禁断CLOSER#110 第4部 アイのカタチ-close-
2.jealous for love -2-
那桜が修生を叶多に渡して目を上げたときは、拓斗の目も逸れていた。批難に見えたのは、無理を承知でわがままを云う那桜がそう勝手に思ったのであって、実際のところはわからない。
「なんだかなぁ」
叶多の腕のなかにいる、美咲にとっては甥にあたる修生を覗きこみながら、彼女は不満そうにつぶやいた。
「美咲ちゃん、大丈夫! あたしと戒斗にはまだまださきのことだし、そのころにはもっと落ち着けてると思うの!」
訳のわからない返答をしたのは叶多だ。一斉にきょとんとした目が叶多に集まる。
「叶多ちゃん、頭がまわるようになったのはいいとして、どうしてそう突飛なところに行きつくのかよくわかんないんだけど」
だれよりも早く気を取り直した美咲は、冷静至極に云いこめた。今度は叶多がきょとんとする。次の瞬間には、困惑と羞恥心と笑ってごまかすという表情が一緒くたになって、結果、いかにも滑稽という面持ちになった。
「ごめん」
「戒斗の子供を産むなんて百年早いって云っておく」
意味もなく謝った叶多は、美咲から追い打ちをかけられると、耳をたれた犬のようにしょげた。
美咲が云ったことは、名まえを拓斗に変えるだけでまるまる那桜にも云えることではないか――と一瞬、気落ちしたものの、叶多には悪いけれどその様子が紛らわせてくれた。
「美咲ちゃん、なんだかなぁって何?」
子供のことについては気乗りする話題でもなく――気乗りすることがあるのか、昨日の拓斗の様子では遥か未来にもあり得ない雰囲気だが――那桜は美咲の思考を逆戻りさせた。
「んー。何って云えないんだけど、何かありそうな感じしない?」
「何が?」
「だからそれがわからないって云ってるの。一族のことだけど」
美咲は云いながら、叶多をじろりと見やった。叶多は慄いたようにわずかに躰を引く。
「な、何!?」
「わかってるでしょ。叶多ちゃん、あたしたちとの協定を一抜けして独り勝ちしてる。ね、那桜ちゃん」
「……え?」
美咲はいきなり那桜に振った。叶多と同じように躰を引きながら那桜はなんのことだか考えてみたけれど、さっぱり見当がつかない。美咲はみるみるうちに渋面をつくった。
「これだから、いつまでたっても一族のことは“男の秘密”で終わっちゃうんだよねぇ。那桜ちゃん、二年まえ、同棲してるって打ち明けてくれたとき、一族のこと調べるっていうようなこと云ってなかった? 那桜ちゃんと拓斗さんのことが叶多ちゃんと戒斗に影響するとかなんとか」
そこまで云われて那桜は思いだした。
一族のだれもが口が堅く、那桜と拓斗のことは公に話題に上ることはないから、同世代の女の子たちは兄妹という思いこみも手伝ったのか気づくことはなかった。同棲から一年して、叶多たちにはやっと拓斗とのことを打ち明けられたのだ。そのとき流れで宣言した気がする。那桜は責任を感じていたのだ。
どう繋がるのかは知らないけれど、同棲から半年くらいの頃、拓斗が電話で隼斗相手に抗議していたことがある。おれたちのことが戒斗たちに及ぶ必要はない、とそのようなことを云っていた。この場合、拓斗が“たち”というのは那桜を含めたことだろうし、それなら戒斗には“叶多”を含めたことだろうとは判断がついた。
その内容はいまだにわかっていないが、それ以前に自分で宣言したことすら、いつの間にか忘れていたということが情けない。
云い訳をすれば、軟禁状態だから、所詮、那桜が情報を得ることは無理なのだ。埒が明かないと思ってストレートに拓斗に訊いてみれば、顔を若干しかめて、悪いことにはならない、とすまされた。
『盗み聞きするのがおまえの得意技だってことを憶えておくべきらしい』
と、那桜は犯罪をやったように責められて、拓斗は不機嫌にまでなった。
得意技と云われるほど盗み聞きをした憶えなどないし、あまつさえ、拓斗のほうが普段より声を大きくして話していたから“聞こえた”のだ。
