禁断CLOSER#78 第3部 純血愛-out-

1.甦生−Revival− -3-


 撮影が終わって写真を選ぶ段階になると、拓斗はろくに見もしないで「電話してくる」とスタジオの外に出た。
 見入ったパソコンの画面には、いつの間にというほど多くのシーンが並ぶ。最後のほうはシャッター音に慣れていたから『終わります』と云われたときは、その瞬間まで撮られていたことに気づいていなかった。
 那桜は、とっておきともいえるその一枚をしげしげと見つめる。
 いまにも笑いだしそうだった口もとは、銀杏の木の根っこで見た笑みの半分くらい――つまり、とても笑顔とは呼べないのだが、その気配は光彩と陰影の計算し尽くされた融合によって写真にも映しだされている。この笑顔もどき最高潮の刹那を捉えるなんてさすがにプロだ。
 ほかの写真についても、まるで要求に応じてポーズを取っているモデルみたいに一枚一枚が活きている。
 自分がお喋りしたり笑ったりしているところを見ることはなく、ましてやその相手が拓斗のとき、どんな顔でいるのか見当もつかなかった。カメラマンお墨つきの拓斗を傍にしても、プロの腕によって、那桜が極端に見劣りしたり不細工だったりしていることはないけれど、最初に撮ったポーズ写真はともかく、ほかの写真は人には見せられないと思った。
 なぜなら、写真スタジオのまえに飾ってあるブライダルフォトと同じ雰囲気がそこにあった。それ以上に、拓斗を見つめる目は縋るようで、熱っぽさを醸しだしている。
 普段からこんな様で拓斗を見ているとしたら間違いだ。
 矢取(やとり)家の従姉妹である深智(みち)とその妹の美咲には兄二人がいるけれど、彼らを見ていてこんな雰囲気にあったことはない。詩乃が気づいていないということが不思議なくらい、兄に対する妹の表情ではなかった。兄妹という先入観があるからこそ見えていないのか。

「選んだのか」
 拓斗の声にびくっとして顔を上げた。そうした那桜がどんな顔をしているのか、拓斗が怪訝に首をひねる。
「なんだ」
「……ううん」
「那桜」
「……わたし、いつもこんな顔してる?」
 拓斗は躰を折って那桜の位置まで顔をおろす。何枚かクローズアップしたあと、耳のすぐ傍でつぶやく。
「だとしても大丈夫だ」
 どう大丈夫なのか根拠は示されなかったが、拓斗に憂えた様子はなく、那桜が気をつけろと云われることもなく、即ち、無駄に心配しているのかもしれない。
「うん」
「どれか決まったのか」
 拓斗は躰を起こしながら声の大きさを常に戻して訊ねた。
「全部!」
 やにわに答えた那桜を見て拓斗は首をひねり、「だそうです」と店員に振った。多少の驚きは見えたものの、店員は快く応じた。

 手続きを終え、写真引き渡しの説明を受けると、拓斗のあとについて写真スタジオを出た。
 すると、ちょうど和惟がやってくるのが見えた。人混みのなかでも目立つのは、夏でも欠かすことのない黒いスーツのせいか、それとも拓斗と同じで身に纏うバイオフォトンのせいなのか。
「人使いが荒いな」
 和惟は正面に立ち止まると、かわるがわる那桜と拓斗を見ながら揶揄した。
 拓斗は肩をそびやかし、それからシャツの胸ポケットから車の鍵を取りだした。
「遅れるようだったら現地合流だ。車はいつものところに止めてある」
「オーケー」
 和惟に鍵を渡すと、拓斗は那桜を向いた。
「“眠る”のはあとだ」
 那桜が笑うのを見届けると、拓斗はすれ違いざま和惟を流すように見てエレベーターのほうへと歩きだした。足がいまにも踏みだしそうなくらい、ついていきたいという衝動に駆られるなか、やがて姿が見えなくなる。
 約束をもらったうれしさと空っぽになったようなさみしさが混載して、那桜はため息をついた。

