禁断CLOSER#101 第3部 純血愛-out-

5.Start out -2-


「拓兄、もう終わったの?」
「ああ」
 見上げた拓斗の顔は、穏やかな気配を漂わせている。そう時間もかかっていないことが、聞くまでもなく、今日に限ってはうまくいったのだと那桜に教える。
 戒斗がいなければ抱きつきたい――と思ったとき、拓斗の手のひらが額を小突くように触れた。
 拓斗はそうしてから戒斗へと目を向ける。
「明日は予定どおりだ」
「ああ。もっと時間がかかるかと思ってたけど、意外に父さんの説得は易かったな」
 からかった口調ではなく、戒斗はかすかに不可思議そうにしている。
 那桜にも、よかったと思う傍らで戒斗と同じ疑問はある。

『拓斗についていけ。ただし、那桜。これまでどおり単独行動だけは許さん』
 隼斗からそう云い渡された。那桜が怖れた、(さげす)むとか毛嫌いするとか、そんな感情は見えなかった。もっとも、持って生まれたものなのか、人を威嚇する雰囲気は消えなくとも、隼斗は拓斗と同じで感情を表に出すことはない。
 感情を剥きだしにしたのを見たのは一度だけ。拓斗が(はた)かれたときだ。
 どうにかふたりでいられるように拓斗が打破してくれるとは思っていたけれど、隼斗から、許可を得られるとは思っていなかった。
 それとも、許可ではなく、放りだされたのだろうか。
 そういった心もとない気持ちは残っていて、だから、家にいる以上、ふたりきりという状況はなるべく避けてしまうし、隼斗と詩乃のまえでは拓斗とうまく話せない。
 拓斗は普通に接してくる――とはいえ、もともと自分から喋ることはほとんどないのだが、たまに引っ越しのことなど話しかけてくるときがあって、そうすると、おかしなくらい那桜はぎこちない対応しかできていない。

「けど、父さんの考えは変わったわけじゃない」
「わかってる。ただ、おれたちが意見一致で父さんに陳情(ちんじょう)できたのは一つの進展だ。おまえと那桜のことを許したことで考え直すきっかけにはなる」
 隼斗の考えというのがなんの話なのか、拓斗は肩をそびやかす。そこへ、今度は足音が立ってだれかが入ってきた。
「戒斗、来てたのか」
 和惟の声だ。那桜の視界をさえぎっていた拓斗の後ろから現れた。
「ああ、いま来たとこだ」
「デビューまでもうちょっとだな。それで戒斗、どうなんだ?」
「何が」
世翔(せいしょう)が云ったとおり、どう気取ったって見世物になるわけだろう」
「低俗だって云いたいのか」
 戒斗は眉間にしわを寄せて和惟に向かい、顎をしゃくった。
「怒らせるような意味で云ってるつもりはない。古来、雅楽(ががく)は上家と切っても切れない歌舞だからな。ただ、従者としては少々複雑だって云いたかっただけだ」
「古くさい考えだなって云っておく」
 戒斗が素っ気なく一蹴すると、和惟は降参したように手を上げる。

「拓斗さん、戒斗、首領がお呼びです」
 また違う声が割りこんだ。開いたドアをわざわざノックしながら惟均(ただひと)が入ってきた。
 戒斗はため息をつき、「わかった」と答えたのに対して、拓斗はうなずいただけで応じた。
「いつものことだ」
 ほんの少しおののいた気持ちが伝わったのか、拓斗が那桜に声をかける。
「はい」
 拓斗のくちびるが広がったと見えたのは幻影なのか、那桜が瞬きをしたあとには消えていた。

 拓斗と戒斗が部屋を出ていくと、惟均も出ていくかと思いきや、なぜが残って、那桜から和惟へと視線を移動した。問うようにかすかに首が傾く。
 和惟は惟均の意を察すると軽くホールドアップして、大げさすぎるほど深くため息をついた。
「心配するようなことはしない。第一、一緒に暮らすことを拓斗が承知のうえってことを考えれば、おまえの勘繰りは無用なはずだ」
 和惟の弁解を聞いて、那桜はずっと以前にあった、この有吏邸での出来事を思いだす。のちに和惟は、無理やりしたキスのことを拓斗への挑発だったと那桜に申し開きをしたけれど、惟均にわざわざそんなことを云うとは思えないし、だから惟均はそのとおりのことしか思っていないだろう。
「わかってるけど、それ以前になぜガードが兄さんか、おれは理解に苦しむ。首領はご存じないとしても、拓斗さんは知ってる。従兄弟だってよかったはずだけどな」
 惟均は兄とはいえ容赦ない。飼い主に似るというと惟均は怒るだろうか、拓斗に負けず劣らず平坦な口調だ。和惟への尊敬心があったはずも、ひょっとしたらあの日から微妙な距離感が存在しているのかもしれない。
「おれが最適だって拓斗が知ってるからだろう」
 和惟は呆れたのか、そうするしかないのか、鼻で笑いながら再度、拓斗の意思を持ちだして反論した。
 惟均は首をひねり、それから那桜に向かった。率直な惟均を知っているから、那桜はなんとなく身構える。
「那桜、油断は禁物、だ」
「……わかってる」
「普段から何も考えてないから、すぐ自業自得に陥る。那桜の悪い癖だ」
 那桜の返事は何の役にも立っていないという、どこか散々な捨てゼリフだ。和惟のように反論しようとしたけれど、何も見つからないうちに惟均は部屋を出ていった。

