禁断CLOSER#108 第4部 アイのカタチ-close-
1.欲深なアイ -6-
立矢の電話以降、午後は気もそぞろに経過していった。
立矢が前提と云ったように、那桜と拓斗の間で子供の話題がのぼらないのは、ふたりとも兄妹だから子供は産めないことが当然と思っているからだ。拓斗は避妊しているし、そのことを疑問に思うこともなかった。
「どうした?」
何度めだろう、那桜が無意識でため息をついたとたん、和惟はフライパンにふたをしてこっちに目を向けた。
「あ、ううん。いつまでたっても和惟の腕に追いつけないなと思って」
那桜は云いながらフライパンを指差した。中身はシーフードパエリアだ。
キッチンは、オリーブオイルにニンニク、それにアサリという食をそそる匂いが漂っている。
「混ぜてるだけだ」
「そうだけど」
確かに、エビの背わたを取ったのは那桜だし、玉ねぎやパプリカ、そしてトマトを切って準備したのも那桜で、和惟はその横で、アサリを蒸したり、イカとエビを炒めたり、“混ぜて”いただけではある。
けれど、那桜みたいに調味料の分量をいちいち確かめることもなく、和惟は味付けをしていく。適当に見えるのに、食べてみるとどれもできた料理は文句なしの香味だ。
料理をつくるのに四苦八苦していた那桜が、引っ越して間もなくの最大の過ち――唐揚げを甘く仕上げてしまった日、それは、和惟が那桜の不器用ぶりを見かねて料理をやるきっかけになった日だ。
その日、唐揚げを口にした拓斗は一瞬だけその顔に苦みをよぎらせた。
拓兄? そう呼びかけた那桜に、拓斗は何も云わずに肩をそびやかして食べ続けた。なんだろうと思いながら何気なく口にした唐揚げは、那桜が知っている味とは全然違った。
例えば、コーヒーだと思って飲んだものは実はコーラだったというような、一瞬、何を口にしたのかさっぱりわからない戸惑いに、那桜はとっさに吐きだした。動物の本能だ。そうしなかった拓斗はよほど自制が利いている。感心する一方で惨めだった。
まずいと云われたほうがずっとましだ。那桜がそんな八つ当たりをすると、つくり直せばいい、と強引に迫られて、拓斗の手伝いのもと再度つくった。
そこへ和惟が帰ってきて、拓斗は意地悪にも、塩と砂糖を間違った那桜のあり得ない失態をばらした。果たして和惟は拓斗がキッチンにいることを見るに堪えなかったのか、料理は嫌いじゃない、と翌日から那桜と一緒にキッチンに立つようになった。もちろん、時間の許すかぎりだったが。
この失敗談に関しては、那桜がばらされて拗ねるのではなく、かえって笑い飛ばせるような気持ちになったことが伝わっていたのか、それ以来、拓斗はこのことを持ちだしてはからかう。
そして、“それ以来”なのは、和惟が自分の休日にはほぼ食事当番をするというのが習慣づいたこともそうだ。
料理が好きになれない那桜と違って、料理が嫌いじゃないと云った和惟は本当に好きなのか、上達のスピードは遥かに速かった。那桜が、可愛いエプロンという恰好から入ってそれで終わっているのに対して、和惟は黒いソムリエエプロンという恰好に負けていない。
「那桜もちゃんとできてる。それでなんの問題がある?」
「子供をなぐさめるみたいな云い方」
そう口を尖らせること自体、大人げない。
「だから、なんだ?」
和惟はあきらめることなく問いつめてきた。
「和惟は……。……和惟は自分の子供が欲しくはないの?」
ためらったすえの那桜はストレートすぎたかもしれない。和惟はわずかに顔をしかめた。次には笑うしかないといった顔つきで首を振る。
「どこからそういうよけいな疑問が出てくるんだ?」
呆れ返った声音だ。
「よけいじゃなくて大事なことじゃないの?」
「那桜がいれば不足はない」
「わたしは和惟の子供じゃない。決められた人は?」
「またその話を蒸し返すのか。ちゃんと答えないとわからないってなんだろうな。おれに決められたことはすでに履行されてるから、那桜が杞憂することは何もない」
「そうだとしても、もうすぐ和惟は三十二歳だよ。わたし、和惟の将来を奪ってるかもしれない――」
「なら、おれが代理母になるような女を連れこんでもいいって?」
「そうじゃなくって――!」
即座に打ち消したものの、那桜は言葉に詰まった。考えなしで口走ってしまうから、自分の云うことは矛盾だらけだ。
