Cry for the Moon 〜届かぬ祈り〜

メロディ13.


 良哉のマンションを出てから、祐真は音楽スタジオへと車を走らせた。
 個別の部屋へ入ると、レアはコントロールルームの音響設備をめずらしそうに眺めたり触ったりしている。

「歌うの?」
「いま歌わないと、逆に本当に歌えなくなりそうな気がしている」

 祐真は良哉からのMDをセットしてピアノ曲を流した。
「すごくきれい。でも、このまえ作ってた曲じゃないのね?」
「あれは調整中。これは歌えなくなるまえに作った曲」
 祐真は設備の調整をはじめた。

「一緒に入っていい?」
 レアがヴォーカルブースを指差した。
「静かにしてられるなら」
「それがわからないほど子供じゃない」
 レアは、祐真がはじめて見るムッとした顔をしている。彼女はだんだんと感情を素直に見せはじめていた。
「入れよ」
 からかいを含んだ声で祐真は促した。
「レア、マイクの音を調整するから歌ってみて」
 レアはびっくりして、ガラス越しにコントロールルームの祐真を見返す。
「あたし?」
「そう」
「だめ。プロを前にして歌えないよ」
「ずっと歌ってただろ」
 祐真は笑いながら、ヴォーカルブースに入ってきた。
「あれは……鼻歌だし」
「じゃ、一緒に歌おう」

 祐真はレアの両腕を取る。
「手を回して」
 云われた通りにすると、祐真は身を屈めてレアを抱き上げた。
「なに?」
「歌……ブルームーン、覚えた。声慣らしに付き合って。こうしてたら顔見えなくて恥ずかしくないだろ」
 レアがクスクスと笑い、足を祐真に巻きつけてしがみつく。
「重くない?」
「小さいからなんてことない」
 レアは少し躰を離して、間近で祐真を見つめる。
「祐真から煙草の香りが消えていってる。いま吸ってないよね?」
「歌いはじめてからはそんなに吸ってない。のどを痛めるから。精神安定剤みたいなもんだ。一年前くらいから、精神的にきつくてまた常習化してたけど、いまはもう必要なくなった。キスしてるほうがいい」
 レアがクスッと笑う。その瞳がキラキラと輝いている。
 ふと、レアが片手を口に当てて欠伸(あくび)を噛み殺した。
「眠たい?」
「だって……眠らせてくれなかったから……」
 面白がっている祐真に向かって、レアは口を少し(とが)らせた。
「あれでも自制したつもりだけど」
「男の人ってそう?」
「さぁな。おれは気持ちがないと続かない」
 そして祐真はレアの耳もとに小さく囁く。
「抱きたいって心底から思って抱いたのは、レアがはじめてなんだ」
 祐真が顔を離すと、照れたようにレアはくちびるに笑みを宿す。
「愛してる」
 告白を受けて、レアは祐真のくちびるの端にそっとくちづけた。祐真の腕に力がこもる。
「ここでは手を出せないって思ってる?」
 レアは再び躰を合わせ、耳もとで囁く。
「ずっとこうやって、くっついていたいって思ってる」
 ははっ。
 祐真は心底から可笑しそうに笑った。
「歌って。適当に合わせていくから」

 レアが歌い出すと四小節目に入ったところで祐真の声が重なった。話しているときとはちょっと違う、低音の深い祐真の歌声が心地よくレアの耳に響く。

「祐真のナマ歌、はじめて」
 一番だけ歌ったあと、レアは祐真の肩から顔を上げた。
「もっと聴きたい?」
「うん。ずっと歌ってて」
「嫌になるくらい、聴かせてやる」
 笑って宣言した祐真の声にも瞳にも、ためらいや迷いはもう見えなかった。

「よかった。歌えそうなのね?」
「ああ、歌える。まずは流し」

 レアを下ろすと、祐真はコントロールルームに入り、設備をいじってまた戻ってきた。
 祐真は何度か囁くような声で、ピアノ曲に合わせて歌を繰り返した。

「なんて曲?」
「ONLY ONE」
「哀しい歌だけど、大切にしてるのが伝わってくる」
 祐真は首を少し傾げた。
 納得がいくまで歌いなおしているうちに、床に座って聴いていたレアは、いつのまにか壁にもたれかかって眠り込んでいた。

 昨夜、祐真は果てのない欲求を優先してレアを何度も抱いた。そして今日は、まだ眠たそうにしていたレアを早朝から無理やりに起こした。
 前に屈み込んで顔を撫でても、レアが目を覚ます様子はない。
 尽きない欲求の裏に策略もあったと打ち明けたら、レアは怒るだろう。

 めちゃくちゃにしたいほど愛している。

 祐真は独り静かに笑った。
 コントロールルームへ行くと、良哉から受け取ったもう一つのMDをセットした。


「レア、終わったよ」
 レアがゆっくりと目を開け、(またた)いた。
「……いつのまにか寝てた?」
「失礼な奴」
「祐真の声がよすぎるから」
 クッと笑い、そして祐真は屈み込んだまま、いきなりレアを抱きすくめた。

「どうしたの?」
 しっかりとレアを包み込んだ祐真はすぐには答えなかった。

「……もう歌えることはないと思っていた」
 祐真の声が震えている。
「祐真?」
「……『ONLY ONE』は妹の歌なんだ」
「うん。わかったよ」
「……苦しくて歌えなかった」
「うん」
「なにも……歌えなくなった」
「……祐真……泣いてもいいよ」
 レアの言葉を祐真は笑った。

 けれどすぐに笑みは消え、長い時間、祐真が顔を上げることはなかった。

「レアと会わなかったら、二度と歌うことはなかったかもしれない。こうやって生きることに執着することもなかったかもしれない。やっと自由になれた気がする」
「うん」
「いまはレアと、揺るがない未来を信じられる」
「うん」

 祐真が躰を起こして、顔をしかめてみせた。その瞳が少しだけ赤くなっている。
「それだけ?」
 不満そうに祐真が訊いた。
「話、逸れなかったよ?」
 クッ。
 祐真が吹き出し、そして再び、レアを強く抱いた。

― The story will be continued in the next time. ―

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* 文中の歌“ONLY ONE”はサイトmenu◆Poetry-うた-◆に収録