禁断CLOSER#122 第4部 アイのカタチ-close-

3.Shaded love -8-


 疑心は顔に出ていたのか、和惟は立ったままの那桜を見上げて促すように首を傾けた。
「和惟はどこまでが共犯者なの?」
「なんの話だ」
 惚けているのか本当に気づいていないのか、まるで読みとれない。
「いまになって拓兄が和惟に触らせるなんて思わなかった。これからもあるの?」
「拓斗には拓斗の処理の仕方がある」
「処理?」
 無味乾燥な言葉は、大事な儀式のように感じていた時間を色褪せさせる。
「那桜もそうしたことがあるだろう」
「わたしが?」
「那桜はセックスを通して、おれに求愛ディスプレイしてた」
「求愛なんてしてない」
「見てほしかっただろう? 有吏家の長女としてでもなく、従兄妹としてでもなく、そんなフィルターを全部剥がして。那桜はあらゆる意味で裸になって貪欲になった。簡単に云うなら、自己主張だ」
 和惟は十年もまえのことを持ちだした。

 確かにそうだったかもしれない。守られたなかにいたけれど、そのなかにはさらに、フィルターよりももっと密閉されたガラスの箱があって、那桜はそこに閉じこめられていた気がする。周りを取り囲む危険物をはね除けてはくれても、けっして抱きしめて守られることはない。
 セックスが本能的であればあるほど、丸裸の自分が確かな存在に感じられて満たされた。けれど、和惟が応えていない、ということに気づいた。那桜と和惟の間に詩乃というフィルムがあると知ったのはずっとあとだったけれど、和惟が那桜を見ていないことを裏づけた。夢中になっているように見えても、和惟は一線を越えない。やはり抱きしめられることはなくて、ばかばかしいくらいの惨めな気分を消化するのに、那桜は疾しさという気持ちにすり替えた。
 いま、それを認められるのは、男になれるのは那桜のまえでだけだという和惟の秘密を知っているからだ。
 抱きしめられることはない――そうじゃないことを教えたのは拓斗だった。雨が降るひまわり畑のなかで。だから、死んでもいいと思えた。
 その拓斗が、処理しなければならないほど満たされたいこととはなんだろう。
 那桜と和惟の気持ちは求める時を互いに間違った。愛のない、ただのセックスじゃない。那桜は和惟の云うとおり求愛していた。たぶん。その埋め合わせを、わたしを見ているべきだ、と主張して、いま和惟に求めている。
 拓斗はそんな那桜の気持ちを漠然とでもわかっている。だから――那桜は、CLOSERの鍵をまだ解錠しきれていない。拓斗とは間違いたくなんかない。証人はおなかにいるし、拓斗のことを疑うことはない。けれど。

「郁美が……拓兄がいなくなったらわたしはどうするんだろうって心配してるって」
「そんなことがあるわけない」
 和惟はばかげているといったふうに薄く笑う。
「でも、蘇我一族のことをすごく警戒してる。翔流くんもそう云ったし、わたしの勘違いじゃない。わたしは檻のなかでいつも守られてるけど、拓兄はそうじゃない。危険なのはわたしだけじゃなくて、拓兄もそうなの。きっと、拓兄のほうがもっと危険にさらされる。“長”ってそういうことでしょ?」
 那桜の疑心は懸念によって頭の隅に押しやられた。拓斗がいろんなことを打ち明けてくれるようになって、断片的だった那桜の疑問が少しずつ繋がっていて、こんなふうに結果が見いだせるようになった。そうすると、いままでと違った不安も出てくる。
 和惟はひどく目を細め、一瞬だけ沈黙した。そして。
「ふざけたことを云うな。なんのために分家があると思う。本家には指一本触らせることはない」
 和惟の声は風を切るように鋭く、静かだった。

「……心配しなくていい?」
 和惟は緩慢に立ちあがり、間近で那桜と向き合った。和惟の手が背後にまわり、那桜の頭を支えるように添うと、ぐいっと引き寄せられる。額が和惟の胸をノックした。
「那桜ごと拓斗も護る。おれはそのためにここにいる」
 額を通して、確かな鼓動と一緒に体内から届く声は、余すことなく心底を吐露したような決意に聞こえた。
 和惟の手が片方だけ離れ、那桜は束縛が緩くなった頭を上げた。和惟は那桜の下腹部に手を宛てがう。
「生まれてくる子供も同じだ」
 那桜がうなずくと、和惟はおなかから手を離しながらくちびるをわずかに歪めた。皮肉かからかっているのか、何かと思えば大きく開いたスクエアネックの胸もとから和惟の手が忍びこむ。
「痛い!」
 触らないでと云うより早く、那桜は反射的に小さく叫んだ。下着のなかにまで侵略してきた和惟の指先が、胸の先端をかすめたとたん、引っ掻かれたようにぴりっとした。
「前兆はこういうところにも出てくるものらしいな」
 和惟は含み笑う。
「拓兄から聞いたの?」

