Cry for the Moon
〜届かぬ祈り〜
メロディ4.
昨日の雨に冷やされた地上は、再び太陽に温められていった。雨に流された空気が澄んでいる。
レアが海を眺めたり空を飛ぶ鳥に目をやりながら、歩道をゆっくりと歩いてくる。変わらず口ずさむメロディが遠くからでも聴こえるような気がした。
傍に来たとたんにレアは両手を上げ、祐真に無言の催促をした。祐真が笑ってレアの腰をつかむと、彼女の手が祐真に纏わりつく。堤防に上げてやると、ありがとう、と笑いながら祐真の耳もとでレアが囁いた。
レアが腕を解いて躰を離しても、祐真は彼女の腰に手を置いたままでいた。
逸らすことなく祐真の瞳を見つめ返すレアの瞳は、すべてを忘れそうなくらいに祐真の内部に欲求を溢れさせる。禁忌という抑制がないいま、経験したことのない強い欲求は、真に欲しい信頼をも投げ出すように促す。
引き寄せられるようにくちびるを近づけ、少しだけ這わせた。
「……もっと……」
間近で祐真とレアの瞳が交差する。レアの瞳に自分と同じ、隠し切れない欲求が見える。
「やめられなくなる」
「……それでも……もっと……」
せっかくの自制も、レアの自分自身に戸惑ったような一言が無駄にした。
レアを左肩に強く引き寄せ、くちびるを覆い尽くす。
ん……っ。
激しいほどの深さにレアが呻く。レアが応えるほどに、祐真の抑制は歯止めが利かなくなっていく。
散らばった理性をかき集め、祐真はくちびるを放した。祐真が荒く息づくように、レアの肩も上下している。目を閉じて顔を仰向けにし、もたれかかったレアのくちびるが微かに開いている。今度はゆっくりと覆った。
緩やかに深く絡むふたりは、
隙
(
すき
)
のないほど合わさった躰が融合しそうな感覚に襲われた。祐真はくちびるを上げ、そしてもう一度、赤く色付いたレアのくちびるを舌で撫でた。
レアは満足したように深いため息をつく。
言葉は必要ない気がした。
互いに口を開くことなく、長い時間をそのままの姿勢でただ寄り添っていた。
「聞いてもらっていい?」
レアが不意に囁いた。
「なに?」
祐真は促したが、レアはしばらくためらっていた。察した祐真は躰を放してレアを見つめた。
「このまえ、教えてくれなかったこと?」
そう問うと、レアが頷く。
「……学校でイヤなことがあったの」
ようやく話し出したレアは、祐真から顔を背けた。
「なに、イジメとか?」
「イジメられてたのはあたしじゃない」
「で?」
「先生が……見てたのに止めなかった。人気があっていい先生だと思ってたけど……反対にイジメた子のご機嫌をとってる。そのリーダー格の子は学校の偉い人の子供らしくて」
「その程度の人間てざらにいる」
「そうね……その先生、あたしにまでご機嫌とりをはじめた」
「レアが見てたのを知ってるってことか?」
「うん。やっぱりほっとけなくて助けちゃったから」
「偉いな」
「そうじゃない。あたし、転校族なの。だいたい半年ごとに転校してる。だから、標的があたしになっても怖くないだけ。だから、先生はその間、あたしが
喋
(
しゃべ
)
らなければ大丈夫ってことだと思う」
「それで登校拒否?」
「なんか、イヤになったの。そういうのは見たくない。きれい事は云ってられないってわかるけど、でもイヤなの」
祐真は右手をレアの首もとに持っていく。
レアの瞳が祐真に戻る。
打算の
欠片
(
かけら
)
さえないレアの儚い心が見えた。その儚さは、レアと同じ年の頃、自分が抱えていたディレンマと同じものだった。
「両親は?」
「なにも云わない。どうせ転校するし。勉強は家庭教師を頼めばすむから」
「ドライだな」
レアはどうでもいいように首を傾げた。
「その先生にとってはね、あたしは
挫折
(
ざせつ
)
の対象みたい」
「どういうことだ?」
「登校拒否ってなるとやっぱり学校に問題があることになって、つまりは担任の責任になるらしいの」
「なるほど」
「よく午後になると家に来るから……家出してる」
祐真を見ていたレアの瞳が伏せられた。そこになにかが読み取れた。
「……怖いのか?」
レアはすぐに答えなかった。
「平気」
しばらくたってから、レアは顔を上げることがないまま呟いた。
レアの顔を胸に引き寄せると、ホッとしたように彼女の
強張
(
こわば
)
りが解ける。祐真はレアの怯えを悟る。
怯える理由までは語ってくれなかったが、決して解決を期待しているわけではないのに、レアはおれに打ち明けた。その芽生えた信頼を壊したくないと思った。
「祐真は暇そうね」
「酷いな。その先生と同じだよ。挫折してんの。スケジュールがいま白紙状態。歌が歌えなくなった。曲も作れない」
「そう」
「理由を
訊
(
き
)
かないのか?」
「教えてくれる気があるなら話してくれるでしょ?」
「おまえ、ほんとに冷めてる」
「これでも思春期」
「おれは、妹に恋したんだ」
レアは驚いて顔を上げると、祐真を見返した。祐真の真剣な眼差しに
陰鬱
(
いんうつ
)
な悔恨が見え隠れしている。
「……最悪ね」
「妹だと知らなくて愛したって云ったら?」
「神様って意地悪」
ハハ……。
「それが足枷になって触れることができなかった。妹は……それでまた傷ついていた」
そう告白したとたんにレアの表情が揺れ、自分の失言に気づいた。
「……おれはまた……レアを傷つけた。悪かった。こんなことを話すべきじゃなかった。レアは妹の代わりなんかじゃない」
「……じゃあ、どうしてあたしに触れたがるの?」
「レアと同じだ」
「あたしと?」
「そう。おれに触れてほしいだろ?」
「そんなこと……」
「今更、意地を張らないで。平均台の練習をしないのもおれに触れる口実がほしいから、だろ?」
「……それも……あるけど……」
レアは俯いた。
「……ちょっと怖くなったの」
「なにが?」
「自分を捨てたくて偶然を探してた。あたしにとっては必然」
「悲しみがあとに残らないように……」
祐真があとを引き継ぐとレアは頷いた。
共通する感性がそこにある。祐真はまるで自分を見ているような感じがした。
「でも、捨てることが怖くなった」
「なぜ?」
「祐真と一緒にいたいと思った」
「なら、そうすべきだ」
祐真の即答にレアはクスクスと笑う。
素直さと冷めた感情を持ち合わせたアンバランスなレアを手に入れたい。
おれがどんなふうにきみを見ているか知ったら、きみにどうやって触れたいと思っているか知ったら、きみはそれでもおれと一緒にいたいと云ってくれるだろうか。
― The story will be continued in the next time. ―
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