NEXTBACKDOOR|淫堕するフィクサー

第1章 Cross-Border〜越境〜

1.

 難関と云われる私立の清道(しんどう)大学は、様々な業界において有力者となる人材を輩出している。高井戸颯天(たかいどはやて)は猛烈(もうれつ)に勉強をしながら受験に控えていたが、この春、結果的には呆気なく推薦(すいせん)で合格した。
 例えば政治家とか起業家とか、有力者を夢見る者は確かにいるが、颯天はべつにそこを目指しているわけではなく、逆になんの目的もない。だからこそ清道に入れば刺激を受けて、何かしらの目標が見つかるかもしれないと期待している。
 入学して三カ月をすぎるとキャンパスライフにも慣れてくる。雰囲気としては、特別感はなく、適当にすごしている奴もいれば生真面目だったり必死だったりする奴もいる。
 颯天はどの部類に入るだろう。大学には真面目に通っているし、週に三日はカフェ店でバイトをし、遊びに誘われればばかみたいに興じる。普通の大学生だ。
 ――と云いたいところだが、ひとつだけ一般の清道生と違うことがある。
「颯天、おまえ、あの人の噂(うわさ)を聞いたか?」
 最後の授業を終えたあと待ち合わせ場所に行くと、同じ一年の河崎時生(かわさきときお)が内緒話をするように声を潜めて訊ねた。
 暗黙の了解で、合流するなりふたりの足先は自動的にサークル会館へと向く。
「なんだよ、噂って。あの人ってだれのことだ?」
「おまえ、声がでかいって」
 時生はやはり声を潜めて咎(とが)め、颯天は辺りを見回した。
「聞こえるような距離にはだれもいないだろ。歩きながらだし」
「けっこうヤバイ話だからさ」
「……なんだよ」
 改まって時生を見やると、生真面目という部類に入る時生がますます深刻な顔をしている。
「朔間(さくま)さんのことだ」
「……朔間祐仁(ゆうじん)さんのことか?」
 一瞬、颯天はどきりとして、それからフルネームで確認を取った。
「ああ」
「朔間さんが何? なんの噂だ?」
「朔間さんてさ、妙にカリスマ性あるだろう。バックに大物がついてるって話だ」
「だれだよ、大物って」
「それはわからないけど」
 その返事に呆れ、颯天は時生を一瞥(いちべつ)して首を横に振った。
「ていうか、そのどこがヤバイのさ。大物ってのがやくざだっていうんなら確かにやばいけどさ、わからないんだろ。意味がわからないな」
「その大物の愛人て話だ」
「……は?」
 颯天はますます意味がわからず、顔をしかめた。
「……それって……大物って女か?」
「わからないよ。ただ、EA(エア)ってどこか妙な雰囲気ないか」
 わからないという答えには戸惑ったが、EAに関しては時生と同じで颯天もどこか違和感を覚えている。
「まあな。EAの部員は新入生以外、みんな朔間さんのシンパって感じだし、ほかのサークルから勧誘受けたとき、もうEAに加入してるっていうと大抵の奴は化け物に会ったような顔をする」
「そこだよ、颯天。これも友だちから聞いた話、カースト的っていうか、清道じゃあEAは大学側からも一目置かれてるらしい」
「そりゃ、活動が活動だからな。あ、……ってことは、おれら、先輩たちに弄(いじ)られることもないし、大学生活は安泰ってことか」
 颯天が能天気に云うと、時生はため息をついた。
「おまえがうらやましいよ」
「サンクス」
 颯天は皮肉を称賛としてあしらい、時生は呆れきったように首を振った。
 その実、颯天の脳裡は目まぐるしく動き、時生が放った言葉を思考回路にのせた。
 これから颯天たちが向かう通称EAは、エリートエージェンシーというサークルの名称の略で、四年の朔間祐仁が代表で取り仕切っている。EAには入会したくても志願では入会できない。すべての部員がスカウトによって入会するのだ。
 何をやっているかといえば、大学側と学生たちの間に立ち、問題点を解決することが主な活動だ。依頼によってはなんでも屋のように引き受けることもあると聞いている。
 颯天たちは新人ということもあり、まだ活動にじかに携(たずさ)わったことはなく、いまはただ話し合いに参加しているという状況だ。
 サークル会館に着くと、四階建ての屋上に行った。そこにはペントハウスが設置され、つまり、屋上はEAが独占で使っている。
「お疲れさまです」
 颯天はだれにともなく発しながらペントハウスに入った。すでに二十人くらいいるが、それでも充分に余裕があるほど室内は広い。
 真っ先に目につくのはやはり祐仁だ。幹部たち専用の会議用テーブルに身を乗りだして、書類を指差している。颯天の視線に気づいたように、祐仁は顔をすっと上げて見返してくる。
