Cry for the Moon
〜届かぬ祈り〜
メロディ15.
服を着て、祐真はベッドの端に座った。
ベッドが沈んでも気づかないまま、まだレアはぐっすりと眠っている。
軽く開いているレアの手に左手を重ね、祐真は手にした携帯を開いた。
「祐真くん?」
落ち着いた、太く滑らかな声に歓迎が窺えた。
「はい。久しぶりです」
「高弥が心配している。もっとも、君がどこにいるかを私がわかっていると知っていても、私を頼っては来ないが」
高弥の父であり、祐真の顧問弁護士でもある伊東の声には、笑いつつも
寂然
(
せきぜん
)
とした響きが聞き取れた。
高弥と父親の間には、
確執
(
かくしつ
)
とはいかないまでも隔りがある。
「いつか理解できる日が来ると思いますよ」
単なる慰めではなく、
現在
(
いま
)
に至ったからこそ、祐真は本心からそう思った。
「そうなればいいが」
「生意気でしたね。おじさんにも心配かけました。やっと抜け出せたところです」
ある程度の事情を承知している伊東はほっとしたようにため息をつく。
「そうか……それはよかった」
「それで、ちょっと相談が」
「なんだね」
「家を探してるんです。どこか紹介してもらえたら、と思って」
「どういうことだ?」
伊東が一転、心配そうに問い返した。
「独立するだけですよ。できるだけ、海が見えて、空に近い場所を探してます」
「……なかなかロマンティックな家探しだな」
そう云うと、祐真は笑った。
伊東がこれまで耳にしたことのないほどの屈託のない祐真の笑い声だった。
「……もしかしてだれかと……」
「おじさん、しばらくは内緒で」
祐真は伊東をさえぎってふざけた口調で云った。
「これでも弁護士だよ」
「はは。信用してますよ。高弥の親父さんだから」
「その高弥に連絡を入れてやってくれないか?」
「はい……おじさん……」
祐真は云いよどんだ。
「どうしたんだね?」
「……高弥を貸してくれませんか」
「貸す?」
「……というより、利用する、と云ったほうがいいかもしれません」
「どういうことかな」
伊東は案ずるように訊ねた。
「……いえ……すみません、失礼でした。いろいろと考えるところがあって、高弥なら、と思っただけです。高弥にはすぐにでも連絡入れますから」
祐真は携帯を切ると、ふっとため息を吐いた。
押しつけるようなことでも、強制するようなことでもない。けれど、仕向けることくらいいいだろう。あとはふたり次第だ。
祐真は眠っているレアの頬にそっと触れた。
「レア、起きて。もう九時近くになる」
その声にレアは薄く目を開けると、すでに着替えた祐真が目に入った。いつのまにかまた寝入っていたと気づいた。
「いつ起きたの?」
「ずっと起きてたよ。レアを見てた」
祐真が
微笑
(
え
)
み、躰を屈めて
一滴
(
ひとしずく
)
のキスを降らせた。
「ずるい」
「はは。早くシャワーして着替えてきて。朝食とったら送っていくよ」
バスルームに入っていくレアを見送ったあと、祐真はまた携帯を開いた。高弥の番号を表示して呼び出しのボタンを押し、ベッドから立ち上がると窓辺に寄った。
「祐真か?」
だれもが同じく素早い反応で祐真の呼び出しに応じる。
「みんなさ、いつもこれくらい早く出てくれるとイライラしなくてすむのにな」
祐真は笑みが滲む声で云うと、高弥は呆れたように笑った。
「人に心配かけといて、よくそんな能天気なことが云えるな」
「わ、る、い」
祐真はわざと一語ずつ区切って謝った。
「おまえが戻ってくるんなら許してやるよ。良哉から聞いた。歌、またはじめるって?」
「ああ。ある程度は解決した」
「……おまえ、昂月ちゃんは……」
「高弥、おまえに頼みたいことがある」
高弥をさえぎって祐真はとうとつに告げた。
「なんだ?」
「……昂月を……」
「……昂月ちゃんが、なんだよ」
高弥が祐真の真意を探るように催促した。
「いや……会ってから話す」
「なんだよ、煮え切らないな」
「はは。電話で云ったら、おまえに殴られることができないからな」
「なんだ、それ? おれに殴られたいってどういうことだ? ヘンな奴」
高弥は電話の向こうで笑っている。
「また電話するよ。じゃな」
外の景色を見渡した。
空が
群青
(
あお
)
く見返す。
レアが頑張ると云った、同じ気持ちが祐真にも溢れる。
ふっと独り
微笑
(
え
)
んだ。
すべてがうまくいきそうな感触を抱え、窓辺を離れて携帯をデスクに置いた。
その一瞬後。
いきなり祐真はこれまでとは違う激しい頭痛に襲われた。
ク――ッ。
立っていられず、すぐ横のベッドに倒れて頭を抱え込む。
痛みに気絶しそうだった。
尋常ではない痛みは、祐真自身に
最期
(
さいご
)
を告げた。
……ここまで…きて……このまま…残しては逝けない…のに……レア――。
レアは髪を乾かすまでぐずぐずとバスルームで時間を過ごした。
約束の時間があることを知っている。わかっていても時間を引き延ばしたい気持ちは消えてくれない。
けれど、祐真は裏切る人間ではない。それだけは信じることができる。
バスルームを出たとたん、レアは部屋の中に違和を感じた。
静かすぎた。
「……祐真?」
ベッドの上に躰を少し丸めて祐真が寝ている。
……違う!
