禁断CLOSER#81 第3部 純血愛-out-

2.Come Out -1-


 一月の半ばをすぎた日曜日、表分家のお正月恒例の食事会は今回、衛守家で行われている。
 親たちと分かれた次世代の座卓は、有吏家三兄弟妹、衛守家二兄弟、仁補(にほ)家二兄弟、矢取(やとり)家四兄弟姉妹の十一人全員がそろっていて、いつもよりずっと賑やかだ。
 去年の食事会は、米寿のお祝いをして一年たったばかりという岩手の曾祖母が亡くなったのをはじめとして、一族内の訃報が相次ぎ中止された。だから浮かれてしまうのは、二年ぶりということもあるだろう。そして、慶び事が二つ重なったせいでもある。

「戒斗、認められたのはいいとして、一族のスタンスからすれば反することじゃないのか」
 矢取家の長男、世翔(せいしょう)は懸念を交えてからかった。戒斗は薄らと笑う。
「逆に“一族”とは思われないだろう」
「なるほど、逆をついて牽制ってわけか。けど、ああいうチャラチャラした見せ物の仕事やるって、おれは考えられない。よく首領が認めたな」
 世翔は呆れたふうに肩をそびやかした。そこへ拓斗が口を挟む。
「認めたわけじゃない」
「そう、野放しにされてるってだけだ」
 戒斗はおもしろがって応じた。
 慶び事の一つは、戒斗が立ちあげたバンド、“FATE”のプロデビューが決まったことだ。スカウトされたという。もっとも、慶び事なのは次世代の一部にとってであり、少なくとも隼斗の気持ちは大反対なのだ。もしくは、戒斗の熱は一時で冷めると思っている。
「拓斗、おまえも認めていないのか」
「やりたいようにやればいい」
 拓斗が云い放ったとたん、世翔の眉が跳ねあがる。
「へぇ、我らが総領も寛大になったもんだな」
「有吏の業さえ全うすれば問題のないことだろ。戒斗の云うとおり、隠れ蓑にもなり得る」
「だれもがそう思ってくれるといいけどな。本家を見る目は厳しくなるかもしれない」
「おれは一族を(おろそ)かにするつもりはない。むしろ、守ろうとしてる」
 戒斗は悠長に座椅子の背にもたれて反論した。
「進化あってこその有吏一族だ。伴って退化を認める必要もある。そうだろう、戒斗」
 那桜にとって、その拓斗の言葉は意味不明だ。けれど、戒斗にもほかの従兄弟たちにも通じているらしい。
 斜め向かいから拓斗を見やった戒斗は可笑しそうに口を歪め、従兄弟たちの間でも笑みがさざめく。

「戒兄、デビューライヴは決まった?」
「ああ。五月十四日だ」
「戒斗、招待してくれるよね」
 どこか遠慮がちに云ったのは、那桜と同い年の矢取深智(みち)だ。首をかしげていて、くるくるにした髪がふわりと揺れる。
「ああ。来たいっていう奴は云ってくれ。どっちにしろファン無料招待のゲリラライヴだ」
「ホント!? じゃあ、わたしも行く!」
 那桜が半ば叫んで主張すると、中央にいる拓斗がテーブルの端へと顔を向けてきて、那桜を視界に入れる。気が進まなそうに目を狭めた。那桜は何か云われるまえに先手を打つ。
「拓兄、連れてってくれるよね」
 答えるまでに少し間が空き、その間、那桜に視線を留めていた拓斗は、あからさまにため息をついた。それから斜めまえに座った戒斗を向く。
「だそうだ」
 それは那桜の要求を呑むとき、拓斗の定番になった言葉だ。
「ありがとう、拓兄」
 那桜が云ったとたん、テーブルについた全員から笑い声があがった。
「拓斗、甘くなったな」
「ノーを突きつけるだけがうまい操縦法とは限らない」
 ちらりと那桜を見たあと、拓斗は首を振って戒斗の揶揄をかわした。

 操縦と云われるのは合点しがたいところだが、以前より格段に甘やかしてもらっていることは確かだ。
 それは、最近、那桜がわがままを云わなくてすんでいるということが証明している。いや、わがままとまではいかないまでも要求を口にすることがある。けれど、無理とただ退けることはない。都合をつけたり譲歩してくれたり、なんらかで応えようとする。
 二〇歳の誕生日に『いつまでも子供じゃない』と詩乃に云ってくれたけれど、ただの逃げ口上ではなく尊重してくれるようになった。おかげで、つい二カ月まえの青南祭まで三年連続で実行委員がやれたし、一回目のように構内に限るという制限もつかなかった。無論、拓斗は逐一(ちくいち)那桜の位置を把握していた。それが窮屈ではなく、過保護だと笑えてしまうのは、ふたりの関係が落ち着いていて、心地よくて、うれしいからだ。