たったそれだけのことのはずが、反論できる雰囲気ではなくて、拓斗が明言したことだから叶多たちのことも大丈夫なのだろうと一方的に片づけた。それに、徐々にではあるけれどせっかく話してくれていることが、しつこく問いまわした挙げ句、ぷっつりということになっても困るから、それ以来、調査に関しては受動的になっていた。いまに至っては、三人で報告会を開くわけでもなく、会うたびにやけに美咲が一族の動向を話題にするなと思っていただけですっかり忘れていた。
「とりあえず、あたしと戒斗のことは問題にすることじゃないと思うから」
と、叶多は那桜をかばおうとしたのだろうが、美咲はそう単純には受けとらず、再び叶多に詰め寄る。
「叶多ち――」
「美咲、ちょっと待って」
深智が素早く止めに入り、それから亜妃に向かうと、「修生くん、引きとっておいたほうがいいんじゃない?」と冗談ではなく真剣に忠告している。対して亜妃は――
「そうみたい」
と可笑しそうに応じて、叶多から修生を受けとって避難させた。
「お姉ちゃん、べつに取っくみ合いなんてしないよ」
美咲は不服そうだ。もしくはうんざりだろうか。
ずっとまえ――おそらく中等部のときの誘拐事件からだろうが、美咲は深智のことを“姉”らしくなかったと云う。けんかもなく仲がいい姉妹と思っていたのに、そうではなく、妹への関心が薄かったからけんかにならない、という理屈だ。
美咲は、深智より五つも年が離れているとはいえ、いまになって小さな妹みたいに扱われることを心外だと感じているようだ。
「そうだろうけど、美咲と叶多ちゃんが一緒にいるとトラブルが起きそうな気がするの」
「お姉ちゃん、あたしと叶多ちゃんを一緒にしないでよ」
一緒だよ、と云いたそうな顔で、深智はくすくすと美咲のことをおもしろがっている。
以前の深智は無関心というより、にっこりを維持して、作り物みたいにそんな一定の表情しか見せなかったような気がする。不機嫌という違った表情になるのはボディガードをしている瀬尾啓司のまえだけだった。そして現在、二年まえのある事件をきっかけに、瀬尾と深智は同棲していて、それから深智は変わった。やはりなんらかの制約があるのか、結婚ではなく同棲止まりであっても気にしているふうでもない。深智はどこかうわの空みたいな雰囲気だったのに、いまはちゃんと目のまえを捉えているという印象を受ける。
叶多もそうだが、好きなひとと一緒にいられるとプラスの方向に変われるものだろうか。自分は、と那桜は考えてみたけれど、何も変わっていないどころか、ますますわがままを吐き散らしている。自分で自分にがっかりした。
そんな那桜のかわりにため息をついたのは美咲だ。直後、「とにかく」と切りだしたことからすると、落胆ではなく仕切り直しのため息だろう。
「お父さんと世翔兄たち、まえと雰囲気が違うんだよね。もともと生真面目に話してることが多いけど、プラスで深刻っていうのをくっつけた感じ。小姑がいると亜妃さんも窮屈だろうし、独り暮らしようって思ってるのにダメだって。“怒る”んだよ」
「窮屈じゃないのに。かえって話が合うから助かってる」
「亜妃さん、口実だってば。お父さんたちから離れてのびのびしてみたいって思ってるだけ」
美咲は現状でものびのびして見えるけれど、気持ちはわからなくもない。もっとも、いまとなっては那桜がそう思うことはない。
「何かありそうって云われればそうかも」
美咲と亜妃の会話をそっちのけにして賛同した深智は、立てた人差し指を顎につけて宙を見ながら続けた。
「啓司はいちいち行動をチェックしてる。朝は必ずわたしの予定を確かめてくるし。出かけるときはちゃんと云ってるのに」
「世翔さんもそんな感じ。出かけるときは物騒な人がついてくるから、外出先でも居心地が悪くて」
