Cry for the Moon 〜届かぬ祈り〜

メロディ2.


 無意識に(すが)ろうと伸ばした手。
 無自覚に繋ぎとめようと差し出した手。

 ふたつの手が触れる。
 (から)み合う。
 強く、固く、混じりあうかというほどに、ふたつの手は互いを繋いだ。



 祐真はしっかりとレアを引き寄せ、そのままの勢いで堤防から下ろした。

「少しだけ、このまま……」
 (かす)れた声で懇願するように祐真は呟き、レアをきつく抱いた。

 レアの耳に祐真の()せる鼓動が伝わってくる。同じように、レア自身の鼓動も生きていることを示すように震えていた。

 こんなふうに人と触れたのはいつだっただろう。

 ふたりの間に懐かしささえ漂う。それは(とどろ)く鼓動の共鳴が、胎内にいた頃の記憶を招いたのかもしれない。

 求めていたのは人と触れること。
 必要なのは嘘をつかない、人の躰の温かさ。


 やがて、祐真の腕が緩んだ。
 治まった鼓動とともに、ふたりを夕刻の静けさが包む。

「怖がらせて……悪かった」

 祐真は瞳を逸らすことなく、真っ直ぐにレアの瞳を見下ろして謝罪の言葉を口にした。
 レアは魅入られたように祐真を見上げてくる。

「祐真の瞳ってどうしてそんなに綺麗なの?」
「…………気づいてやってるのか?」
「……なに?」

 かみ合わない会話は理性を取り戻したはずだったその場の空気を、激情へと一変させた。

 祐真はレアに顔を近づけた。
 彼女の瞳が大きく開く。

 逃したくない。
 引き止める理由となる禁忌は取るに足りない。

「キスさせて」
「……いや」

 息がかかるほど近くにある祐真の口もとで、レアは(ささや)くように拒んだ。

「触れたい」

 祐真の右手がレアの左の頬を覆い、優しくレアを誘う。拒むにはあまりにもその手は温かかった。
 その誘いに身を委ね、レアが瞳を閉じると同時に、くちびるを祐真のくちびるが掠めた。刹那(せつな)のキスに戸惑いつつ、瞳を開けようとした瞬間に再び強く捕らえられた。

 深くなっていくキスはレアから力を奪い、祐真は崩れ折れそうになる彼女をしっかりと抱いて支える。

 怖さもためらいも感じなかった。
 恐怖した衝撃と相反して生きていることを確認するように、ただ、触れていたい、という衝動を共有したがっていた。

 時の観念が消えていった。



 プアァ――――――ァン…………。

 クラクションが一際甲高く響いて、ふたりの横を車が通り過ぎていく。

 祐真は()しみつつくちびるを離し、脈が震えているレアの首筋にくちづけた。
 レアは頼るように躰を祐真に預けてくる。

 今度こそ手に入れたい。

 耐え切れないほどの欲求が祐真を襲う。

 この腕の中にいるのがレアであるからこそなのか、ここで出会ったのならだれでもよかったのか。

 いまはそんなことはどうでもいい。
 ただ、放したくない。


 太陽が水平線の下へと身を隠す頃、腕の中のレアが軽くなる。
 彼女は躰を起こすと、なにかを問うように祐真を見上げた。

 そのくちびるが赤みを増して少し()れている。
 思わず手を伸ばして頬に置き、祐真は親指でそのくちびるをなぞった。

「……大丈夫か?」
「……驚いた……」
 祐真が気遣って問うと、レアは答えになっていない言葉をため息をつくように(つぶや)いた。
「会話が成り立ってない」
「祐真ってキスが上手なのね」
 ハハ…。
 素直なレアの感想は、忍耐力を試されているようで祐真は力なく笑った。
「比べるような経験ないくせに、よく云う」


 オレンジ色に染まっていた海が本来の色を取り戻していく。
 眠りが浅く孤独な夜が、祐真を支配すべく待っていた。


「送るよ」
「ううん。すぐそこなの」
 そう云って、レアは通り道にあったクリーム色の団地を指差した。
「じゃ、駐車場まで一緒に行こう」
 祐真が先立っていくと、レアの手が左手に滑り込んできた。
「祐真の手、温かいから」
 照れたようにそう云ったレアの手を握り返すと、ホッとしたように力を抜いて委ねてくる。そのしぐさは、求めているものが同じであることを気づかせる。


 駐車場まで来ると、まるでそれまでにあったことを断ち切るかのように、レアは祐真の()からスッと手を引いた。
 空いた手が温もりを失い、空虚をつかむ。

「明日もここへ来るよ」
 考えるより早く、言葉がさきに突いて出た。
 レアは祐真を探るように見つめる。
「……それって……約束?」
「……気まぐれ」
 レアの瞳がおもしろがった輝きを放ち、彼女は(うなず)いた。
「さよなら」
「またね、じゃないのか?」
「さよなら」
 レアは応えず、同じ言葉を繰り返すだけだった。
 祐真は身を(かが)めると、レアのくちびるの端に素早くキスをした。

 微笑(わら)ったレアが身を(ひるがえ)すと同時に、その横顔から表情が消えていくのがわかった。
 夕闇の中、視界から彼女の姿が消えるまでその背を見送った。
 彼女が振り返ることはなかった。
 そこに痛みが見えた。



 手放した彼女と入れ替わるように出会ったのは幼い彼女。
 進めなかった心が動いていく。


 離れがたいと思ったのはおれだけなのか。
 きみを……連れ去りたい。

― The story will be continued in the next time. ―

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