禁断CLOSER#124 第4部 アイのカタチ-close-

3.Shaded love -10-


 Naturaでは個室に案内されてゆっくりすごせた。長居はしないといった和惟だが、早く食べろといった雰囲気はなく、四人ともの共通点として戒斗と叶多に関した話題を中心に団らんが続いた。
 美鈴と会うのは、会社での初対面と、その日に約束した戒斗たちとの食事、そして今日と三回めだが、漠然と表現するなら“いい子”だ。どこか――名前もそうだが、美鶴と似ている。本来のお嬢さまというのにふさわしく、世間知らずの素直さが見えて、ゆかしくて出しゃばらない。
 世間知らずというところまでは那桜も一緒だろうが、そのあとに付随する心性(しんせい)は異なっている。美鈴が拓斗の約定の相手だったということを考えると、拓斗のなかには那桜しか入りこめないと信じていても心境はやはり複雑だ。那桜は我慢ということをしない――そんな負の要素があるのに、なぜ拓斗も和惟も那桜なのか、そんな不要な疑問を及ぼす。

「和惟、これ食べる?」
 コースメニュー最後のドルチェが来ると、那桜はプレートにのったティラミスを指差した。和惟はあからさまに顔をしかめる。
「食べられそうって云ったのはだれだ」
「食べられるかも、って云っただけ。おなかいっぱいなの。美鈴さん、食べる? 和惟はケーキが苦手なの」
「あ、いただけるなら。那桜さん、食べないんですか。わたし、おなかいっぱいでもデザートは食べちゃう」
 美鈴はおどけた素振りで首をすくめた。その隣で、孔明は首をわずかに傾ける。
「那桜さん、食欲ないんですか。あまり食べてない。さっき会社で和惟さんとそんなこと云ってましたよね」
 出てくる料理を何かにつけ、那桜は途中で和惟に丸投げしていることに気がつくというのは、孔明がちゃんと気を配れるということの証明だ。
「美味しいんだけど、胃が調子悪くて控えめにしてるだけなの」
「わたしもそういうこと、たまにあります。家にいると特に。春休みを抜けだしてほっとしてる」
 美鈴の発言は、孔明が云った家庭内不和を裏づけている。隣に座った和惟をちらりと振り仰いでみたが、特段、気に留めている様子はない。逆に、なんだ? と問いかけているように見える。
「家でそうだなんて最悪だけど、わかる気もする。うちも戒兄いなくなったあとは息が詰まりそうに暗かったし」
「拓斗さんて戒斗さんの雰囲気と違いますよね。戒斗さんは動くのがさきっていう行動派って感じだからか、拓斗さんが淡泊に見えちゃう。でも……」
 美鈴はそのさきをためらうようにいったん口を閉じた。すぐさま、思い直したように微笑む。
「那桜さんとのことを考えると、黙して語らず(とど)めを刺すって感じ。ふたりともいろんなこと考えてそうなのは同じなんだけど。兄弟なのに不思議」

 初対面の日、孔明の影響だろうが、美鈴からはやはり、那桜は戒斗の“義理”の妹と思われていた。那桜も和惟もあえて訂正しなかったし、孔明が真相を美鈴に教えることもなく、二回めの食事会の席で、孔明にしたように拓斗が自ら誤解を解いた。
 美鈴は困惑していたし――今し方もそうで、そして、孔明がまえもって打ち明けていなかったのは世間の常識を逸脱しているからに違いなく。認めてくれる、というよりは受け入れてくれる人が周りにいて、感覚が麻痺しがちだけれど、これからさきも新しくだれかと知り合うたびに、こんな背徳感を(えぐ)られなければならないのだろう。
 考えてもしかたないことで、那桜は(しこ)りを心底に沈めた。

 ティラミスを美鈴に渡して、那桜はドルチェのなかの一品、アッフォガートに手をつけた。エスプレッソをジェラートにかけたまではよかったが、あまり美味しくは感じられず、結局は二口で和惟に渡した。
 和惟が渋い顔を向けてくる。食べると云ったくせに――そんな批難がまた聞こえてきそうな眼差しだ。
 那桜が食べ物を受けつけないのは胃ではなくつわりのせいなのだが、その調子の悪さにれっきとして妊娠という理由がついてから、なんとなく気分の悪さが増してきた。吐き気はあっても吐くことはない。ただ、体重が減っていて、三十日に病院に行った際は由梨(ゆり)に相談するよう、拓斗からお達しが出ている。
 そんなふうだから、美鈴が美味しそうに食べているのを見るとうらやましくなる。添えられたピスタチオを散々はね飛ばしてやっとありつくという、那桜と同じで粒が苦手らしいことを知るとふたりで笑いこけた。

