禁断CLOSER#139 第4部 アイのカタチ-close-
5.Incestuous Love -4-
那桜の瞳が挑むように拓斗を見据える。
愛してる。云うのは簡単だ。伝えるのは難しい。
那桜の送迎を始めてから、まだなお鮮烈に記憶に住みついたクリスマスまで。あの頃のように、いま、那桜の振る舞いは何もかも気まぐれで、どこに那桜の本音がひそんでいるのか見通すことはかなわない。
もっとも、気まぐれに始まって、迷走する拓斗への戸惑いに変わり、そして、砂漠をしのいでオアシスにたどり着いたような安寧のなかにいても、那桜をわかったためしはない。
ましてや、気まぐれ以上に、拓斗を和惟として見る那桜の心は暗闇のなかだ。どんなに掻き分けても、どの方向を探っているのかさえわからない。
そうしてしまったのは、開けなくてもいい扉を開けてしまった拓斗自身のせいだ。
あの瞬間は不意打ちで鮮明に迫ってくる。
隼斗との密談は密談にならなかった。
わざわざ家を避けたはずが、よりによって那桜があの日あの瞬間になぜ居合わせなければならない?
やはり拓斗は那桜をわかっていない。
拉致された日から、抱くのではなく抱きしめることで、掛け替えのないものが何か、失ったかもしれないという畏れを抱いたからこそ、それを伝えてきたはずが、那桜は自分が汚れていると、まったく逆と云っていいくらいのことを思っていた。
思いこみがよけいに那桜をおとなしくさせていたのなら。汚れていないと保証をもらった那桜になんらかの心境の変化があってもおかしくない。いや、これまでのことを考えても、むしろ那桜ははしゃいで何かを思いつく。
隼斗との話を終え、那桜が来ていること、あまつさえ、それを知った拓斗のわずかな表情の動きに気づき、惟均が『会わなかったんですか』と那桜が二階に来たことを示唆した瞬間の戦慄。いまもっても、臓器を氷で覆われて溶けるのを待つしかないという感覚は薄れていない。無力感からはがゆさが生じ、根付いている。
社外の人間との会談ならまだしも、二階に上がってきた那桜が会議だからといって顔を出さないということはない。
道路の向こうにいる那桜が拓斗に気づいた瞬間に、聞かれたことを確信した。普段なら拓斗が目に入るとぱっと晴れる雰囲気が感じられず、反対に、力なく立ち尽くしたような那桜。
知られたくはなかった。傷つけたくはなかった。
だれにもそうはさせないと身に沁みたばかりのはずが、拓斗自身が痛めつけた。
伝えられるのは一つ。
――わたしの気持ち、拓兄を傷つけるためにあるんじゃないから。
拓斗にしろ同じだ。
おれの気持ちは那桜を傷つけるためにあったんじゃない。那桜を傷ごと、守りたいだけ守る。
逸る気持ちに押され、那桜へと急いだ直後。
まっすぐに駆けだしてきた那桜のなかにあった気持ちはなんだったのか。
那桜の目に映っていたのは拓斗なのか、それとも、何も必要ないという暗闇、だったのか。
那桜を受けとめた瞬間と和惟が一トン車と接触したのはほぼ同時だった。ブレーキ音が空気をつんざくなか、どんという鈍い音が地を伝って躰に響く。
『頼みがある』
和惟は――それでよかったのか。
何を考えているのか思考はまっさらで、あるいは考えすぎて頭がまわらなかったのか、自分のことさえも不確かなまま拓斗は承知した。
「おれとやりたいことってなんだ」
矛先を逸らすと、案の定、那桜は軽く睨みながらくちびるを尖らせる。これくらいのことなら簡単に予測可能だが、肝心なことはわかろうとしても皆目といっていいほどつかめない。
「和惟とやりたいというよりは、和惟をヤりたい」
那桜はいつこんな笑い方を憶えたのだろう、濃艶な様で挑発してくる。それとも、和惟だけに見せる顔なのか。
おれは和唯にもなる。そう訴えたのは、那桜のためというよりは、和惟から那桜を奪ったことへの――もしくは和惟と那桜を引き裂いたことへの償いだったかもしれない。
那桜と血が繋がっていることを知っていたら、正確に云えば、拓斗が勘違いすることがなかったら、那桜と和惟の間に生じた気持ちは必然のうえで、拓斗との間にあった兄妹というつらさを感じることもなく、那桜はただ笑っていられただろう。
本当に妹だったとわかったところで、そのことに限っては良心の呵責も感じないことを思うと、机上の空論にほかならず、果たして別の道を選ぶことができたのか。もはや非生産的な思考に及ぶ。拓斗は頭を振って何も生まない仮説を追い払った。