 和惟がため息かと見まがうような笑い声を漏らした。
「あいつにはどう見えてるんだろうな」
「……どう見えなくちゃいけないの?」
「人の目を気にすることはない」
 和惟は自分が云いだしておきながら、那桜の不安はたやすくひるがえす。
 ただ、その言葉で、惟均にどう思われているかというのも気にしていたことを思いださせられた。拓斗第一で動くからなのか、惟均は怪訝にするとか汚らしいとかいう気配さえ見せずにいつもと変わりなかった。
「うん」
 素直に返事をすると――
「はい、じゃないのか」
 と、和惟は意味不明のことを云って、笑う、というよりは口を歪めた。



 有吏塾のなかには道場とは別に、一際大きい体育館ふうの建物がある。有吏館と呼ばれ、この日曜日、その二階にある会議室には早朝から主宰たちが集まった。午後からは一階の逢瀬の間で親睦会が開かれるが、そのまえに定例会として、年三回の一堂に会した討議が行われる。
 会議用の大型テーブルを並べ、本家からは前首領である継斗を含めて四人、そして、主宰たちは全国から二十五人全員がそろって顔を合わせた。

「まず、総領から皆に知らせることがある」
 始めよう、と端的に口火を切った隼斗が、議長席から出席者面々を一回り見渡しながら発した。その目は最後に斜め向かいに座った拓斗に止まる。
 拓斗は小さくうなずいた。
「恐れ入りますが、約定について独断の意見、もしくは提案として耳をお貸しください。相まって、一つ、個人的なことのご報告があります」
 隼斗以下すでに事情を知る者を除き、すべての視線が拓斗に集中する。一人ずつ視野に入れながら拓斗は述べだした。

「これまで、約定においての自分の立場は、総領として然るべく受け入れてきました。ですが、妹の那桜にその立場は相当なものだとは思えません。有吏一族を離れ、蘇我という一族のなかに身を置くことの危うさを知っていながら、有吏が安泰であるための代償を那桜一人に押しつけたくはありません」
 拓斗はいったん言葉を切った。会議室はしんと静まっている。衝撃のせいか、もしくは拓斗の発言を咬みわけているのか。
「つまり、本家は約定の履行を拒否されると?」
 水を打ったようななか、切要な一言が投石される。
「いえ。本家としてではなく、さきに云ったように僕個人の意見にすぎません。加えて、約定は、だれか分家に代行させるなど一族内々での拒否という意味ではなく、蘇我に対して破棄という引導を渡すべきだと考えています」
 拓斗が云いきると、際立った反応ではないが、動揺まじりのため息があちこちから漏れた。
「しかし……」
「はい。破棄がどういうことを招くか――けっして蘇我が穏便にすますと考えているわけではありません。ただ、約定まで五年。その間にやれることはあります」
「どうする?」
「蘇我の表の権力、蘇我グループに包囲網を張ります。乗っ取り(テイクオーヴァー)を考えています」
「株の買い占めかね」
「はい。分家は末端までもちろんのこと、民間も先導しながら特異な変動を避けるために数年かけて市場内買い付けをしていきます。伴って、有吏の家業を積極的に稼働させたいと思います。戦後の一族の縮小と相まって、これまで依頼があって動くという受け身でしたが、こちらから民に働きかける。蘇我の天敵に助力して、買い占めプラスアルファで蘇我の事業を縮小させていく、ということです。もちろん、天敵先の審査も必要ですが。蘇我が社会的に弱い立場になれば自ずと民への発言権は利かなくなる。決着点として蘇我一族を壊滅することを目指します」

 拓斗の道破を受けて、主宰たちは各々で瞑想にふける。これまで、それぞれと面談してきたことから、頭から否定されるとは思っていなかったが、即決で意見が通るとも考えていない。
 ちょっとした発言も影響を及ぼす隼斗は、約定の履行という方針は変えていなくとも、拓斗の提議に小言を喰らわせるわけでもなく一切、口を噤んでいる。総領次位という立場にいる以上、戒斗も少なからず影響力を持っているが、同じく様子を見守っているだけで口は出さない。
 まだ続くのかと思うほどの長い沈黙ののち、拓斗はゆっくりと席を立った。

