禁断CLOSER#134 第4部 アイのカタチ-close-

4.Missing love -9-


 有吏館を出ながら和惟に電話をすると応答はなく、携帯電話を持っていないなどまずあり得ないことで、おそらくは話し中なのだろう、そのまま耳に当てていると、しばらくしたのち通じた。叶多のことは、拓斗からの電話と数秒の差で連絡が入ったようで、ふたりの話はすぐに合致する。
 惟均を篤生会病院に向かわせ、有吏専用の病棟は封鎖して警備を任せた。病院の駐車場で和惟と合流して、拓斗が運転席を譲ったところで、和久井から和惟に連絡が入る。手短に終えると、和惟は即座に車を発進させた。

「どこだ」
「蘇我第三倉庫、八号倉庫だ。背中、大丈夫なのか」
「那桜じゃあるまいし、いちいち面倒な質問するな。それより何が起きてる。なんで叶多だ」
「はっきりしたことはまだ――」
 拓斗の携帯電話が鳴りだして和惟は言葉を切った。相手を知って拓斗はすぐさま通話ボタンを押した。いま孔明から電話がかかってくる理由は一つしかない。

「拓斗だ」
『孔明です』
「どういうことか話せ」
『はい。さっき戒に電話して現場は知らせました。聞かれてますか』
「ああ、いま向かってる。続けろ」
『はい。今回は一族狩りではなく、蘇我一族内のことです。僕と貴仁の会話を玲美に――我立玲美に聞かれました。領我家が真の一族についてなんらかの手がかりを得ていると知った玲美が、父を嗾けたんです。さすがに父も実子を拷問にかけるには体裁が悪かったようで、貴仁のほうをさらったという次第です』
「どうして叶多まで連れ去られる?」
『叶多さんは、貴仁を白状させるための人質です。叶多さんを貴仁の弱みだと思っているらしい、玲美の入れ知恵です。玲美は父にリークすることで、瀬尾家の啓司さんとの縁談を父に取りつけました。玲美は以前から啓司さんに執心していたようです。ですが、父にはそんな些細な約束を果たそうという気はさらさらない。玲美は面と向かってそんなことを父から云われたらしく、怒っています。美鈴に云わせると泣いてたそうですが。美鈴がそこをつついたので、現場の情報は間違いありません。美鈴と玲美は――』
「仲がいいらしいことは聞いてる。事情はわかった」
 叶多が直接の標的ではないことにわずかな希望を抱く。貴仁が叶多を犠牲にするはずがない。そうするとしたら、有吏本家のだれもが見損なったことになる。
『たびたび申し訳ありません。戒にも云いましたが、父は“千重家”と口にしていたようです。陰の一族を潰す、と』
「わかった。父と至急連絡を取る」
『はい。待っています』

 拓斗は孔明との通話を切るなり、隼斗に電話をかけた。すぐに通じ、孔明から聞いた事情を説明した。報告したことに対して隼斗は重々しく、わかった、とだけ答えた。
「父さん、もういいだろ。少なくとも父さんからおれと戒斗が受け継ぐ時代まで、五十年、それだけあれば有吏の在り方を不動のものへと導けるはずだ」
 すっと息を呑むような気配のあと――。
『拓斗、いまから領我家の頭首と連絡を取る。それが答えだ。蘇我邸で待つ。指示伝達はこっちでやる。叶多を必ず助けてこい』
 隼斗の声に躊躇はなく、覚悟を通り越し、前途が見えているかのような意志が聞きとれた。
「はい、必ず」
 電話を終えたとたん、和惟がちらりと顔を向けて暗に催促した。
「動くぞ。表に出る」
 拓斗が云い渡すと、和惟は小さく息をつき――
「オーケー」
 と、重大事にもかかわらず、待ちかねたサバイバルキャンプの出発であるかのように、おもしろがった口調で一言云い放った。それが和惟らしさではあるが、内心は穏やかであるはずがない。

