Cry for the Moon 〜届かぬ祈り〜

メロディ11.


「真貴さん、わかっています。昂月(あづき)のことはちゃんとやります。すみません、心配かけて」
「あづきさん、て……妹さん?」
 レアがたじろいだ様子で祐真を見上げる。

 祐真がここで世話になっている人というのなら、当然祐真の妹とも真貴は親しくしているだろうし、それが自分がいることに対する批難となっていることはレアにも見当がついた。
 それをわからないほどレアが鈍感な人間ではないことを、祐真も知っている。
「そうだ。レアが気を遣うことじゃない。ごめん」

 ふたりを見守っていた真貴は、ふと祐真の表情がこれまでになく柔和な様であることに気づいた。
 刃上を歩いているような危うさが消えている。それが祐真の確かな再起を示しているのなら、昂月もやがては道を探し当てるだろう。そのきっかけが、いま祐真の隣にいる少女なのであれば、責める理由はどこにもない。
 むしろ、不安そうに真貴を見返している様子に、そうさせた自分を恥じた。

「祐真さま、出すぎたことを失礼致しました」
「いえ、中途半端なおれが悪いんです。真貴さんから親身に心配してもらっていることはわかっています」
「心配するのはこちらの勝手でございますよ。お嬢さまのご紹介を願えませんか」
「レアです。事情があって二週間くらい預かります。レア、真貴さん」
 祐真はレアの背中に手を当て、前に押し出した。
 真貴が打って変わって温和な笑みを浮かべて会釈をし、手を差し出すと、レアはホッとしてその手を握った。

「当ホテル支配人の真貴です。レアお嬢さま、ようこそいらっしゃいました。ごゆっくりお(くつろ)ぎください」


 電気を消した部屋はそれでも地上の灯りが差し込み、室内に影をつくっている。カーテンを開けっ放しにした窓の外に目をやると、月はもう見えなくなっていた。

「レア、本当は妹のことをさきに解決してからこうなるべきだったと思ってる。成り行きで順番を間違った。そのうえ、さっきはまた嫌な思いをさせて悪かった」
「成り行き?」
「……そこを突っ込むくらいなら、たまにはまともにおれが欲しい答えを云えよ」
 ベッドに横たわり、頭を寄せていた祐真の肩が笑みで揺れる。
「お嬢さまって云われたのははじめて。すごく高貴になった感じ」
 祐真は片肘をついて躰を起こすと、またもやはぐらかしたレアを見下ろし、確かな鼓動に手を置いた。
「我慢できなくて…気持ちを抑えられなくなったって云ったらいい?」
 レアのくちびるが笑みを(かたど)ると、祐真の顔が下りる。
 ベッドが沈んだ。

 互いを求めるふたりの時間と空間が無効になっていく。

 やがて祐真は、力をなくして無防備になったレアの躰を引き寄せた。
「ゆっくり眠れそうな気がする」
「うん」
 ふたりの鼓動がともに夜想曲を奏で、それを子守歌にして眠りについた。

 夜が祐真を穏やかに迎える。
 孤独が消えた。
 繋いだふたりの手は朝まで解かれることがなかった。



「なにしてるの?」
 バスルームを出ると、祐真がめずらしくライティングデスクの扉を開いて座っている。

 この五日間、食事時にたまに真貴が同席する以外はほとんどをふたりですごした。互いの存在を確かなものにしたい気持ちは、終始ふたりを(かたわ)らに繋いだ。

「こっちに来て」
 祐真が手招きするまま机の上を覗くと、奥に置かれたキーボードの前に五線譜の紙が散らばっている。
「座って」
 大きめの椅子に座った祐真が自分の前を指した。誘われて祐真の前に座ると、背後からレアを抱くように腕が回される。
「曲を作ってる」
 耳もとで祐真が呟くと、レアは驚いたように振り仰いだ。
「できそう?」
「稼ぎ口を見つけないと、飢え死にしてもらったら困る」
「だれに?」
 祐真は答えるかわりに刹那、レアのくちびるを塞いだ。
「それに守らないといけない。守るためには認めてもらうことが必要になる」
「なんの話?」
「おれの仕事の話。レアは頓着してなさそうだけど、これでも公人。いろいろと制限されることが多いんだ。レアが傷つくようなことをされるまえに地位を確立したい」

 レアは立ち上がって躰の向きを変え、子供が抱っこされるように祐真に(またが)った。
「よかった。また祐真の歌が聴ける。全然、歌ってくれないから」
 うれしそうな笑みを見せると、レアは祐真の背に腕を回して左肩に顔を寄せた。
「ライヴに来たことある?」
「ないよ」
「……そのわりに、おれの正体ばれるのが早かったな。普通は写真だけじゃ、わからないだろ?」
「ライヴのDVD持ってる。これでも“ユーマ”のすごいファンなの」
 レアの笑みに祐真の笑みが重なる。
「祐真の歌って、すごく共感できて好き。ちょっと悲しいラヴソングも好き。ファンが多いってことが、あたしだけじゃないって思わせてくれるの。祐真はどうしてテレビに出ないの?」
「おれは大人になりきれてないんだ。喋るのが苦手」
「ライヴでは喋ってる」
「テレビでは画面の向こうの反応が見えないだろ?」
「ふーん」
「そのおかげで、周りを気にしないでけっこう自由に動けるんだ」
 レアが躰を起こした。
「女遊びも?」
「スレた云い方だ」
 祐真は僅かに顔をしかめる。
「けっこう世間は知ってるつもり。それで?」
「十五のときでやめた」
「……祐真のほうがよっぽどスレてる」
 今度はレアが顔をしかめた。
「どうでもいい女とやっても意味ないとわかったから」
「あたしはどうでもよくない?」
「わかってるだろ? 意外なのかどうか……少なくともそれ以来、おれは一途(いちず)なんだ」
 祐真はそう云って、くちびるの端で笑った。
 レアはクスクスと笑いながら、また躰を寄せた。

 その姿勢のまま、レアは祐真の声が奏でるメロディを耳もとで聴き留めていた。声がキーボードにかわり、時折、紙の上を鉛筆が走る音がそのメロディを中断する。

 集中して書き上げた音階を確認するころには時計は夜中の十二時を示していた。

 ツ……ッ。

 壁掛け時計を見上げたとたん、頭に鈍い痛みを感じたがすぐに治まった。さすがに二時間も不自然な姿勢のままでは疲れが出たのかもしれない。

 祐真にもたれたレアは規則的に呼吸を繰り返し、微睡(まどろ)んでいる。
 こうやっていられるのもあと一週間。
 どんなにきつく抱きしめても、この腕の中からレアがすり抜けていく感覚に襲われる。

 同化したいと願うほどにレアを求めている。
 離れていることに耐え切れなくなるのはきっとおれのほうだろう。

 祐真はフッと独り笑みを漏らし、今度は詞を書き留めていった。

― The story will be continued in the next time. ―

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