禁断CLOSER#74 第2部 破砕の扉-open-

5.迸出-Gush- -26-


 果歩の躰はかすり傷や引っかかれた傷がいくらかあったものの、外傷に限っては病院に行くほどではない。保健師は本部テントに出張中で不在だが、和惟の手配で保健室を借り、消毒と絆創膏を適当に使わせてもらった。
 見よう見まねで脚まで手当てが終わると那桜は立ちあがった。ベッドに腰かけた果歩は顔をうつむけている。
「あとは大丈夫みたい。躰のなかはわからないから病院に行ったほうがいいと思う」
 果歩は那桜と目を合わせることもなければ、声をかけたところで黙ったままうなずくこともない。テラスで心配して声をかけた翔流に『大丈夫』と答えたとき以外、果歩の口は閉ざされている。
 カーテンを開けると、ちょうど入り口の戸が開いて和惟が現れた。その手には那桜の下駄が握られている。
「終わったよ。戒兄、果歩をお願いしていい?」
「わかってる。和久井を呼んだ」
「おれも車まで付き合う」
 戒斗はまえもって気をまわしてくれていたらしく、さらに翔流が申し出て那桜もほっとしてうなずいた。
 翔流が「行くぞ」と果歩の腕を取ると、素直に立ちあがった。見送る那桜たちのまえで果歩がつと足を止める。果歩はゆっくりと一礼をして保健室を出ていった。
 不必要なくらい頭を下げたままでいた果歩はその時、云いたくても何を云っていいかわからなくて、そのかわりに、自分で自分にけじめをつけたのかもしれない。
「じゃあ、僕はさきに委員会に戻ります」
 隆大が云い、「中央会館、そのままになってるから」と変わらずからかった口調で付け加えた。
「わたしもすぐ行きます」
「今度は逃亡はナシだよ」
 隆大はいまに限って禁句の一言を残して出ていった。

 那桜の思いすごしではなく、保健室は密室と化してどこかピリッとした気配が漂っている。
「那桜、座って。足を診る」
 和惟が奇妙な雰囲気を破った。下駄を受けとりながら、那桜はさっきまで果歩が座っていたベッドに腰かけた。和惟はカーテンの向こうに行き、拓斗はベッドの傍に立つ。
「腕を見せろ」
 拓斗は那桜のジャンバーに手をかけた。
 やっと口を利いてくれて沈下した気分が浮上する。室内の空気は一変して、那桜は素直にジャンバーの襟に手をかけた。
「わたしはなんともない。痕があっても拓兄のせいかも」
 そう云ったのは、おちゃらけているわけではなく拓斗の不機嫌を誘発しないためだ。
 ジャンバーを脱いでみると着物はかなり乱れていた。襟もとは浮いて、襟下は帯のところでよじれている。直していると和惟が戻ってきた。
 場所を空けた拓斗はベッドをまわる。和惟は正面にひざまずいて那桜の足首を持ちあげた。水音がしたのはタオルを濡らすためだったようで、足の裏がひやりとした温度できれいにされていく。くすぐったさに足の指を曲げて、那桜は笑いとも悲鳴ともつかない声を漏らした。
「那桜、じっとして」
「和惟、自分で――拓兄っ?」
 突然、腹部が引っ張られたと思ったとたん、胸下の絞めつけが一気に緩んだ。拓斗は襟をつかんで肩から着物を剥がした。キャミソール姿になってぷるっと身ぶるいしても、拓斗はかまわず那桜の腕を取った。拓斗が見おろした場所に目をやると、かすかだが赤くなった場所がある。それを拓斗のせいだとなすりつけるにはその眼差しが冷たすぎた。

