティング室へ出ると、ちらほらと視線が颯天に向いては見てはならないものを見てしまったとばかりに顔が背けられる。あまり露骨ではなかったが颯天はそんな気配を感じとった。
「区切りのいいところで切りあげろ。次は来週だ」
 はい、といくつもの声が返事をするなか、祐仁はうなずいて「颯天、おまえはついて来い」と口にした。
 はい、という従順な返事が無自覚に口をついて出る。
「お先に失礼します」
 颯天は残っているメンバーたちに軽く会釈をしてから、部室を出ていく祐仁のあとに続いた。
「ついて来いなんて、わざわざ云ったのは体裁が悪いからですか」
 校舎を出て駐車スペースに行き、颯天は祐仁の車に乗るなり訊ねた。祐仁はエンジンをかけながら颯天を流し目で見て、ふっと口角を上げた。おもしろがるよりは皮肉っぽい笑みだ。
「何が云いたいんだ?」
「べつに」
 颯天が素っ気なく返すと、祐仁は再び横目で一瞥した。
「体裁が悪かったのはおまえだろう」
 どこか気が立っているように感じるのは、颯天の気のせいか。返事はいらないとばかりに祐仁はブレーキを解除すると車を発進させた。
 大学は車での通学許可をなかなか出さないと聞くのに、祐仁はたまにだが当然のように乗ってくる。特別扱いが日常的であれば、すべてが当然ですませられ、ばつの悪い思いをするなど一切ないのかもしれない。
 祐仁の云うとおり、体裁が悪いのは祐仁から特別扱いをされている颯天のほうだ。春馬の話を聞けばなおさらその圧力が増す。
 今日は気乗りしない……いや、今日に限ったことじゃない。
 内心でつぶやいて、自分で否定した。
 春馬が云ったように、祐仁は男の調教に関して長(た)けているのだろう。しばらくは、はじめてだったから敏感すぎたのだと自分に思いこませていた。実際は、抵抗しながらもそれは口先だけで、新たな快楽も覚えてだんだんと感度は増してきた。ただ、今日のように約束には応じても、すんなりとは自分の反応を受け入れられない。
 あまつさえ、春馬の言葉によって颯天は自分が何を望んでいないか、それがはっきりしかけていた。いつになったら終わるんだ、と現状への絶望ではなく、いつ終わるのだろうという心もとなさがある。つまり、颯天は祐仁との関係を断ちきりたいと望んでいるわけではなかった。
 矛盾している。なんでおれは……。
 祐仁の家に着くとリビングに入ったところで颯天は立ち尽くした。
「時間はゆっくりあるし、おまえは確かに見栄えがいいけど、そうやって人形みたいにお飾りでいてもらうために泊まらせているわけじゃない。シャワー浴びる浴びない、どっちだ?」
 大学を出てからいつになくお喋りひとつしないままで、祐仁の機嫌が悪いことは明らかだったが、いまの云い方は不機嫌さの欠片もなく颯天をからかっている。
「浴びる」
 ぶっきらぼうに答えると、祐仁は懐(ふところ)の深い飼い主然として首をひねり、顎をしゃくってバスルームを示した。
 颯天はそっぽを向くようにしてバスルームに向かった。
 祐仁にいちいち指し示されなくてもこの住み処(か)の間取りはもう知り尽くしている。もうひとつ、隣にある一室の間取りも。
 最初の日に訪れた一室は仮の家だった。家具など必要最低限しかなく、どうりで殺風景だったはずだ。仮の家がなぜ存在するのか、それは春馬が云う“調教”をするためにあったのだ。
 颯天が仮の家に通ったのは最初の四回だ。磔(はりつけ)や手足を拘束するリクライニングシートなど、いろんな器具が置かれた部屋にも連れこまれた。
 その後、颯天が訪れるのはずっとこっちで、決まって泊まる。そうなってみて、ここが本当の祐仁の住み処だとわかった。
 玄関には祐仁の靴がいくつか常に並んでいたり、脱ぎっぱなしで椅子に引っかけた服があったり、食器乾燥機に食器が入れっぱなしだったり、ちょっとしただらしなさが窺える。隣の一室は塵(ちり)一つないといっていいほどいつも片づいていた。
 颯天が知るかぎり、このフロアは祐仁かその臣下(しんか)の出入りに限られていて、つまり祐仁の専有フロアであるとしてもおかしくない。仮の家はただ単に性遊戯をするために使っているだけで、それが調教部屋ということであればもっとしっくりくる。
 隣から祐仁の住み処に移ったのは、それだけ祐仁との距離が近づいたということなのか。だからといって、うれしいということにはならない。近づきたいのか近づきたくないのか。なぜモヤモヤしているのだろう。
 くそ、なんなんだ。
 つぶやくように自分を罵(ののし)った直後。
 ひぁっ。
 シャワーの音で気づかなかったのだろう、背後からいきなり抱きとられて颯天はおかしな声を発してしまう。祐仁の右手が左胸に当てられ、左手は腰もとに巻きつく。
「どうしたんだ?」
 耳たぶに熱い息がかかり、背筋がぞくぞくとして颯天は身をすくめた。
「放してください!」
「なるほど。拗(す)ねてるのを手懐(てなず)けるのも楽しいだろうな」
 反抗ではなく拗ねていると受けとるあたり、祐仁らしいのか。颯天にとってはペット扱いにしか思えなかった。
「楽しいことをやればいい。やり尽くして早くおれに飽きればいいんだ!」
