禁断CLOSER#133 第4部 アイのカタチ-close-

4.Missing love -8-


 レストルームは、どうかすると半袖でもいいほど暖かい。コーヒーの不眠作用も無効にするほど心地いいらしく、丸テーブルの隣同士で座っている那桜は口もとに手を当ててあくびを咬み殺す。
「昼寝の時間か?」
 那桜を挟んで拓斗のほぼ向かい側に座る和惟も気づいたらしく、可笑しそうに首をひねった。
「おなかいっぱいだし、お日さまが気持ちいいし、だから条件反射」
「なるほど。まだ残ってる。フルーツは底なしだろう」
「そんなことない。拓兄も和惟も食べて」
 那桜は、テーブルにのったフルーツ盛り合わせを指差した。何を思って和惟がフルーツまで頼んだのかは知らないが、とても一人分とは思えない皿の上にはまだ半分も残っている。肩をそびやかしてかわそうとすると、那桜は苺を摘んで拓斗へと差し伸べてきた。
「パフェを半分も食べさせられて吐きそうになってる」
 那桜は目をくるりとさせて笑い、「じゃあ、夜に取っておく」と手を引っこめた。それから不思議そうに顔を傾けた。
「仕事はしなくていいの?」
「まったくしてないわけじゃないだろ。パソコンを開くより、いろいろ考えることがある」
「いろいろ?」
「ああ。那桜――」

 云いかけたところで、拓斗の携帯電話から着信音が鳴りだした。仕事用の音だと聞きわけながら見ると、相手は孔明だった。思えば今週、孔明とは事件の日の朝、仕事のことで話したきりだ。翌日も会社に出ていたとは聞いたが。
『こんにちは、孔明です。いまいいですか』
 いつになく、蘇我ではなく孔明と名乗ったことに意味はあるのか。そういった些細なことまで神経がいく。拓斗がただ敏感になりすぎているだけなのか。
「拓斗だ。休みになんの用だ」
 懐疑心を隠し、拓斗は普段どおり素っ気なく応じた。
『那桜さんは大丈夫ですか』
 暗に『休みに』と云うことでまどろこしい美辞麗句を省けと示唆したのだが、それ以上に孔明は(かなめ)を突いてきた。
「どういうことだ」
我立(がりゅう)家がやったことを……正確に云えば、本家、つまり父がやったことですが、貴仁(たかひと)から聞かされました』
「なんの話だ」
『一族狩り、です。話しましたよね。父が躍起になってもう一つの一族を探していることを』
「それで」
『伯父――領我家から窓口を通してコンタクトがあるはずです。拓斗さん、応じていただけませんか』

 孔明はかわす拓斗にかまわず率直に詰め寄ってくる。三カ月余り孔明を見てきて、信用していないわけではない。かといって、気を許しているわけでもない。
「なんのことだ」
『僕は未熟です。けど、父や兄と対等に……いえ、それ以上に、恥じない蘇我を率いたい。そう思って有吏社長に無理を云いました。その気持ちは変わりません。今回のことは僕自身、恥じ入る以上に情けない思いです。取り返しがつかないのは重々承知のうえ、これから違った形で挽回させてもらえませんか』
 孔明は喰いさがる。一瞬考えたすえ、拓斗は一つため息を漏らした。
「おまえは何を知った」

『領我家のみが知る、もう一つの真の一族のことを。拓斗さん、古来、両一族が目指すのは、真の意味でいう大国へとこの国を導くこと、そうではありませんか。蘇我はご存じのとおり、本家の独裁です。その慢心が世界に向き、蘇我が招いた大戦では、暗の一族が裏切り者だと、本家は分家をも欺きました。かつてもいまも、大方の分家が暗の一族との共存を望んでいます。拓斗さん、領我家には先代――戦後から固有の家訓があります。“堂々あっぱれであれ”――僕はそうありたいと思っています。それは有吏にも通じることではないかと。僕を含め、領我家は全面的に“もう一つの一族”とともに歩んでいきたいと願っています。もちろん、すんなりとノーサイドになるというはずもありませんが、蘇我を領我家に託していただけませんか』