 食事を終えたのは、テーブルに着いてから一時間半後だった。
 すっかり暗くなった外に出ると、ちょうど駐車場に見慣れた車が入ってくる。貴仁の車だ。
「衛守さん、那桜さん、今日はお世話になりました」
 車から流れるように優雅なしぐさで降りた貴仁は、孔明たちの保護者然として一礼した。
「今度は貴仁さんも一緒に。ね、和惟」
 傍に立つ和惟を振り仰ぐと、外灯のかげんだろうか、那桜を見下ろす瞳が妖しく光る。和惟の視線はすぐ貴仁へと向き、うんともすんとも云わず、ただ首をひねった。
 無言の和惟に、「ありがとうございます」と応じた貴仁は、単に前向きに捉えたのか、したたかなのか。那桜の頭上では、和惟の薄笑いじゃないかと思う吐息が聞こえた。

「蘇我には、有吏の力を借り倒しにきたのならグループのトップに伸しあがれと云ってる。蘇我はできると云った。領我、おまえはどう思う?」
「できるんじゃないですか。孔明は領我家の血を引いてますから」
 貴仁はあっさりと答えた。どこか揶揄した雰囲気があるのはわざとだろうか。よく見ると、目が笑っていない感じがする。貴仁とは孔明の送迎時に何度か挨拶を交わしているけれど、よくよく穿(うが)てば、柔和な表情でも瞳がまったく笑っていないことが多い。和惟と同じで仮面を被っているように感じる。
「蘇我家と領我家は違うのか? 今日、会った我立玲美にしろ、同族だろう? 領我家は、蘇我グループ内でもコーポレート本部で法務部を担ってるって聞くけどな」
「……玲姉さん?」
 和惟の発した一語を聞きとめ、眉をひそめた貴仁は、孔明、そして美鈴へと目を移した。
「一緒にショッピングしてたから送ってもらったの」
 美鈴が云うと、貴仁はどういう意味か、ため息をついた。和惟へと視線が戻ってくる。
「衛守さんもご存じでしょう。蘇我グループははっきり伸び悩んでる。そろそろ革新もありじゃないかって思いませんか。孔明はおれより頭いいし、人の進言をはね除けるようなことはしない奴だし、おれだったら蘇我の“伯父コピー”より孔明をバックアップする」
 貴仁は玲美のことは何も云わず、蘇我本家をひやかした口ぶりで袖にした。片側だけ肩をそびやかすというしぐさは尊大にも見える。
 和惟は跳ねるように眉を上げて皮肉っぽく笑った。
「蘇我の将来もたいへんそうだ」
「有吏LTDと手を結ぶことができたら、鬼に金棒ですよ」
「有吏は領我家の手足か?」
盟友(めいゆう)、じゃだめですか」
 和惟と貴仁の会話が綱渡りのようだと思うのは那桜だけだろうか。なんとなくハラハラした気分で見守っていると、話を切りあげたのは和惟のほうだった。
「楽しみだ」
 貴仁への答えとすればどうとでも取れる言葉を投げ、和惟は那桜の背中に手を添える。
「帰ろう」
「衛守さん、ごちそうさまでした。気をつけて」
 孔明の言葉に重ねるように美鈴もお礼を云い、貴仁は一歩遅れて一礼した。和惟はうなずき返すだけで、那桜が「またね」という言葉を返しているうちに背中を強引に押して車へと急かした。

「それで、何が証明できたんだ」
 那桜を車に乗せ、自分も乗りこんだあと、和惟はエンジンをかけるなり助手席のほうへ躰を向けた。ハンドルに右腕を預けるという威嚇した恰好で、迎え撃つように那桜を見据えている。
「証明じゃなくて、せっかく孔明さんが傍にいるんだから、活路を見いだしてほしいと思ってるだけ。拓兄も和惟もはね除けてる感じがするから。近づいたほうが義理とか情とか出ちゃって裏切れないって思わない?」
「……守りすぎたのか?」
 和惟は独り言のように、なお且つ苛立たしそうな様で首を振った。それから再度、那桜を見据える。
「それがだれにでも通用すると思ったら大間違いだ。人は簡単に裏切る。二時間まえに云ったとおり、那桜は身をもって体験してるだろう。裏切る、じゃなくて自分を優先すると云ったらわかるのか」
「だって、翔流くんには有吏のこと、隠してないみたいだから。最初はそんな気なかったでしょ。だから、そういう気持ちが孔明さんに対しても生まれるっていう可能性はゼロじゃない。孔明さんはちゃんと打ち明けてくれてるし、美鈴さんも家は苦手だって云ってたじゃない? それは孔明さんが云ったことと同じ」
「那桜が何をするまでもなく、首領が孔明を招き入れたのは活路を見いだすためだ。そう同じ考えに至ったまでは感心してやるけどな」
 和惟は感心とは程遠い云いぐさで不快さを放つと、正面に向き直ってギアチェンジをした。ドライバーの感情とは裏腹に、車はなめらかに発進する。それだけ抑制できるならもっとやさしい云い方だってできるはずなのに――那桜はこっそり口を尖らせた。