踏みだしてはならない一歩。
那桜に云ったように、兄として、妹という罪悪感はなかった。だが、境界線を越える一歩の寸前まで、有吏本家の人間として、相応の呵責と闘わなければならなかった。
ただし、嫉心には敵わなかったが、それはなくてはならないきっかけであって闘いに負けたとは思っていない。
なぜなら、許しがたいことはあったが、それがかえって約定を無意味だと裏づけた。
抑制を解いた、その嫉心を消すことは無理だ。絶えず燻っている。和惟が在ったかつても、和惟が不在のいまも。
「やればいい」
「そのあとは和惟にヤられたいの。まえみたいに躰中にキスして。拓兄はあんまりやってくれないから」
那桜は無意識のなか、拓斗を挫こうとする。こういうとき、すぐには応えられない。
那桜は、和惟の死は受け入れられなくても、拓斗の死は受けとめている。和惟、と呼ばれるたびに拓斗に集うのは、やりきれなさと、相殺できない葛藤だ。それを甘んじるかわりに、和惟を通して、拓斗が見ることのなかった那桜を知るのもいい。那桜が拓斗のすぎた時間を知りたがったように。
拓斗が首をひねって答えると、那桜は微笑で拓斗の情欲をかどわかす。
那桜は「脱いで」と云いながら拓斗のTシャツの裾をたくしあげる。
「何もしないでじっとしてて」
脱いでしまうと、那桜は左の腿の上に右手をつき、左手は右脇のラグマットについて四つん這いになり、猫のようなしぐさで顔を傾けた。拓斗の鼓動の中枢に口づけたかと思うと、那桜はくすぐるように舌先を這わせる。それからゆっくりと吸いついた。だんだんと吸引は強くなるが痛むことはなく、ただ熱が生みだされていく。
那桜はさまようようにしながら下に移動し始めた。そして、微々たる先端にたどり着いてくちびるで挟む。そう神経があるとも思えなかった場所は、那桜の舌が押しつけるように這いずると、下腹部をぞくっとさせる。強く吸着されると痛みとも快楽ともつかない感覚が走った。
思わず、那桜の手首をそれぞれにつかむ。那桜はほんの真下で閉じていた目を開け、吸いついたまま無理やり顔を離す。今度ははっきり痛んだ。
「感じる?」
真正面に顔を寄せてきた那桜は艶然とする。左側は明らかに熱を持って疼いているが、拓斗はそれをごまかすのに、和惟としての答えを探した。
「もっとだ」
「わかった」
再び笑うと那桜は反対側を攻め始めた。その間に右手が拓斗の腿を離れて下腹部に移る。恥じらいもなくボクサーパンツのなかまで入りこむと、すでに硬くなった拓斗の慾をつかむ。呻き声をかすかに漏らすと同時に、慾はさらに那桜の手のひらのなかで質量を増した。
無遠慮に摩撫され、胸の疼痛も手伝って、耐えるのが難しくなる。
「那桜」
唸るように呼んだ声は自分でも余裕がなく聞こえる。
「待って」
顔を上げた那桜は拓斗のくちびるに口づけ、そそるような笑みを向ける。いや、勝手に拓斗がそそられているだけか。
那桜は拓斗の腰もとに顔をうずめた。慾の先が温かく濡れた場所に沈む。それから浅くなる寸前に激しく吸いつく。那桜が顔を上下させるなか、拓斗が爆ぜるまでに時間はさほどかからなかった。
「那桜」
限界を伝え、察しているはずが、那桜はこのままイケと、顔を上げないことで意思表示をする。好物を食するように舌を這わせ、絶妙な度合いで吸着した。
くっ。
躰を身ぶるいさせ、拓斗は那桜の口のなかに快楽のしるしを放った。
拓斗が触らせないだけで、那桜がどんな形であれ、男に触れるのを好んでいることは知っている。無理やりさせることもあったが厭うことなく、むしろ挑んできた。セックスにはとことん奔放だ。そうしたのは、やはり和惟なのか。
纏わりつくようにしながら那桜が慾から離れる。とたんに拓斗は那桜をラグマットの上に仰向けにして転がした。
真上から那桜を見下ろす。快楽を得ていたのは一方的に拓斗であったはずが、那桜の瞳も熱に浮かされたように潤んでいる。
「……和惟」
「なんだ」
「和惟とは繋がっちゃだめなの。キスと触れるだけ」
その言葉とは裏腹に、そうできるのか、と忍耐を試すように笑う。拓斗――いや、和惟への罰なのか。そう思うほど、笑った顔は責めて見えた。
「わかってる」
