禁断CLOSER#114 第4部 アイのカタチ-close-
2.jealous for love -6-
拓斗からかけた電話は向こうからぷっつりと切られた。
「どうした。何かあったのか」
二階の会議室のなか、隣に座った戒斗がかすかに首を傾けた。
自分がどういう顔をしているのか、拓斗には無論わからない。戒斗の問いに、その意に沿って答えるなら、何もない。信用はしているが、無条件の問いとするなら、何もない、ことはない。この気持ちには簡単に名まえがつく。
拓斗は首を小さく振って邪推を払う。
「那桜が、よけいなことばかりする、らしい」
和惟の言葉をそのまま強調して拓斗が伝えると、戒斗はため息混じりに笑う。
「こっちがどれだけ気をまわしてるかって全然わかってないからな。参る」
戒斗が云うのは那桜のことだけではない。
「……弱音か?」
「そうだ」
戒斗はあっさりと認めて口を歪めた。その様子は弱音よりも余裕に見える。その実、余裕があるはずはなかった。世翔たちも心境は同じなのか、揶揄する者はいない。
ドアが開いて、衛守主宰を伴い、隼斗が入ってきた。
「始めるぞ」
隼斗の言葉を合図に、わずかに姿勢を正しながら面々がテーブルに向き直った。
まず、会議は拓斗の発言から始まった。孔明が語ったことを知らせると、一様におもんぱかった気配に沈む。
「この二週間の蘇我孔明を見るかぎり、裏づける話ではあるな」
「孔明に関しては警戒する必要はなく、逆に、利用できないだろうか。いますぐどうなるわけではなくとも、将来まで見据えて、まさに有吏のやり方で孔明を先導していけばいい」
主宰たちの云い分に対して、隼斗は聞き留めたことを示すようにうなずいている。
「領我家が反乱分子であることは、維哲さんからも情報があがってきてる」
戒斗が口を添えた。
維哲というのは八掟家の長男で、叶多にとって年の離れた異母兄だ。母親の姓“織志”を名乗っている。蘇我グループと相対する、貴刀グループの次期トップ候補についてバックアップしている。
「蘇我本家の運転手か」
「ああ。維哲さんの古くからの友人だし、維哲さんの目に狂いはない」
戒斗が維哲のことをそう信じるように、主宰たちのなかに戒斗の目を疑う者はいない。
明らかに蘇我のキーマンといっていい、領我貴仁に次いで蘇我孔明を引き寄せ、そうしたのは叶多だと戒斗は云うが、その叶多を選んだのは戒斗だ。わざわざ危ない橋を渡るまでもなく、蘇我との接触は不自然なこともなく容易になった。有吏一族にとって有益に働いている。
気まぐれだろう、と主宰たちの寛大さのもと始めたバンドが、数年足らずで成功したことも戒斗の目を証明している。拓斗もまた戒斗が見誤ることはないと知っている。
貴仁と孔明を警戒しながらも受け入れている戒斗と違い、拓斗が孔明をそうできないのは、ただ単に、名まえを簡単につけられる気持ちのせいばかりではない。
那桜は、みんな名まえで呼び合うのに孔明だけ“蘇我さん”では他人行儀だ、と、そもそも他人であるにもかかわらず、他人ということを覆し、“孔明さん”と親しげに呼ぶようになった。
こっちの気も知らず、という、戒斗が認められて拓斗が認められない“弱音”が、蘇我は蘇我だ、と孔明をはね除ける。
そういった醜さとは別に、鵜呑みにしていいはずがないことも承知しておくべきだ。
「反乱分子であることは違いないとしても、それが、なんのためか、というところに保証は何もない」
「拓斗の云うとおりだ」
拓斗の喚起を受けて真っ先にうなずいたのは、孔明を受け入れると決めたはずの隼斗だった。意外なのか、当然なのか。
会社内に盗聴器が仕掛けられる可能性を考慮に入れ、孔明を階上に踏みこませることはない。衛守セキュリティガードのシステムが隙なく作動しているうえで、そんな慎重さを捨てない。このさきもそうでなければならない。
隼斗の考えにそのまま従うなど到底納得できない。そう拓斗は思っていたが、いまの重々しい一言を聞くかぎり、隼斗はけっして油断していない。
「総領次位、領我貴仁は我々のことに薄々気づいてる――正確に云えば、見当をつけているんだったな」