 “堂々”と――その気持ちは、孔明が云ったとおり拓斗の考えに共通するものがある。
 昭和の決着――だれも公の場では口にしないが、常にだれをもの内心に付き纏って有吏を揺さぶっている。
 終戦までの資本主義社会となった時代――近代とされる末期、のちの連合国との対立が不利であることは明らかで、暗の一族は戦を避けるよう(かみ)に諌言した。そのことは民を見捨て、挙げ句の果ては他国と暗の一族が手を結んでいるという、裏切り者の烙印を押されたのだ。戦を避けるよう諌言したこと以外、すべてが事実無根の濡れ衣だった。
 上との接触は絶えることになり、裏の業においては、まず信用回復から始まるという支障が出た。
 時に沈黙を守ることは徳ではあるが、けじめが必要なときもある。表に出るということは、蘇我と対峙するということにほかならない。
 この期に及んで、孔明に隠す意味がどこにある。

「戒斗の考えも父の考えも疑問に思うことはある。けど孔明、人を見る目は疑っていない。いま、おれが云えるのはここまでだ」
『はい、光栄、かつ充分です。それで、那桜さんは?』
 きっぱりと畏まった声音から一転、孔明は遠慮がちに不安を交えた口調で、再び最初の質問に戻った。
「命に係わるかという質問ならノーだ。元気にしてる」
『はい。頼りにならなくて申し訳ありませんでした。真の姿で会えるときを待っています』
 よかった、と、那桜の無事をそう云わなかったのは、躰ではなく心的なものを気遣ってなのか。そうだとしたら、隼斗の目も、戒斗の目も、なんら狂ったところはない。

「孔明さん?」
 携帯電話をテーブルに置くと、電話の間ずっと拓斗を注視していた那桜と和惟、それぞれを順に見やった。
「そうだ。領我家が窓口を通して接触してくる」
 那桜は目を丸くして、和惟は眉間にしわを寄せる。
「拓斗、和久井は千重(せんじゅう)家に監視がついたと云ってる。蘇我は千重家を視野に入れてるということだ」
「ああ。領我家が有吏と接触を図ってくるということはつまり、領我家が本家を離れ、独自に事を進めていることを裏付けている」
「蘇我孔明はなんだって?」
「蘇我を領我家に託してほしいそうだ。明日、明後日で有吏の方針を出したい――いや、出さなければならない」
「待ったなし、だな。本家は分家を酷使する」
 そう云いつつも和惟は事もなげに薄く笑う。
 一方で、驚きから覚めた那桜は表情を陰らせた。
「明日はいないの?」
「さっき云いかけたことだ。有吏館で会議がある。和惟がいるし、夜はここに帰る。いいな」
 那桜は不安をごまかすように首をかしげて笑った。
「三日間、ずっと一緒にいるからちょっとさみしいって思っただけ。大丈夫」
「大丈夫じゃなくていい。おれも和惟も、当てにするだけしてろ。いいか」
「はい」
 返事と一緒に、口もとだけだった笑顔が、からかいまで含んで顔いっぱいに広がる。
「拓兄、有吏一族の男って屈折してるね」
「なんだ」
「拓兄も和惟もお父さんも、やさしいくせに、無関心バリアを張って突き放してるように見せるから。面倒くさい」
 那桜は最後の一言を鼻にしわを寄せて云い放ち、和惟が笑う。
「さすが親子だ。詩乃おばさんも面倒くさいって云ってたな」

 ふと、拓斗の記憶が和惟の言葉を聞きとめた。
 和惟と詩乃の話し声に引かれた夜中、そういえば詩乃も似たような言葉を発していた。そのあと何か話していたが、詩乃の声はよく聞きとれないほど静かだった。――大雀(おおさざき)家は那桜で終わる。父親を奪いたくない。そんな断片的な言葉が拓斗の耳に入った。思いだすと、そのとき脳裡をかすめた痞えまでもが甦る。自分の記憶と、どこか咬み合わない不自然さを感じたのだ。

 那桜は「お母さんも?」と問いながら、何か思い巡らすように目をくるりとさせた。
「お母さん、ミスターパーフェクトは見てるだけならいいけど、傍にいるとうんざりするし、ずるいっても云ってた」
「ミスターパーフェクト?」
「そう。なんでも完璧にやろうと背負うから。しかも独りで」
 可笑しそうにした和惟に対して、那桜は面倒なことが嫌いなわりに不満げだ。
 云いたいことはわからないわけではない。有吏の男たちは、意見を云い合うことはあっても相談することはない。那桜に関しては意見すらも無下にしてきた。
「そういうつもりでやってるわけじゃない。ただ、有吏の教育にはそういった面がなくもないな」
 和惟はなだめた口調で云いながら肩をそびやかす。
「でも、少しは変わってる? そんな気がするけど。叶多ちゃんは、妥協することは始まってるって云ってたよ」
「妥協?」
「うん。気持ちは後回しにして有吏の仕事が一番めだったのに、気持ちをくっつけたうえで考えるようになってるって」
 和惟はちらりと拓斗を向いたあと、「へぇ」と相づちを打った。

