禁断CLOSER#102 第3部 純血愛-out-
5.Start out -3-
有吏塾を離れたことも手伝って、やっとこの二日間にあった那桜の緊張が解けていく。
「拓兄、着くまで眠ってていい?」
なぜそんな詰まらないことを聞く、と云いたそうな眼差しが向いたあと、拓斗は勝手にしろと云うかわりに顎を動かした。
那桜は浮きたった気分で笑うと、躰を横向きに倒して拓斗の腿の上に頭をのせた。こめかみの下で拓斗の大腿筋がぴくりと張りつめる。那桜がそうするのを予測していたのかどうかはわからないけれど、邪険にすることはなく、逆に拓斗の腕がかばうように那桜の胸もとに添えられた。その手をつかみ、那桜は下側になった、自分の左の胸に添わせる。
「寒いから」
そう云ってみたけれど、意思表示をするのにそんな云い訳は必要なかった。直後に拓斗の手が那桜の胸をきつくつかんだ。
んっ。
思わず声が漏れた。エンジン音に紛れていてほしいと思いつつ身構えていると、いつまでたっても拓斗は胸を守るようにくるんでいるだけだった。
反対に、躰の力を抜いて目を閉じたとたん、それを待っていたように手のひらがふくらみを摩撫し始めた。その刺激ですぐさま胸先が反応するのを感じた。那桜はふるえる息をつく。
ずっとこうしていてほしい。それが通じているように、拓斗の触れ方に性的なせっかちさはなくて、ただ胸を温めていく。
拓斗の脚からは鼓動が感じられ、那桜の胸の上で手遊びをしながら和惟と話す声も頬から体内に伝わってきて心地いい。本心としては、眠たいというのは口実であり、触れていたいだけだったのに、昨夜は今日のことがやっぱり不安で、よく眠れていなかったぶん、いつの間にか那桜は微睡んでいた。
起こされたときはすでに車庫のなかで、エンジンが止まっていた。
別荘に入ると、風通しがされていたらしく、不在特有のこもった空気感はなくて、普段から使われているようになじんだ気配に迎えられた。かすみもなく澄みきった青空と天気はよくても、気温は山だからなのか肌寒い。
「二階だ」
那桜の後ろをついてきていた拓斗は要点のみを云う。
拓斗がなんのために那桜をここに連れてきたのかは単純明快だ。
思わずキッチンに和惟を見やると、からかっているのか嗤っているのか、その口もとは判別がつかなく歪んだ。
「おれの許可が必要なら。行っていい。これからは、嫌でも三人でいることになるんだ。それに、まったくはじめてって状況でもないだろう。手を貸せって云うんなら、遠慮なく参加するけど」
「だれの許可も不要だ」
拓斗がどこか尖った声で口を挟むと、和惟はますますくちびるを歪めた。はっきりと挑発で、おもしろがった笑い方だ。
「那桜、長居はしていられない。行くぞ」
那桜の手を取って拓斗は強引に二階へと引っぱっていく。なんとなく腑に落ちない。
別荘ではお決まりとなっている部屋に入るなり、那桜は、あとから来てドアを閉めた拓斗を振り返った。
「長居はできないって、なんだかノルマっぽい云い方」
那桜はちょっとした文句をぶつけた。拓斗は目を細めながら那桜を見つめてジャケットを脱ぐ。
「まわりくどい云い方も飾った云い方もできない」
不機嫌にはならなくて、ただ拓斗は弁解じみたことを口にした。違う、正直に云ってくれたのだ。
けれど、そんなことはとっくに知っているし、慣れてもいる。那桜は本気でなじったわけでもなく、そうしたのは少しだけ落ち着かないせいだ。
やっと気兼ねなくふたりきりでいられることになって、さっきの『二階だ』と云われた瞬間から、丸二カ月ぶりに抱かれることを思うと、那桜はうれしいのか怖いのか区別がつかないくらいにどきどきし始めた。
いま、めずらしく拓斗は目のまえでさきに自分の躰を曝していく。黒いシャツ、そして、アンダーシャツを男っぽく無造作に脱ぎ捨てた。綿パンツのベルトを外し、ファスナーがおろされるとルーズにまえが開き、ボクサーパンツが覗く。