「ここで何してたんだ?」
 和惟が写真スタジオを顎で指した。
「写真撮るところだよ。ほかにすることある? 拓兄と写ってる写真がないから」
「くだらないことに付き合わせてるな」
「くだらなくない!」
 皮肉っぽくあしらわれたような気がして、那桜はすぐさま云い返した。和惟は笑みを浮かべて軽く首を振り、那桜の長くなった髪を耳もとからすくうようにつかむ。
(けな)しているわけじゃない」
 そう云って、和惟は那桜の髪を引っ張るようにして下へと手を滑らせる。髪の裾まで伝うと、和惟の手の甲がちょうど左胸のふくらみかけた場所に止まる。和惟はたまにこんなふうに触れようとする。
「和惟」
 那桜の意思を込めた一言に、和惟は謝ることなく「ああ」と応じた。まるで次元が違う場所にいて、ふと我に返ったような云い方だ。直後、和惟は手を離して肩をすくめた。
「どこ行く?」
「うろうろ。でも……」
 ボディガードだと解釈されるのならましだけれど、と思いながら、那桜は和惟を上から下まで眺めた。顔に戻ると和惟がほんの少し首を傾けた。
「なんだ?」
「その恰好と一緒に歩くの嫌なんだけど」
「贅沢だな」
 和惟は笑み混じりの息をついてそう云うと、那桜の背中に手をまわして歩きだした。

「和惟、仕事中?」
「切りあげてきた。拓斗がどれくらいで収拾できるかわからないからな」
「いつも思うんだけど、お客さん……て云い方はおかしい気もするけど、放りだしてきて大丈夫なの? ボディガードだよね?」
「放りだしていない。まず単独でおれが動いていることはない。基本……というよりは絶対で拓斗優先になるから、おれのポジションはいつでも抜けられるように配置されている。首領にとって、おれの父がそうであるように」
 和惟はたまに隼斗のことを“首領”と云う。いや、“たまに”が当てはまるのは“おじさん”と呼ぶことのほうだ。和惟に限らず、このまえの日曜日にあった一族の集まりでは、男たちはだれもが隼斗を首領と呼び、拓斗を総領と呼ぶ。戒斗は総領次位だ。
「親戚なのに対等じゃないって不思議。本家と分家っていう違いはわかるけど、それ自体も普通の親戚っていう関係じゃない。だって、仁補(にほ)家の叔母さんはお父さんの妹だから普通に親戚だけど、矢取家は三世代まえの繋がりでしょ。和惟のところはそれ以上? 一緒に住んでたのに。従兄っていっても和惟とわたしは、血縁てことを考えればほぼ他人だよ。それなのに、よく忠実でいられるよね」
「確かに遺伝子レベルでは他人と認定されるだろう。けど、分家は表も裏も本家の血を受け継いでいる。たぐり寄せきれないほど長く、つまり深く濃密に、分家は本家の純血統として繋がってきた。これまで、だれ一人として裏切り者はいない。無償忠誠を尽くされるほど、本家は高貴で在り続けているということだ」
「高貴? わたしは……」
 那桜は云いかけてやめた。高貴という言葉は、隼斗にも拓斗にも似合うとは思う。
「那桜?」
 和惟がいざなうように問いかける。避けることを許さなくて、追及したがるのは拓斗も和惟も同じだ。しかも、『なんだ』や『那桜』と、云い方まで一緒ときている。“飼い主に似る”というには語弊があるけれど、ついさっきの和惟の言葉、“無償忠誠”を裏づけているようだ。
「わたしは“高貴”には場違いかも」
「そんなことは断じてない」
 軽い調子で云ったつもりが、思いがけず和惟の否定した声は固く真剣で、なお且つ強調された。
「そんなこと云うの、和惟だけかも……ううん、きっと拓兄も。ホントはふたりとも、いちばんにわたしが高貴じゃないって知ってるのに」
 那桜は半ばふざけて云う。そう振る舞うしかない。明らかに高貴ではないことをやっていて、それを望んだのは那桜であって拓斗は引きずられただけだ。
「おれが知っていることは違う。拓斗もな」

 いまになって、拓斗も和惟も一族のことを訊けば、差し支えのないところで話してくれるようになった。けれど、いま云った『知っている』とはなんのことか、訊ねたとしても答えは返ってこないだろう。
 どう返しようもなくて那桜の顔がこわばってしまう。横に並ぶ和惟からは見えないだろうし、黙りこむという不自然な静けさに気づかれるまえに、和惟がメンズショップのなかに入ると那桜はほっとした。