たとえ子供を産むためだけだとしても、そのために必要な行為を許容できるかというと、それとこれとは別、という身勝手な拒絶を押しつけたくなる。許容なんて言葉自体、和惟からすれば那桜の利己ということに尽きる。
加えて、和惟の周りを子供がうろうろするのを想像してみると、これもまたなんとも云いがたい。小さな従弟妹たちの扱いがうまいのを知っているし――いや、だれかと限定する必要はないほど和惟は人当たりがよくて万人の扱いがうまいのだが、それだけに子供は父親に夢中になるのではないか。つまり、那桜はその子からそっちのけにされそうな気さえしてきた。
未然のことなのに、もやもやしたわだかまりを覚えるなんて――と、気落ちすること自体がばかばかしいほど愚かで、「もういい」と那桜はため息をついた。
「那桜は自分のことだけ考えてればいい。よけいなことはまさに、よけいなこと、だ」
「そういう云い方はやめて。何もできない子供だって聞こえるから」
和惟は可笑しそうに吐息をつく。
「そうしてるのはおれたちだ。那桜、云っただろう、おれは男として不完全体だ。プライドを潰してくれるな。少なくとも、那桜でも察せられるくらいのことはまえに云ったはずだけどな。それとも」
和惟は、とてもプライドが潰れたとは思えない口調で云い、それから中途半端に言葉を切った。訊き返さないほうがいい、とそう思っているのに――
「それとも?」
と、堪え性のない那桜はつい口にしてしまう。
「那桜が産んでくれてもいい」
「できるわけない!」
とっさに叫んでしまった。はっとして那桜がリビングのほうに目を向けると、拓斗が振り返っていて、その問うような面持ちと合った。ついでに惟均も振り向く。
「なんでもない! お料理はできるから。終わりそう?」
「終わらない。終わらせないとな」
拓斗よりさきに惟均がからかうように応じた。
「じゃあ、惟均くんはごはん食べたらすぐ帰って!」
「なんだよ、その扱いは」
拗ねるのではなく呆れたふうに惟均はつぶやいた。那桜の隣では和惟が鼻で笑い、拓斗は和惟をちらりと見やったあと、ちょっと目を細めただけでまた書類を広げたテーブルに向かった。
「反応が楽しみだな」
和惟は愉悦したような声で漏らした。
「何?」
「サラダ用意したらいい。惟均を早く追い返したいんだろう」
那桜の質問は露骨にかわされた。
惟均には悪いけれど、追いだしたい気持ちはほぼ冗談ではない。だいたいが明日の食事会だって、仕事の話が大半を占めるだろうに、なぜ今日という休みまで潰さなければならないのかがわからない。
それに、これ以上は何を云っても墓穴を掘りそうな気配で、那桜は和惟に従ってシーザーサラダの準備に取りかかった。
それからフライパンごとテーブルの真ん中に置いて、みんなでパエリアをつつき始めたのは、すっかり暗くなってしまった七時頃だ。
一時間後、惟均は意地悪するようにたっぷりと食べてから帰っていった。
那桜はテーブル拭き、和惟は食器乾燥機のセットと後片づけを始めると、拓斗はリビングのテーブルに置いた書類を整理し始めた。それを手に持った拓斗は、キッチンと廊下の仕切りを兼ねた、部屋の中央を陣取る階段を上っていく。
二階には二つしか部屋がなくて、一つはウォークインクローゼット付きの寝室、一つは拓斗専用の書斎にしている。三人が寄り合えるほど充分に広いけれど、今日みたいなときも、那桜をのけ者にするくせに書斎は使わずリビングでやる。
おそらく、那桜がばかなことをしでかさないように――例えば家を勝手に出ていかないようにと見張っているのだ。那桜が寝室で眠っているときしか、書斎は使われることがない。
この時間、拓斗がわざわざ書類を二階に持っていくということは、まだ仕事をやる気ということだろうか。
那桜は無意識に不機嫌な顔をしていたかもしれない。
「欲求不満か」
いつの間にキッチンから出てきたのか、背後から和惟の声がしたと思うと、テーブルを拭っていた手をつかまれ、台拭きが取りあげられた。
「和惟、まだ――」
「手伝ってやる。昨日も声がしてなかったからな」
振り返りながら云ったことはさえぎられ、和惟の腕が腰にまわったかと思うと正面からぐっと引き寄せられた。
「声……って」
「気づいてないのか? 外側の防音は効いているけど、なかは逆にそうしてない。那桜がどこにいるかわかるように」
本当なのか嘘なのか、目を見開く那桜にかまわず、和惟は続けた。
