Cry for the Moon 〜届かぬ祈り〜

メロディ12.


 部屋へ戻ると、レアはベッドにうつ伏せになって本を読んでいた。祐真に気づいてレアが顔を上げて振り向く。
「用事、終わったの?」
「ああ」
「携帯が鳴ってた」
 レアがデスクの上の携帯を指差す。

 着信履歴を見ると、中学からの親友でメジャーバンド“FATE(フェイト)”のメンバー、(わたる)からだった。
 レアを連れてくるまでの二カ月あまりは携帯の電源を切りっ放しだったせいで、だれもが諦めているのか、電源を入れたにも拘らず、いまだに携帯の呼び出し音が鳴ることはない。
 急用でさっき連絡を取った、同じく中学からの親友である良哉(りょうや)が航に伝えたに違いなかった。
 楽譜(スコア)をデスクに置くと、椅子に座ってダイヤルボタンを押した。

『てめぇ、なにしてんだ?!』
 電話を入れるなり、航の怒鳴り声が迎えた。
「ああ、悪かった。やっと、かたをつけられそうだ」
『……なんだよ、それ?!』
「悪い意味じゃない。吹っ切れたってことだ」
『……わかった。高弥も探してるぞ』
 苦笑混じりで祐真が応じると、航は納得したのか、しばらくして了解した声からは怒気が消えていた。
「わかってる。こっちから連絡入れるから、もう少し時間がほしいと伝えてくれ」
『携帯の電源、切るなよ』
「心配しなくても、そうできない理由がある」
『なんだ?』
「今度、話すよ。連絡が取れるってことは事務所にもしばらく黙っててくれ。携帯鳴っても出る保証はない」
 航のため息が電話越しに届く。
「心配かけて悪い。けど、もう大丈夫だ」
『ああ』
「なぁ、航。高弥はどんなやつだ?」
『は? てめぇもわかってるだろ? 
 大して付き合いの長さは変わんねぇのに今更なんだよ?』
「いや……確認したかっただけだ」
『なに云ってるのかわかんねぇぞ?』
 航の困惑が伝わってきて祐真は笑った。
「あとで答えは出るさ。おれから電話入れるまでまた待ってくれ。じゃな」

「友だち?」
 電話の様子を観ていたレアが訊ねた。
「ああ。中学んときからのダチ。FATE って知ってる?」
「知らない人のほうがめずらしくない?」
「はは、そうだろうな。そのドラムやってる航からだった」
「ふーん……祐真のこと、心配してるのね。怒ってる声が聞こえた」
 感情が消えた声でレアが呟いた。

「レア、今日は家に電話した?」
「毎日しなくても大丈夫よ? 祐真って過保護な親みたいなことを云う」
 夜になると毎日繰り返される祐真の確認を迷惑そうにレアは退ける。

 本来なら、その日のうちにでもここへ乗り込んでくるのが親としての心情であるはずだ。けれど、電話すらない。
 レアのことに無関心なのか、もしくはそれほど、レアに無理強いしていることに気兼ねする気持ちがあるのか。レアのためにせめて後者であってほしい。

 放っておかれてもそれがあたりまえになっているレアを観ていると、憤りに似た感情が集う。あたりまえになるほど繰り返された放置が、レアを不安定な気持ちにさせているいちばんの要因だと思えた。
 レアの中に溢れる不安を少しでも取り除きたい。

 そしてレアの環境に比べれば、確かな居場所があった祐真はそれだけで充分であったと気づいた。そこには確かな、様々な形の愛も存在している。

 (まも)り抜きたい。

 祐真は自分の中に迷いのない意志が芽生えていくのを感じた。

 おれが必要としていることを伝えたい。
 レアに嫌というほどわからせる。

 祐真は立ち上がってベッドに近づき、レアの背後から彼女が手にしている本を取り上げた。
「年がちょっと離れてるからって、レアの保護者になったつもりはないよ」
 バスローブの(すそ)をたくし上げ、レアの背中にくちづけると両脇に手を這わせた。レアが小さく呻いて身を(よじ)る。
「保護者はこんなことしない」
 バスローブを脱がせると、なにも身につけていない隙だらけのレアの白い背中が露わになる。首にくちづけ、ゆっくり背中を下へとたどっていく。
「祐真っ?」
 腰まで下りるとレアが驚いたように悲鳴を上げた。
「今日はおれがやりたいようにやる。思う通りに愛させて」

 緩やかに、時には息が詰まるほど激しく、祐真の躰が心ごと、レアを包み込む。
 祐真が奏でるメロディは何時間もの間、繰り返し、幾度もレアを果てしない感覚の中に送り出す。