「那桜は無茶をやるからな。拓斗の頭も柔軟にならざるを得ないってさ」
 拓斗の加勢をしたのは、年長らしく、それまで眺めるだけで発言を控えていた和惟だ。那桜が半年後に二十二歳になることはまったく念頭にないというのか。酷い云い様で那桜を()きおろす。
「和惟!」
「褒めてるんだ。怒ることはない」
「だな。総領だからってお堅くいることはない。浮いた話一つないってどうなんだ? 五年後、いざ……」

 和惟に続いた世翔は途中で口を噤んだ。世翔が自らそうしたのがさきだったのか、拓斗が首をひねったのがさきだったのか。それを見てしまった那桜のなかにわだかまりができた。
 五年後に何があるのだろう。
 拓斗と世翔のどちらがさきにしろ、拓斗が首をひねったのは警告であり、口外してはいけないというよりはよくないことを暗示して思えた。

「浮いた話がありすぎるのもどうかと思うけどな」
 茶々を入れたのは和惟で、那桜が目を向けると和惟もまた合わせてきた。探るようでいてなだめるような眼差しに見え、それは那桜の懸念を確かなものにする。
「ありすぎる? 漏れてたはずはないけどな」
 世翔は悪びれることもなく一蹴した。外部には漏れていないかもしれないけれど、表分家の間では公然としたことで、世翔の女遊びの酷さは那桜も知ったことだ。
 “セデュース”という、家名の知れたお嬢さまクラスの女性しか入れない超高級、そして超一流のホストクラブでホストとして紛れこんでいたという。その実態は、いわゆるお持ち帰りできるデートクラブだ。そのオーナーが戒斗の忠臣である瀬尾啓司(せのおけいじ)だと知ったのはごく最近のことだ。
 瀬尾と仲のいい戒斗ももしかして、と思うのは那桜の考えすぎだろうか。
「ばれないからって問題じゃなく、今後はできないってことだ」
「もちろんだ。一族の名を潰すつもりはないし、そう節操がないわけじゃない。遊びだ」
 和惟が苦言を呈し、世翔が受け合っているうちに、隣に座った深智が那桜に顔を寄せてきた。
「世翔兄、意外に亜妃(あき)さんに夢中みたいだよ」
 深智は声を潜めて那桜に耳打ちした。
 亜妃というのは世翔の婚約者で、和花乃(わかの)という、古来の皇室ご用達の呉服業を営んできた本家の長女だ。深智は、那桜と同じく一年まえに成人式を迎えたのだが、着物を選ぶにあたってお世話になったのが和花乃で、それが縁だという。慶び事の二つめだ。

「そうなの?」
「家柄のせいか控え目で、それが何考えてるかわからないって戸惑ってる。女の人には慣れてるはずなのに。タイプが全然違うからかな。でも」
 深智は考えこむ素振りで首をかしげた。
「どうかした?」
「わたしの着物選びが縁でってことになってるけど、逆だったんだと思う」
「逆? どういうこと?」

「はじめから世翔兄には和花乃ありきだったんじゃないかってこと。世翔兄、遊びを咎められるたびに『二十七まではおれの自由だ』って云ってた。それで二十七歳のいま、亜妃さんと結婚するわけでしょ。それに、そのときの亜妃さんはまだ大学生だったし、呉服店で働いてるわけでもないのに、最初からわたしが選ぶのに付き合ってくれた。世翔兄も必ず付き添ってたし。だから、顔合わせだったのかも」

「だよね。結納のとき、世翔兄に『世翔さんみたいな人でよかった』って亜妃さんが云ってたのを聞いちゃったんだ。国文を出てるわりに文法的に云い方がおかしいよ。普通なら、例えば、世翔さんに会えてよかった、でしょ?」
 深智に賛同したのはその妹の美咲だ。深智と反対隣に座った美咲は、いつの間にか那桜にくっつくように躰を寄せてきていた。
 那桜より五つ下になる美咲の口癖は、『男ばっかりがなんでも知っててずるい』だ。まだ高校一年生なのに、表も裏も合わせて、女の子たちのなかでは一族のことにいちばん関心を持っている。たまに探偵じみたことをやっているらしく、今回も盗み聞きしたに違いない。

「……ということは決まってたってこと?」
「じゃない?」
 那桜の疑問を美咲はあっさりと肯定し、それから興じた様に変化(へんげ)して続けた。
「世翔兄の節操がいつまで持つか知らないけど、少なくとも亜妃さんと会って以来、クラブ通いはないみたい。けっこう一緒に出かけてる。熱心だねって世翔兄をからかったら、結婚は一族の男としてのプライドだとかなんとか云ってたし、それは許婚的存在だった証拠だよ」
 それを聞きながら、那桜はずっと目をつむってきたことにまた直面せざるを得なくなった。