那桜の頬をくるみ、拓斗は顔をおろして頭の天辺にくちびるをつけた。そこから額に、こめかみに、まぶたに、鼻に、くちびるに、顎に、首もとに、鎖骨に、そして、那桜のパジャマをキャミソールごと捲りあげた。
那桜の鼓動にくちびるを置き、拓斗は自分がされたことをやり返す。
んっ。
那桜は躰をよじった。そして。
あ、ふぅ……っ。
胸先を含むと、躰をわずかに跳ねさせて敏感に反応する。拓斗とはまるきり違って感じやすい突起は、男のモノのように口のなかで硬く尖る。舌を這わせ、軽く咬み、吸いつく。そのたびに声をあげて那桜は躰を波打たせる。
「感じるか」
「ん。もっと!」
逆の立場になって同じ会話を繰り返すと、那桜は素直に貪欲さを曝す。
下のパジャマを取り払い、腿の裏を支えて那桜の脚を開くと、拓斗はまえのめりになった。
キスは胸先に戻り、ふくらみをおり、腹部を伝う。いったん顔を上げると、那桜の脚を押しあげて腰を浮かした。照明が熱くぬめる躰の中心を光らせる。キスをせがむように見え、いざなわれるまま拓斗は口づけた。
あ、んっ。
那桜の腰がふるう。中心から突起へと舌を這わせ、先端をつつく。何度も繰り返しているうちに那桜の腰は痙攣が止まらなくなった。舐めあげてもあとからあとから那桜の蜜がこぼれてくる。
あ、あ、ぅん……はぁっ、んんっ……。
吸いつくキスに変えると那桜は腰をせりあげて揺らす。伴って、嬌声もひっ迫していった。
「も……だめっ」
かといって、けしてやめてほしいとは思っていない。拓斗もそうだった。
繋がっちゃだめ。
それはただの意地悪か、それとも何か意味があるのか。
拓斗は剥きだしの襞にくちびるを絡めて、吸着し、先端を舌でゆする。
直後、甲高く那桜の悲鳴が部屋を占め、拓斗のくちびるの舌で腰が大きく跳ねた。流れてくる蜜をすくう間も、那桜は身ぶるいを繰り返していた。
「那桜、寒くないか」
見下ろした那桜の瞳は、ちょっとまえの同じ瞬間よりももっと潤んでぼやけている。
「拓兄……と同じこと云ってる。……和惟、まえみたいに抱きしめててくれたら平気」
拓斗のなかでは曖昧だったが、まえみたいに――その言葉は、那桜と和惟の親密だった時間を確かにした。
拓斗と和惟。那桜にとってどう違うのか。
このさき、どうなるか、どうするか、定かにはできない。那桜がいつか云ったように、有刺鉄線の上を歩くしかない。
「和惟、愛してる、って云って」
那桜は忘れていなかった。
無理だ。
それだけは――いつか拓斗を拓斗として見るときがくるのなら、そのときに云わせてほしい。
*
「那桜はどうだ」
代表室で打ち合わせを終えると、隼斗は唐突に訊ねた。どことなく、そう質問するのを待ちかねていたように見える。いまに限ったことではなく、那桜が退院して一カ月、拓斗は絶えず隼斗からその気配を感じている。
「元気にしてる」
嘘ではない。
こうやって拓斗が通常の仕事に復帰できるほど、那桜は至って元気にやっている。変わらず家のなかにこもっているが、その間も衛守家から必ずだれかが付き添っていて、那桜はそれに文句を云うこともなく聞き分けがいい。外出は、拓斗が付き添うことからはじめて、郁美や美鶴と出かけたこともある。もちろん、衛守家から人をつけたが、懸念しているのは那桜よりも拓斗だった。外食を取ったのち九時をすぎた頃、那桜は『ただいま』とのんびりとした様子で帰ってきた。
「いつか那桜には、私の口からちゃんと話したいと思っている」
隼斗の声は躊躇しながらも、断固として聞こえた。
「いま、おれが答えられることはありませんよ。那桜が実家を訪ねてもかまわない気持ちになったら考えます」
拓斗は、話は終わりだと云うかわりに立ちあがった。
拓斗と和惟を取り違えているだけで、那桜はまるで何事もなかったように振る舞う。たまに気にかかるのは、度が過ぎると思うほど気まぐれなことだ。それがそのまま、和惟に対して那桜がそうしてきたということなのか。
そして、有吏本家に行きたがらないことが、どこか不自然だと拓斗に教える。記憶を失ったのではなく奥底に沈めただけだとするなら、無意識の拒絶反応があってもおかしくはないが。
「和惟、愛してる」
“和惟”が云わないかわりに、那桜が云うようになった。
有刺鉄線上に入りこんだすえ、救われる方法はなくても、せめて那桜を抱いて、どんなに拓斗の傷が深くなろうと触れ合っていられるのなら瞬刻でも生き延びる。