「勝手にしろ」
 吐きだされた言葉はどこからどこに繋がるのかとうとつすぎた。いや、どこからかはわかる。那桜のためという拓斗の意を那桜自身が無にしたことから始まった。けれど、それはどこに行きつくのだろう。
 ベッドの上に倒されて、ほどけた帯が手首に絡んできた。
「拓兄っ」
 制止はきかず、帯がぐるっと一回りして左手首はパイプベッドの端に括られる。それが反対側にも及んだ。和惟は止めることもなく、それどころか下半身をベッドに載せるという協力をした。見開いた目に映る和惟の瞳は、案じているようで嗤っているようで、即ち、助けて、とそう云っても通じないと那桜に教える。
 拓斗が右手首を縛る間、和惟はその異変を日常のように扱い、反対の足の裏をきれいにしていた。畏れが目のまえにぶらさがって、もう那桜がくすぐったさを感じることもない。
「やれ」
 拓斗の命令が下る。氷柱を押しつけられたように背中がひやりとして心もとなくなる。ベッドが揺れた。
 この期に及んで拓斗が和惟に触れさせるとは思っていなかった。
 ――違う。拓斗は有沙のキスを防がなかった。それはすでに兆候だったのか。拓斗は決めたのかもしれない。キスの在り処を守るよりも“切る”ことを。
 いつ?
 呆然としているうちに着物は(はだ)けられ、ショーツは取り除かれていた。
「あっ」
 いきなり躰の中心が生温かく包まれる。反射的に身を縮めようとしたけれど、手は縛られていて引き寄せることはかなわなかった。
「や、だっ……拓兄っ」
 呼んでも拓斗はただ見おろすだけだ。
 それが理解できなくて――それよりは理解したくなくて躰は何も感じなかった。
「拓兄!」
 またそう呼んでも反応がない。

 通じ合っていると思っていたのに、那桜のしたことがゼロに戻したのだろうか。“切る”ことを選んだのならゼロにも満たない。拓斗がテラスで見せた眼差しのように暗く深い底に消えてしまった。
 そう知ったことが那桜の意思を無力にした。それは必然的に躰にも波及する。和惟にも伝わったのか、膝の裏を支えていた手の力が緩む。そして和惟は自在にねっとりと那桜を攻めだした。
 どうしてもそこは敏感で、触れられれば快楽ではなくても反応してしまう。その無条件反射が快楽に置き換えられるのはいつも不意打ちだ。感じたくないと思っていても、和惟の執拗さと那桜を知り尽くした器用さは、躰の奥に刻みついた快楽という記憶をいつの間にか目覚めさせる。
 指が挿入されてお尻が跳ねた。浅ましい水音と吸着音が室内に響き始める。

「あっふ……拓……兄っ」
 その意思を知ったのに、どうして拓斗を呼んでしまうのだろう。その答えを探そうとする間もなく、和惟が吸いついた。
「あ、あ、ぃやあっ」
 腰が持ちあがって酷くふるえた。同時に、忘れていた生理的欲求が戻ってきた。
「やめ、てっ。漏れちゃうっ」
 それでも容赦ない。そこがとろけていくような熱に襲われる。
「あふっ、あ、あ、あ……拓兄っ」
 和惟がふくらんだ突起をくちびるで摘む。そのまましごくようにして離れる。その隙に無意識で逃れようとよじった。けれど、息がかかるのが感じられるほど和惟のくちびるは間近にあって、またそこが摘まれた。腰が身ぶるいしながら跳ねる。何度それを繰り返されただろう。
「あああっ、だめ! 拓……い……あ、やぁああ……っ」
 その瞬間に漏れたような感覚に陥った。全身をピクピクと反応させながら、快楽に塗れた感覚を持て余して那桜は嗚咽を漏らす。
 和惟が離れて、だらしなく脚が広がった。

「拓……にぃ」
 荒く息をつきながらやっぱり那桜は拓斗を求めた。けれど、返ってきたのは――。
「やれ」
 虚ろな視界のなか、拓斗はベッドから、いや、那桜から離れた。
「拓斗?」
 協力者なのに和惟の声は怪訝そうに聞こえた。
「最後までやれと云ってる。那桜は処女じゃない。散々、弄りまわしたんだ。何をためらう? やりたいんだろ。好きにやればいい」
 那桜の嗚咽が激しくなる。

 拓斗のくちびると那桜の躰の奥、それはキスの聖地のはず。拓斗はすでに自分の聖地を自らで侵そうとしたのだから、那桜の聖地をそうしようとしてもおかしくない。
 もういい。その言葉が甦る。
 最初に云われたのは果歩のことを話したとき。なぜそんなことになったのかを考えれば、LL室でのことに遡る。足音を立てない拓斗がいつから戸の向こうにいたのか。
 那桜が簡単に和惟の手で堕落してしまうことを知っている。
 激しく打ちつけるように戸が開かれる音が、いままた耳のなかで跳ね返る。
 感情を表さない拓斗がそこまであらわにするということの意味。あのとき、歪んだ扉はその激昂で破砕された。けれど、そうなるまでの間に、その向こうの扉はずっと頑丈に生成されていたのかもしれない。
 最後のダイヤルはまわしてはいけなかった。ダイヤルをまわすための解錠コードはあと一つ。それは知るべきではない。怖いから。わかっていたのに。