 那桜がメンズショップを訪れるのははじめてのことで、那桜は入り口から店内をものめずらしく眺めた。夏だからそれなりに明るめの色が多いけれど、那桜が行く店に比べれば地味だ。男の子というよりはちょっと大人めの服が多く並ぶ。
 女性の店員がいることはちょっとした驚きで、客をチェックしていた目が普通にない恰好に目を留めるまで、そう時間はかからなかった。いまにも和惟に近づいていきそうな気配を感じて、那桜は店員よりさきに和惟の傍に行く。案の定、遠慮したようで、那桜が和惟の袖をつかむと歩きかけていた彼女の足は止まった。
「和惟、あの恰好が好きかも」
 那桜は一つのマネキンを指差した。ミリタリーふうのスマートなポロシャツに、立体的に見えるオーシャン加工をしたジーンズという、かなりカジュアルな恰好だ。
「上はともかく、下はどうなんだ? 若い奴向きだ。例えば、広末とか」
 和惟は引き合いに翔流の名を出す。那桜は和惟のおじさんみたいな云い方に笑った。
「若いって、和惟はまだ二十七歳だよ?」
「趣味じゃない」
 和惟は譲歩することなく、ポロシャツはカーキ色を選んでくれたものの、下はすでに持っているものと似たような黒の綿パンツを選んだ。
 買ったあと和惟は試着室を借りて着替え、さっきまでの自重した様からがらりと変化して出てきた。なんでもない服なのに“目の毒”的な要素が前面に出るとはどういうことだろう。見慣れた那桜がそう思うのだから、ふたりを見送る女性店員の目が釘づけといったように見えるのも致し方ない。那桜がいなかったら、そのままついてくるのではないかと疑った。
 和惟から発散される引力は、拓斗の斥力(せきりょく)を生じさせる艶麗(えんれい)さとは真逆だ。

「着るものに遊び心がないって、警備っていう職業柄?」
 店を出て当てどなく歩きだすと、那桜は不満気味に訊ねてみた。
「どうだろうな」
「戒兄についてる和久井さんなんて、能面みたいにしてて固いし。なんだか、普通の服を着てるところ想像できないんだけど」
 和惟は吹くように笑った。
一寿(かずひさ)はまさに従者だからな」
「拓兄もお父さんも衛守家がついているのに、戒兄はどうして和久井さんなの?」
「衛守セキュリティガードは今後、ガードサービスからは身を引いてセキュリティシステム専門になる。ガード顧客は和瀬ガードシステムに移行中だ。あっちはガード専門だから」
「そうなんだ。どうしてわざわざ表と裏の一族間で分かれてるのかなって思ってたけど」
「わざわざっていう理由があるからだ」
「……じゃあ、その理由はなくなるってこと?」
 那桜は少し考えてから疑問をそのまま口にした。すぐには答えがなく、見上げると和惟もまた那桜に目を向けた。
「そういうことになるな」
 そう云った口もとは笑っているけれど、瞳は少しも可笑しそうじゃない。那桜を通り越してどこか睨みつけるようで、はたまた憂慮が見え隠れする。

「和惟?」
「けど、どうなるかはわからない。これから、と云っただろう。ただ、那桜」
 和惟は途中で言葉を切った。
 あの日に云われた『これから』というのは、那桜と拓斗のことではなく一族に関係することだったのだろうか。
「……何?」
「拓斗では足りないときがあるかもしれない。何があってもおれがいるということを忘れるな」
 和惟にありがちな、からかうでもなく脅すでもないごく真剣な声が、可能性ではなく確信に聞こえさせた。
 少しずつ明かされるというのは、得てしてまた疑問を、延いては不安を増やす。それを打ち消すような答えは、少なくともいまは聞けないとわかっているから、那桜はそれを吹き飛ばすように笑った。
「一心同体?」
 ふざけたふうに口にすると和惟は首をひねって笑い、「だろう」と推量言葉ながらも断定した口調で那桜に応じた。

 那桜はつと、和惟のまえに先回りして足を止めさせた。首をかしげた那桜を見下ろして、同じように和惟はほんの少し首を傾けた。
「なんだ?」
「和惟、やさしくなった」
 あれからずっと感じていたことを告げてみた。少なくとも那桜に対しては、嗤うこともプラスティックスマイルも消えた。
 和惟はおもしろがって笑ったあと、めったにない和やかさを纏う。木陰に流れる水音は夏の暑さを癒やす――そんな静寂を感じる。

「那桜の幸せは、おれの唯一の歯止めだ」

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