禁断CLOSER#71 第2部 破砕の扉-open-

5.迸出-Gush- -23-


 拓斗は校舎を出ると模擬店が並んだ通りを横切って喧騒を抜けた。
 通常使われている正門近くの駐車場へと向かうにつれ、外灯の下、一ミリの狂いもなく完成された立ち姿が見えた。マネキンのような、まるで人間の模造品だ。
 例えば戒斗がしばらくこだわって作っていたガラス玉を見るような感覚で、初対面のときはその見かけをきれいだと思ったかもしれない。ただ、拓斗のなかに何かを残すようなしぐさも言葉も性情も一切ない。那桜のクリスマスの買い物に付き合った日、途方もない確率のなかでばったりと遭遇して、そのとき拓斗が思いだせたのは疾しさがあったせいにほかならない。
「拓斗、答えは出たかしら」
 拓斗が二メートル手前で止まるなり、(はや)った問いかけが投げられた。何を勘違いしてそうなるのか、自分の計算どおりになると信じている有沙は小気味よく笑う。
『那桜ちゃんにとんでもないことが起きるかも。わたしなら止められるわ』
 十分まえにあった電話の会話は第一の証拠として録音した。呆れるほど軽率すぎる。

「何も応えることはない」
「那桜ちゃんがどうなってもいいの?」
「那桜はどうにもならない」
 拓斗が云いきると、有沙は笑いだし、そして大げさなほど口角を上げた。
「酷いことしようとしてる子がいるのよ」
「なんのことだ」
「だからわたしなら止められるってこと」
 有沙の云う『酷いことしようとしてる子』というのがだれを差すのかは明々白々だ。有沙が読みあげた紙切れを提供した奴に違わない。まして、有沙と飯田果歩という、那桜のごくごく限られた周辺で、特異なネットサイトの掲示板に二人一致してアクセスするという偶然は通じない。ここ最近になって――限定するなら青南祭が始まった日からそれは頻繁(ひんぱん)になっている。
「止められるなら止めるべきだろ」
「わたしには関係ないことなのよ? 拓斗が応えてくれないのなら」
 有沙は飯田果歩にすべてをなすりつけるつもりか。いずれにしろ、どっちが動こうと第二の証拠で、有沙には最低でも“不作為による幇助(ほうじょ)罪”が成立した。
 拓斗はミリタリーふうのシャツジャケットのボタンに触れ、音声付きの録画を止めると有沙を見据えた。

「だれであってもおれの領域に入ることは不可能だ。云うまでもなく、犯罪を見過ごすのも(いと)わないという、品格をなくした分際(ぶんざい)で有吏に見合うと思うな。那桜をどうこうするつもりならそれ相応の――いや、それ以上のことを覚悟すべきだと伝えろ」
 拓斗は淡々と吐き捨てた。故意に含めた侮蔑を感じとったのか、有沙はそれまでのあだっぽさから(さげす)むような眼差しに変え、いびつな微笑を浮かべた。
「そんなに那桜ちゃんが大事?」
「妹だ」
「那桜ちゃんに品格なんてある?」
「妹だ。関係ない」
「妹ってだけでそんなに守りたくなるものなの?」
「おれの答えは、だれにとっても意味がない。最後だ。有沙さんにおれが応えることは何もない。今後、もし会うことがあるとするなら、有沙さんの行き先はどん底しかないと忠告しておく」
 試すような質問は三つで終わったのか、ただ拓斗の忠告が効いていないことは確かで――もしくは本気にせず、有沙は不自然なほどさやかな笑みを浮かべた。
「本当に覚悟すべきなのはだれかしら、ってことね。拓斗のことはあきらめるわ。でも、一つ云っておくと、大事なものってうざったいのよ。取りあげたくなっちゃうのよね」
 有沙はわずかに顎を上向けた。
「さよなら、拓斗」
 挑発するように拓斗を斜めに見上げ、そう云うと有沙はすぐ傍をすり抜けるようにして会場の方向へと立ち去った。

 拓斗はゆっくりと振り向く。有沙の姿が視界から消えるのを見届けると来賓用の駐車場に向かう。尾行されればすぐわかるように靴音を忍ばせ、そして、心中に絶えず淀む焦燥を振り払うように足早に歩いた。
 あの眼差しは虚勢なのか。軽率だからこその無謀さは懸念材料だ。その懸念を抱えているよりも捨てきることのほうが安全であり、先送りするほど執着という負の材料は巨大化する。
 模擬店が並んだ校舎の裏側にまわると、来賓向け駐車場に拓斗と和惟のプライヴェート車はなく、かわりにシルバーとブラックのツートンカラーのスポーツ用多目的車(SUV)が見えた。拓斗が近づくと、窓をふさいで車内を見えなくした後部座席のドアロックが解除された。