 いま思えば、生理まえの症状と似ているけれど、いつもよりずっと胸先は敏感になっている。拓斗はそれを知っていた。一週間まえ、触られた瞬間に『あっ』と短く発した声は自分でも悲鳴に聞こえた。セックスのときは、それでも快楽に変換されていって拓斗の気遣いは不要になった。それどころか、ひどく相乗効果をもたらしてしまうから、厳密にいえば痛みではないのかもしれない。

「拓斗がお喋りじゃないのは知ってるだろう。那桜から聞いた。『胸、だめ』ってな」
 さっきまでの、深刻そうな気配から一変して、和惟は嫌らしいほどに口を歪める。
「わざわざ触ったり、云ったりしなくてもいいのにひどい。放して!」
 那桜は批難しながら一歩後ずさった。伴って和惟の手が這うようにして離れていき、そこでも那桜は呻いた。
「ひどい? 感謝してるつもりだけどな」
「感謝って何?」
 ミニワンピースの襟もとを整えながら考えもなしに訊ねると――
「ますます感じやすくなってるようだし、那桜は淫らでそれを隠さないから。楽しみだ」
 訊かなければよかったというようなことを和惟は口にした。
 郁美や翔流たちがいるときに聞いた『楽しみだ』はそういうことだったのか、那桜は疑うように和惟を見上げた。
「なんだ?」
「想像するのも、それで何かするのも和惟の勝手だけど云わなくていい。まえにも云ってる!」
 那桜はくるりと背中を向けてキッチンに行った。くぐもった笑い声はすぐに聞こえなくなった。
「何か、じゃない。愛してる。それだけだ」
 思わず振り向くと、ごく真剣な声とは相反して、挑発を交えたようなおもしろがった表情と合った。
 聞き飽きた。そんな贅沢な言葉を発しそうになったけれど、かろうじて那桜は自分を引き留めた。


 拓斗が帰ったのはそれからまもなくだった。
 ちょうどダイニングに出てきていた那桜を一通り眺めまわした。そのあと和惟とアイコンタクトをとった拓斗は、顔が険しいとまではいかないものの、どことなくそんな気配を漂わせていて、“妊娠発覚”という喜び事はすでに拓斗のなかで影が薄くなっている感じだ――と思ったところで那桜の疑心が復活する。疑心が疑心じゃなく事実とするなら、もともと拓斗が喜んでいるのかどうかさえ怪しくなる。
 疑問をぶつける間もなく、拓斗は書斎にこもってしまって夕食まで出てこなかった。夕食の時間になる頃には、那桜のなかでもうれしさが半減しかけていた。
 シャンパンでお祝いの乾杯を交わすことから始まり、和惟とふたりでつくった――正確に云えばほとんど和惟がこしらえたのだが、プチフレンチコース料理をほぼ黙々と平らげた。
 拓斗がそうそうやさしい言葉をかけるわけはなく、隣で美味しいともなんとも云わず食べている。それを補うように、正面から和惟が話しかけてくるが、那桜は相づちでやりすごした。デザートのケーキは、美味しいと思わないふたりに無理やり食べさせるのもばかばかしい気がして、那桜は独りで三つとも食べてしまった。
 那桜の機嫌が(かんば)しくないとわかっているはずも、拓斗も和惟も触らぬ神に祟りなしという気配だ。
 九時になって浴室を出た那桜は、ソファに座るふたりを見向きもせず、廊下から部屋の中央にある階段へと一八〇度まわる。早々と二階に引きあげた。パウダールームで肌と髪の手入れをしてから寝室に行くと、今度はベッドに上がって手足のケアを始めた。
 拓斗が上がってくるのはもっと夜遅くだと思っていたのに、それから十分後、“カラスの行水”をしたらしい拓斗が髪を濡らしたまま入ってきた。