「颯天、手伝ってくれ」
 祐仁は躰を起こし、颯天だけを指名して、促すように奥の資料室に向けて顎をしゃくった。
 部員たちの視線がちらちらと颯天に向くのは気のせいか。
「はい」
 気にしていてもしかたがない。颯天はうなずいて資料室に向かった。
 背中の向こうで、祐仁が幹部たちにいくつか指示を出す。颯天が資料室のドアを開ける頃。
「時生、これを人数分コピーして配ってくれ」
 と、祐仁は時生を名指しした。それは空気を読んでのことだろうか。
「はい」
 時生の落ち着いた返事はそれでもわずかに嬉々とした様が漏れている。
 何やかや云いつつも、祐仁に声をかけられるのは名誉なのだ。新人に限らず、EAのメンバーはだれしもが祐仁に一目置かれたいと思っている。
 そういう状況下、颯天は少しだけほかのメンバーと立ち位置が違う。その気配は入ったときから感じていて、最初は自意識過剰だろうと思っていた。やたらと先輩たちから素性を訊かれることが多かったが、同時期に入った新人たち五人と学生食堂で昼食を取りながら話したときにその理由がわかった。
 EAが何を基準にスカウトするのかは皆目わからないが、通常は幹部の指示を受けて人事班のメンバーがスカウトに動くらしい。颯天だけが、幹部も幹部、代表である祐仁がじかにやってきて勧誘した。つまり、颯天は最初から祐仁に特別扱いをされている。ゆえに、自意識過剰などではなく、颯天はメンバー全員から見張られているのだ。羨望(せんぼう)、あるいは嫉妬(しっと)の念を持って。
 時生は『妙な雰囲気』を感じていると云うが、颯天から見ると妙に閉塞(へいそく)感を持った、気軽に口にはできない組織のように思える。
 颯天は資料室に入り、室内をひととおり見回した。奥には『7』まで番号が振られ並列した棚がある。手前の右側部分には資料を広げて調べるための長テーブルが三台くっつけられていて、左側にはそれぞれパソコンを置いたデスクが二台あった。
 しばらく待っていると、すぐにドアが開いて祐仁が入ってきた。祐仁の背後でドアが閉まったとたん、鍵をかけられたわけではないのに閉じこめられたように感じた。限られた空間でふたりきりになるのははじめてだ。へんに意識して緊張してしまう。祐仁が心の内まで射貫(いぬ)くように颯天を見るからかもしれないし、時生が噂話を教えたせいかもしれない。
 颯天は、女に変身させるならメイク次第で可愛くも綺麗にもなれるだろうと云われる。それくらい、整ってはいながらも目が奥二重だったり眉が細く薄かったりとパーツが控えめな顔立ちだ。悪くも恥ずかしくもないはず。そんなことを云い聞かせながら、口を開いた。
「え、っと……何をすればいいですか」
「万殊(ばんしゅ)祭の資料から講演会の記録を五年分、抜きだしてくれ。『1』の棚にある」
 祐仁は棚の奥のほうを指差した。そうしながらデスクに向かい、颯天が、わかりました、と答えているうちにパソコンの電源ボタンを押した。
 その様子を見ながら、祐仁が颯天に見入ったようだったのは、それこそ自意識過剰だったのだと思い直した。
 時生がヘンなことを云うからだ。……って何を気にしてるんだ、おれは。
 内心でぼやきながら、颯天は棚の列に入りこんだ。
 十一月にある清道大の学園祭イベント、万殊祭は別に実行委員会が起(た)つが、EAも深く関わるという。準備に半年もかけるのかとあらためて感心しながら颯天は資料を探した。
 模擬店やら体験コーナーやら細かく仕分けられたファイルのなかに講演会と記されたものを見つけ、抜きだしていく。遡(さかのぼ)ること五年までたどりついたとき。
「わかったか」
 いきなり間近で声がして――
「うわっ」
 と、たった探すだけのことによほど集中していたのだろう、颯天は文字どおり、わずかではあったが飛びあがった。
 抱えていたファイルを落としそうになり、そうすまいと慌てたすえ棚に肩がぶつかってよろける。
 直後、祐仁が手を伸ばして颯天の左腕をつかんだ。とっさだったからか、腕を引かれた弾(はず)みで、祐仁の胸に抱き寄せられる恰好になった。祐仁の左手が颯天の腰を支えて、跳ね返されるのを防ぐ。抱えたファイルがふたりの上半身を隔てたものの、下腹部を軸にして躰が密着した。
 ぐっとさらに引き寄せられたと思ったのは気のせいか、まもなく腰もとから離れた祐仁の左手は颯天の右腕をつかんだ。
「何やってるんだ」
 祐仁はため息をつき、至って普通に呆れたように云う。
 やっぱり勘違いだ。……って何を勘違いするっていうんだ?