「まあ、那桜の無神経ぶりを考えれば、拓斗はあまり足音立てないから気づきにくいかもしれないな。そのおかげで那桜の声は筒抜けだし、おれは恩恵を受けてる」
ひどい云い様に加えて、恩恵という言葉を証明するかのように、和惟は那桜の下腹部に自分を押しつけてくる。
驚きと不満とに気を取られている間に、ホルターネックのエプロンの紐がほどかれた。和惟の手は背中からセーターのなかに入りこんでブラジャーのホックを外すと、那桜に逆らう隙も与えず、たくし上げたセーターをそのまま引っ張りあげた。
「和惟っ、拓兄が来ちゃ――」
「だから協力してやる。欲求不満でへんな思考がひどくなるまえにな」
聞く耳を持たず、和惟は那桜の躰の向きを変えたかと思うと、上半身をテーブルに伏せさせられた。エプロン越しにテーブルの冷たさを感じて身ぶるいしているうちに、首根っこを押さえられて、ショートパンツがタイツとショーツごと引きおろされる。
「や、和惟!」
その抗議も空しく下半身は丸裸になった。じたばたしたことでかえって和惟を助けてしまった。
那桜の首を押さえつけていた手が離れ、上体を起こすと、和惟は胸当ての紐を引っ張って首もとで結んだ。もとどおりになったのは、フレアーティアードの短いワンピースっぽい形をしたエプロンだけだ。
まえ部分はかろうじて隠れているけれど、後ろは背中から足もとまで丸見えだ。暖房がきいて寒くないとはいえ、那桜はすかすかした感覚に躰をふるわせた。
「嫌らしいな」
和惟は含み笑いながら、またもや那桜の躰をひっくり返す。
和惟と面と向かうと、那桜は睨むように見上げた。
「拓兄が怒る――」
「たまには発散させてやったほうがいいんだ」
そんな理由のもと、那桜がまえのことを忘れた頃、和惟はこんな意地悪をして手前勝手なことを正当化する。
「犠牲になるのはわたし!」
「そうさせてやれるのが那桜だけだとしたら、苦痛じゃないだろう? それどころか、那桜は最後には間違いなく喜んでる」
「そんなこと――!」
「何やってる」
割りこんだのは冷水のような声音で、それは時間が退行したように、拓斗が冷たくなる合図だ。それとは裏腹に、拓斗の視線を感じて那桜の背中は熱線を浴びているようにかっと火照る。
那桜はぱっと振り返った。
「拓兄!」
和惟の腕から難なく抜けだし、那桜はテーブルをまわって拓斗のほうへと向かう。拓斗もまた足早に来て、ぶつかるついでに抱きつこうとしたとたん、躰の向きを反転させられた。
「なんで簡単に触らせる」
耳もとで囁いたあと、拓斗はエプロンの脇から手を忍ばせ、いきなり躰の中心に触れた。
「あっ拓兄っ」
こねるように指先を突起に絡め、怖いくらい繊細な場所を刺激する。冷たさとは相容れないほど繊細なタッチでそこをかすめるしぐさが繰り返される。
抱かれたいと思っていたのに、いまの拓斗の心境には逆らいたくなる。感覚に身を任せるよりも抵抗する気持ちが強い。けれど、あまりに拓斗の指はしつこく那桜に絡んできて、やがて堪えきれなくなった。
テーブルの向こうにいる和惟は那桜の眼中からなくなり、弾けるのはもう目のまえという快楽に躰が力を放棄する。見計らったように拓斗はすっと奥に指を滑らせ、那桜の体内に沈めた。
あ、ぅくっ。
セックスの時間があいてしまうと、最初の侵入は違和を感じてやすやすとはいかない。それだけ、デリケートな場所ということかもしれない。襞はすぐに指に馴染んで、もっとという気持ちをふくらませる。
わざとのように立てられるクチュという淫らな音が那桜を煽る。脚が頼りなくふるえ、拓斗はすかさず、すぐまえにあったテーブルに那桜を押し倒した。さっきの和惟と同じだった。片手で那桜の首の付け根を押さえて動けなくし、その間に拓斗はベルトを緩めている。
「拓兄、や――んっあ……」
拓斗の塊が躰の中心を求めて探る。首もとから拓斗の手が離れて那桜は起きあがろうとしたのに、そのまえに拓斗が腰をつかんで容赦なく硬い杭を沈めてきた。無理やりで苦しいのに、躰のなかは那桜の感覚に反して簡単に拓斗を迎えている。
それでも逃れようと、反射的に那桜はテーブルを上に這いあがろうとするが、拓斗は逆に腰を引き寄せる。
「拓兄、違うっ」
「何も違わない」
発した言葉は素っ気ない。那桜がこの体勢を嫌いだと知っていてそうするということは、拓斗が頭に来ていることを示す。
あ、あうっ!