「なんだ」
 ベッドの傍に立った拓斗は、いきなりおなじみの問いかけを向けた。すまして気にかけていないようだったのに、やはり那桜の機嫌はちゃんと感知していたらしい。
「拓兄、わたしはここに閉じこもってるほうがいいの?」
「だったらなんだ」
「拓兄は、賭けでもしくじったわけでもないって云ったけど……。はじめて赤ちゃんのことを話したとき、拓兄は乗り気じゃなかったし、だから子供ができたってわかって後悔とかうんざりとかしてるんじゃないかって思ったの。でも違ってる。拓兄は確信犯。わたしを閉じこめようとして、その口実に妊娠させたの。計画的に!」
 云っているうちに気持ちは高ぶっていって、那桜は責めるように叫んだ。
 拓斗は目を逸らすことなく那桜を見つめた。
「そうだ」
 嘘でも否定すればいいのに、拓斗はあっさりと認めた。
「ひどい」
「子供を欲しがったのはおまえだ。一挙両得とはいかなくても、それ一つで充分なはずだ。何を欲張ることがある」
 その発言にも口調にも、拓斗の子供に対する期待も喜びも覗けない。
「ひどい!」

 批難したとたん、手に持ったローションの瓶が取りあげられて、背中からベッドに倒された。那桜が起きあがろうともがいているうちに、拓斗はサイドテーブルに瓶を置いて那桜の両手首を片手で括った。那桜の腿の上をまたぎ、真上から那桜を見下ろす。
「本当に『ひどい』なら、ここに、こんなふうに、括りつけている。ベッドは――セックスは好きだろ」
 侮辱的な言葉でも、那桜を射貫こうとする瞳は冷たくはなく、むしろ、真逆の熱がこもって見える。
「違う! 拓兄と繋がっていられるのが好きなだけ」
 那桜が云い換えると、喘ぐような眼差しが注がれる。見つめ合ったまま、拓斗が口を開くまでには少し時間を要した。それは、打ち明けようと意を決するためだったのか。
「明日、約定の破棄が蘇我に伝わる」
 そう聞かされて、約定破棄についてはまだ内々の決定だったことをあらためて知る。だからだろうか、今日、帰ってきたときに子供のことが疎かになってみえたのは。
「気をつける。でも、向こうは有吏のこと知らないんでしょ?」
「だからこそ、いま以上の露骨な警戒はかえって目を引く可能性もあるからできない。ひどいとおまえが思うんなら、さっき云ったとおりにする」
 どうだ? と拓斗は無言で問う。要するに、逆らう気ならまさに縛るぞと脅しているのだ。
「赤ちゃんがいるから、好き勝手にしたり、わがままはだめだってわかってる」
『自分を粗末にはしないだろう』と和惟が感づいているとおり、そんな気持ちが那桜に生まれることを拓斗は期待していたはずだ。

 真意を量るためか、拓斗はまたしばらく黙した。その間、ささやかも那桜から目が逸れることはない。
「これでもおまえには譲歩してる。守ろうとすることが染みついてる。おまえは妹だから」
 拓斗の言葉は那桜の心底まで響いてくる。窮屈にすることが、妹でなければ生まれなかった感情なら、拓斗にとって那桜は特別だと宣言されたようなものだ。
「お兄ちゃんと妹が一緒にベッドの上ってこと、あんまりないと思うけど」
 自然と笑みが浮かんだ那桜に、拓斗もため息混じりの笑みで応える。
「一つくらい、決まり事に逆らうのもいい」
 そう聞いて、拓斗がどれだけ有吏一族に束縛されているかということに思い至る。ずっとまえ、和惟は云った――やるべきことは生まれる以前からすでに決まっている。ひょっとしたら、拓斗は那桜よりももっと窮屈なのかもしれない。
「拓兄」
「なんだ」
「拓兄は大丈夫?」
「何が」
「わたしは会社と家の往復だけだし、いつもだれかが付き添ってるからいいけど、拓兄はそうじゃないから」
「……そういう心配はいらない」
「心配したくない」
 那桜はやはりわがままを吐く。とたん、咬みつくように口がふさがれた。

 人の気を知れ――そんな拓斗の内心のつぶやきは届くはずもない。そのかわり、那桜のくちびるから心底へと浸透させる。
 拓斗の空いたほうの手が那桜のパジャマのボタンを外していく。そしてキャミソールをたくしあげた。
 拓斗が那桜の手を解放しながら顔を上げると、那桜は喘ぐように息を継いだ。それが整わないうちに、那桜は息を呑む。拓斗の指先が胸の先端をつついた。痛みと快楽、どっちつかずの感覚が走る。
 それがはっきり快楽に変わるまでにそう時間はかからない。
 あ、ふぁっ
 見上げた拓斗の瞳がぼんやりと滲んでいく。正しくは、那桜の目が快楽に侵されて潤んでいるのだろう。
 大きな手のひらが二つのふくらみを覆うようにつかむと、拓斗は再び顔をおろした。そのしぐさが恭しく見えたのは那桜の願いなのか、直後、少なくとも拓斗が子供のことをないがしろにしているわけではないと示される。

 拓斗のくちびるはおへその下にゆっくりとやわらかく触れた。

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