 また内心で自分に突っこみを入れながら、颯天は素早く頭を下げた。
「す、すみません。びっくり……しすぎました」
 颯天が取って付けたように云うと、祐仁はくちびるを歪(ゆが)めて可笑(おか)しそうに笑った。
 真剣なときも、さっきの呆れた顔も、いまの笑い方も、祐仁はいちいち様(さま)になる。
「颯天、おまえ、いま何か心配事を抱(かか)えてるだろう」
 やっぱりかっこいい、と憧憬(しょうけい)の気持ちを再確認していると、祐仁は突飛なことを口にしながら問うように首をひねった。
「心配事、って……よくわかりますね」
 ない、と完全否定しようと思ったが、だれだろうと何かしらの心配事はあると一瞬のうちに考えを変えて、颯天はおもしろがった素振りで認めた。
 颯天の腕を放した祐仁はけれど、颯天に合わせて興じるでもなく、さらに首をひねる。
「なんだ」
「……え?」
「相談に乗ると云ってる。病気を治せと云われても困るが、大抵のことは力になれる」
 祐仁は至って生真面目な様子で、ちゃかすのも気が引けた。
「もしかして……それでおれ、ここに呼ばれたんですか」
「それもあるし、早く慣れてほしいっていうのもある」
 祐仁はあたりまえのように云うが、それをどれだけ颯天が光栄に、あるいは単にうれしいと思っているか、果たして祐仁はわかって云っているのか。
 祐仁は背の高い颯天よりもさらにわずかに高い。スタイルも細身で、Tシャツにカーゴパンツという極めて普通の服装でも“着こなしている”といった恰好良さが窺(うかが)える。ただ細身なのは見た目だけで、さっき躰を支えられたとき、意外にがっしりしていることに気づいた。
 容貌(ようぼう)もけちの付け所がない。切れ長でありながら小さくない目、すっと伸びる高い鼻にちょうどいい厚みのくちびる、そして顎のラインは強靱(きょうじん)そうな意志を示しながらシャープだ。髪は無造作に手櫛(てぐし)を入れている感じだが、何気なくて似合っていた。
 祐仁は、大抵のことは力になれるという自信を持ち合わせ、完璧な外見を持ちながら、頭が切れ、カリスマ性を備えている。颯天も外見は悪くないと云われてきたが、トータルで採点するなら祐仁の足もとにも及ばない。
「なんか朔間さん、すごいですよ」
「何が」
「学生なんて普通は自分のことで精いっぱいじゃないですか。それなのに、EAの活動をして、メンバーの様子にまで気を配って助けようなんて、余裕があるなって感心してます。就活も内定が出る時期ですよね? それでもEAにはずっと出られてるし……」
「おれは就活する必要ないんだ」
 祐仁は颯天をさえぎると肩をすくめた。そのしぐさに見えるのは、ごまかしではなく、やはり余裕だ。
「院に行くんですか? あ……じゃなくて伝手(つて)とかコネとか、あとは……家を継ぐとか……ふぐっ」
 ありったけの就活をしなくていい理由を並べ立てていると、ふいに祐仁が片手で颯天の口をふさいだ。
 自分でも無駄口を叩いているとわかっていたが――いや、そうやってごまかしていたのだが。
「確かに、就活はしなくていいしEAに出てくる余裕もある。けど、はぐらかすなんていう無駄話に付き合ってやれるほど、おれは暇じゃない」
 祐仁は颯天よりも――そこら辺のだれよりも一枚も二枚もうわてだ。ちゃんと見抜かれていた。
「……すみません」
 と発した言葉は祐仁の手のひらのなかでこもる。同時に、祐仁が眉をひそめて吐息とまがう、かすかな呻き声を発する。直後、祐仁の手は離れていき、何気なく目で追うとその手は握り拳をつくった。何をそこに閉じこめたのか、そう思ってしまうようなしぐさだった。
 不思議に感じながら、すみません、と颯天はもう一度ちゃんと口にして謝った。
「心配事といってもおれのことじゃないんです。家族の問題なので。もうすぐ解決できると思います。気にかけてもらってありがとうございます」
 祐仁は考えこむような面持ちで颯天を見つめる。
「颯天、おれは分け隔てなく首を突っこんでるわけじゃない」
 どういう意味だろう。つまり、颯天だから気にかかるということか。いや、きっと祐仁自身がスカウトしてきた颯天だから責任を感じているにすぎない。
 ――とそう自分に云い聞かせていることに気づいて、颯天は自分のことながら戸惑う。なぜこうも祐仁の言葉だったりしぐさだったり、いちいち気に留めて深く勘繰ろうとするのだろう。
 尊敬とか羨望とか、ここまで抱(いだ)いた人はいない。そのせいだ。
 云い訳とも取れるようなことを思いながら、祐仁の目が射貫くように颯天を見ていて、もしかしたら内心の戸惑いが見抜かれているかもしれないと焦(あせ)る。
 何か切り返さなくてはと考えても見つからず、結局は祐仁のほうが口を開いて沈黙を破った。
「埒(らち)が明かなかったら、おれに話すって約束しろ。いいな?」
「はい」
 無自覚にうなずきながら、何かあれば祐仁を頼れると、颯天はそう思うだけで心強くなった。

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