Cry for the Moon 〜届かぬ祈り〜

メロディ14.


「レア、妹と話そうと思ってる。ある程度、妹のことを解決してからレアを見送りたい」
「……いつ?」
明後日(あさって)。それから、レアの両親とも話しておきたいんだ。そのまえにレアは一度、家に帰ったほうがいい」

 朝食の席で、祐真がいまの時点では思ってもいなかったことを切り出した。
 レアの表情が消えていく。

「レア、ごめん、勝手に決めて。まえにも云った通り、立場上、必要以上にレアを不安にさせる仕事だし、今更だけど、少しでも筋道を立てておきたい。おれのケジメなんだ」
「それを考えてたの? 昨日からずっと顔をしかめてる」
「そうじゃない。ちょっと頭痛がしてる。心配しないでいい、酷くないから」
 レアは納得したように頷いた。
「あたしは……平気」
 レアは窓の外を見るふりをして瞳を逸らし、何度も(まばた)きを繰り返した。

 祐真が席を立ち、レアの椅子の横に跪くと、彼女は俯いて髪で顔を隠す。
「レアには謝ることばかりしてる気がする」
「……いつまでもこのままでいられるとは思ってなかったから……平気」
「レア、おれがレアの言葉の裏を読めるようになったって云ったら怒る? 平気なはずないだろ?」
 祐真はレアが座った椅子を正面向くように動かした。
「おれは……いまから我慢できなくなる自分が想像つく。それに、こういうのは送られるより見送るほうが辛いんだ。置いていかれるみたいで」
 祐真は下から覗き込むようにしてレアのくちびるにくちづけた。両手に挟んだ頬が濡れている。
「会いに行くよ」
 レアの手が縋るように祐真に絡みつき、顔を埋めた首もとから抑えきれずに小さな泣き声が溢れた。


 ベッドルームの窓枠に座り、ふたりは地上に(きらめ)く無数の灯りを眺めた。
 明日にはこの場所を離れていく。
 レアの中に、この時間が幻想になりそうな畏れが生まれていた。

「ねぇ、祐真……歌って」
「どの曲がいい?」
「なんでもいい」
 レアを背後から抱いている祐真の歌声が耳もとに聴こえる。祐真にもたれて目を閉じていると、その声が躰中に浸透していくような気がした。

 メドレーで何曲か歌っていると、ふと声が途切れる。祐真が頭をレアの肩に置いた。
「頭……痛い」
「祐真、ドクターを……」
「いい、大したことない」
 祐真はさえぎって引き止めた。
 レアは立ち上がって、頭痛薬と水を取りに行く。
 薬を飲む祐真をじっと見守った。

「祐真……あのとき、どうして倒れたの?」
「あのときって?」
「先生と……」
「ああ……頭を蹴られた。けど、倒れたのはわざとだよ。手っ取り早く追い返すためにやっただけだ。頭痛とは関係ない」
「でも……昨日からずっと頭痛薬を飲んでる」
「続くようだったら、ちゃんと病院へ行くよ」

 レアが俯く。
「……怖いの」
 あの日と同じようにレアが呟いた。
 祐真は立ち上がって彼女をしっかりと抱きかかえる。
 言葉よりもこうしていることのほうが重要な気がして、レアの気が静まるまでそのままでいた。壊れそうなくらいのかぼそい肩が小さく震えている。

 すべての(かせ)を無視して連れ去りたいという、祐真の衝動が(うず)く。
 けれど、このまま連れ去っても、レアはきっといつまでも不安を捨て切れないだろう。
 レアに必要なのは自分を信じること。自分の心を信じることだ。レアの心に在る祐真が期待に応えることで、彼女は自分を信じることを覚えていける。

 レアが深く震える息を吐いた。
「落ち着いた?」
 腕の中でレアが頷く。躰を離してレアの顔を持ち上げた。
「鼻が赤くなってる」
 レアはちょっと()ねた顔をして祐真の胸を小突いた。
 少し尖らせたくちびるを襲う。

 手を胸に滑らせ、そしてレアのバスローブを肩から落とした。


 夜が明ける頃に目が覚めたレアは、外の景色を見るともなくぼんやりと見ていた。
 秋を知らせるように高く白んでいく空は、だんだんと澄み切った群青(あお)に染まろうとしている。
 レアを包む祐真の躰が温かい。
 そっと祐真の腕を抜け出し、レアは窓辺に近づいて空を見上げる。

 これがふたりの未来を約束しているのなら――。

 起き出したレアに気づいて祐真も目を覚ました。

「祐真、あたし、頑張れそうな気がする」

 振り返ったレアがそう云って笑った。
 レアの裸体を淡い光が包んでいる。

 今日の空と同じくらいに澄んだ笑顔とその姿は、祐真の瞳に隠しようのない激情をもたらす。

「レア、抱かせて」
「……最後?」
 笑いながらレアはベッドに戻る。
「まさか」
 笑い声を出すレアのくちびるをキスで塞いだ。


 祐真はまた眠りについたレアを抱いたまま、窓の外に目をやった。
 空ははじめて祐真を認めたのか、群青(あお)が温かい。群青(そら)からステイタスを(あずか)った気がした。

 理由も解らずに抱えていた虚しさも、両親との離別も、妹と出会った幸運も、そしてそのあとに苦しみとなった妹との恋も、すべてがレアと廻り合うために必要なことだったと、いまは解る。

 レアに出会ったことがすべてに答えをくれた。
 レアの痛みを解るための機会を与り、おれはここまでたどってきた。
 おれはレアに廻り合う資格を認めてもらったんだ。
 これから未来(さき)、戸惑うことはあっても迷うことはない。

 片肘をついて躰を起こし、しばらくレアの頬に手を置いたまま、祐真は離れがたく見つめた。

 どんなに愛しても時間が足りない。
 そう感じるほど、傍にいたいと思う。
 触れいていたいと思う。
 ただ愛しい。

 これほどまでに強い感情が自分の中にあるとは知らなかった。

― The story will be continued in the next time. ―

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