「並行して、念のために約定の代替案、そして、時に沿った有吏の在るべき姿を模索していきます。ただ、私情を差し挟んだということは否めません。反感を買っても当然です。かといって、那桜には何も責任はありません。約定という本分(ほんぶん)を兄としてともに全うすることが那桜を守ることだと思ってきました。ですが、申し訳ありません、手放せなくなりました。那桜を傍に置いて守らせてください。お願いします」

 拓斗が頭を下げると同時に室内の空気がさざめく。
「総領、頭をお上げください」
「我々が早々に了解するには事が重大すぎる。しかしながら、考慮しないと結論づけてしまうにも尚早」
「総領、約定の履行まで五年、一族に良きしるべを提示していただくことを願っている」
 相次いだ建設的な手応えに、頭を上げていた拓斗は再び深く一礼した。
「ありがとうございます」



 赤ちゃんから、一線を退いた祖父母たちまで、三百人を超える表裏の分家が集って正午より親睦会が始まった。
 立食形式のもと、空腹を満たしつつ、那桜は同年代の従姉妹たちとお喋りをした。楽しい時間だが、一人だけ心苦しくさせる従妹がいる。八掟叶多(はちじょうかなた)だ。
 会議が終わったあと、おそらくいのいちばんに那桜のところに来てくれた拓斗は、心配することは何もない、と云い、それよりもその表情がどこかますます穏やかに見えて、拓斗自身の言葉を裏づけた。拓斗といられるという保証をもらったいま、迷子の犬みたいに途方に暮れている叶多を見ると、那桜はよけいに後ろめたい気にさせられる。

「那桜ちゃん、戒斗は元気なのかな」
 叶多は自分がした質問に那桜が困っていると知っている。それでも、おずおずとしながら問いかけてくる。それくらい会いたいに違いないのだ。
「戒兄は元気。だから、叶多ちゃんも元気にしてないと癪に障るでしょ」
 叶多が笑う。そうした叶多を見るたびによしよししたくなるのは、那桜より四つ年下という理由だけではなく、叶多の持って生まれた特権のような気がする。
「叶多ちゃん、戒兄にはもうすぐ会えるかも」
 このくらい伝えておいても罰なんて当たらない。じかに会えるかどうかは別として、戒斗が五月にメジャーデビューする以上、目にする機会はきっとあるはずだ。
 けれど、叶多は信じていないのだろう、曖昧に笑う。
 すると、那桜はやっぱりかまいたい気にさせられる。戒斗が叶多に対してよくやる癖――長いおさげ髪を引っぱりたくなる気持ちがなんとなくわかってきた。

 親睦会が始まってから一時間たっただろうか、深智とデザートを食べ比べていると、那桜はふいに肩をつかまれた。
「行くぞ」
 それが拓斗だと確認するより早く声がかかった。言葉の意味を悟る間もなく、那桜は躰の向きを変えられた。背中を押されながら強制的に出口に向かって歩かされる。慌てて後ろを振り向き、きょとんとした深智に、「またね」と声をかけた。
「拓兄」
「別荘だ」
 何も質問しないうちに答えが返ってきた。
 人の間を縫って有吏館を出ると、拓斗は駐車場のほうに向かう。そこには、和惟が車にエンジンをかけて待機していた。
 別荘というからには衛守家のだろうと、那桜も見当がついていた。和惟が同行することも予測がついたし、これまでと違うのは、それでも気まずさがないということだ。それは、わがまますぎて曝せないと思っていたことを和惟に伝えられたからだろうか。
 那桜は和惟の後ろに乗り、拓斗が反対側から続いて乗りこむと、車はさっそく有吏塾を出た。

「いなくてよかった?」
 那桜が問いかけると、拓斗は肩をすくめた。
「一通り、挨拶はすませた。戒斗はいなくて当然のようになってるし、一回くらいエスケープしたところで問題にはならない」
「本家の次世代たちはわがままだらけだな」
 和惟が茶々を入れるも、拓斗はどこ吹く風で取り合わなかった。ルームミラーのなかの和惟が目線を上げ、ちらりと拓斗を見やる。
「会議は滞りなかったようだな。まわってみたけど、主宰たちの反応は概ね悪くはなかった。センセーションの上塗りだしな。かえって効果的だったかもしれない」
 和惟はついさっきのからかった様から、がらりと真面目な口調に変えている。センセーションというのが自分に関係することだとまでは那桜もわかるが。
「上塗り、って?」
「決められたことを破棄したうえに理由がおまえにあるからだ」
 つまり、妹だから、ということだ。那桜はおののき、それに気づいた拓斗はすぐに継ぎ足す。
「しばらくは動揺が残るかもしれない。けど、和惟が云ったとおり、受け入れられる。会食の間も、主宰たちの態度に目立ったことはなかったはずだ」
 そう云われれば、そのとおりだ。立食パーティのさなか、本家のテーブルに何人か主宰がやってきたけれど、びくびくしたわりに、大学のことを訊かれたり卒業後のことをアドバイスされたり、拍子抜けするほどだれもが呆気なくいつものとおりだった。
「うん」

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