「祐真っ」
急いで駆け寄り、祐真の顔に触れた。
「ゆうま?!」
呼吸は感じ取れる。
ベッドサイドの受話器に手を伸ばしたと同時に、その手を祐真がつかんだ。
「祐真……」
祐真の焦点の定まらない瞳はすぐに閉じられた。
「頭を…殴られたみたいに…痛い」
「ドクターを呼ぶから待っ――」
「レア……そのまえに聞いて……最後に…なるかもしれない……」
祐真が途切れ途切れに呟く。
「どうして?! どうして、そんなこと云うの?!」
「自分の躰だから……」
「……あたしは……このまま祐真を見殺しにしたほうがいいの?!」
「……そうじゃない……できるならレアと一緒に生きたい……」
「じゃあ、そうしてよっ! ねぇ、祐真、いまから妹さんと会うんでしょう? ちゃんと話さなくちゃだめだよ!」
「……わかってる……レア……デスクの引き出しから…このまえ録ったMDを…一枚取ってきて」
云われた通りに急いで引き出しを探るレアの手がガタガタと震えている。
“ONLY ONE”と書かれた二枚のうちの一枚を手にベッドに戻った。
「取ってきたよ」
レアは囁くように伝えた。
「もしおれがこのまま……妹が……ここを片付けることがなかったら……この曲が発表されることがなかったら…一年後に公表してほしい。一年もしたら…妹の傷も少しは
癒
(
い
)
えて…おれがどうしたかったのか…受け入れてくれるかもしれない。レア……頼みがある」
「なに?」
「妹の幸せを……おれのかわりに見届けてほしい……ごめん……こんなことを頼んで……」
「わかった。でも、それは祐真が見届けなくちゃ!」
祐真は目を閉じたまま
微笑
(
わら
)
う。
レアはベッドを下りてデスクの上にあった祐真の携帯を取り、履歴を探った。すぐに昂月の番号が見つかる。
レアが呼びかけると、彼女の動揺が電話越しでも伝わってくる。
「祐真……祐真、妹さんと話して! ちゃんと答えを云ってあげなくちゃ……」
祐真の耳に携帯を
充
(
あ
)
てがい、昂月との会話を見守った。
目を閉じ、
抑揚
(
よくよう
)
がなくなっていく祐真の声に、恐怖がだんだんと強く押し寄せてくる。
このまま意識がなくなれば祐真はもう――。
その恐怖が、昂月へ助けを求めるレアの声を悲鳴に変えた。彼女が真貴を呼ぶように云って電話を切った。
「あたしのせいなのね?! あのとき――」
「違う……レア……」
「でも――!」
「おれは……! レアを守りたい……守れた……それだけでいいんだ……」
レアの悲鳴をさえぎって、祐真はいまできる限りの力を声に込めて強く云った。
自分を優先するのなら、迷わず連れて逝く。
けれど。
「レア……妹を幸せにしたい。レア……レアをもっと幸せにしたくなった……レア……おれがいなくなることで…レアは傷つく……レア……けど、忘れないで……レア……その傷を癒すために…またレアはだれかと……廻り合う……レア……必ず…レアを必要としてくれる奴が…また現れる……おれが妹を失ったあと…レアと廻り合ったように……レア……もっと大きな愛をつかめるよ……くやしいけど…わかるんだ……おれが…そうだから……レア……だから…捨てないで……レアの心も命も……レア……そのときは怖れないで…拒まないでほしい……」
「祐真、あたし、頑張るから。だから、祐真も頑張ってっ」
レアは震える手で受話器を取り上げ、フロントに真貴への連絡を依頼した。
「レア……手を……」
レアは力なく手探りで伸ばした祐真の手に触れた。祐真が弱く握り返す。
「レア……真貴さんが来たら……真貴さんの云う通りにして……レアを守るためだから」
「うん」
「レア……あとでバッグの中を見て」
「うん」
「レア……レアになにも
遺
(
のこ
)
してやれなかった」
「そんなことない」
「レア……おれはこれからたぶん…月の裏側に…逝くんだ。だからレア……
地球
(
ここ
)
に…
生き
(
い
)
て……いつも…レアの姿が見られるように」
「祐真、独りじゃさびしいでしょ?!」
「はは……大丈夫……レアの心を持っていくから……レアの…幸せを見届けるまで…ちゃんといるから……」
「祐真、愛してる。大好き」
「レア……欲しい答えが…はじめて聞けた……レア…後悔しないで……おれも…後悔してない……」
「あたし、幸せだから後悔しない」
「レア……寒い……眠い…………」
「ゆうまっ」
「レアを…だれよりも…愛してる……レア……ありが…とう…………レア――――」
……ゆう……ま…………。
レアの手を握っていた祐真の手から力が途絶えた。
― The story will be continued in the last time. ―
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