「那桜は?」
 拓斗は那桜からのメールを開きながら問う。『和惟が出かけたの』という文字がいちばんめだ。単なる報告か、不安の裏返しか。
「緊急の用ってだけで理由は云ってない。落ち着かなさそうにはしてたけど、惟均が来てすぐ、『南極大陸は好きじゃないから。イライラするの』って、わけのわからない釘を刺してたくらいだから大丈夫だろう」
「惟均と変わるとは思わなかった。なんで那桜の傍にいない?」
 安全が絶対と云いきれないのは、ガードするのがだれであっても同じだ。和惟ではなく惟均であろうとなんら問題はないが、後悔がまだ鮮明ないま、拓斗がいないにもかかわらず和惟が那桜から離れるとは思わなかった。
 和惟が答えるまで、深呼吸を一つするくらいの間が空いた。
「確かめたい」
 毅然として聞こえた。和惟を見やると、真情をごまかすためか、正面を向けたまま横顔が薄笑いを浮かべる。
「何を」
「おれは憶えてる。二十六年まえの、あの男たちの顔を。間違っていないか確かめたい」
「確かめてどうする」
「どうもしない。自分への戒めだ。蘇我と対峙するのなら、なおさら立ち会って確かめたい。空前絶後のことだろう? それに増して……これ以上、犠牲者は出ないという保証を得たい」
 和惟に応えて、犠牲者など出さない、とそう宣言することは簡単だ。だが、拓斗自身が百パーセント安心していると云いきれない以上、それは軽薄な言葉になってしまう。和惟にしろ、気休めに違いなく。

『拓兄?』
 電話に出た声は、うれしそうに聞こえる。
「ああ。今日は遅くなる」
『ごはんは?』
「どうなるかわからない。父さんもだ。母さんが来てるだろ。一緒に食べておけ」
『帰ってくるんだったら――』
「待ってると思うとよけいに気が散って進まない」
 電話の向こうから、戦意喪失しそうなくすくす笑いがのんびりと響く。
『わかった。惟均くんに、意地悪云わないように拓兄から伝言があったって云っていい?』
 そんなふうに子供っぽいことを惟均がするのか疑問に思いつつ、適当にあしらえばいいと那桜を往なして電話を切った。

「那桜の扱いがうまくなったな」
 会話の内容を見当つけたらしい和惟が、いまの状況にそぐわず拓斗をからかう。何日かまえに思っていたことを見透かされているようで、拓斗は内心で嘆息した。
「確かめたいことは……おれにもある」
 あからさまに話をかわすと、ちょうど赤信号で車を止めた和惟は何か気にかかったように拓斗を見やった。知らないふりをしているうちに信号は青に変わり、和惟は「まもなく着く」と交差点を突き抜けてスピードを増していった。


 都内の物流拠点である蘇我の倉庫が並ぶ工業団地に入ると、ゴールデンウィークのさなか、すれ違う車はほとんどない。まえを行く車も後ろを来る車も、衛守家か瀬尾家のものだ。和久井家は千重家の警護に当たっている。
 いったん、倉庫群の傍にある工場の入り口まえで車を止める。戒斗と瀬尾、叶多のボディガードであるタツオをはじめとして十数名が集まった。蘇我内々のことなら、これだけで充分すぎる。
「戒斗、なかはどうだ」
「領我家から瀬尾に連絡があった。八号倉庫は備蓄専用らしい。監視カメラを見るかぎり、いまはがら空きってことだ。その真ん中辺りで貴仁が吊るされてることまでわかってる。叶多の姿はまだ確認できていない」
 戒斗は至って冷静に報告するが、その心情は五日まえの拓斗とかわらないはずだ。
「内部から施錠されている場合を考えて、シャッターを発破して奇襲します。多量の爆薬は使えませんが」
「爆破と同時におれのバイクで追い打ちをかける」
 瀬尾の説明に被せるように戒斗が云うと、だれもが固唾を呑む。そして、ため息が漏れた直後、瀬尾に連絡が入った。電話はすぐに終わり――
「領我家からです。叶多さんが奥から現れました。外見上、無事です」
「行くぞ。瀬尾、発破準備」
 瀬尾の返事を待たず、戒斗はバイクに跨った。そのバイクは高校時代、戒斗が自分で稼いで買ったバイクだ。買い換えることなく十年も乗り続けている愛車をためらいなく投げ打つほど――そう考えると、危険だと引きとめる言葉を口にしても聞かないことは目に見えている。
 十分後、八号倉庫へと移動して爆薬はシャッターに貼りつけられ、秒読み段階に入った。バイクのエンジン音が響く。シャッターに向かって発進してまもなく、爆破とどちらが早かったのか、戒斗はシートに両足を乗せるという体勢になり、ぶつかる寸前にシートを踏み台にして躰をひねりながら飛びおりた。手を地につき前転したと同時に爆音が地鳴りを伴って響いた。塵が混じった灰色の煙が舞う。
 煙幕が散っていくなか、内部の様子が見えてくる頃、無事に爆破を切り抜けた戒斗が隣に立つ。
「大丈夫か」
「問題ない」
 まえをしっかりと見据えて戒斗が応じた一瞬後。
「な、なんだ、おまえらはっ」
 虚勢を張った声が倉庫内に反響する。
「返してもらう」
 据わった声を響かせた戒斗が一歩踏みだすのが早いか、怒号が飛び交うなか、拓斗も倣った。あとを和惟たちが続く。ざっと見てこっちの倍くらいの人数だ。たった一人を相手に、と思うが、実際には人質である叶多と、もう一人巻きこまれた、戒斗たち共通の友人である芳沢則友(よしざわのりとも)がいる。それでも無意味に多い。
 多勢に無勢という言葉も相手にとっては役に立たない。所詮、無駄な動きばかりする連中は、有吏一族の男たちにとっては練習相手にも不足だ。手加減するぶん時間はいるが、ものの十分もたっただろうか、有吏は無傷のまま男たちはすべて床に転がった。