那桜のペースを考えることなく、拓斗は律動を始めた。ゆっくりではなく、いきなり奥深くを攻められ、体外に出る寸前まで引いたあとまたずんと突いてくる。息が詰まった。
律動とともに胸がテーブルにすれて痛む。突かれるたびに声が漏れるのは止められず、喘ぎながら那桜はどうにか上半身を持ちあげて肘をついた。すると、拓斗が腰を前後するのに合わせて躰が揺れ、反動で胸先がエプロン越しにテーブルで擦れる。痛みは、快楽を増長させる刺激に変わった。
「拓兄っ、これはいやっ」
まるで自慰ごとき行為で、拓斗とのセックスを冒涜しているような卑しい気持ちになった。那桜が身をよじるのと、拓斗がなかでうねるようにした動きが重なった。ぞわりとした、寒気に似た感覚が背筋を走る。
ぁああっ。
「云ったとおりだな。最後じゃなくても那桜は喜んでる。淫らだ」
和惟のくぐもった声が、仰向いた那桜の顔に落ちてくる。忍び笑いが続いた。
忘れていた和惟の存在が、潤んだ那桜の目に映る。ぼやけた視界は確かな現実なのか、和惟は慾を曝けだしていた。あのホテルであった光景と重なり、やはり時間が戻ったように感じる。
ずっとふたりだったセックスに、なぜまた和惟が立ち会うのか――いや、たとえそれが自慰でも、同じ快楽の時間をともにすること自体、加わっているのと一緒だ。
「拓に……」
呼びかけてもそれは無視される。ただ、何かを叩きこむように拓斗は那桜の体内を掻き分けて貫き続けた。単調でも繰り返される行為は確実に那桜を追いつめる。だんだんと神経が研ぎ澄まされていき、嫌だという気持ちは薄れていった。
「あ、あ、あ……拓、にぃ、だ、め――っ。――ぅくっ、んっふっ、あ、ぁあああ――っ」
背中が反り返り、繋がった場所から激しい痙攣が躰の隅まで突き抜ける。狭い通り道をこじ開けるようにしながら最奥をつついたあと、拓斗は体内から抜けだした。拓斗の快楽のしるしは熱く、那桜のお尻に何度も散った。和惟もまた荒々しく息をつき、那桜の薄らとした視界のなか、目のさきに熱を吐きだした。
三人の吐息はまったく咬み合わず、ダイニングは乱れた熱がこもる。
「もういいだろ」
第一声は冷めた言葉だった。自分に向けられたのかと那桜はびくっと躰をふるわせたが、すぐに頭上で和惟が笑みを漏らして応じると、違うとわかった。
お尻がきれいにされたあと、うつぶせの躰は拓斗に起こされて、向きも正面に直らされた。その間に、和惟は自分の家に帰ったようで姿は見えない。
「拓兄……ひどい。和惟を隣に置いたのは拓兄! 触らせたくて触られてるんじゃないのに」
「おまえが望むから譲歩してる。せめて躰を守るのはおまえの最低限の義務だ」
「わたしが望む?」
「違うとは云わせない」
苛立たしそうな口調だ。こんなふうに感情を込めて吐露するのははじめてのような気がする。
それが、このところずっと拓斗に潜んでいる緊張を浮き彫りにした。拓斗はらしくなく、不安定にしているのだ。
和惟の云うとおり、拓斗がだれにも見せない――もしかしたら怖さのような弱点を那桜に曝してくれているのなら、さっきのようなセックスもずっと心地いい気分に変換される。
「拓兄。わたしがいま望んでいるのは」
欲深なことだ。きっと。いまでも充分すぎる。そう思うと、少しだけためらった。
拓斗はいつまでも続きを途切れさせたままの那桜を見て目を細める。
「なんだ」
「拓兄……」
「那桜」
またためらうと、云い聞かせるように拓斗は那桜を呼ぶ。
あたりまえのことはできない。兄妹だから。
それなのに、そんな覚悟は忘れて、那桜は欲深なアイを拓斗に求める。
「拓兄、赤ちゃんが欲しいの。拓兄とわたしの」