 貴仁の車はすでになく、和惟の車はNaturaの駐車場を出た。
 喋らないでいようと、那桜の小さな抗議のせいで車のなかは会話もない。エンジン音さえ高級車らしく慎ましくて、那桜と張り合っている。けれど、負けたのは那桜だ。
「窓を開けていい?」
 信号で車が止まるなり、たまらず那桜は発した。車の微妙な揺れが吐き気を催している。
 和惟は、云わないことじゃない、といったふうにため息をついた。シートベルトを外すとジャケットを脱いで那桜に寄越した。
「寒くないようにしてろ」
「ありがとう」
 袖のなかに腕を通して、那桜はジャケットを引き寄せた。機嫌取りをするまでもなく和惟は気持ちを切り替えている――と思ったところで肝心の口実、いや、目的の一つという、和惟の誕生祝いをあげるはずだったことを思いだした。三日まえの和惟の誕生日は、ちょっと奮発した夕食と乾杯をしてひとまず終わっているが、プレゼントは買いに連れていってもらえる時間がなくて保留のままだ。

「和惟、誕生日プレゼント、何がいい? ネットで和惟に似合いそうなペンケース見つけたんだけど。仕事用の車のなかに入れてたらお洒落だと思う。銀座のお店で――」
「プレゼントよりは」
 和惟は鋭くさえぎる。
 中途半端にいったん口を噤み、しかけていたシートベルトから手を放すと、和惟は右頬の髪を払うようにしながら左手を回りこませて那桜の顔を引き寄せた。右側の耳に和惟の口が触れた。かと思うと。
「云うことを聞いてほしい。それだけでいい」
 ぞくっと躰全体が(あわ)立った。息がかかったせいばかりではなく、心底から響くように聞こえたからだ。
 願いのような言葉遣いとは裏腹に、まるで、そうしなかったら息の根を止めてやる、と云っているように。雨のなか、ひまわり畑で拓斗がそんな意思を持っていたように。



 昭和の日の振替で休みとなった月曜日、午後から篤生(とくせい)会病院に行った。
 拓斗と和惟、ふたりともが付き添ってくるなんてどうかしていると思うが、そのうち十人くらいに付き添いが増えているんじゃないかと冗談ぽく想像して、那桜は辟易しそうになるのを内心で笑い飛ばした。
 一昨日の、“和惟に云わせれば無謀なこと”は当日すでに拓斗に知れている。和惟が忠実なのは承知のうえだった。意外、なのか、那桜が普通の躰じゃないせいか、拓斗は無言で怒っていたけれど、懲らしめるためにとことん抱くというような、躰に当たることはなかった。和惟に云ったとおり、怒らせるためにしたことではない。だから、いまは従順に『はい』を通している。

 初診のときと同じで、休日だから診察は外来ではなく病棟で行われた。尿検査と体重と血圧の測定、そして採血を終わったあと、診察室の外にある簡易待合場に案内された。看護師に由梨を待つよう指示されてまもなく、「由梨先生、急患です」と別の看護婦がやってきた。奥の部屋に入って、こもった話し声がしたかと思うと、看護師に続いて由梨が出てきた。
「那桜さん、救急患者なの。待たせてしまうけど、もし、長くかかるようだったら明日にしてもらってもいいし、予定を合わせるわ」
「大丈夫です」
 由梨はほっとしたようにうなずき、微笑むと再び診察室に引っこんだ。

「急患だって」
 那桜が中待合室を出ると、廊下の椅子に座って携帯電話を弄っていた拓斗が顔を上げた。すぐ傍に立ったままでいる和惟は、壁にもたれていた背を起こす。ふたりともわずかに首をひねってそれぞれ返事に変えた。拓斗は、問題ない、和惟は、しかたないな、といったふうだろうか。
 何がなんでもこっちが優先だ、などとのさばる一族でなくてよかったと思う。蘇我の、少なくとも孔明が云うカバ二頭は、権力を笠に着て平気で云い張りそうだ。
 隼斗は権力を振りかざすようなことはしない。“忘れ物をする那桜”よりは“那桜が忘れ物をする”ことに頭痛めてる――高等部のとき果歩が云った。教師からすればそう思うかも知れないが、那桜からすれば隼斗から叱咤(しった)されるのは間違いなく那桜だ。