「戒斗さん、すみませんでした。すべておれの油断です」
 貴仁は縛られていた手をほどかれると、開口一番謝罪した。長い髪を無惨に切られた叶多は、戒斗に抱かれたまま貴仁を振り向く。
「叶ちゃん、ごめん。また怖い目に遭わせた」
「大丈夫」
 叶多が拉致に巻きこまれたのは二回めだが、慣れることなどあるはずがない。ただ、叶多の表情からも声からも、異常な恐怖は見えることなく、ひとまず拓斗も安堵した。
「貴仁、悪いと思うのなら、このさき、蘇我として有吏のために尽くせ。それが領我家なんだろう」
「御意」
 戒斗の言葉を受け、深く礼をした貴仁が顔を上げるのを待って、拓斗は「行くぞ」と号令をかけた。
 ただ一人、その命に従わなかったのは和唯だ。

 車中で云っていたように男の顔を確かめているのだろう、伸した躰を転がしながら渡り歩いている。見守っていると、拓斗にとっての“忘れもしない顔”が二つ視界をかすめる。拓斗を傷つけたほうの男を静止したように和惟はつかの間眺め、それから那桜を犯しかけていた男に移ると、うつぶせにしてその両腕を取る。上半身を限界までのけ反らせた直後、和惟はその背中を踏み倒す。人間のものとは思えない断末魔の叫びがあがる。和惟が手を離したとたん、男の両腕は意思をなくしたようにだらりとコンクリートの床に落ちた。痛みのあまり気絶したのか、その躰はぴくりともしない。
 それらの振る舞いは狂気にも映ったが、拓斗とて男に同情する気はさらさらない。和惟は無機質な荷物であるかのように顎で男を示し、部下である従弟たちに「運べ」と命令を下した。

「表分家らしからぬ行いだったか?」
 傍に来た和惟は悪びれることなく、むしろ、当然だという薄笑いさえ浮かべている。
「息はしてるだろ。目には目を――その教えからするなら、まだ余地がある」
「なるほど。聖書では許容されていることか。罪悪感は不要らしい」
 罪悪感など欠片も持っていなさそうに和惟はくちびるを歪めた。
 肩をそびやかして応じると、拓斗は隼斗に連絡を入れた。すぐさま通じる。
「拓斗だ」
『瀬尾から叶多が無事だと連絡が入った』
「ああ。身体的には髪を切られたくらいで心配ない」
『領我家の頭首が蘇我邸に分家を集合させる。こっちも、表裏問わず分家も同行して向かっている。蘇我邸まえで合流するぞ。貴仁くんと則友くんも一緒に連れてきてくれ』
「そうする。それで領我家の頭首は?」
 それから領我頭首との電話対談の次第を大まかに聞いて拓斗が電話を終えると、遠慮がちに距離を置いていた貴仁が歩み寄ってきた。
 ぼろぼろの服そのままに、貴仁の躰には痛めつけられたことが露骨にわかる傷痕がある。苦痛を表すことなく一礼したあと、貴仁の瞳は実直な様で拓斗に向かってくる。蘇我頭領と総領、そして我立家のような、これまでの蘇我というイメージを砕くのは孔明に続いて二人めだ。

「はじめまして。領我貴仁です」
「有吏拓斗だ。戒斗や父からいろいろと聞かされている。はじめてという気はしない」
「この期に及んで、ありがとうございます。二十六年まえの一族狩りについてはあとから知ったことですが、二度めについてはぜひにも領我家が防ぐべきことでした。力及ばず、悔やみきれません」
「そのぶん、さっき戒斗に云ったように、有吏と行動をともにしてくれるんだろう」
 貴仁は揺るぎなく、しっかりとうなずいた。
「はい。蘇我グループがいつテイクオーバーされてもおかしくないことは知っています。伯父――領我家頭首ですが――は、それを探るために領我家の一員として、蘇我本家を継ぐ身として、孔明自ら有吏に潜入したということにするつもりです。表面上、蘇我本家を支える形にはなりますが、いずれ孔明に蘇我頭領の座を奪取させます。そのために、果ては有吏と共存連携していくために領我家はあります」
 一筋縄では行かない。ただ、隼斗に宣言したように、五十年後――いや、孔明や貴仁を見るかぎり、遅くとも二十年後にはそうできる手応えを感じる。
「いまから蘇我邸だ。一緒に連れていく」
「はい」
「則友さん、貴方(あなた)も、だ」
 貴仁ほどいかないまでも則友もずいぶんと躰を痛めているようだ。
「よろしくお願いします。会えてうれしいよ」
 拓斗と同い年という則友はやっとというふうに云い、力なく笑ってうなずいた。

