禁断CLOSER#95 第3部 純血愛-out-

4.代償−Breakup− -5-


 それからの四人での食事は、和惟がわざわざ那桜に内緒にして何を意図したのか、予想外に楽しくすぎている。めずらしく那桜の食も進んだ。
 話題は大学やファッションのことと、女同士で勝手に盛りあがる。美鶴が拓斗のことに触れることはあまりないが、那桜は“拓兄”と呼ばないように神経を使った。それでももしかしたら口にしたか、しそうになったかもしれない。和惟が何度か「那桜」と呼んでさえぎることがある。

「おれのも食べていい」
 食後のデザートを持ってきた店員が立ち去ると、飴細工で華やかにしたプリン・ア・ラ・モードを和惟が那桜のほうに押しやった。
「もうおなかいっぱいなんだけど」
「いつもおれのぶんまで食べてるだろう。もう少し、胃を大きくするべきだ。デザートは別腹っていうし。食べさせてやってもいい」
 和惟はクリームの上にのった苺を摘んだ。本気で食べさせる気なのか、和惟ならやりかねないと思った那桜はとっさにその手首をつかんだ。
「わかった。食べるから」
 しかたなく那桜が云うと、和惟は可笑しそうにして苺から手を引いた。
 美鶴が首をかしげてくすくすと笑う。
「従兄妹同士ってそんなに仲がいいもの? さっきも那桜さん、お肉の食べかけ、平気で衛守さんにあげちゃうし、衛守さんも抵抗ないみたいだし。拓斗さんのことを知らなかったら恋人同士って思ってるかも」
「あ……そのあたりの感覚は従兄とか関係ないかもしれない」
 那桜が答えると、何か思い当たったように立矢がふっと笑う。
「そうだね。那桜ちゃんのそういうざっくばらんなところがいいんだよ」
「勘違いさせちゃいそう」
「だな。それでやられてる男を二人は知ってる」
 和惟はいかにも曰くありげな口ぶりで美鶴に応じた。目を丸くした美鶴を差し置いて、さらに思わせぶりに云い返したのは立矢だ。
「四人ともそうじゃないんですか」
「四人とも?」
 美鶴が不思議そうにオウム返しをする一方、和惟は眉をはねあげたあと首をひねってかわした。

 美鶴の問いに答えが返ることはなく、彼女はあきらめたのか那桜に向かった。
「衛守さんてカノジョいないの?」
 和惟はすぐそこにいて、しかも丸聞こえしているのに、その質問がなぜ那桜に向かってくるのかよくわからない。
「いないけど」
「那桜さんがそう云うんならホントにいないってことなんだ」
 美鶴はうれしそうに見えた。それでどういうことかわかった。和惟に聞いて透かされたり嘘を吐かれたりする可能性を少しでも避けるには、那桜に訊くほうが無難だ。否定する必要はないから。美鶴はどこかずれた感じはするけれど、頭が悪いわけではない。
 嫌だ。本能的に言葉が浮かんだ直後。
「衛守さん、わたし、候補になっちゃだめかしら?」
 美鶴は那桜が予感したとおりの言葉を吐いた。知らず知らずのうちにデザート用のスプーンを持つ手に力がこもる。
 美鶴の視線のさきで和惟が小さな笑い声を漏らした。
「そういうことを云ってくれると自分の価値が確認できる。ありがとう、とだけ云っておくよ」
 最初の意味はわからないけれど、よほど頭が能天気ではないかぎり、あとに続いた言葉が断り文句だとはわかる。もっとはっきり云えばいいのに、と思うのは果歩のことがよぎったからだろうか。
「だめなんですね」
 美鶴はあからさまにがっかりと息をついた。那桜は那桜で肩のこわばりが解け、こっそりと息をつく。

「いま話してたのに読めてないな」
 立矢はため息混じりで笑いながらつぶやいた。美鶴は不可解そうに立矢の顔を覗きこんだ。
 すると、美鶴が何か口をするまえに、和惟がデザートのプレートを指差した。
「食べろよ。まだ連れていくところがある」
 和惟は話を切りあげるように云いながら、テーブルの下で那桜の太腿の上に左手を置いた。
「連れていくところ? どこ?」
「ミステリーデートっていうのもいいだろう?」
 和惟は片方だけ口角を上げた。右の太腿に置いた手は脚の付け根へと素肌をたどってくる。短いワンピースは簡単にたくしあがった。那桜は立矢たちの手前、あからさまに触らないでとも云えず、感づかれない程度に急いで和惟の左手を左手で止めた。
「拓に……拓斗となら、ね」
 拓斗の名を出すと、思ったとおり和惟は手を離した。なんのつもりか、そうするまえに肉に喰いこむほどぎゅっとつかまれた脚の内側が疼く。
 何気なさを装ってプリンを頬張ると美鶴の問うような眼差しと目が合った。
「何?」
 那桜が促すのを待っていたように美鶴はくすっと笑う。
「衛守さんを通して拓斗さんと那桜さんがくっついたってことだけど。そうなってても、衛守さんが那桜さんの買い物に付き合ったりデートだったり――フレビューで会ったときもお友だちもいたけど、衛守さんもいたし。やっぱり不思議だわって思って。あのときの拓斗さん、包容力満タンでほっとけないって雰囲気だったのに、衛守さんのことは許容してるのかしら。反対されてるから?」