 叶多はつかみどころがなく、ふわふわと長閑(のどか)に見えて、その実、いろんなことを感じとっている。
 拓斗は確かにいま、有吏の業と那桜とのことを切り離せなくなった。それが吉と出るのか凶と出るのか、今回のことはまるきり凶と出たことになる。もしかすれば拓斗の決断の比重を占めているのは――とそんな葛藤を抱え、それでも離したくないという欲求は身勝手なのか。

「あ、そういえば、叶多ちゃんは戒兄から面倒くさいって云われたんだって。叶多ちゃん、いろんなこと思ってそうだし、たまに考える方向がずれちゃってるし、なんとなくわかる気もするけど、戒兄も家を出ちゃったり、叶多ちゃんと離れちゃったり、考えることが律儀で極端だからお互いさまって感じ。わたしは単純だし我慢しないストレートタイプだから、面倒くさくないよね」
 那桜の云い分はすんなり納得できるものではなく、それは和惟も同じなのか拓斗が目を向けたとたん、呆れ返った眼差しとかち合った。
「那桜」
「これまでどれだけ面倒を起こした?」
 和惟の呼びかけを引き継ぎ、拓斗は首を振りつつ目を細めて那桜を見つめた。
「反省してる」
 都合を悪くした那桜はちょっと拗ねたようにくちびるを尖らせたあと、心こもらずの言葉で締め括った。





 五月の連休最終日の日曜、有吏館の会議室では昨日に続いて無言の唸り声が絶えない。
 窓の外を覗けば、出かけない? と那桜が云いそうなほど天気がいい。
 もっとも、いまの那桜がそうねだることはない。拉致暴行に遭ったことも流産したことも落ち着いて考えられているようだが、実際は、病室にだれかが入ってくると身をすくめたり、びくっと躰を揺すったり、反応過多になっている。思いつめた面持ちのときもあり、失った子供のことを考えているのだろうと察して拓斗が腹部に手を当ててやると、那桜は自分の手を重ねて安堵混じりのうれしそうな笑みを見せるのだ。普通にしているかと思えばそんなふうで、浮き沈みがある。
 いままでになかった、微笑むという那桜の笑顔。それを思い浮かべた直後、拓斗は込みあげてくる“なぜ那桜が”という埒の明かない疑問を飲み下した。

「昨日報告を受けた状況、並びに我々の所期として、分家は皆、身代わり案は歓迎するところです。しかし、窓口が千重家に変わることになる。それは逆に障害になりませんか」
「確かに。操縦は難しくなるな」
「私も同意見です。和久井家を信じていないわけではありませんが、千重家が我々の意思決定に従うかどうかという保証を考えますと……身代わりに手を挙げるにしては動機が弱い気がします」
 有吏にしてはめずらしく迷走する議論を空言のように聞きながら、拓斗は気取られない程度のため息をつく。どんな意見を耳にしても、最良の策は昨日、拓斗が案として出した有吏の改革しかない。三度(みたび)、はいらないのだ。
 その案に対して、隼斗はうんともすんとも云わない。
 一昨日、孔明からの電話のあと、領我家から和瀬ガードシステムを経由してコンタクトがあった。蘇我本家を通さず相まみえたいという。暗の一族が有吏とわかっていながら、直に接触してこないのは蘇我本家への漏洩を防ぐために念を入れた結果だ。そんな慎重な配慮ができる領我家なら――そう考えるのは安易すぎるのか、隼斗自身、領我家の総領である貴仁とは何度か会っているのだ、人となりはつかんでいるはずだ。真っ向から拓斗の意見をはね除けなかったのは、認めるなんらかが孔明にも貴仁にもあるからに違いない。
 それでもなお葛藤があるのだろう。自分の代で具現化することの難しさもわかるが――。

