Cry for the Moon
〜届かぬ祈り〜
メロディ6.
祐真の拳が男の頬を打った。よろけたところで再度狙って打った。反撃してくるがすでに
怯
(
ひる
)
んだ力は弱く、かわしつつ何度か繰り返すうちに男の鼻と口から血が流れ出した。男の呻き声と肉体がぶつかる鈍い音だけが辺りを制した。
「うぅっ……もう、やめてくれ」
それでも祐真はやめなかった。
「うるせぇ。てめぇがどんなに自分の生徒を怖がらせてんのかわかってんのか。てめぇも同じ思いしろっ」
殴りながら吐き捨てる。
ドスッ。
ついには男は歩道上に倒れ、痛みを堪えようと身を縮める。祐真は
胸座
(
むなぐら
)
をつかんで無理やり男を引き起こした。
「や、やめてくれ……」
「やめねぇよ」
腹部に膝で蹴りを入れた。
うぁっ。
「立てよ。まだ
懲
(
こ
)
りてないだろ? 弱いもんには簡単に手を上げられるのに強い奴には
媚
(
こ
)
びるのか?」
祐真は倒れている男に、容赦なくさらに蹴りを入れようとする。
「祐真、もういい! もういいよ! 死んじゃう!」
呆然とその光景を見ていたレアが悲鳴を上げて、止めようと祐真の腕をつかんだ。
「なんで庇う? こういう身勝手な奴はまた同じことをやる!」
「違うの! 祐真に後悔してほしくないだけ!」
「おれには失うものなんかない!」
威光
(
いこう
)
の眼差しを放って祐真は云い切った。
「祐真……」
あたしは……。
レアの訴えはいつもだれにも届かない。
「おら、立てよっ。二度と来んな。そのまえに来られないようにしてやろうかっ」
そう云いつつ男の足を蹴った。
それでもあたしのためにどんな犠牲も必要ない。
「祐真!」
レアは強く祐真の腕を引いた。その手を
激昂
(
げっこう
)
した祐真が振り払う。と同時に、レアの躰がよろけ、堤防にぶつかった。
あ――っ!
腕に痛みが走る。レアはその場に
蹲
(
うずくま
)
った。
その悲鳴を聞いた祐真がやっと自分のしたことに気づいた。
呆然と立ち尽くす。
しばらく対処できないほど動揺した。
「レア!」
祐真は
跪
(
ひざまず
)
いてレアを起こした。
「ごめん。悪かった。大丈夫か?」
レアは顔を伏せて躰を丸めたまま、祐真の謝罪を受けつけようとはせず、返事をしない。
おれは傷つけたんだ。
きみの躰と……なによりもきみの心を。
「ごめん」
「くそっ。ばかにしやがって……おまえのせいだ……っ」
背後から酔っ払ったような声が降りかかると同時に振り仰いだ祐真は、あくまでもレアを標的として向かった男の靴が目に入った。男の狂気はレアへの執着と変貌している。
レアを庇うために身を乗り出した祐真の側頭部に衝撃が走った。
くっ。
祐真の躰が揺れ、その反動で堤防に押し付けられたレアの前に崩れた。
「祐真?!」
いきなり目の前で鈍い音とともに祐真が倒れ込み、なにがあったかわからず慌てたレアが大きく叫んだ。
「祐真っ」
レアは祐真に顔を寄せて再び叫んだが反応がない。何度も名を呼んだ。
「お、おれは知らねぇぞ。こいつがさきにやったんだ」
男が呟くように云った。
レアの耳には入らず、声が出なくなるほどの恐怖に襲われる。
「レア、大丈夫。演技だから」
祐真が屈んだレアだけに届くように細く囁いた。
とたんにレアが安心したように泣き出した。
「
殺
(
や
)
らなかったら、おれが殺られてたんだからな」
それを勘違いした男はそう吐き捨てると、よろよろとしながらも車に乗り込み、その場を立ち去った。
祐真はゆっくりと起き上がり、堤防に寄りかかると、鈍い頭の痛みを振り払うように首を振った。
「レア」
恐怖とショックに泣きじゃくるレアの姿は、まだ彼女がほんの子供であることを見せつける。
「レア、悪かった」
傷ついて祐真の声を聴き入れようとしないレアを無理やり引き寄せた。
腕の中のレアは氷上に座り込んだようにがたがたと震えている。まさにそういう
心裡
(
しんり
)
であろうことは、祐真であるからこそ容易に察することができた。
祐真の中に苦さが広がり、手に人を殴った不快な感触が残る。
レアは長い間、祐真が引き寄せておくままに胸に顔を埋めていた。
太陽が西寄りに傾いた頃、ようやくレアは顔を上げた。祐真と視線を合わせることはなかった。
レアが立ち上がろうとしたのを手首をつかんで引き止める。
「ごめん。許してほしい」
「……いいの。あたしのせいで……ごめんなさい」
瞳を逸らしたまま、冷めたレアの声が細く呟いた。
「レア……おれを見て」
レアは横に首を振る。
祐真はレアの顔に手を添えて自分に向けさせた。それでも拒絶してレアは瞳を伏せる。
「ごまかすつもりじゃない……けど……」
そう云って祐真はレアのくちびるを塞いだ。
レアは抵抗しなかった。閉じられたくちびるを割って入ってもされるがままで反応を見せない。
正確に云うとキスには応じてくれる。けれどそこに心がなかった。
祐真の心に応じてはくれなかった。
いま、はじめてはっきりした。
だれでもよかったわけじゃない。
出会うのはレアでなくてはならなかった。
祐真はレアを放した。
心のないキスには意味がない。
おれが求めてきみが応じてくれなければ――。
おれはそう学んでいたのに。
いつのまにかその大事なことを見失っていた。
これまでずっと、条件も際限もなく互いの心を必要とし合えるだれかを
慾
(
よく
)
していた。
そのいつもいちばん欲しいと願っていたものはすぐ目の前に在った。
そう気づいたのに……そうと気づかずにいた、あるいは無意識のうちに逃げ場をつくって、ただの欲求とかたづけようとしたのかもしれないおれは……また失ってしまったのかもしれない。
「送っていくよ」
祐真は立ち上がり、レアの手を取って立ち上がらせた。
これまでと同じように手を繋いでもレアは引くことなく、祐真に導かれるままに歩いた。
「もう先生は来ないと思うから……家出する必要はなくなった。解決してくれて……ありがとう」
祐真の車の横に立ち、レアが俯いたまま云った。
いつもと違い、レアは繋いだ手を解こうとしない。
そこに、これが最後、という決心が見える。
レアはもう二度と会わないつもりなのだ。
「レア」
呼びかけたとたんに、ビクッと震えてレアは手を引いた。
「じゃ、さよなら」
なにも聞きたくないという意思表示をするようにレアは身を翻した。
最後まで
瞳
(
め
)
を合わせることはなかった。
― The story will be continued in the next time. ―
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