 広くもない廊下を横切ると、拓斗が長椅子を横にずれて、和惟との間に場所を空けた。
「由梨先生、時間ないんだったら明日でも予定合わせてくれるって」
「べつに急ぎはない」
「よかった。明日は仕事だし、お父さんにどこ行くんだって訊かれても困りそう」
「父さんは知ってる」
 拓斗はあっさりと云い、那桜ははっと横を振り仰いだ。
「……ほんと?」
「このまえ、ここに来た時点で父さんには自動的に知れている。少なくとも一族間のことなら、首領である父さんが知らないことはない」
「……お父さん、何も云わないけど……」
 いずれは知れる、云わなくちゃいけない、とそうわかっていても先延ばしか、もしくは避けて拓斗の判断に任せていた。ちょっとした憂いがこんなに簡単に解決しているとは思わなかった。
 思い返しても隼斗はこの二週間、至って変わらなかった。もともとが感情を表に出さないから本心をつかむことは不可能で、許容してくれるのかどうかは別問題であり、不透明だ。
「いまさら何を反対する必要がある? おれからも報告はしてる。不要な心配はしなくていい」
「はい」
「よけいなこともするな」
 一昨日のことは無言の圧力ですますつもりかと思いきや、拓斗はここぞとばかりに云い渡した。ふてくされた気分が無きにしも非ずだが、拓斗を神経質にさせたくもない。
「はい。拓兄、お母さんは知ってる? 何も云ってこないけど……」
「何も云ってこないってことは、知らないんだってことがわかるだろ。安定期に入ってからでいい。母さんの世話やきが始まったら、うんざりするのはおまえだ」

 拓斗は何も云わないくせに、その実、なんでも知っている。家を出てから以降、いったん顔を合わせると、さり気なくも詩乃は何かとかまってくるのだ。那桜がなかなか寄りつかなかったせいだろう。
 叶多が有吏家に居候(いそうろう)していたとき、那桜がいると詩乃は、大げさにいえば叶多をそっちのけにしていた。叶多が何かをやろうとすると、さえぎって那桜に頼んでくる。気を遣っているのだろう。どんなことになってもあなたはわたしが産んだ娘なのよ、という意思表示をして。もとはといえば那桜のせいに違いない。救いは、那桜がいないときは一緒に料理したり出かけたりと、詩乃と叶多はうまくいっているし、何より叶多がそういう事情を素直に理解してくれたことだ。
 いまは、隼斗との溝が埋まったように、詩乃に遠慮することもない。ただし、詩乃には世話やき癖がついてしまった。

「採血されるとき、看護師さんから何型か知ってるって訊かれたんだけど、それでわたし、自分の血液型を知らないって気づいた。ピル処方してもらうとき採血されたけど、血液型云われなかったし」
 ナースステーションが斜めまえにあって、そこを行き交う患者や看護師を眺めながら那桜は言葉を切った。なんの反応も返ってこなくて不自然な時間が空き、拓斗を覗きこんでみた。ほぼ同時に拓斗は口を開く。
「こっちから訊かないかぎり、調べてくれることはない」
「そうなんだ。今度は出産があるし、看護師さんが血液型も調べるって教えてくれたの。何型だと思う? 友だちとそういう話になったときに、お父さんはA型でお母さんはO型って聞いてる。合ってる? お父さんが完璧AだったらA型だけになるけど、子供はAかOってことになるよね。日本人の典型って感じでおもしろくないけど。拓兄はどっち?」
「A型だ」
「戒兄は?」
「O型だ」
「わたしは?」
「知らない」
 血液型を知らないからといって怒るなんてばからしい――などということは充分にわかっているつもりだが、自分だけまるで除け者だ。
「ひどい」
「献血したことがあるから知ってるだけだ。おまえはないだろ」
 真っ当な答えは那桜の不機嫌が見当外れだと当てつけてくる。
「ごめんなさい」
「何を謝ることがある」
 拓斗はめずらしく苛立ったように云い放った。拓斗の不機嫌を増長しないように即座に詫びたことがなんにもなっていない。
 ため息を漏らすと、そのわずかな音を掻き消すように拓斗の携帯電話がふるえだした。
「向こうで話してくる」
 拓斗は立ちあがると、ナースステーションのまえを横切って病棟を抜けだした。那桜は背中を見送ったあと、深くため息をつく。

「おれはB型だ」
 それまで黙っていた和惟が訊いてもいないことを口にした。
「やっぱり」
「どういう意味だ」
 おもしろがった声が頭に降ってくる。
「マイペースでお天気屋だし――」
 と、和惟を振り仰いだところで那桜は話を途切れさせた。
 まっすぐ伸びる廊下の奥に立矢を捉えた。

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