 拓斗にもまた“決められた”相手がいる。漠然としていたことは、いま世翔の結婚について教えられたことで具体化した。さっきの『五年後』の意味が鮮やかになる。どうして世翔が二十七歳で、拓斗が三十一歳になるのかはわからない。五年という歳月が長いとも短いとも思えなくて、ただ、那桜は“期限”という絶望を(あずか)る。
 嫌。そんな言葉が頭のなかに現れて、目は無意識で拓斗を探した。
 世翔の女遍歴をはじめとして、従兄たちが下卑た話に湧いているなか、拓斗は興味がなさそうに腕を組んで座椅子にもたれている。
 その腕はわたしを抱くためだけにあるのに。そんな願望にしかならないことを思う。
 退屈なせいか、那桜の視線を感じたように、拓斗の顔がこっちを向きかけた。那桜は慌てて逸らす。自分がどんな表情をしているのかを気にしてしまうような顔は見せられない。

「一族の男としてって、世翔くんだけ……じゃないってこと?」
「そうかも。お姉ちゃんと戒斗だってそうだし」
 那桜がためらいがちに訊ねると、美咲は那桜の悪あがきをいとも簡単に玉砕した。
「でも……」

 戒兄には叶多ちゃんがいるから――とそう続けようとして那桜は口を噤んだ。有吏家と矢取家の間にそういう思惑があった、もしくはいまでもあるというのは那桜も承知するところだ。
 戒斗は、家に帰ってこないこと、叶多との接触を拒むことのなかに隠れている真の意、その二つのことで自分の意思を主張している。両家の意図を履行するつもりはないのだ。
 そう思っているのは那桜だけなのか、少なくとも、戒斗のことを引き合いに出した美咲と深智はいまでも“暗黙の了解”を信じている。
 厳密にいえば、深智は信じたがっている。ライヴのことで行きたいという申し出が遠慮がちになってしまったのは、戒斗の意を察しているからだ。
 戒斗はそれを『来たい奴は』と、深智限定ではなく“だれでも”にすり替えてしまった。
 そんなふうに拒むのは残酷で、ずるすぎる。
 そこで、那桜ははたと考えてしまった。
 曖昧でも深智とのことを受けいれていたはずの戒斗に“叶多”が現れたということは――あまつさえ、裏分家として普通にそこにいた叶多が突然に大事な存在に変わるというのは、決まったことがある云々のまえに、那桜にとって驚怖(きょうふ)だ。
 戒斗にとっての深智の曖昧さより、拓斗にとって那桜が妹であることのほうが遙かに拒絶の理由が成り立つ。
 それはずっと那桜の心底に(くすぶ)っている畏れで、何度、そんなことはないと思い直してもたったいまみたいに時折、顔を出す。
 非情さを持っているのは戒斗だけじゃなく、和惟もしかり、拓斗もしかり。有沙のことに絡んで実際に目にした。一族の男たちが生まれながらに保持している気質なのだ。
 那桜はまた拓斗を見てしまう。すると、あのままこっちを見ていたのか、目が合った。
 なんだ、と問いかけるように見えるのは思いすごしだろうか。気にかけていてくれることはわかって、今度は顔を見せられないという不安よりも支えになった。

「那桜、ゼリー運ぶのを手伝ってちょうだい」
 ふいに入り口の戸が開いたかと思うと、詩乃が呼びかけた。
「うん」
「あ、わたしも」
「深智ちゃん、大丈夫。わたしが咲おばさんに頼んだんだし」
 那桜は詩乃を追って廊下を横切った。衛守家は鉄筋コンクリートの家で、外観は無機質だが、家のなかはオレンジに近い木がふんだんに使われていて温かい。LDKの部屋に入ると紅茶の香りが漂ってきた。
「咲おばさん、なんのプリン? 紅茶?」
 那桜は云うが早いか、キッチンカウンターの上に並んだガラスの器を覗いた。
「そうよ。ミルクティーのゼリーに紅茶だけのゼリーをのせたの」
「プリンみたいで美味しそう」
「さきに味見してみたいでしょう。どうぞ」
 和惟の母、咲子は可笑しそうに半分くらいの量が入った器を差しだした。
「ありがとう」
「いつまでも子供みたいなんだから」
 素直に受けとる那桜の横で詩乃がため息をつく。そう云われれば、和惟に子供扱いされても反論の余地がない。那桜は無視して、ゼリーを口に含んだ。とろとろの口当たりがなんともいえず、甘さ加減もいうことなしだ。
「咲おばさん、美味しい!」
「ありがとう。那桜ちゃんの口に合ってよかったわ。うちの息子たちは反応がなくてつくり甲斐がないんだから」
「ここにお嫁に来る人って幸せかも……」

 那桜は自分で云いながら、ふと、もう一つ重大なことを見逃していたことに気づく。

「そうかしら。娘ができるのは夢だけど」
 そう答えた咲子を尻目に那桜は詩乃に呼びかけた。
「お母さん」
「何?」
「世翔くんみたいに、拓兄にも決められた人っているの? 咲おばさん、和惟にもいる?」

 那桜がそう訊ねたとたん、詩乃と咲子は目配せした。

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