「ゆぅ……ま…………壊れ…そう」
 途切れ途切れにレアが囁く。無防備にぐったりとレアの手が投げ出されている。祐真はその手に自分の手を重ねた。
「レア……おれがレアを愛してる……ということが……わかる?」
 荒い息の合間に、レアが欲しがる言葉を(つむ)ぐ。
「……ぅん……」
「怖いくらい……レアをずっと……抱いていたい……と思ってる」
 レアの手に意思が集い、祐真の手を握り返した。
 反応した祐真の躰が緩慢(かんまん)にリズムを刻み出す。
 されるがままに任せ、レアは躰を喘がせて満ち足りたメロディの中に意識を手放した。
「……レ…ア……っ」
 同時に堪え切れない呻きとともに、祐真の躰も強く震えた。
 尽きることのない欲求と飽きることのない満足感が祐真を覆う。

 レアの躰をきつく引き寄せた。
 汗ばんだ互いの躰があるべき場所に収まったようにピタリと合わさった。



 外へ出ると行き交う人と車の多さに、レアは一気に現実に引き戻される。ホテルの中の出来事が幻想のような気がした。

「どこへ行くの?」
 祐真が車を出して流れに乗ると、開けた窓から早朝の冷たい風が入り込んで心地よい。ホテルにこもった一週間の間に地上の温度が少し下がったようだ。
「友だちんとこ。曲のピアノ伴奏を頼んだんだ。FATE の作曲専門をやってる良哉のとこだよ。あいつのピアノはプロ顔負けだ。昨日の電話の航と同じで、中学んときからのダチ」
「二人とも、一緒にめちゃくちゃやった友だち?」
「……ヘンなことを覚えてるな」
「祐真の言葉は全部覚えてる」
「怖いな」
 祐真は可笑しそうにレアをちらりと見やった。

 赤い煉瓦(れんが)のマンションの駐車場に車を止め、エントランスへ入った。祐真がインターフォンで話すと中へと通じるドアが開き、エレベーターで上へと行った。
「あたし、ここで待ってる」
 部屋へ行きかけた祐真は足を止める。
「紹介するよ」
「ううん、この次でいい」
 レアを引き止めているのは真貴との一件があるからだと気づいた。
「わかった。すぐ戻るよ」
 繊細な彼女に必要のない負担をかけてしまったことを祐真は後悔した。

 良哉はドアベルが鳴るとほぼ同時に玄関を開けた。
「悪かったな、急に」
「ああ、驚いた。ファックスを送り付けていきなりMDに伴奏録れって。しかも昨日の今日だ……またはじめるのか?」
「と思ってる」
「二曲ともいい曲だった」
「サンクス」
 そう云った祐真の表情が以前と違っていることに、良哉は気づいた。昨日の電話でも、聞き取った声の印象が以前とは変わっていた。
「なにかあったか?」
「まあな。またゆっくり来るよ」
「本当は演奏料を取りたいところなんだけどな、貸しにしとくよ」
「オーケー。必ず借りは返してやるよ」
 良哉の冗談に祐真は半分本気で受け合った。
「航がホッとしてた」
 良哉が云うと、祐真は苦笑を浮かべた。
「ああ、おまえらには悪かったと思ってる。もうちょっと消えたままにさせてくれ」
「おれたちよりも昂月が……」
「わかってるさ。ちゃんとやる」
「……どうするつもりだ?」
 良哉の声は、彼がすべて承知していることを祐真に知らせた。
「……気づいたのか?」
「……断定はしてなかったけど、いまのおまえの返事ではっきりした。おまえらは従兄妹(いとこ)以上に似てるよ」
「はは、さすが、だな」
「で?」
「答えは出てるんだ。良哉……おまえは高弥をどう思う?」
 とうとつな祐真の問いに良哉は眉宇をひそめた。
「どうって……高弥はおまえと似てるよ……なにを考えてる?」
「まだ考えがまとまってないんだ。いろいろと模索(もさく)してる。とにかく、今日は急いでたんで助かった。じゃ、またな」

 良哉はドアを閉めかけて、再び開いた。
 ちょうどエレベーターのドアが開いたところで祐真の背が見える。その隣に、祐真に手を添えられてエレベーターに乗り込む小柄な女性の姿があった。長い髪が、ちらりと見えた横顔の輪郭(りんかく)を隠している。
 祐真がボタンを押そうと振り返ったとき、良哉と目が合った。祐真が笑んで軽く手を上げる。
 かつてこれほど穏やかな祐真を見たことがあっただろうか。
 そのしぐさに反応した彼女が、こっちを向こうと頭を動かしかけた瞬間に扉が閉まった。
 祐真……?

― The story will be continued in the next time. ―

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