「亜妃さん、あたしもボディガードっていつまでたっても慣れないの。だから、後ろをついてきてもらうより、一緒に並んでもらってるよ。話しながらのほうがラクだから」
叶多が云うと、亜妃はボディガードのことを思い浮かべている様子だったが、やがて「わたしは無理かも」と、ちょっとしかたなさそうにしながら首をかしげた。
那桜の場合、警備は身内しかやらないから、そういう緊張はわからない。叶多は順応性が高いらしく、タツオという、亜妃が云うところの物騒なひとが専属でついているが仲がいい。
「那桜ちゃんはもともと二十四時間ガードされてるから、そのへん変わらないんだろうけど、どうなの?」
美咲はとことん自分の推察を裏づける気のようだ。
「神経質になってるのはそうかも」
「でしょ。それで叶多ちゃん、どういうことになってるのよ」
「え、え……っと……」
知らないとすませばいいところをそうできずに、叶多はあからさまにまごついて、大事を承知していることを歴然とさせた。こんなふうに不器用だが、美咲が思っているとおり、叶多は那桜たちよりもずっといろんなことを知っている。
去年の夏、叶多が実家にいたときに何度か会っているけれど、そのときの話の流れから、叶多は決められたことについても知っているとわかった。
ふたりのことは認められたのだから、拓斗の決められた相手がだれであろうともう那桜が問題にすることではない。ただ、亜妃にそれとなく訊ねたところによると、相手については不明だが自分に許婚がいることは知っていたというから、もしかしたら拓斗の相手もそうで、破棄されたことがよけいにだれだろうかと、その彼女にとっては興味の対象にならないかと勘繰った。
那桜は惚けて叶多から聞きだそうとしたのに、やはり露骨にかわされて不毛に終わった。聞くに至らなかったことに落胆したうえ、もう一つ疑問に思った。叶多の立場になると確かに云いにくいことかもしれないが、この期に及んでは何も影響はないはずで、口を噤んでしまうほどのことではない。そう考え至ってみると、決められたことは終わっていないか、もしくはほかにも何か決められたことがあって、叶多はそのことをごまかしたのではないか――と那桜はそんな疑心暗鬼に陥った。
それがいまは確信に変わっている。きっと拓斗たちがナーバスになっている要因だ。
「美咲ちゃん、美咲ちゃんにもいつかだれかが話してくれるよ」
「っていうことは那桜ちゃんも知ってるんだ」
美咲の目が突き刺すように、叶多をかばった那桜へと向かってきた。へんに云い訳とか逸らすとかするよりは認めるほうがよさそうだ。
「知ってることより知らないことのほうが多いよ。でも、少しずつ教えてくれるし、時期があるんだと思う。叶多ちゃんもそうじゃない?」
「うん。戒斗もなんでもかんでも話してくれるわけじゃなかった」
「過去形っていうのは、なんでもかんでも知ってるってことなんだ」
美咲はさすがに細かいところに気づく。けれど、次の瞬間には息をついてかすかに肩をすくめた。
「“いつか”が来なかったら教えてくれるっていうんなら、いまは引きさがってあげるけど」
「わたしは全然気にならないけど」
深智が理解できないといったふうに口を挟む。
「お姉ちゃんとあたしを一緒にしないで」
鋭く突っこんだ美咲はちょっとまえと似たようなことを云い放った。咎められてしまった深智は、呆れたといった様で首をすくめる。
「姉妹げんかすることじゃないよ。美咲ちゃんが云う“なんだかなぁ”が終わったら、拓兄にお願いしてあげるよ」
「あ、じゃあ、あたしも戒斗に――」
「約束だからね」
叶多をさえぎりながらつんと顎を上げるという、美咲のしぐさは子供っぽい。きつい云い方をする美咲だけれど憎めないところだ。
亜妃がくすっと笑い声を漏らしたそのとき、話の区切りを待っていたかのように修生が声をあげる。
「ちょっと修生のおむつ変えてくるね」
亜妃がさっそく立ちあがりかけると、美咲も腰を浮かした。
「あ、手伝う」