「はい」
「難しいな……。領我家は本来、一族の指針を示すという、蘇我の要だ。その役目を放棄するなど、何が領我家にあったんだ」
衛守主宰は解せないとばかりに目を細め、戒斗を見やっている。
「それがわかるのは、有吏が有吏一族として領我家と接触したときでしょう。約定のことを含めて決断の時が迫っていることだけは確かだ」
「加えて、本人の口から孔明の蘇我本家における立場を示された。約定を履行しても、蘇我にとってはなんの痛手にもならず、かえってこちら側の一族を曝すという、有吏にとっては不利になるだけではありませんか」
戒斗に次いで拓斗が見解を述べると、沈黙がはびこる。考えこむというよりは、同意を含んだ空気感がある。だれもがわかっていて、おそらくは隼斗の決断を待っている。あるいは、隼斗さえ、その答えにもう迷いはないのかもしれない。
会議を終えてちょっとした距離を惟均に送られ、拓斗は午前零時をすぎてペントハウスに帰りついた。家のなかは、灯りはあるが静かだ。
玄関を入ってすぐ右手の部屋――キッチンの裏側にあるサブクローゼットに入るとコートとジャケットを脱いだ。引き出しから下着とパジャマを取り、斜め向かいの浴室に放った。
リビングに行くと、和惟はソファに寝そべり、何をしているのかタブレットを操っている。番犬というには怠慢な様で、和惟はふてぶてしく脚を床におろして起きあがった。もっとも、『忠臣は二君に事えない』と云った和惟にとって、拓斗は君主の付随物でしかないのかもしれない。
和惟はタブレットを脇に置くと、立ちあがってキッチンスペースに向かった。
「話はついたのか」
「父さんの結論は出てるはずだ。“首領”としての決断はまだでも。いずれにしろ、春の会合では結着する」
拓斗はダイニングテーブルに携帯電話を置いて、引きだした椅子にダレスバッグをのせた。ちょうど和惟がカウンターに置いた炭酸水を取って、ソファに向かった。
「那桜は?」
訊く必要はないとわかっていながら拓斗は口にしてしまう。案の定、背後から薄笑いが追ってくる。
「一時間まえまでは起きて待ってたんだけどな。おまえの夢でも見て、上で寝てるだろう。頭痛がするって薬飲んでたし、熟睡してるんじゃないのか」
和惟の返事にどんな意味が含まれているのか、勘繰る拓斗のほうがどうかしているのか。素知らぬ顔でいられているか、そんなことが頭をよぎった。
「よけいなことってなんだ」
「カバってなんの話だ」
あとを来た和惟はソファに腰をおろしながら質問で返した。
「那桜から聞かなかったのか。孔明が父親のことをそう云った」
和惟はさして可笑しくもなさそうに失笑を漏らす。
「那桜は孔明とふたり、盛りあがってたな」
拓斗は白んで口を歪めた。
「孔明の、蘇我における立ち位置は情報どおりというのがはっきりした。約定は有吏にとって無意味だ」
「領我貴仁に会った」
またもや和惟は話の焦点をずらし、あまつさえ、拓斗の意表をついた。拓斗は目を細めて和惟を見やる。
「どういうことだ」
「だから、那桜がよけいなことをしたんだ」
「……那桜も?」
「ああ」
端的に交わした会話だけで、拓斗は粗方のことを察した。苛立ちを振り払うように首をひねり、それから本題に入った。
「領我家は、蘇我頭領を孔明に継がせる目算らしい。孔明の云い分だと、蘇我を立て直すため、だそうだ」
「全面的に信用してるわけじゃないな?」
不信という胸中を抑制していたつもりはなく、当然、拓斗の口調から感じとっているはずが、和惟は念を押す。
「蘇我に関して懸けるつもりはない」
「ああ。会った印象では、戒斗が見ているとおり、孔明より貴仁のほうが数倍も上手だ。孔明を操っている感は否めない」
「かといって、貴仁が孔明にわざと云わせたと考えても、少なくとも蘇我にとってはなんの利にもならない」
「いや。領我家が有吏を暗の一族と睨んでいる以上、孔明に継がせるという安心材料を提供しているのかもしれない」