 ドアを開けて乗りこんだリア部分は内部改造され、見かけより車体の床は低くなっている。運転席側の片面はコントロール室のように電子回路が占めて、すぐ正面の椅子に和惟がいた。反対の助手席側には三人くらい並べそうな座席が設置され、そこに座っていた戒斗が奥につめて席を空けた。
「拓斗、妙な女に係わったな」
 戒斗の第一声はそれだった。気質が変わって以来、普段ならおもしろがるところだろうが、那桜が絡んでいるだけに危惧した口調だ。一方で、戒斗と違い、どんな状況にあっても見縊(みくび)った様を見せる和惟は鼻で笑う。
「何を血迷ったのか聞きたいところだ」
「だれでもよかっただけのことだ」
「確かに女遊びに関しちゃ許容されてるけどな。隙をつかれたわけだ」
 和惟は口を歪めて拓斗の失態を指摘する。そうなった発端まで知悉(ちしつ)していそうな眼差しは、試すように拓斗を見据える。

 泥まみれの那桜を抱いたおれの顔に何が映っていたのか。
 もしかしたら和惟はあれ以来、拓斗を“その”下で見てきたのかもしれない。拓斗と那桜の法度(はっと)の関係を見て見ぬふりじゃなく、認め許しているにもかかわらず拓斗を煽る。
 その根底には何がある? 別荘の夜、那桜を追いつめる和惟は容赦なかった――おれと同じように。

「否定はしない。けど、これきりで始末する。そうしたいから助太刀(すけだち)を頼んでる」
「ごもっともだ。我らが妹を危険に晒すわけにはいかない」
 皮肉なのか、少なくとも戒斗はそう受けとったようで、呆れ返ったように首を振った。
「変化はあるか」
 挑発を無視して拓斗は本題に入った。
「いや。惟均からこっちに引き継いで以降、アクセスはない」
 戒斗が極小サイズのイヤホンマイクを差しだしながら答えた。拓斗は片端のイヤホンを左の耳に装着し、もう片端のマイクはシャツジャケットの第一ボタンに紛れるよう取りつけた。コードは目立たないよう耳にひっかけて襟を立てる。
「惟均はどうしてる?」
「サイト監視は続行させてる。せっかく岩手に行って、“ひっつみ”巡りができないって嘆いてたな」
 和惟は軽口を叩いた。惟均が不満を口にするとは考えられず、拓斗は取り合わないまま、スパイカメラをボタン型から高性能な度数ゼロの眼鏡に替えた。ずれたり外れたりしないようにバンドで固定してテスト撮影をすると、()の部分にあるカメラの焦点は拓斗の視界に沿う。
「写真は?」
「撮れてる。念のため、ふたりともだ。備えで惟均にも送信した。投稿されたら記録後、すぐに入れ替える」
「何人集まるんだ?」
 戒斗は本腰を入れた口振りで云い、少し身を乗りだした。
「さあな。少なくとも都内からのアクセスは五〇件以上だ」
「合意前提とはいえ悪趣味だな」
「いろんな奴がいる。枠に括れないのがセックス(サガ)ってな。だろ、拓斗」
 ふたりの会話を耳にしつつ拓斗がドアを開けていると、また和惟の人を喰ったような声音が呼び止める。
 振り向いてみたがいつものごとく、和惟の本心を覗くことはできない。ただ、不必要に拓斗に絡んでくることは、和惟の苛立ちを教える。那桜の身を案じているという以外の何ものでもない。
「枠に括れないのはサガだけじゃない。その現状のなかで死力を尽くす。そう教わってきたはずだ。何人だろうと何があろうと一緒だ。和惟、隆大にも備えさせる」
「ああ。来させてくれ。そのあとおれも出る」

 拓斗は車を出ると後ろ手にドアを閉め、腕時計を見た。五時二十五分、まもなく模擬店が終わる時間だ。拓斗はわだかまりを払うように首をひねり、それから茶屋へと向かった。



 なぜ、『姉さんのため』?
 那桜の見開いた目に映る立矢の顔にはけっして悪意は見られない。それでも立矢に手を取られると那桜の躰がびくっと慄いた。
「危害を加えるわけじゃない。那桜ちゃんに関してはその逆だから。だれにも邪魔されたくないだけだ」
「隆大さん……は?」
脳震盪(のうしんとう)くらい起こしてるかもしれない。むちゃはしてない」
 立矢は極めて冷静に告げ、ドアの上にある時計をちらりと見た。釣られて見た時計は五時十五分を差している。
「時間がない。来て」
 立矢は那桜の都合をかまわず手を引いた。すくんでいた足がとっさには動かず、那桜はつんのめりそうになりながら歩きだした。
 委員会室を出ると廊下をさらに奥へと連れていかれ、立矢は隅の部屋に入った。カチッという音の直後、真っ暗な室内が蛍光灯で照らされた。収納庫のようで、折りたたまれた長テーブルや椅子が置いてあるだけの部屋だ。