美咲は修生の世話を好んでするという。かまわれるばかりの末っ子だから、かまうことが楽しいらしいのだ。深智までもがついていく。
残ったのは那桜と叶多のふたりきりで、やっと聞きたかったことを訊ねられるチャンスがやってきた。美咲のおかげで、叶多が漏らさず一族の現状を知っていることはわかった。
「叶多ちゃん、蘇我孔明ってひと、知ってるんだよね? 明日から会社に来るらしいけど」
率直に訊いてみると、叶多は困惑を笑顔でごまかしたといった曖昧な面持ちになった。
「うん。口が悪いところもあるけど、真面目なひとだよ。ちょっとおじさんぽくて」
「おじさんぽい?」
「会ってみたら那桜ちゃんにもわかると思う」
「蘇我一族って有吏一族の敵みたいなものだよね。そういうひとと、どうやって知り合ったり、どうして仲良くなれたりするのかな。叶多ちゃんて不思議」
那桜が云っている間に叶多は目を丸くした。
「那桜ちゃんはどこまで知ってるの?」
「叶多ちゃんに比べたらやっぱりほんのちょっとだけ」
小さく肩をすくめると、叶多はため息をついた。
「階段を落ちそうになって、孔明さんの従弟――貴仁さんに助けられたことは話したよね。そのひとと会ったのがさきで孔明さんはおまけでついてきたの。知らないうちに蘇我一族に係わるなんて、あたしの隙だろうって落ちこんだけど、戒斗は、なるべくしてなってるって云ってる」
「戒兄、そういうとこあるよね。運命にこだわってる」
「うん。だから、いいほうに向かってるんじゃないかって思えてる。……っていうより、よくないことを運命にはしたくない感じ。一族の決まり事に逆らってるし、戒斗に面倒ばっかりかけてるけど、いまいろんなことが変わろうとしかけていて、一族のためになれたら――それをあたしが手伝えてるんだとしたら、ちょっとは戒斗の助けになれてるかなって」
意識しないまま、状況を吉に転じていく強運の持ち主がいるかと問われたら、那桜はいのいちばんに叶多を挙げる。
戒斗には、暗黙の了解のもと決められたこと――深智がいて、しばらくは矢取家ほか一部の一族から快く思われていなかったのに、二年まえの深智の事件に巻きこまれた結果、解消された。去年の夏の一時的な同居から隼斗の気持ちも軟化して、いまに至っては、正式にではなくても、叶多と戒斗は公然と一族に認められている。
那桜が有吏の会社で働きたいと云いだしたことも、目の届くところにいてほしいと思われているのなら拓斗のところで働けばいいのに――という、実は叶多の入れ知恵なのだが、そのことで那桜と隼斗の関係も修復された。いや、きっと修復以上だ。
自分のことだけではなくて、ひとのことまでプラスに方向転換してくれる叶多のことを嫌う人がいるのか、その答えを挙げるほうが難しい気がする。
「叶多ちゃんはちょっとじゃなくてすごく助けになってるよ。わたしが保証する」
そう云うと、叶多はしっぽを振って喜んでいそうな犬みたいに健気に笑った。
*
「拓兄、まだ怒ってる?」
そんな気配は感じられないけれど、寝るときになって書斎にこもった拓斗を訪ねて訊いてみた。
「まだ? おれがいつから何を怒ってる?」
椅子に座ったまま那桜を見上げる拓斗の瞳は怪訝そうにしていて、本気で疑問を向けているのがわかる。
それならやっぱり、那桜が勝手に思っただけであって、拓斗はそういう身勝手な那桜の願い事をただはね除けているわけではなく、考えてくれているのかもしれない。
那桜は止められるまえに、横向きに拓斗の脚の上にのった。
「那桜」
「仕事の邪魔はしないよ。湯たんぽになってあげる」
押しつけがましく云って那桜は拓斗の首根っこにすり寄った。拓斗はため息をつきながらも、身じろぎをして那桜をおさまりやすくした。目を閉じると拓斗の呼吸を身近に感じて心地いい。
いつか――それは叶わなくても、ないがしろにしないで、むしろ考えてくれているという拓斗の気持ちが那桜をうれしくさせた。