「こっちがさきを見越すはずだ、と領我家も見越して、か。確かに、蘇我聡明では安心できる奴なんていない。つまり、最悪は反乱自体が偽装ということだ」
拓斗が即座に補足すると、わざと云わされたと知った和惟は首を振りつつ、ふっと笑みを漏らす。
「釘を刺す必要はなかったようだ」
そう云った和惟は、空気音が立つほど深く息をついたあと、「寝る」と立ちあがって内ドアに向かった。
二十分後、拓斗は風呂をすませて二階の寝室に行った。
階段を上がってすぐ右側のドアを開けると、奥の壁にヘッド側をつけたクイーンサイズのベッドが見るまでもなく目に入る。一瞬だけ拓斗の動きが止まった。ベッドは明らかに空っぽだった。
「那桜」
素早く寝室を見まわし、なかに入ってウォークインクローゼットへと向かった。そこにもいない。
和惟がいて那桜が抜けだせるはずがない。第一、なんのためにそうする必要がある。無意識に自分に云い聞かせながら、向かいの書斎に入った。適度に温もりのあった寝室よりもさらに暖かい空気が、TACTの香りを運んで拓斗に纏いつく。
まず拓斗の目についたのは、革張りの椅子から飛びだした素足だった。背もたれを抱いた恰好で、肘かけの部分から膝下が飛びだしている。
「那桜」
安堵した直後、顔を険しくした。
拓斗の声に反応しないということは眠っているということだが、それにしては両手が意思を持ったように背もたれをしっかりと抱いている。足を踏み入れながら那桜の有様を把握した。
和惟の仕業であることは間違いない。那桜が自分の両手を自分で括るという技を持っているはずがない。
さっきの『おまえの夢でも見て』という和惟の言葉が甦り、拓斗を煽る。
和惟の不機嫌を避けるために、頭痛という口実を使う――とそこまでは良しとしても、那桜にとっては睡眠剤の役割までしてしまう頭痛薬を飲む必要はない。ここにいるのは那桜のもともとの意思だったのか、それとも和惟の策略か。いずれにしろ、あまりの無防備さに腹が立つ。
椅子に近づくと肩を覆うブランケットをはぐった。思ったとおり、那桜の背中があらわになり、肌の白さが拓斗の目を貫く。拓斗が余裕で座れるほど丈夫で大きい椅子のなか、那桜はいっそう華奢に見える。
お尻を持ちあげながら拓斗が椅子に膝をつく間も、那桜は目を覚まさなかった。
ふと目が覚めたとき、本当に目が覚めたのか、夢の続きなのか、那桜はすぐに自覚できなかった。
あ、ふ、ああっ。
夢のなかから快楽を持ちだして、那桜は喘ぐような声を漏らした。
「拓にぃ」
無意識に呼んだ声が那桜自身を呼び覚ました。意識は二つの場所に集中する。躰の中心を侵食しているものが、いきなり意思を持ったように弱点を突いた。
ぅ、んっあ――っ。
状況を把握するまえに感覚だけが現実化して、抑制するまもなく息を詰めて弾けた。お尻をびくびくと揺らしながら、那桜は上半身を支えるものにしがみつく。
「はっ、ぁあふっ、あ……拓に……あ、あ……」
自分は果たして、姿が見えなくても拓斗だとわかっているのか、拓斗だと思いこんでいるのか。息ができるようになったところで体内のなかでは動きがやむことなく、那桜の快楽は鎮まらない。
「また夢のなかで和惟にやられてたか」
背後から拓斗が問う。椅子に膝をついた恰好で背中を覆う拓斗の躰から、声がもたらす震動が伝わってくる。
「ち……がう」
本当は違わない。夢のなかでしがみついているのは拓斗だったし、背中を抱きしめるのは和惟だった。拓斗がお尻で戯れるようになって、たまに見る夢だ。
那桜の否定は嘘だと見抜かれているかもしれない。拓斗の指は罰するように、気ままに那桜の躰から快楽を抉りだした。
漏らしてしまいそうな感覚を生む場所が摩擦される。腰がひくついて、やはり漏れだしそうな感じがして怖くなる。それでなくても、拓斗の指は那桜のなかでひどい水音を立てている。夢のなかでイッたことは現実とリンクしていたかもしれない。脚は開ききっているのに濡れている感触がわかる。
「やっ……あっ、椅子、汚しちゃ……う……あ、やっ!」
逃れようと腰を引けば、お尻を浅く侵す指の刺激が増す。