 颯天は腹の底から叫んだ。
「何がそんなに気になる?」
 祐仁がわかって云っているとしたら無神経すぎる。
「EAのメンバーのなかにおれと同じ立場だった奴は何人いるんです? もしくは工藤さんやほかの奴とおれは同時進行ですか」
 腹立ち紛れに口から飛びだした言葉は一拍遅れで颯天自身の耳に届き、一瞬にして取り消したくなった。まるで嫉妬だ。さっきみたいに軽くあしらってくれるように祈った。
 祐仁は後ろから颯天を絡みとったまま意思がどこかに消えてしまったように、しばらく微動だにしなかった。そうして、ふっと耳もとに漏れた吐息は笑ったのか呆れたのか。それとも、文句を云われる筋合いはないと怒ったのか。
「そんなふうに思うくらいなら、いつまでも自分に逆らってないで完全におれに身を任せたらどうだ?」
 祐仁は右手を上げてふたりにかかるシャワーを横に向けた。出しっぱなしの湯は蒸気で曇った鏡面をクリアにしていく。そこに颯天がくっきりと映しだされた。
 祐仁の右手が腰もとに戻り、手のひらは下腹部を這っていく。その目的地は考えるまでもなく、早くも颯天のオスはぴくっと脈を打つような反応をした。
「朔間さんっ」
「壁に手をつけ」
 祐仁の手がそこにたどり着いたとたん、声をあげながら躰がびくっと大きく跳ね、颯天は不安定によろける。命令に応じるまでもなく、颯天は自分を支えるべく鏡を挟むようにして自ずと壁に手をついた。
 祐仁の手がゆっくりと颯天のオスを扱いていく。祐仁の手はすっかり颯天に馴染(なじ)んでいた。痛くも緩くもない触れ方にオスは急速に硬く滾(たぎ)っていく。胸もとに置いた手は乳首を転がすように這う。颯天は躰をびくびくさせながら逃げるように腰を引いたが、そうすれば祐仁のオスが尻にめり込んでくる。
 う、あっ。
 引いた腰を反対に突きだすようにして颯天は接触を避けたが、今度は突きだしたまま祐仁の手が摩撫するほどに腰が前後に揺れた。鏡に映るその情けない恰好が見ていられず、颯天は目を閉じた。
「颯天、ちゃんと目を開けて自分を見ろ」
「い、やだっ……く、ふっ、ふっ……」
 喘ぎ声を堪えようとしても吐息が漏れだす。
「素直でおれに従順なおまえを見せろ。そうでないと話したいことも話せない。おれが望むのは、おまえの絶対服従だ」
 そう云ったあと、胸もとに宛てがっていた手が離れていく。祐仁は右脚で颯天の右脚を外側に押しやり、左手で左脚を開くように動かした。祐仁の手はそこから腿を這いあがり、指先が尻の間に忍びこんで後孔の入り口に触れた。ほぐすように揉(も)みこみ始める。
 あ、はっ、ふあっ……。
 颯天はとっさには声を止められなかった。あまつさえ、締まりがなくて舌っ足らずの嬌声になった。蕩けそうなのは脳内だけでない。オスの先から蜜が蕩けだして濡れそぼつ。後孔を弄られただけで腰を揺すってしまうほど感じるのに、オスはオスで嬲られて訳がわからなくなっていく。
「云ったとおり、ちゃんと後ろを仕込んでるようだな。指が吸いこまれそうだ。颯天、目を開けて鏡を見ろ」
 思考は快楽に侵されて、祐仁の声だけが鮮明に脳裡に届く。命じられるまま、颯天は目を開けた。
 のぼせた自分の顔、突きでた乳首、引き気味にした腰は媚(こ)びるように揺れている。そのさきには、祐仁の手の中に颯天のモノがおさまっていた。太く屹立(きつりつ)したオスはオイルを塗(まぶ)したようで、祐仁の手がするすると滑(なめ)らかに行き来する。
「あ、あ、だ、めだっ……」
「無意識に逆らうんじゃなくて、もっとって催促してみろ。素直になったほうがラクだぞ」
 含み笑いながら祐仁はだんだんと手を速く上下させた。一方で、後孔は熱を孕んで緩んでいくような感覚がする。
 あっくっ、あ、あ、あ……。
「ほら、どんな気持ちだ」
 祐仁は親指の腹をオスの先端に当て、ぐりぐりと動かした。見せつけるようにゆったりとしたしぐさで、ぬちゃぬちゃとした音を立てる。颯天が吐きだした蜜のせいに違いなく、視覚に入ってくるすべてが快感に変わった。
 祐仁が親指の先を立てると、颯天はどう嬲られるのか、これまでの経験から嫌でも悟らざるを得ない。
「あ、やめっ……」
 孔口に爪が立てられる。ゆるりと抉(えぐ)るような動きをした。
 同時に、後孔にもわずかに指が潜ってくる。そうして出たり入ったりを繰り返すと、もうたまらなかった。
「あああっ、だめだっ」
「逝く、だろ」
 あ、あ、あっ……。
 颯天は首を緩慢に横に振って拒みながら、それでも嬌声はどうしようもなかった。
 祐仁は器用なほど前と後ろを同時に快楽で攻めてくる。逆らっても逝き着くさきは一緒だ。そんな颯天のあきらめを――それは云い訳にすぎなかったが、祐仁は察したようにくっくっとこもった笑い声を漏らす。
「颯天」
 囁くような、そして熱のこもった声は甘美に颯天の思考を侵した。
「ああっ、逝く――っ」
 腰を何度も押しだしながら颯天は慾の証しを迸らせ、それはぴちゃっとかすかな音を立てて鏡に貼りついた。

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