 則友とも初対面だが、のんびりと見えて、その実、痛みを堪えるなかでも強い眼差しが窺える。
 つい最近、戒斗を通して判明したのは、彼が、詩乃の実姉、華乃――すでに亡くなっているという――のただ一人の子供であることだ。そして、領我家頭首との対話の結果、さっき隼斗が拓斗に告げた推察。それらが、有吏と蘇我の間であった出会いが巡り合いであり、なるべくしてここに至ったことを教える。
 その後、気絶した男を手土産に蘇我邸に乗りこんだ。目の当たりにした蘇我頭領と総領は、イメージそのまま傲慢で不快極まりなかった。蘇我本家から蘇我グループという(よろい)を取り去ってもなお分家が従うとは考えにくい。孔明から聞かされたとおり、血縁というしがらみすら失うのではないかと思うほど、蘇我本家に尊さは見当たらなかった。
 領我家頭首に踊らされ、隼斗に乗せられ、蘇我頭領は引き時を得て、両一族は模索の時代に踏み入った。
 いちおうの決着はついたのだろう。

 だが、それでも、なぜ、という疑問は消えない。
 あまつさえ、なぜ、は一つ増えた気がしている。





 長い一日を終え、日付が変わる頃やっとベッドに腰をおろすなり、すでに寝そべって待っていた那桜の手が拓斗の腕をつかむ。
「拓兄、何かあった? いつもよりずっと疲れてるみたい」
 そう云われて、拓斗は自分がため息をついたと気づく。もう一度息をついて首を傾けた。
「ああ。いま、やっとリラックスしてるんだろ」
「わたし、そうさせてる? 役に立ってる?」
 拓斗の口もとが自ずと緩み、那桜もまた同じ――いや、それ以上の笑顔を返した。
「明日、いったんは実家に帰る」
「うん。お母さんも早くそうしなさいって云ってた。叶多ちゃんと戒兄もいるし、楽しそうって思ってる。もう、家は嫌だってことはないから大丈夫」
「蘇我のことも大丈夫だ」
「え?」
 那桜は放心した様で拓斗を見上げてくる。それが不安へと変化していくまえに、拓斗は拉致のことを省いて今日の出来事を要約した。
「有吏一族は、こそこそやるのをやめた。蘇我と渡り合っていく。争うという意味じゃない。共存を図っていく」
「拓兄がそう云うんなら大丈夫ってことだってわかる」
 安心させるつもりが、拓斗のほうがなだめられる。
「明日の午後、帰るまではここでゆっくりする」
「ほんと? じゃあ、最後のぐうたら?」
 拓斗は肩をすくめた。素直に答えるには総領として抵抗がある。正直なところ、有吏から完全に逃れられなくても、時間的に制約がなく那桜とすごすという生活に未練はある。戒斗はきっぱりと有吏から離れる時間をつくる。その理由がいまになってわかった。
「何をしてほしい」
「毎日お風呂で“きれい”にしてもらってるし、それで充分かも」
 拓斗がベッドに潜ると、那桜がすり寄ってくる。

「和惟はまだ?」
 有吏邸では衛守と和瀬で今後のことを打ち合わせしているのだが、和惟はちょっと顔を出してくると云いつつ、いまだに帰ってこない。ただし、帰ってこないなどあり得ない。それをわかっていながら那桜は問う。わざととは思えず、むしろ、和惟がいるのが当然としてきたのは拓斗のほうで、不服に思うのはお門違いだ。それでも――
「和惟のことは忘れろ」
 激動した一日の代償でアドレナリンが効きすぎている。よけいな一言を実際に口走ったことは、那桜の笑い声で気づいた。深くため息をつくと――
「拓にぃ、好き」
 間延びした告白が拓斗の胸でこもった。

 もう一つの“なぜ”はいらない。確かめなくていい。
 忘れろ。
 那桜にではなく、拓斗ははじめてその言葉を自分に云い聞かせた。

BACKNEXTDOOR