 再度、説得すべく拓斗が口を開きかけた矢先、隣に座った戒斗が反り返った椅子の背から躰を起こしてテーブルに腕をのせた。戒斗と意見を交わした昨日、ふたりの考えはわだかまりもなく合意に至っている。
「もういいでしょう。千重家の身代わり案については、だれ一人として諸手を挙げて賛成する者がいない。それだけは確かです。首領、これ以上、時間を割いても無駄ですよ。蘇我との関係は見切りをつける。同時に、有吏も転換すべきではありませんか。少なくとも、表分家は――」
 そこで戒斗は発言を途切れさせた。その脇に置いた携帯電話が光って何かしらの着信を知らせている。普段なら会議中は無視する戒斗が、すかさず携帯電話を手にした。すると、今度は衛守主宰の携帯電話がふるえだす。そして、戒斗の携帯電話もそうなった。

 戒斗は「ちょっと」と断りを入れて席を立つと窓際に向かう。応答から、相手は叶多の友人だと判断がついた。一方で、衛守主宰は衛守セキュリティガードからの連絡のようだ。
「……わかった。すぐ手配する」
 戒斗は手短に話し終えるなり、携帯電話を操作して耳に当てた。が、すぐに舌打ちが響く。
「総領次位」
 直後、相づちだけで電話を終えた衛守主宰は戒斗を呼ぶ。
 思索するまでもなく即座に察知できるほど、ふたりの電話はタイミングがよすぎた。
「どの方面です? 車の持ち主は?」
「カメラから車のナンバーは判明してますが、レンタカーでした。行き先とともにいま追い求めています」
 戒斗は息をつきながらうなずく。
「どうした?」
「いえ、続けてください」
 拓斗の勘繰りすぎか、窓際に佇んだまま戒斗は隼斗の問いにあっさりと返した。隼斗は表情に出さずとも、しかめた雰囲気を漂わせ、衛守主宰は小難しい顔でいるが、行動を起こすことはない。

 拓斗は怪訝にしながらも口を開いた。
「僕が続けます。昨日と同じことを繰り返すことになりますが。裏分家が出る必要はなく、有吏には蘇我グループのテイクオーバーという切り札があります。いくら否定しようと、領我家は暗の一族を察しているんです。すでに受けて立つという選択しか有吏には残っていません。そこでいかに最善を尽くすか。先手を打てない有吏ではないでしょう。蘇我本家ではなく、領我家からの打診ということ自体、好機ではありませんか。首領、どうなんです」
 隼斗に振ったが、口を真一文字に結び、開く様子はない。しばらくというには長すぎるほど、それぞれに勘案した時間がすぎる。やがて、すっと息を呑む音がしたあと、叶多の父、八掟主宰が身をのりだした。
「総領、並びに総領次位が同じ志で向かわれるのなら、分家はそれを支えるまで。そうではありませんか」
 八掟主宰はテーブルについた面々を見渡す。
「そのとおりです」
 一人の賛同とともに主宰たちは一様にうなずく。
「異存はありません。首領、表分家に限らず、裏分家も――」
「和久井、貴仁、もしくは孔明と連絡を取ってくれ。叶多を探している」
 戒斗の抑制した声がやけに大きく響き、裏分家主宰は口を閉じた。

 消えた。真っ先にそんな言葉が浮かぶ。今度は叶多が――。
「どこだ。何やってる」
 戒斗が携帯電話を操作して耳に当てること三回め。それは叶多なのか、戒斗は電話の向こうに話しかけた。
「青南? 捕まるってなんだ。……叶多。……叶多、話すのはあとでいい。電源だけは繋いどけ。すぐ行く。……いまは何も心配するな。とにかく逃げ――」
 戒斗の言葉は唐突に途絶えた。会議室はしんと静まり――
「戒斗」
 微動だにしない戒斗に隼斗が呼びかけた直後。
「叶多が拉致された」
 戒斗は止まっていた時が動き始めたかのように、会議室のドアへと足早に向かった。

 拓斗は強く目をつむり、きっと隼斗に向かった。
「首領、何度繰り返すつもりですか。もうたくさんだと思ったはずです」
 戒斗が出ていったドアが閉まると同時に、拓斗は立ちあがる。テーブルを一通り見渡した。
「こそこそ隠れていなければ何もやれないほど有吏は脆弱(ぜいじゃく)な一族ですか。おれはそう思っていない」

 拓斗もまたドアに向かう。
 真っ向から闘え。
 自分で自分に投げた言葉が甦る。
 堂々と――。

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