Cry for the Moon
〜届かぬ祈り〜
前 奏
所々に縦長い染みがあるクリーム色の団地が道の両脇に建ち並び、その間を車で通り抜けていく。一メートルくらいの高さの堤防が現れ、その向こうに
緩
(
ゆる
)
やかに波立つ海が見える。
遊歩道手前の駐車場に車を止めた。
エンジン音が消えたと同時に車内の温度が少し上がる。ドアを開けると、涼しさに馴染んでいた
躰
(
からだ
)
は一気に汗ばんだ。九月に入ったとはいえ、夏はまだその気配を秋に譲るつもりはないらしい。
煙草をつかんで遊歩道に入った。
堤防は道沿いに遠くまで続いている。
ただ歩き続けた。
感情が乱れるあまり、波の音さえ耳に届かず、目的も意味もなく、ただ道があるままに進む。
見える物も脳裡に入ってくることはない。
答えは考えるまでもなく目のまえにあるのに心が受けつけない。
どうにかしてくれっ!
怒りに似た
苛立
(
いらだ
)
ちが自分の中で暴れまくる。
眠ってもそれは
鎮
(
しず
)
まることなく、むしろ本物の怒りに変わっておれは夢の中で虚しく叫び続けた。
泣きてぇよっ!
泣かせて・・・くれ・・よ・・・っ。
決別を告げてから二カ月という月日も慰めにはならず、感情が
捌
(
は
)
け口を求めて
蠢
(
うごめ
)
く。
破壊的な無気力がおれの足を止めた。
もう、進めねぇよ。
立ち尽くした。
気が狂いそうなくらい真っ白に染まろうとする心が死魔に魅入られていく。
No can do.
彼女を必ず導く。幸せという名の
下
(
もと
)
に。
おれは答えに誓ったはずだ。
〜〜〜〜〜♪ 〜〜〜♪
微かな歌声。
なんの曲か、なんてわからない。
波の音よりも細い声なのに、不意討ちでそれはおれの心に届いた。
その音を追う。
気づかないで通り過ぎたその場所には――。
「なぁ、笑ってよ」
姿が目に入った瞬間、おれは声をかけていた。
気まぐれといえば気まぐれ。
けれど、それ以上のなにか。
歌を口ずさんでいた彼女は驚くことなく、ただ口を
噤
(
つぐ
)
み、おれを振り返った。
そして驚いたのはおれのほうだった。
その横顔に見えた
儚
(
はかな
)
さは消え、彼女の瞳は感情を失っている。否、そこに在るのは侮蔑、怒り、そして……涙。たぶん――。それらが
綯
(
な
)
い交ぜになって虚無が織り成されている。
“なにか”がわかった。
それは彼女とおれに共生するもの。
彼女はおれを
一瞥
(
いちべつ
)
したあと、何事もなかったように視線を海に戻した。
たぶん、おれは救えない。
自身のことさえ持て余している。
けれど、立ち去ることはかなわなかった。
別のなにかがおれを
留
(
とど
)
めた。
爽快
(
そうかい
)
に晴れた空が希望を示す様とは対照的に、果ての見えない海は絶望を暗示する。
彼女がそうしているように、おれは堤防に登り、足を海に向けて座った。
足もとはちょっとした崖っぷちになっている。
煙草を一本取り出して火を
点
(
とも
)
す。吸い終わるまで、互いは存在しないかのように語ることはなかった。
「なぁ、一緒に飛び降りようか」
おれは誘うように吐いた。
彼女は今度も驚くことなく顔を向けると、なにも映さない瞳でおれを見返した。
おれの真剣な眼差しが通じているにも
拘
(
かかわ
)
らず、意外にも彼女は笑った。
笑うシーンではないのに。
「たぶん、一緒に飛び降りたら……」
間近で聴いた彼女の声は琴線に触れ、心がざわめき揺れる。
「あたしはファンに恨まれるよ……ユーマ」
…………。
彼女のあまりにも現実的な云い分と正体がばれていた驚きで、応えに詰まる。
「そうする時は独りでって決めてるの」
彼女は密かな楽しみを教えるように照れた笑みを浮かべた。
そのギャップに怖いほどの衝撃を受け、直後に激しい衝動がおれを包み込んだ。
― The story will be continued in the next time. ―
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