「ケータイ預からせて。説明はあとでする。それまで静かにできる?」
 那桜を奥にやり、立矢は布テープを左手に持ち替えながら首を傾けた。おなかを空かせた犬が餌を見せびらかされたみたいにそこから目が離せなくなる。ただし、そんな飛びつきそうな犬とは反対に後ずさりしたい気分だ。
「隆大さんは大丈夫ですよね」
「ああ。隆大が心配なら、なおさら静かにしててくれるだろう?」
 那桜はこっくりとうなずいて携帯電話を立矢に預けた。
「寒くない?」
「大丈夫」
 立矢は那桜の顔から足もとへと目を走らせたあと、スタッフジャンバーを脱いで那桜に差しだした。逆らうのも怖い気がして、促されるまま受けとった。
「鍵は閉めさせてもらう。十五分もしたら来るから。大丈夫、那桜ちゃんを守るためだ」
 そう云い残して立矢は独り外に出た。施錠される音が大きく響く。
 那桜は呆けたようにドアノブに目を留めて立ち尽くした。

 どう……いうこと?
 まるで頭が働いていないなか、唯一浮かんだその言葉がぐるぐると無意味に回転している。
 しばらくたってから、拓兄に電話しなくちゃ、と二番めに思ったことは、立矢に携帯電話を取りあげられたのだから、それこそまったく意味をなさない。ただ、携帯電話を探そうとした無意識の動作からそう気づけるまでの一連のことが、那桜自身に思慮分別を取り戻させた。
 那桜はあらためて部屋を見まわす。換気扇が一つあるのみで窓はなく、ドアノブに内側から開けられるような鍵はついていない。試しにまわしてみたけれど、ドアノブは途中で引っかかる。閉所恐怖症ではなくてよかったと思いながら、折りたたみの椅子を一脚起こして座った。
 理性が戻ると急に冷えこんだように感じて、那桜は立矢のジャンバーを脚にかける。
 それともふるえているのは怖さのせいか。
 再三、独りになるなと云われたことが身に沁みる。漏らしたため息もふるえた。
 けれど、いまは逃亡したわけでもなく、命令どおりに隆大といた。だから那桜のせいではなく、むしろ戦えないボディガードをつけた拓斗のせいだ。隆大のためにフォローすると不意打ちだったはずで、隆大自らがそう云ったとはいえ、戦えないと片づけるにはむごい。

 でも……。
 那桜はふと疑問を抱く。
 拓兄の用事って何? どうして傍からいなくなったんだろう。
 条件を考えてみた。那桜が心配いらない場所にいて、逃げないとわかっていて、拓斗が独りになる理由。最後まで青南祭にいると云ったのだから、和惟と会うのであれば和惟のほうが来ればいいことだ。そのほうが理に適う。
 でも、そうしないということは……有沙さん?
 めずらしくそう考え至ったことに自分でも冴えていると思う。伴って、拓斗がキスを止めようとしなかったことが甦り、『もういい』という言葉の意味がわからないままで苛々した気持ちが募る。それを振り払おうとぷるぷると頭を振って、那桜はそのさきを考えようと努めた。
 拓斗が行ったとたんに立矢の呼びだしがあった。それは九十九パーセント有沙と連携していると思えた。
 けれど『守るためだ』と立矢は云う。監禁することが守ることになるんだろうか。
 そう懐疑したところで那桜は類似点に気づく。行動制限をされたうえ、そこから飛びだしてもすぐに突き止められる。拓斗が――いや、有吏が那桜をそうするのは監禁とさして変わらない。
 ということは、もしかしたら守るためなのだろうか。何から?
 考えてもわからずぼんやりしていると、どれくらい時間がすぎたのか鍵が開かれた。
 立矢が現れても不思議と怖さはなくて、それどころか根拠もなく那桜のなかから脅威は消えていた。