一見なんでもないしぐさや恰好なのに、抱きつきたくなるくらい好きという想いがこみあげてきて胸の奥がきゅっと詰まる。
拓斗が近づいてきて、那桜のカーディガンに手をかけた。肩から滑り落ちて、拓斗が買ってくれたアシンメトリーラインのノースリーブワンピース一枚になると、かすかに那桜は身をすくめた。腰をすくわれるように引き寄せられる。
心構えをする間もなく、ワンピースの短い部分から裾をたくし上げられてショーツのなかに拓斗の手が忍びこんだ。
ん、あっ。
那桜がずっと待っていた手だ。掻きわけるようにして突起をかすめられると、それだけで下半身の力が奪われそうになる。指先はさらに奥に滑り、躰の中心に触れる。車中での手遊びの痕は、しっかりと那桜の躰に残されていた。何度か引っ掻くようにしたあと、弱い場所に戻ってきた指はひどくなめらかな感触だった。摩擦の抵抗を消して、拓斗の指がゆっくりと縦に上下し始める。
「あっ、拓兄っ。すぐイっちゃいそう。和惟に触られて……あ……でも、イって、ないから……んっ」
云っている途中から拓斗の指が突起に激しく、それなのに緩く絡みつく。那桜は固く締まった腕を縋るようにつかんだ。腰を引こうとしてもかなわず、逆に動けないほど強く締めつけられる。
見上げた拓斗の瞳は、なんらかの感情が燻っているように見えた。それが指先に伝わっているのなら、攻撃的な感情ということになる。
腰が砕けそうにわなないているのにもかまわず、拓斗は感覚そのものといっていい弱点を何度もつつく。
「あっ……出ちゃう!」
そう叫んだあと、揺さぶるように突起がこねられた。しばらくなかった感覚に、激しい身ぶるいが躰全体を襲う。
あ、ぁあっ。
短く叫んだあと、息を詰め、躰が硬直し、そして、びくびくと跳ねだした。止めようとしても止められなくて、拓斗の手もショーツも濡らしてしまう。
痙攣する那桜の躰を片手で支えながら、拓斗はワンピースを脱がせ、インナー、ブラジャーと剥いだ。それから、那桜を抱きあげてベッドに寝かす。ショーツを取り除いて一糸纏わぬ裸体を見下ろしながら、拓斗もまた下半身を曝していった。
ベッドに上がってきた拓斗は那桜を覆うように躰を重ねた。那桜の両脇で拓斗は肘をついて押し潰さないようにしているが、那桜の躰は小さくて、拓斗の躰にすっぽりと隠れる。
真上にある拓斗の顔は、いくら瞬きしても滲んで見える。それだけ熱っぽいということだろうか。
「那桜」
「うん」
名を呼ぶだけで、それ以上に拓斗が何かを口にすることはない。そこからさきは、きっと那桜が感じとるべきことだ。
ううん、違う。感じとるべきこと、ではなくて、きっと、わたしにしか感じとれない。
「那桜」
那桜をその瞳に映し捕らえ、口もとにかかる息は熱く、その名を呼ぶ声はまるで縋りつくように篤く、それらが名のあとに続く言葉を無言で那桜に注ぐ。
「拓に……ぃ……」
好き、そのお返しは拓斗のくちびるにすくわれて、混じり合う蜜のなかに融けた。
くちびるをつけたまま、脚を広げられて躰の中心もキスを交わす。拓斗の右手は左の胸をくるむ。そこはずっと魔撫されていたから熱を持ったままで、右側よりも大きくなっている気がする。胸の先が指で弾かれて、合わせた口のすき間から那桜の悲鳴が漏れた。
胸先をつまむように摩擦されて、戦慄のような快楽に躰が侵されていく。その感覚は躰の奥を伝って、躰の中心で触れ合うふたりを刺激した。
くちびるも胸も、そして、ふたりを一つにする場所も、融けだしそうなくらい発熱している。声にして吐きだせないぶん、那桜のなかに怖いほど快楽がこもっていった。
ん、ぅんんっ。
もうだめ。そんな訴えもかなわないでいると、ふいに拓斗がくちびるを離し、直後には胸先が熱く含まれた。覚悟をするまもなく舌が絡み、かじられて強く吸いつかれた。再び、有無を云わさず那桜の感覚は押しあげられる。
あっ、んぁああっ。
硬直から痙攣へと変わる瞬間に、拓斗が躰を起こして那桜のなかに慾を沈めてきた。