「おまえがそう云うんなら」
 和惟は含み笑う。
 尽きた。
 ベルトを緩める音、服が擦れる音。
 だれだろう。泣き声が聞こえる。
 躰の中心に何かが当たる。硬くて柔らかい。それで脚の間を擦られ、躰がふるえる。
 そして、視界のなかに瞳が入ってきた。
「那桜」
 瞳が囁く。瞳が声を出せるわけがないのに、それくらい声になっていない。
「呼べ」
 だれかの泣き声のなかそんな声が降ってきた。
「たく……にぃ」
 つぶやくように漏れた。
「もっとだ」
 息がかかるくらい傍からそそのかす。そのくちびるは頬に落ちて耳へと伝った。
「拓にぃ」
「もっと」
「拓兄」
「そうだ。ずっと呼んでやれ」
「拓兄」
 だれを、と云われていないのにどうして出てくるのは『拓兄』なんだろう。昼間も、いないとわかっているのに呼んだ。さっきも、無駄だとわかっているのに呼んだ。
「拓兄」

 呼び続けた。いつかも、拓にぃ――そう呼び続けた気がする。それが那桜の全部だった気がする。
 守りたい。
 どれくらい呼び続けているだろう。「もっと」と、そう耳もとに囁く声と交互に拓斗を呼び続けているうちに、那桜はどうしても譲れないものを見つけてしまう。
 拓斗がキスの在り処を捨てようと、那桜までもがここで捨てたら大事にしたいと思った拓斗への気持ちを壊してしまう。切られて、それなら妹としてでもいいから、拓斗にとって那桜が特別でいられるのはその気持ちをどこまで守れるか。そういうことだと思う。
 それを証明し続ける。
 拓斗の姿を求めた。頭を巡らして伏せた瞳にやっと映った。
「拓兄!」
 自分を見てくれている。潤んだ瞳にはぼんやりとしか映らなくて拓斗がいるということだけしかわからない。それでも、那桜はそう信じた。切ろうとする意思は見届けなくてはいけないのだから。
 そして、こんなことをしなければ切れない拓斗は、切りたくない意思もやっぱり背中合わせに持っている。
 頑丈な扉を開けられるのは力でも鍵でもなくて、きっと声――拓斗を求める那桜の声。

「拓兄、躰のなかはわたしのなの、拓兄のなのっ。拓兄、いやなの……拓兄っ、拓兄!」
 叫んでいるうちに和惟のくちびるは耳もとを離れ、緩やかに喉を伝って胸へと流れていく。和惟がキャミソールとブラジャーを捲りあげ、くちびるがふくらみかけたふもとを咬む。避けようと伸びあがる那桜のウエストを和惟が捕まえる。和惟は上体を起こし、躰の中心と慾が擦れた。
「拓兄っ、や――っ」
「もういい」
 拓斗の声が鋭く響き渡る。
 和惟は嗤う。
 常を裏切らず、和惟の行動は矛盾している。自分の慾を那桜の中心に合わせてきた。
「いやっ、拓兄っ」
「終わりだと云ってる」
 那桜の悲鳴と拓斗の命令は同時に発せられた。和惟は口を歪めて拓斗を嘲笑う。
「拓斗、おまえも承知のとおり、那桜とおれは永久に一心同体だ。だろ? なら、実質上そうして何が悪い? 那桜を最後まで守れるのはおれだ」
 和惟が那桜の脚を痛いほどにつかむ。蹴散らそうとしてもふくらはぎをつかまれていて、和惟の手すらもはね除けられなかった。そして、和惟は那桜の入り口に押しつけた。しなやかに濡れそぼったそこが迎えるように広がる。
「いやっ拓兄っ」

 叫んだ刹那、脚が自由になって、同時にベッドが揺れ、何かがぶつかる鈍い音とそして呻く声があがった。

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