「隆大さんは?」
「委員会の資料室にいるよ。事情は説明したけど……テープ切ってどうにか逃げられたとしても那桜ちゃんがここにいる以上、問題はない」
「委員会は?」
「タイムスケジュールを確認してそれぞれに別れた。しばらくは弘志に任せている」
 もと委員長の綾瀬のことは気をまわしたのではなく、そんなふうに利用するためだろうかと勘繰ってしまう。すべて計算ならどういうことになるのだろう。
「何時ですか。拓兄が探してるかも――」
 那桜は中途半端に言葉を切る。立矢の携帯電話が鳴り始めた。
「ああ、姉さん」
 その受け答えに驚き、そして、有沙と話す間、立矢の目が那桜を見つめる。敵意があるわけではなく、電話に集中するように目を細めている。話すといっても立矢はほとんどが相づちばかりで、内容はさっぱりわからなかった。
 そして立矢は携帯電話を耳から離した。画面を見た立矢は那桜に目を向ける。
「五時三十五分だ」
 そう云いながら、立矢はジーパンのポケットに手を入れ、そこから出した携帯電話を那桜に返した。
「拓斗さんに電話して。委員会室にいるって云えばいい。拓斗さんは弁えてるから当面そこまでは入ってこないだろうし。余計なことは云わないだろう? それから那桜ちゃんにも説明するよ」
 那桜はゆっくりと首を縦に振る。戻された携帯電話は電源を切られていた。電源を入れて起ちあがったとたん、待っていたように着信が入る。拓斗だ。立矢を見上げると見当がついているようで慌てることもない。

「拓兄」
『どこだ』
 その一言は普段と変わりないけれど、那桜が茶屋にいないと知っていることを示す。
「委員会室。連絡するの忘れてた。ちょっと早くなって。でも隆大さんと一緒だから」
『ケータイが切れてた』
「あ……充電切れそうだったから電源切ってた。それでいま拓兄に電話しようって思いついて入れたの。そしたら拓兄からかかってきた」
『隆大にも呼びだしだけで通じない』
「……そう? ケータイ音は聞こえなかったけど……マナーにしてるのかも。いま資料室に行ってるから戻ってきたら云っておく」
『那桜』
 それは呼びかけるのでも問いかけるのでもなく何かを確かめようとしているように聞こえた。
「全然平気。すぐフィナーレだし、もうちょっとがんばる。じゃ、切れそうだから」
 息を一つつく間もない寸刻だけ待ってから那桜は電話を切った。

 立矢がふっと笑みを漏らした。
「那桜ちゃんて聡明だな」
「わたしが?」
「そう。機転が利いてるし、こんな状況下なのに落ち着いてる。やっぱり兄妹だなって思う」
「こんな状況下って、立矢先輩が大丈夫って云ったからですよ。それともそれは嘘?」
「嘘じゃない」
「でも、有沙さんのためっても云いましたよね?」
「ああ。姉さんは自省するべきだ。今日はそうさせるチャンスだと思ってる」
 限定されたことに那桜は首をかしげる。
「今日? 自省?」
 那桜に応じて立矢が口を開きかけたとき、また那桜の携帯電話が着信を知らせる。
「だれ?」
「……果歩」
 立矢の問いに那桜は戸惑って答えた。
「どこかに誘われたら行くって云って」
 立矢は深く息をついたあと、なんの用件かわかっているようにアドバイスをした。それはやっぱり果歩とも連携していることを示している。

「もしもし」
 通じても電話の向こうから声がかかることはなく、那桜が応じた一言以降、ふたりともが沈黙した。
「果歩?」
 最後に見た、果歩の刺々しい眼差しを思いだしながら、那桜のほうからおずおずと話しかけた。
『那桜、話があるの。昼、会った共通棟に来てくれない? 六時。なかの図書館の入り口で待ってる』
 果歩は棒読みのような云い方で早口に喋った。嫌々電話したと捉えられなくもない。それは那桜と話したくないからだろうか。それとも――。
「わかった。行くよ」
 立矢に云われたとおりに返事をすると、電話は切られることもなくまた沈黙になる。何か云いたそうにしていると感じて那桜も切る気にはなれなかった。その間、この二年間の果歩とのことがいくつも那桜の脳裡によぎった。
 やがて、痺れを切らして那桜のほうから呼びかけようとした矢先、やっと果歩が口を開いた。
「那桜……」
「果歩?」
 云い淀んだ果歩を促す。
「やっぱり来なくていいよ」
 電話はプツンと途絶えた。

 果歩……?

 “嫌々”というのは那桜と話したくないからじゃなく――と思ったこと、切る気になれなかった自分の気持ちの発端、それは那桜の希望にすぎないのか。

「那桜ちゃん、行ったらだめだよ」
 ぼんやりと携帯電話を見つめていた那桜は立矢を見上げた。その忠告は、さっき勧めた返事とはまったく逆の云い分だった。

BACKNEXTDOOR

* 不作為による幇助罪 … (この場合、友人として)法的義務のある者が犯罪行為を見て見ぬふりをする罪
   ひっつみ … 岩手県の郷土料理(地域によっていろんな呼び方があるよう)