んっく――っ。
拓斗は那桜の快楽を閉じこめるように突き進んでくる。すき間が感じられないほどきついのに、つらいのではなく、かえって感覚を増長させる。
奥まで届くと、拓斗は感触を確かめるようにじっと動かないでいる。同じようにじっと見つめる瞳の下で、那桜は独り、小刻みにふるえながら持続する快楽のなかにいた。
そして、躰のなかの拓斗がぴくりと動いたとたん、律動が始まった。
拓斗が腰を引くと、ぞくっとした感覚に引きずられるように那桜は腰を沈めて、拓斗が突いてくると、息が詰まるような感覚に背中をのけ反らせて那桜は腰を突きだす。
あ、あ……ん……ん、はっ……あふっ……。
それから、どれくらいそうしているのかも、いつイったのかもわからない。部屋に満ちる声はかすれている。
意識が混濁したなか、「那桜」と呻く声が届く。刹那、拓斗が那桜から抜けだして慾を吐いた。
胸を激しく上下させながら、那桜はぐったりとベッドに躰を預けて、その温かく濡れた感触を受けとめた。終わりだと余韻に浸ったのはつかの間、荒い呼吸がわずかも回復できないうちに、膝の裏をそれぞれに拓斗の腕がくぐって那桜の両脚をすくう。
拓斗がまた躰に入ってきた。那桜のなかで、それは質量を増した気がした。
完全に繋がると、拓斗は躰をまえに倒してくる。伴って、那桜のお尻が持ちあがる。最奥で繋がっていると思っていたのに、拓斗が両脇に手をつくと同時に、慾はさらに深い場所に進んだ。
あんっ。
この場所があることを忘れていたかもしれない。感じるのは快楽だけという、何もかもがどうでもよくなって真に無防備にさせる場所だ。おなかに散った拓斗の快楽のしるしが、くすぐるように胸へと流れてくる。互いの中心が密着すると、それだけで躰の奥から溢れそうに蜜が潤ってくるのを感じた。
拓斗もまた違った感覚を得ているのか、くぐもった呻き声を那桜に降らせる。
慾が浮く。怯えに似た気持ちが那桜の躰をふるわせる。それから、慾が沈む。ぐちゅっとした粘りけのあるキス音が立って、快楽が躰中に広がる。力は尽きてしまったかわりに、躰全部の神経が剥きだしになった。
あ、あ、あ、あ……っ。
ゆっくりと刻まれるリズム音は波音のようで、広い海に漂っているようで、大きすぎる恩寵にくるまれているような気がした。
けれど。大きすぎて怖くなる。ウルトラマリンの海の底に沈んで同化してしまいそうになる。視覚に捉えられない真の果てが見えてきた。
「拓にぃ……置い……て、きちゃ……た……」
「……なんだ」
拓斗が静止して唸るように促す。
「んっ……香り……ウルトラ……マリン、の……TACT……」
「いつだっていい。おれは、ここ、にいる」
その言葉が那桜の感情と感覚を融合飽和させる。
「う、んっ……あっ」
止まっていた拓斗がいったん分離しそうなくらい慾を引きずったあと、ずぶずぶと埋もれてくる。そこに到達した瞬間、那桜は痺れた感覚に侵された。
「拓……にっ……も、だめっ」
「っ……吐きだせば、いい」
再度、拓斗は同じ動作で那桜を攻めてくる。
刹那、搾りとられるような感覚で那桜の体内から快楽のしるしが溢れだした。
呼吸がうまくいかない。那桜は快楽か恐怖かわからないなかに放りだされた。
*
揺りかごのなかに眠る赤ちゃんのように、満腹感いっぱいで意識が覚醒していく。頬がふわふわと浮いて、力強い鼓動と離れたりくっついたりする。
居心地がよすぎて目を開ける気になれない。覚醒と混濁を繰り返しているうちに揺れが止まった。
すると、自分を取り巻く空気に意識が集中する。ちょっとした冷たさのなかに風が通い、ふわりと何かが薫ってくる。
「拓兄」
「立てるか」
那桜のつぶやきに拓斗の声が答えた。自分が拓斗に抱かれていることを知り、那桜はゆっくり目を開けていく。伴って、拓斗が躰の向きを変えた。
目に飛びこんできたのはカラフルな色だった。青を奥にして赤、黄色、白、ピンク、そして紫といろんな色が溢れていた。