 美鶴の言葉は、あらためて那桜に三人の様相がいびつだということを教える。いびつということは、歪みすぎていつ壊れてもおかしくないということでもある。拓斗と那桜のことが認められるとしたら、そのとき和惟はどうするのだろう。

「次元が違うんだよ」
 那桜が答えるまえに立矢が口を挟んだ。
「次元?」
「そう。例えばさっきの姉さんの話。人には人それぞれの拘りがある。拓斗さんにも衛守さんにも相応の気持ちの守り方があるってことだろう」
「いいとこついてる」
 和惟はおもしろがった口調で立矢に同意した。立矢のことは信用しすぎだと忠告していたのに、翔流のことと同様、何か折り合いがついたのだろうか、警戒しているふうではない。第一、この場をセッティングしたのは和惟に違いないから、そうするのもおかしい。
 美鶴は納得していないようで、那桜から返事をもらわないと気がすまなさそうに首を傾けた。那桜にしろ、立矢の云うことは漠然としすぎて何が云いたいのかわからない。
「それが普通でやってきたから」
 那桜が答えて首をすくめると、美鶴はあきらめた様で同じ素振りを返した。
「わたしって、いいなって思っても癖のある男ばっかりなのよね。癖のあるっていうより、わたしを見向きもしない? 魅力ないのかしら」
「そんなことはない」
「っていうくせに、立矢くんからもふられたんだけど」
「それはおれの問題だ。云い寄ってくる奴いるだろう。アパレルの奴とグランメゾンのシェフ。少なくともおれはその二人がその気だったってことは知ってるけどね」
「趣味じゃなかったの」
「向こうの立場からしても、いまの美鶴と一緒で、自分に魅力がないとか思ってるんじゃないかな? そのうち趣味って奴が現れるだろう」
 立矢は呆れた声で無責任に締め括った。

 食事が終わると精算をする和惟を残してあとの三人は外に出た。
「那桜ちゃん、“桜”つけてないね。それよりはノーブルブラッドの香りがする」
 立矢は気遣うように那桜を見つめる。
「うん。拓に……拓斗の香りがわからなくなるから。いま会えてなくて。でも、わたしがつけても香りが違うの」
「そうだな。あまり感じなくても人はそれぞれで香りを纏ってるから違ってくる。けど……」
 立矢は云い淀んで一度、首をひねった。
「何?」
「そこまで敏感になるほどさみしいんだろうなって」
「よくわからないけど、かもしれない」
 いまの感覚はもうあたりまえになっていて、それが“さみしい”という感情なのかどうかもわからなくなっている。このままの時間がずっと続いていけば、立矢のように、拓斗を吹っきれるかもしれないとも思ってしまう。ただ、そうできたとしても、果てしなくこの感覚が続いていくこともわかる。
「那桜ちゃんは拓斗さんを動かしたこと、後悔してる?」
「わたしが動かしたの?」
「間接的にはそうだろう? 那桜ちゃんの気持ちがあるなら動きたくなるんじゃないかな。那桜ちゃんはいつも訴えるように拓斗さんを臨んでる」
「……知ってる」
 二十歳のときにスタジオで撮った写真を思い浮かべた。それを見れば立矢が云ったことは一目瞭然だ。
「拓斗さんはかばうようにしてる。有刺鉄線の綱渡り。本当にそういうことがあれば、拓斗さんは那桜ちゃんが刺に触れないように抱きあげてるだろうね」
 そうなったら那桜の重さのぶんだけ、拓斗の傷は深くなる。深く深くなって命は削られる。
「怖がるのもわかるけど。那桜ちゃんはそこまでのつもりじゃなかった?」
 命を削っていく果てに二度と会えなくなるくらいなら、一緒に堕ちてしまっても拓斗といられるほうがいい。
 那桜は否定するように首を横に振った。
 拓斗といる時間を欲張ったのは那桜で、そんな那桜に拓斗は応えた。そうしたらどうなるかを考えていなかった。きっと、那桜が臆病になることで、有刺鉄線のかわりに那桜自身が拓斗を傷つけている。

「ねぇ、なんの話してるの? 反対されてるって、そんなに大げさなこと?」
 那桜と立矢をかわるがわる見ながら、美鶴が不思議そうに口を挟んだ。
「かもしれない」
 那桜が美鶴に答えているところへ和惟が出てきた。
「拓兄とわたし、兄妹だから。でも、大丈夫」
 和惟を見つめたまま付け加えると、和惟は問いかけるように眉を上げてみせ、それから嗤った。