なぜ拓斗がお尻まで触れたがるのか、那桜にはわからない。その入り口が思いがけなく神経の集まった場所で、心地よくなれる自分がもっとわからない。心地いいというよりは、拓斗を受け入れる聖地に潜む弱点をつつかれるのと同じで、怖いような気がする。躰を投げだしたくなるほど、何もかもがどうでもいいという気分にさせられる。
「拓兄っ」
「とことんやる。おまえが自分で招いたことだ」
低い声が拓斗の不機嫌を伝えた。
昼間の不快さは不安に変換させれば拓斗の気も紛れるかもしれないと思って、ベッドではなく、かくれんぼじみて書斎にいることにした。何より、拓斗の椅子は“TACT”が染みついていて、いまみたいな恰好は拓斗に抱きしめられている気分になる。だから、もっとと思って、離れなければならなかったときの癖で、TACTを振りまいた。裸でいるのはちょっとした悪戯心であり誘惑だった。
それだけのことなのに、不快どころかなぜこんなに不機嫌なのだろう。おまけに、せめてと躰を起こそうとしたとたん、手が自由にならないことに気づいた。
「拓兄っ、あ……っ手、が……ん、ふっ」
下腹部から躰の中心に潜りこんだ右手、お尻に左手と、拓斗自身は何一つ躰を拘束することなく、那桜を身動きさせなくして自在に嬲る。
拓斗の手は大きくて指が長くてきれいだ。太くはないけれど細いこともなく、指の関節がかすかに出っ張っていることが男の手だと思わせる。それに、指先は器用だ。
なかを引っかくようにしている指とは別の指が、無防備に晒した突起を摩撫し始める。那桜はたまらず悲鳴をあげた。痙攣する那桜にかまわず、むしろ拓斗は追いつめる。お尻を侵す左の指は、第一関節が潜りこむ程度の浅さで出入りを始めた。いちばんそこの感覚を鋭くさせる触り方だ。
「ぃ、やっ……だめっ……あ、あぅ、んっ」
くちゅっという軽かった水音が、重たく粘り気を伴う音に変化していく。快楽が引く瞬間もなく、那桜は追われた。
う、く――っ。
息が詰まって悲鳴もあがらず、さっきよりもずっと激しく躰が跳ねた。それでも拓斗は押しあげてくる。
「やっ、溶け……ちゃ、うっ」
自分で止められないほど、躰が何度もびくっと飛び跳ねる。
「拓に……」
ふいにお尻が持ちあげられる。そのぶん指が深いところに達した。粘液が拓斗の指を伝い、とろりと体内からこぼれ落ちるのがわかる。拓斗は掻きだすように指を動かし、那桜の口から嗚咽が漏れだした。
「ぅくっ、拓にっ、も、い――っ」
指が唐突に引き抜かれる。かと思うと、指よりも遥かに大きい杭が入れ替わりに挿入された。一気に奥まで達すると、那桜は痺れたように躰を小刻みにふるわせた。質量に慣れる暇さえ与えられず、拓斗が腰を落とし、そして突きあげてきた。
「だ、めっ――」
声を詰まらせたあとは、腰もとが生理的反応でぴくぴくとするだけで、那桜はぐったりと力をなくした。
「那桜」
息ができないと訴えることさえできないでいると、拓斗が背後から躰を支えながら那桜の顎を持ちあげた。仰向けにしたくちびるから呼吸が促される。喘ぐようにして呼吸が再開した。ゆっくりとくちびるが離れていく。
「たく、にぃ」
緩慢に呼びかけると縛られた手が自由になる。今度は椅子にじゃなく、背中から拓斗にもたれた。
「たくにぃ」
「もういい」
拓斗の気はすんだのか、たった一言はなだめるようだ。
は……っふ、ぁっ。
揺りかごのなかに寝かされているかのように、拓斗が腰をゆるやかに動かす。激しさはなくなっても快楽が生まれるのに変わりはなく、そうしながら、絶対の安心と死んでしまいそうな心地よさ――拓斗はそんな相対する感覚を那桜に与える。
感覚だけではなくて、心もそうだ。
那桜を絶対にしてくれる拓斗の心が消えなければ、それだけで、いい。
「たくにぃ、す……き……ん――くっ」
弛緩した躰の奥で、キスを交わす場所だけが激しく鼓動を打ち始め、拓斗の慾に纏いつく。
直後、那桜の告白に応えるように頭上で呻き声が漏れ、拓斗が躰から抜けだす。すかすかになるさみしさのかわりに、那桜を支える腕に力がこもり、ふたりの間で熱を迸らせながら拓斗は躰をふるわせた。