一気に目が覚める。同時に地におろされた。足もとが少し頼りなくてよろけると、素早く拓斗が支える。
「すごい、きれい……」
那桜は半ば呆然とつぶやいた。
「手前が雪割草、真ん中のチューリップはわかるよね。奥の青いのがグレープヒヤシンスだよ」
説明した声は拓斗でも和惟でもなく、隆大の声だった。
那桜は自分が別荘に来ていることを思いだし、ここがひまわり畑ということもわかった。
後ろを振り向くと、隆大は和惟と並んで立っていた。
「隆大さん、こんにちは。グレープヒヤシンス?」
「那桜さん、こんにちは。変わらず、礼儀正しいね」
隆大は吹きだしそうにしながら挨拶を返し、「正式にはムスカリーかな。花がぶどうの実に似てるから、別名でグレープヒヤシンスっていうんだ」と続けた。
「写真は早く撮ったほうがいい。もうそろそろ日が暮れていく」
「ああ」
和惟に拓斗が答え、那桜は首をかしげた。
「写真?」
「そうだ」
拓斗の相づちを聞くか聞かないかのうちに、ふと自分が服を着せられていることに思い至った。当然、そうでなければ恥ずかしすぎる。ただし、見下ろした服は着てきたものと違った。
だれの服かただせないうちに、拓斗が手を引っぱった。
「こっちだ」
「裸足だけど!」
それに、服のなかもすかすかしている。つまり、オーガンジーをいくつも重ねた、このボリュームのある白い服と拓斗の黒いジャケット以外、身には何も纏っていない。
「那桜らしいだろう」
背後から聞こえてきた和惟の答えがどういう意味かと那桜は疑う。考えて、けれど、答えが出ないうちに拓斗に連れられて花畑に入った。
「ここでいいだろ。寒いかもしれないけどちょっと我慢しろ」
拓斗が那桜からジャケットを取って自分が羽織った。那桜の服はオフショルダーになっていて花のような大きな飾りが両肩についている。丈は足首のちょっと上くらいだ。
拓斗の手が那桜の髪を梳く。入れ替わって、那桜もまた笑いながら拓斗の髪をそうした。
「那桜」
和惟の声がすると同時に、ピンクと白が混じったチューリップが目のまえに来る。拓斗が梳いた那桜の髪を、和惟が左側だけ耳にかけ、手にしていた小ぶりのチューリップを引っかけた。
「おれが証人だ」
なんだろう――と那桜が考えているうちに和惟は隆大のところに戻っていった。
「撮りますよ」
和惟を横に控えて隆大が呼びかける。シャッター音はしないけれど、和惟と喋りながら何枚か撮っているらしいことがわかる。
そのさなか、拓斗がつぶやいた。
「式は挙げられない」
「え?」
「神前で誓うことはできない。そのかわりだ」
那桜は目を見開いて、そして、自分の恰好を見下ろした。
いまさらながらに、自分が着ているものが、ただの服ではなくてウエディングドレスだと気づいた。
「拓兄」
顔を上げて呼びかけた声は囁きにしかならない。
「なんて顔をしてる」
そう云われた顔がどんな表情をしているのか、那桜は自分でも泣いてるのか笑っているのかわからない。
「ありがとう、拓兄」
「そのまま返す」
拓斗の眼差しはいつのときも変わらず、那桜を貫くように捕らえる。変わらない、というこれまでの時間が、どういうことかをいま知った気がする。
――忘れちゃダメ?
――忘れろ。
ともに那桜の奥底に燻る言葉。
けれど。
忘れない。
「拓兄、今日のこと、忘れないから」
何が通じ合っているのだろう。けれど、何かが通じ合っている。
それは苦しくなるほどの欲心かもしれない。
拓斗が苦辛に喘ぐような面持ちになる。そうして――
「那桜」
振りしぼるような声は篤く那桜に纏わりつき――
「拓兄……」
口もとは緩く迸り――
真逆に、拓斗の腕は那桜を閉じこめるように締めつけた。
*
今日のことだけ憶えていろ。
今日からのことを憶えていけ。
那桜の幸せの始まりであることを。
それしか希うことはない。
−第3部 純血愛-out- The End.−