 立矢たちとはGIRLsFirstまで一緒に行って別れた。那桜たちはそのまま駐車場に戻って、それから和惟は行き先を告げずに車を走らせた。

「美鶴さんにはなんて云ってたの?」
「“大雀”那桜は母方の親戚で、拓斗は父方の親戚ってことになってた」
「どうして嘘を云うの?」
「拓斗に虫はついてほしくないだろう? 那桜がカノジョじゃなく妹だと知ったら、彼女にとって引く理由が薄れるし、そうなったら那桜はよけいなことでくよくよする。けど、香堂立矢に借りができただけで、おれの計らいは無駄だった。せっかく小森美鶴は取るに足りないって証明してやろうとしたのにな」
 なるほど和惟と立矢は口裏を合わせていたらしい。和惟は怒っているというよりは、呆れたように息を吐いた。
「でも、美鶴さんは冗談だと思ってるよ」
 那桜が拓斗と兄妹だと打ち明けたときは呆気にとられていたが、どう那桜のことを理解しているのか、那桜さんぽいわ、と笑いだした。信じていないようで、つまりは那桜のことをほら吹きだと云っているようなもので、美鶴は那桜についてこれ以上になく心外な認識をしている。
「打ち明けるとは思わなかった」
 和惟は美鶴のことには触れず、ただ、それだけ云った。
 批難しているわけじゃない。なんだろう。云いたいことは違っていそうな気配で、那桜はしばらく待ってみたけれど、結局は和惟の口が開くことはなかった。訊きたいことがあったのになんとなくそうできない雰囲気を感じて、そのあとは黙りがちのドライブになった。
 ミステリーデートの行き先がどこなのか、那桜が見当をつけられたのは建物の数が極端に減った頃だった。

「和惟」
「那桜が退屈だって云うんならここだろ」
 那桜の警戒した声が可笑しいのか、笑み混じりの声で和惟がからかう。
「和惟、今日は惨めなことばっかり思いださせようとしてる」
「ばっかり? 香水のことはともかく、この場所の何が惨めなんだ」
 そう云った声音は気に喰わなさそうに聞こえた。
「子供っぽいことしかしてないから」
「子供だっただろう」
 和惟は不快さ丸出しで云い返した。何がそんなに気に障ったのか、また喋られない雰囲気になった。そして、そのままあの海に着いた。

 車を降りた和惟は助手席にまわってきてドアを開ける。コートを脱いでいるから風がレースの袖を通り抜けてきて、那桜はちょっと身ぶるいした。
「寒いよ。それにブーツなんだけど」
「風は強くないし、今日はそう寒くないだろう。ブーツなら砂が入らなくてなおさらいいはずだ」
「買ったばかりなのに……」
 云っている途中で和惟が腕を取り、那桜を車から引っ張りだす。膝もとに置いていたコートを一緒に取りあげると、那桜が降りるなり肩にかけた。
 那桜がコートを着るのを待って手が引かれる。堤防を越えて、だれもいない砂浜に降り立った。
「あとは何が問題だ」
 砂を踏む音のなか、和惟がとうとつに問う。
「あとは、って?」
「踏んぎりついたように見えたけどな」
「和惟?」
「香堂立矢と話しただろ。あいつの云うことならすんなり受けいれるかもしれないとは思ったけど、予想より遥かに簡単だったな」

 立矢は、拓斗が深い海の底のように見極められないほど配慮していると云った。けれど、それは和惟にも云えることだ。那桜が堕ちてしまわないよう、拓斗が正面からなら、和惟は背後から背中を支えている。

「拓兄には決まった人がいる」
「またなんだ。もうそれは無効だ――」
「じゃあ、和惟は?」
 和惟をさえぎるようにして訊ねた。和惟は立ち止まって那桜を見下ろすと眉をひそめる。
「なんの話だ」
「だから! 拓兄にいて、世翔くんにいて……和惟に決められた人がいないはずない」
 波音だけになった時間は長かったのか短かったのか、やがて和惟は口を歪めて鼻で笑った。
「だったらなんだ」
「拓兄が好きだから」
「それで?」
「拓兄といたいから」
「だから?」
 だから――和惟はわたしだけを見ていればいい。
 そんなわがままを知って和惟は追いつめる。
「一心同体って云ったのは和惟!」
「それ以外にどんな関係が成り立つんだ。おれ、と、那桜、の間に」
 和惟は一つ一つ那桜の心底に刻むように云い聞かせた。
「拓兄に会いたい」
 刻まれた言葉は安堵を生んで、入れ替わりに心底から無意識に言葉が飛びだした。
 ずっと云えなかったぶん、抑えられなくて再び口をついて出る。けれど――
「拓兄に会い――」
 その欲求は最後まで云いきれないうちに和惟の口のなかに消えた。

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